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中東情勢
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18÷6でいえば「18個のりんごを6人で同じように分けたら1人何個ですか?」が等分除ですが、 ここで18個が20個だとしたら20÷6=20/6=10/3(個)が答えになるばかりであって、低学年における正しい答え「1人3個で2個余る」という“初期教育に必要な余り認識”を不当にスポイルして終わってしまいます。ここで包含除を持ち込んで「18個のりんごを3個ずつ配ったら何人に行き渡りますか?」あるいは「18個のりんごを1日に6人が一つずつ食べたら何日でなくなりますか?」と言い換えてもイイでしょう・・。 おそらく《殺人問題》の作者は、この最後の“等分除でも包含除でもない”計算を「(独自に)見いだせて得意がっていた」奴だ、 と、 いうのが 事件の真相だったのではナイでしょうか? このことは「割り算という演算は子供の脳回路には存在していない」という大脳シナプスの特性から割り出された見解が役に立つ話です・
小保方さんばかりが悪いのではないだろうけどSTAP細胞というのはある種の悪い夢だったようですw) 常温核融合みたいに誤魔化して独立した学会を運営していくことには反対します、そんなカルト教団のような真似をさせる為に国内評価を急いだのではないからです。湯川遺言の中身は正しく理解されたとしても実行が難しいという話になりますかね、曰く「まず国内評価から始めよ」ですけど、国内で独自評価を与えようとした例がソチ五輪の女子フィギュアの惨敗などになって表れたと言ったら言い過ぎでしょうか、直前の最終選考会の順位を国内評価だとしたら本番で全員の調子がくるってしまった元だと言えるのではないですか。野球やサッカーのような国内リーグのようになってしまっても困るのは火を見るよりも明らかです。 湯川さんのお気持ちは「ご自分が海外評価が先だったことから来る無理解で苦しんだから」だったと察せられます・・。 一つには欧米がグ
私の超微分と申しますか、超準解析(supper-standard analysis)を基準に申しますれば「無理数は非標準的な数である」と申し上げるほかございませんw) ロビンソンやネルソンによるところの非標準解析(non-standard analysis)においては、無理数はおろか超越数(今までのところπとeとが超越基礎数として知られている)であっても標準的な数(standard number)に分類されておりますが、それは極限操作によって得られる数をすべて標準的であるというニュートン以来の伝統に根ざした物事でありまして、それにしばられる限りは非標準解析学には常人にはとてもついてゆけないほどの難解な基礎が要求されてしまうのです。その難解な基礎をも「正しい」として承諾してしまえば事は早いのかもしれないですが、惜しいかな大学の数学教育においては、従来どおりの(19世紀以来の)標準解析学が幅を
プライオリティー(先取権)とは先発権とも言われ、俗に分かりやすくは優先権というのが元来の意味であり、ゆえによく争いごとに繋がります・・w) 古くはニュートンとライプニッツの争い、比較的に新しくは一般ゲージ場をめぐるヤン=ミルズと日本の内山龍雄の争いがあげられます。聖人君子であればそれでよさそうな学者の世界に俗世のどろどろを持ちこんでしまうのが、このプライオリティーですが、なにかと紛らわしく悲喜こもごもの元になったのが数学における老ボリアイの次のような言葉です。 「息子よ、非ユークリッド幾何学が出来たのだったらすぐに発表してしまわなければならぬ、科学上の新発見というモノは春の野に咲くスミレの如く、名乗りを上げなければ知らぬ間にそこらじゅうで咲き誇ってしまうからな」(ボリアイ・ファルカシュ) まことに当を得た言葉とはこの事だという人も多くおりますが、根拠となった事実はその最初の話、大陸に渡った
(宇宙の対称性として)【CPTE定理】を最初から積極的に採用しているUFTにとって【CPT定理】を基本として始まっているGUTの構造は(いかにも)古臭くて陳腐だと思います! 「電子と陽電子とが出会ったとする、スピン0のクーパー対になった時点ですでに真空化しており、ガンマ線を発するのはエネルギー保存則を成立させるためだけ、真空にはエネルギーを失った粒子反粒子対がごろごろしており、ゲージボソンの照射によりスピン1をとエネルギー・電荷を得て(粒子と反粒子という)二つの素粒子として飛び離れていく」 とするのがGUTをはじめとする標準模型の世界における真空と粒子・反粒子の関係でした・・w) 「電子と陽電子とが出会ってスピン0になった、その場合においてもp-ポジトロニウムという名の物質に変わり、ガンマ線を発して崩壊するのはハドロンのように結合状態にあるからであり、電磁場においても漸近的自由性の存在を証
《フロイト理論》によりますれば「ヒトからエゴを取り去ったらどす黒いイドが残る」と申します・・。 かの「汎性欲仮説」のフロイトが汚れ役の大学者なる汚名から身を削ぐために考案したのは「イドよりもエゴのほうがきれいだからそちらを選ぶべきである」とする生き方の指南です。現代にも通じる前世紀の偉人たるフロイトはさらに「ヒトはみな愛を基調として生きるべきである」と言いました。その昔、生物学上のヒト種の学名は「ホモ・サピエンス」でありました。 え?いや、まだ、そう言うのか・・、失礼! http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88 つまり、女性原理者がどう言おうと、言語学によって女性の劣等性は「manに対してwomanとは“ウーウー言う人”すなわち“気持ちよがる人”という意味」であり「オスに対してメスは英語ではmaleの否定語としてのfemaleとして表象
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