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asunaros.hatenablog.com
教育関係を少しお休みにして 教員を依願退職したときは、体重が89キロでタバコを吸っていました。健康面では最悪の状態に近かったと思います。 不況の真っ只中の北海道に家族3人で移住しました。 傍目から見たら、『またどうして?』と人生の選択を誤って悪い方向にいっているように見えたと思います。 しかし私たち家族からすると、それが再生への道で楽しい過程でした。 今でも家族3人仲良いねと言われたりします。自分たちは決して仲良いとは思いませんが、いざというときの団結力はあるのかもとは思います。 家族の生活をある程度優先させようという意識に変え、何もかもが新鮮で様々な新しいことに挑戦していたときでした。 例えば、週末ごとに家族で余暇を過ごし、必死で家族を再生させようとしていたのかもしれません。 そうはいっても、今でも目に焼き付いていることは、当時たまたま娘と二人だったときです。娘を公園の遊具で遊ばせていて
例えば 週末にでも、とても賑わう、混みあう滑り台に行き、じっと観察してみると‥ すごい数の子たちが滑り台に群がり、その階段を登る子もいれば、階段の上から降りてくる子もいる。ときには滑る部分を下から登ってくる子までいる。横入りする子もいる。しかし不思議と、直前で譲ったり譲られたりして、おおきな争いごとになりません。うまいこと、最大多数の最大幸福を探って子たちだけで調整できています。 あ~。子たちはお互いに寛容だなあ‥と感嘆することもしばしばです。 『あすなろ』でも小学生クラスは休み時間をもうけています。それが指導面でも、お子さんの気分転換ができて、ほんとに助けられています。 一方、私たち大人はいかに『怒り』をマネジメントするかが課題になることも多いです。アンガーマネジメントの世界では、自分の信念=『べき』にとらわれることが原因で怒りが起こることも多いと分析されています。 (この公園の滑り台の
間違えたところをやり直しをしたら、力がつくのにどうしてやり直しをしないの?と子に言いますけど、本来私たち大人も含めて、やり直しに対してはどうなんでしょ? 教師を辞め、家庭教師を二年間やりました。数十件の家庭に入りました。ほとんどの小学生がいる家庭が大手の通信教育をやっていました。そしてほとんど100%が、その通販の教材が、やっていないところだらけで、やり直しは全くできていませんでした。まずどうやってやり直しをするか、字をどうていねいに書くかの指導から始めなくてはいけませんでした。 山の遭難の続きついでに‥ 山の遭難の最も多い原因は、『道迷い』で半数弱の割合だそうです。 道迷いに合わないために昔から地図とコンパスを持ち歩きべきだと言われていますが、なかなか登山中に地図で現在地の確認は正直しないものです。道に迷ってから、地図やコンパスを出しても、実はあまり役に立たないことも多いです。 私はわり
前回のトムラウシ登山のつながりです 助かった方と亡くなった方の違いの一つに雨具の下にダウンやフリースを着ていたかどうかがあるそうです。 日本は重ね着の概念があまりないそうです。 外着一つで雨風を防いだり、防寒をするものだという思い込みがあります。 それなので『ゴアテックスの雨具は意外と寒い』なんて勘違いなことを言う方がいます。ゴアテックスの内側に違う素材をはりつけて防寒の用途をもたせたものもありますが、一般的にゴアの雨具といえば防寒としては低い性能でアウターレイヤーとして防水と防風の役割を受けもちます。防寒はミドルレイヤーで調整するのが普通です。 上記のトムラウシ山行の方々も登山のベテランの人たちばかりで、みなダウンなり フリースを持参していたようです。しかしそれを装着しなかったのは、そういうものは 寝るときに着るものだという思い込み、ミドルレイヤーという概念を持っていなかった からではな
マネジメント能力とは、物事を取り仕切って運営管理する能力とあります。 例えば、中学校3年生にもなれば、進路に向けて何の教科をどれくらいやるかのマネジメント能力が必要になってくるのではないでしょうか。 逆に受験のプレッシャーがかかってくると、ただ出されたプリントをこなすだけになったり、比較的できる問題に偏ってやっていく子が出てきます。 今の段階で比較的難しい、解きにくく、解答や解説をみてもわかりにくい問題を与えたときにマネジメント能力のある子は、教えてくれ、この関連問題をほしい、もっと簡単な問題からほしい、このような難しい図形の問題をたくさんほしい、だけどいつまでにこれもやらなくちゃいけないから今はこっちの方が良いかな等々 それを迷ったり計画しようとしたり相談する傾向があります。 こちらがやらせるのとは違い、自分でマネジメントしてすると、その後の自信やのび具合は雲泥の差になるのが普通です。
同和教育(人権教育)を前回書いたのでそれに関わって、これだけは補足しておかなくてはということを。 m(__)m この方のように、正直でセンスの良い方の方が、人権教育の専門家で、例えば人の気持ちになって考えようという人よりも もしかしたら、前を切りひらいていく力があるのではないでしょうか yuushuu.hatenablo この方は暴論と言っていますが、私はそう思えません。いじめは楽しいのです。だから誰でも自分がストレスを抱えたり、弱くなると、加害者になる可能性があります。 そういうときに、相手に対しての同情では、とても解消には向かいません。 前回に登場した授業も、決してA子に対する同情の授業ではなく、A子がここまで考えていたんだ。すごいなというものでした。 いじめられている人の悲しみやつらさを知ろうとする試みよりも その方の優しさや賢さ、たくましさに対する共感から、あこがれを得る楽しみの方
中学教師になってしばらく経った、あるクラスでのことです。 担任をしているクラスに朝入って行きました。クラスの生徒が立ちます。子たちの顔を見ます。朝の挨拶をします。着席をします。 その日、ある女生徒A子の顔を見て、私は動揺しました。A子は目、顔色、表情全てが赤信号でした。 『え?どうして‥』私は頭の中でつぶやきました。『家?学校?』 朝の連絡事項を告げてから、慌ただしく一時間目の準備をお互いにします。 二時間目休み、教室を覗くとA子、そう言えばいないなーの生徒の声。すぐに保健室に行きました。A子は保健室にいました。『ちょっと来て』少し強引に学年室に呼んで話を聞きました。A子はポツリポツリと話し出しました。朝教室に入っていくと、女子が輪になって話していました。A子が『おはよう』と声をかけましたが、誰も自分に応えてくれないように感じたようです。特にリーダー格のB子の目つきが気になったようです。『
私が小学校低学年のときに、母が私の担任の先生に『息子が学校の帰り道にいじめられて困っている』と相談をしたようです。 その後にその担任の先生が私に 『○○君。あまりお母さんに心配をかけるなよ!』という一言で終わりました。 なぜか、私は覚えているんです。なかなか変な子だったのでしょう。 私は小さいときから言語障害の傾向がありました。国語の教科書を読むときにつまりながら読むと周りがどうしたの?とざわつく。その雰囲気でよけいに焦ってしまって、赤面症が出てきて、そこで途絶えて読めなくなる。それがトラウマのようになって、自分で言語障害だと思いこむようになりました。 父が、毎年春に学校に出す家庭調査票に、この子は言葉がつまる癖がありますと書くのですが、それについて担任の先生から聞かれたことも一度もありません。 それが普通で何の疑問も持っていなかった私が、長野県で学級経営というものに触れたことは衝撃でした
前記事の続きです。 学校に入ってみて、他の先生と生徒を見ていると、相互に的確にやりとりをしているようで、まず圧倒されます。 テニスに例えるとわかりやすいかも 相手からどれくらいの強さのボールが返ってくるかを予測していて それに対して他の先生は、どこにどのようなボールを返すかを瞬時に判断し返します。そのラリーを見て圧倒されます。子はそこに満足感や意外性、場合によっては複雑な感情をもちます。本来、子は素直で正直でわがままな人です。それによってこちらも鍛えられます。 そのテニスをやったことがない私がそれを見て圧倒されるのも当たり前だと今だったら思えます。 今まで勝手気ままに、誰かから来るボールを返していただけで、相手が誰だから強く弱く、どこへ返すなどは、ほとんど考えてこなかった身です。いえ体裁のために弱くしか返してこなかったのがほとんどだったのかも。 そのうち‥ ボールが飛んでくることに恐怖感を
先日のリオオリンピックで、注目していたのは高橋松友のバトミントンダブルスでした。 その決勝戦、夜更かしをして見ていました。 最終セット、点数は16対19。相手はあと2点とれば金メダル。追い込まれました。 ここからなぜ大逆転ができたのか。 この試合を見ていて私が勝手に思ったことを書いてみたいと思います。 前記事にも関連して、効果があがる学習方法にも関わってくると思います 場数を踏んでいる。成長の過程が見えている。自分たちの強みがわかっている。 以前、NHKの特集などでこのペアを知りました。それから自分でも調べてみたりして興味を持ちました。 それによると、10年前の高校生のときからペアを組み、一歩一歩成長していったそうです。決勝戦であたったこのデンマークのペアにも始めて対戦したときに、惨敗しどう勝っていけばよいのか全く見えなかったそうです。 そこで世界で勝つことを目標にすえる。 そこで勝つため
これも、自分が教師初任の一年目のときです。 教師一年目のときに初任者研修というものがあって、ある養護学校に見学、体験に行ったんです。 知的障害の子が多かったと思います。 教師一年目の若者30人くらいが、いきなり教室に入ってくる。 子たちがワ~と集まってくる。 子が集まる初任者先生と、集まらない初任者先生に、はっきりと別れたんです。 感性が人一倍強い子たちだったのだと思います。 残酷なほどに、そうだったんです。 私のまわりには集まりました。 それからずう~となぜだったのだろう?と思ってきました。 たぶん、私が弱いからではないだろうか?それが今現在の結論です。 その子たちにとっては、弱いから安心できる。それを読みとったのではないだろうか。 昔、あすなろスクールで、本音の話をしたことがあります。 そのときに子たちが『先生は、自分があきたなあ~というタイミングで、大丈夫?と言ってくれる』と語ってく
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