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blog.goo.ne.jp/ainunews
高度な近世アイヌ農耕 遺跡から畝や鉄製農具 2008年01月22日10時28分 ヒグマ狩りやサケ漁などのイメージから、「狩猟・漁労の民」と見られることが多いアイヌの人々。そんな彼らが、近世以前にかなり高いレベルで農耕を営んでいたことが最近の研究で明らかになってきた。江戸時代の文献などに「畝(うね)も作らず、放置したままの粗雑な農業」と記された姿は、実は現地を支配していた松前藩などによって抑圧された結果である可能性が高いという。 研究をまとめたのは、北海道開拓記念館の山田悟郎・学芸部長。 サケや昆布を採り、それらを交易することで、米や漆器、刀、鉄鍋などを手に入れる――。私たちが考えているような、いわゆる「アイヌ文化」は、13世紀末(鎌倉時代後期)に生まれたと考えられている。 母体となったのは、ほぼ同じ地域に広がっていた「擦文(さつもん)文化」(7~13世紀)だ。表面にハケ目のある土器を使うの
思想家・太田竜氏の「革命」一代 妄想家か、辺境の擁護者か 2009年7月23日14時38分 太田竜氏 5月19日に78歳で亡くなった思想家・太田竜氏は、その振幅の大きい活動で人々を戸惑わせてきた。新左翼の革命理論家から、「ユダヤの支配」を糾弾し、「爬虫(はちゅう)類的異星人が地球を支配している」と説いた陰謀論者へ。変転を突き動かしたものは「妄想」か、それとも「辺境」への視点だったのだろうか。 10代から左翼運動に身を投じた太田氏は1957年、革命的共産主義者同盟結成に参加する。中核派、革マル派などの前身である。その後、第4インターナショナル日本支部委員長に、さらに分派し、それも脱退した。創設した組織を次々と割っては新組織を立ち上げ、主張はそのたびに過激に先鋭になった。 70年頃からは琉球、アイヌといった「辺境」に着目し独自の革命論を追究し始めた。三菱重工ビル爆破事件を起こした東アジア反日
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