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atpage.hatenablog.com
日本初のプロ・ゲーマーとして、世界の「ウメハラ」の名はどこかで目にしたことがある人が多いのではないかと思う。私は本書を読むまで知らなかったが、2010年には「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロ・ゲーマー」としてギネス認定もされている。ウメハラ=ストリートファイターくらいのイメージしか抱いていなかったのだが、彼の自伝的著作である本書は「世界のウメハラ」がどのように形成されてきたのかを端的に記していた。 勝ち続ける意志力 世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」 (小学館101新書) 作者: 梅原大吾出版社/メーカー: 小学館発売日: 2012/10/26メディア: Kindle版購入: 4人 クリック: 23回この商品を含むブログ (1件) を見る ウメハラは典型的な努力家だ。生来からのそのストイックさは、見ていてときに痛々しささえ感じる。一握りのスマートな天才を除けば、世の中の大半は苦しみのた打ち
やや機を逸してしまったが、シロクマ先生の著書の感想を書きたいと思う。本自体はかなり前に読了していたが、なかなかブログを書くまでにいたらなかった。書く時間が取れなかったこともあるが、そんなものは大した理由ではない。一番の理由は、ほかの読者がどのような感想を抱いているのかを確認したかったからだ。 全てを世代論に還元させるタイプの人と個人論にしか還元できない人 極端な例を2つ挙げたが、 乱暴にロスジェネ世代と思しき人たちの反応をわけると大方上記のようになるのではないか。もちろん、自分で観測できる範囲は狭い。そして、それは本書の肝でもある。著者の個人的な視点が強すぎるという批判もできると思うし、それ故に著者にしか書けない唯一無二の1冊だとも言える。 これは歴史の叙述に似ている。イギリス人に関する、冗談のような例え話がある。ある人が「戦争はいけないことだ」と言う。すると、イギリス人は「君が言っている
オタクというのは、特定の分野についての知識量が相対的に多かったり、思い入れが強かったりすることからそう呼ばれている。しかし、オタクとは本来自分自身とその対象物との関係性に閉じているはずのものなに、そのコミュニティ内部には歴然とヒエラルキーが存在しているように思える。 それはまず、私自身の経験から来ているとも言える。私は浅く広くの人間であり、アニメ・ゲーム・漫画・ゲームと昔から一通り興味があるため、それらのジャンルに興味がない人間にとっては「オタク」と認定される。しかし、同じ趣味を共有する人間からすれば、「にわか」認定をされてしまうわけだ。例えばここ数年だとAKB48熱が高まっていた時期があったが、それがピークだった3年前においても、AKBオタクヒエラルキーの中では底辺に位置づけられていたのではないかと邪推する(価値付けの尺度については後述する)。あえて例えるなら、私は「マリみて」の鳥居江利
私は津田マガを購読している。ゆえに、本書を購入した。ひとまずこのことを念頭において、本文を読んでほしい。本の内容に詳しく触れる意味での書評は後半に回すとして、まずは文字通り「メディアの現場」の最前線を伝えている津田氏は私にとってどのような位置づけなのかを書き綴ってみたいと思う(と書くとわかりにくいが、とどのつまり、Twitterや津田マガ、その他津田氏が出演するメディアを介して私が何を考えたのかを語りたい)。 私にとって津田氏は高感度アンテナである 最近はようやくネットの情報に課金する動きが出始めたが、やはりまだ抵抗のある人も少なくない。そこで私が津田マガを購読していると言うと、信者認定をする人がたまにいる。しかし、それには前フリというか、文脈がある。「tsudaる」という言葉が流行ったり、津田氏がニコ生に頻繁に登場していた時(09年前後だと思われる)から、継続的に津田氏の動向を追いかけて
各所で面白いという感想を見かけたのでようやく読んでみたが、まぁこれが面白い。著者の中で考えや意思がはっきりしているためか、原発や政治など様々な分野についてガンガン書き進められている様はまさに猪突猛進といったところか。そのため、時々意味が取りにくい表現もあったが、何度も読み返すとようやく意味がわかってくる。また日を置いて読みたくなるような内容だった。 私のような人間には耳の痛い話も多かったが、随所に引っかかるポイントがあり、薄い本だがじっくりと時間をかけて読んだ。「私のような人間」というのは、ネットが好きで割と文章を書くことも好きな人間のことだ。本書の帯には「つぶやけばつぶやくほど、人はバカになる。」というキャッチーな一文が書かれている。要はネットでまともな議論などはできないし、「ネットでああだこうだ言ってるやつら全員バカ(意訳)」と言っているのだ。斜め上から目線のドヤ顔ツイートを連発してし
早稲田祭で行われていた福本伸行先生のトークライブへ行ってきた。裏でやってた津田大介氏や東浩紀氏のイベントのほうがレポ向きだったかもしれないが、先にこちらのイベントのことを知り、即チケットを購入してしまったので、最後まで見届けようと思った。学園祭というのは、安価で豪華ゲストに会うことができるのがウリであって、これまでもいろいろな学祭イベントに出向いたことはあるが、やはり大きな大学なのでとにかく人が多い。まるで人がゴミのようだった。そして、正直今回のイベントでは、福本先生フォロワーにとって、あまり新しいエピソードはなかったのではないかと思う。作品や自身の考えについては様々な場所で語られてきたし、絵を描くことに関しても、サイバラ先生の「人生画力対決」で散々いじられてきている。だが、直接放たれる氏の言葉は、命より重いのだ…ざわ…ざわ…。 この手の学祭イベントは、大抵最前列にいつも座れていたので、今
まず、子供の頃にあかほり作品にどっぷり浸かった私にとって、この本で語られているインタビュー内容(あかほり氏の周囲の人間のことである)は、少しショックを伴った。マイナスの意味というわけでもなく、単に軽く驚きを覚えたのと、私自身があかほり作品に対して抱いていた何となくの違和感に対しての回答を得られたように思ったからだ。本エントリでは、この驚きや疑問の正体が何だったのかを説明したいと思う。また、今のラノベ業界、アニメ業界についてあかほり氏が語っている部分が興味深かったので、そこについても言及したい。「金にならない文章は書くな」「ライターはブログのようなものをやるな」ということを弟子に徹底して教えていた氏からすると、このように何の金にもならない文章を書いている私の行為は愚の骨頂に思えるかもしれない。それでも、今回は「あかほり作品が好きな自分」についてのある種の自意識が発生してしまったため、そのこと
先日、ゲーセンで少々不思議な場面に出くわした。まず、今日日ゲーセンに女子がいることは珍しくもなんともない光景であることは言うまでもないだろう。プリクラにプライズ、音ゲーと、女子の領域もしっかりと根をはっている。だが、その日は珍しく格闘ゲームコーナーに女子がいたのだ。メガネに黒髪の二人という二人組のその出で立ちは文学少女を連想させたが、熱心に同じ筺体にかじりついていたので、何度か通いつめていることがうかがえた。 問題は、その二人組が別の筐体に物珍しそうに接近した時に起こった。私の近くにいた男性たちが「腐女子がいるぜ!」と騒ぎ始めたのだ。パチンコほどではないが、ゲーセンもそこそこの爆音なので、彼女たちにはその声は全く届いていない。男性たちの近くにいた私だけがその会話をかろうじて聞くことができた(しかし、かなりの大声だ)。「腐女子が新しいゲームに食いついた!」「きゃー、このキャラかっこいいー(女
9/29に荻窪ベルベットサンで行われたトークイベントに行ってきた。実は荻窪は縁遠く、ほとんど下車した記憶がない。ただ、中央線沿線特有のサブカルっぽさが漂っており、小劇場のような建物や古書店が並んでいた。若い女性が肩から下げる黒くて小さいバッグが、中央線フィルターでほぼ一眼レフに空目できるくらいの感覚で街を歩いていた。 今回のイベントは、斎藤環著『世界が土曜の夜の夢なら』をベースに行われたのだが、いかんせん飛び込みで参加したので未読だった。また、斎藤環氏の他の著作には目を通していたが、海猫沢めろん氏についての予備知識がゼロだったので、豹柄の服を着たホスト風イケメンが登壇していて驚いた。しかも、経歴がかなり特殊で元ホストだったらしい。しかも、元ホストだっただけに(本人は辞めたくてしょうがなかったらしいが)話が上手で、キャッチーな言葉で度々観客をわかせていた。一方斎藤氏は冷静な分析で硬軟織り交ぜ
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