サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
中東情勢
blog.goo.ne.jp/oyuse13
『現代の詩人 7 茨木のり子』には、代表的な詩以外に、4篇の散文が載っている。 その一つに、「美しい言葉とは」と題した文章がある。 読み始める前に、その課題を私自身に投げかけ、私ならなんと答えるだろうと、まず考えてみた。 老化した頭には、これぞという主張もうまくまとまらないまま、詩人の考え方にすがる思いで、提示された内容を読んでしまった。自分では、うまく言えないことを、さすがに詩人は私の心の底の方にある思いを、うまく代弁してくれたかの如く、次のように書いている。ポイントだけ、まとめておくことにする。 第一に、その人なりの発見を持った言葉は美しいと思う。どんな些細なことであっても。 第二に、正確な言葉は美しい。正確さへのせめて近似値に近づこうとしている言葉は美しい。研究論文であっても、描写であっても、認識であっても。 第三に、体験の組織化ということがある。これは人間の言葉を、言葉たらしめる一
外山滋比古 著 『思考の整理学』 カバー装画 安野光雅 外山滋比古(1923・11・3〜2020・7・30)96歳没、胆管がん。 外山滋比古の著作を読み始めた契機は思い出せない。新聞の書評あたりで、作者を知り、一冊また一冊と、折々に求めて読んできたように思う。私は著者の生年月日が気になる方である。私より幾歳年長者の文章であるか、幾歳若い人の文章であるかを気にしている。 文は人なり、その人の時代的な背景と無縁の文章はない、とも思っている。語彙にも文体にも時代が反映されるように思う。外山滋比古さんは、1933年生まれの私より10歳年長者であることは、いつも意識していた。 私の印象では、戦前に旧制の中学校あるいは女学校を卒業した人と、戦後に新制度の中学校を卒業した者(私は新制中学校の一期生)とでは、ひとりでに(あるいは教育の影響もあって)、語彙力にかなり大きな差があること感じてきた。私は両時代の
ここ幾日も、曇り日が続いている。 風の強い日もあった。小雨が地面を濡らす日もあった。 気分も、さえない。 手近にあった本をぱらぱらめくる。 寺山修司著『ポケットに名言を』(角川文庫)。(写真①) <学生だった私にとっての、最初の「名言」は、井伏鱒二の 花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ 私はこの詩を口ずさむことで、私自身のクライシス・モメントを何度乗り越え たか知れやしなかった。「さよならだけが人生だ」という言葉は、言わば私の処 世訓である。私の思想は、今やさよなら主義とでも言ったもので、それはさまざ まの因習との葛藤、人を画一化してしまう権力悪と正面切って闘う時に、現状維 持を唱える幾つかの理念に(慣習とその信仰に)さよならを言うことによっての み、成り立っているようなところさえ、ある。> と、目次 1の「言葉を友人に持とう」の、初めの方に記されていた。 この短い文章だけ読んで
「蝉氷」とは、初めて耳にする言葉だった。 今日の「天声人語」の書き出しに、 <東京郊外にある我が家のスイレン鉢に、きのうの朝、うっすらと氷が張っていた。持ち上げれば、ぱりんと割れそうだ。こんな氷を、透明なセミの羽に似ていることから、「蝉氷(せみごおり)」と呼ぶ。はかなげな名のとおり、日が高くなるころには解けてしまった。> と、記されていた。 「蝉氷」? =「薄氷」の表現として、理解はできるけれど……、と思いながら、手元の辞書を引いてみた。私が知らないだけで、一般的な言い方だろうかと思いながら。 辞書にはなかった。語彙数の多い、「日本国語大辞典」も引いてみたけれど、そこにも出ていなかった。 歳時記の「氷」の欄に、やっと「蝉氷」を見つけることができた。 俳句の季語として、使われるのだろう。 同じ薄氷なら、過日のブログにも書いたが、「薄ら氷(うすらひ)」という言葉の方を私は好む。ただ、「蝉氷」は
草花舎のTちゃんに、宇佐見英治著『迷路の奥』のことを尋ねられた。 私は、その著者の名も、勿論、本についても知らなかった。 宇佐見英治(1918~2002)は、仏文学者、詩人である。 スーザンさんが、その本の題名や内容について関心を持っておらるのだという。 早速、パソコンで調べ、古本を見つけて入手した。 Tちゃんと、その本について話をした日、傍にAさんもおられたので、 「ご存知?」 と、私はAさんに尋ねた。 「どこかで聞いたことがあるような…」 と、Aさんはおっしゃっていた。 Aさんは、大学で仏文を専攻なさったと聞いている。どこかで、宇佐野英治の著作にご縁があったのかもしれない、と思った。 過日、ディディエ・ステファンさんのオープニングの集いがあった日、Aさんは一冊の本を持ってこられた。 矢内原伊作著『アルバム ジャコメッティ』である。(写真 上) 矢内原伊作(1918~1989)とジャコメ
朝日新聞の芸能欄の下、講談社の本の広告に挟まれるようにして、今日から始まった、連載記事が載っている。 『記者風伝』の第1部。 今日は、<まえがき その一> 「羽織ごろ」と題した文章となっている。 <あツ、河谷史夫氏の記事!>と、内心で声を発した。 昨年の暮れにも、氏の文章を紙上で見て、ブログに書いたことがある。 河谷氏が、私の師の中也研究の取材で山口に来られたとき、一度お会いし話しただけなのだが、紙上にその名を見ると懐かしく思う。 現在の肩書きは、編集委員となっている。一度お会いした印象では、穏やかさの中に炯眼を感じさせる記者であった。 今日は「まえがき」の段階で、記者に対する世間の評判が回顧的に書かれている。<大正生まれのコラムニスト山本夏彦翁>や<朝日きっての名物記者といわれた門田勲>らの著作から、記者に対する見方を紹介しながら……。 (「羽織ごろ」という言葉は、広辞苑にも載っていた。
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『blog.goo.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く