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米国の伝説的パンクバンド「ラモーンズ」の元メンバー、CJラモーンが来日ツアー中、愛用のベースを盗まれてしまった。伝統ある「モズライト」の、世界で1本しかない特注品。CJもファンも「絶対に返してほしい」と訴えている。 2月22日付紙面にこのニュースを掲載した。警察にも届けたそうだが、残念ながらベースはまだ見つかっていない。「ラモーンズ・ファンクラブ・ジャパン」では情報提供を呼びかけている。何か情報をお持ちの方は、いちばん下に記した連絡先に送ってほしい。 ■思い出のシリアルナンバー「000CJ」 1976年に全米デビュー、シンプルでキャッチーなパンクサウンドと皮肉めいたユーモアのある歌詞で人気になり、1996年の解散までに21枚のアルバムを残したラモーンズ。2002年にはロックの殿堂入りを果たした。ラモーンズにあこがれて1989年に加入したCJは、他のメンバーより15歳ほど若く、後期ラモーンズ
2009年もあと3日。今年もいろいろな方に会い、取材させていただきました。あらためて振り返り、「この人はすごい!」という4人を紹介したいと思います。いずれもいわゆる著名人ではないのですが、それぞれの専門分野を極めたエキスパートで、紙面記事の反響もけっこうあり、今後さらなる活躍をしていくと思われる、そんな4人です。まずは3月に紹介した秋葉原のギザカワユスなカリスマ案内人、マスダさん。 ↑レトロゲームも大好きなマスダさん。名刺入れはファミコンのコントローラー型です ■小学生からアキバ通い 「ご主人様、よろしくお願いしまーす」 ピンクのメイド衣装に身を包み、アイドル級の笑顔を輝かせるマスダさん。JR秋葉原駅前にある「秋葉原無料案内所」の名物案内人で、観光客向けのツアーガイドも務める。その博識ぶりは「秋葉原でわからないことは彼女に聞け」と言われるほど。「ハードディスクの安いところは?」と聞かれ
千葉ロッテマリーンズの「死刑」横断幕騒動をめぐり、横断幕で意見を主張するルーツを考える…という記事で、世界各国のサッカー文化に詳しいフリーアナウンサーの倉敷保雄さんにお話をうかがう機会がありました。 1993年のJリーグ誕生以来、クラブは企業名より地域名を押し出し、「チームはサポーターのもの」という“前提”ができた。サポーターはレプリカユニホームを着て「チームのために、一緒に戦う」感覚を持つようになり、そしてその感覚が「スポーツ観戦の楽しみ方」として他のスポーツにも広がってきた…というご指摘でした。 ロッテの応援に詳しい関係者によると、90年代半ばに、浦和や東京ガス(FC東京の前身)が好きなロッテファンが「サッカー応援の一体感を取り入れたい」と意識的にあのスタイルを築いたとのこと。レプリカユニホームやチームカラーに合わせた服装がプロ野球の他チームに広まっていったのも、そうした「楽しみ方の伝
「元祖怪物」が、ようやく目覚めの時を迎えようとしている。FC東京のFW平山相太(24)が、得点と勝利、覇権への意気込みを語った。辛酸をなめ、失意のどん底でもがき、手足をばたつかせ、はい上がってきた。サッカーを語る口調は意外なほどに熱っぽい。最前線にそびえ立つ「大砲」が、渇望する思いを率直に打ち明けた。(聞き手・松岡祐司) 培ってきたはずの誇りや自信を粉々に砕かれ、「居場所」を失った。プレーする意味さえ見失いそうになった。将来を嘱望された男の超低迷期…。そんな「地獄」を見たからこそ、泥にまみれる価値を知り、プレーへの渇望感に突き動かされた。 ―今シーズン、ここまでのプレー、試合を振り返って 「(開幕2試合はベンチ待機が続くなど)最初はなかなか試合に出られなかったけど、そこで自分自身の準備ができたと思う。自分のプレースタイルから私生活の過ごし方まで。何をするべきか、よく考えた」 ―6月20日の
お笑い、映画、舞台などで、同じギャグやボケを忘れたころにもう一度やって笑わせるのを「天丼」と呼ぶ。【天丼には海老が2本乗っている】ことが語源、と言われているが、どうやってこの言葉が誕生したのだろうか。先日、爆笑問題の太田光氏がラジオで、そのヒントを明かしていた。 TBSラジオ「JUNK 爆笑問題カーボーイ」(毎週火曜25~27時)で、リスナーの投稿にあった「天丼」という言葉に反応した太田氏。「天丼?ああ、繰り返すってことね。古い芸人の(言葉)。誰かが言ってたな、最初に言い出したのは…」 「玉川良一さん。あれはね、NHKのプロデューサーが、その言い出した本人に習ったって話で。若いころ、玉川良一さんを番組に呼んで、(そのプロデューサーが)ADかなんかだったんだけど、『お前天丼知ってるか?天丼教えてやるよ』って。直伝で習ったって」 玉川良一氏(1924-1992)とは、浪曲師出身で、東けんじ氏(
シオが戻ってきた。 穏やかな表情を浮かべ、ピッチをゆっくりと走った。 シオが小平のグラウンドに立つのは、いつぶりなんだろうか。 練習後の一幕。 全選手が引き揚げても、 約20人のファンはシオを待ち続けていた。 シオの肌は白く、頭髪は丸刈り。 遠目から見ても、痩せているのがわかる。 本人の希望で、ファンの目の前であいさつすることになった。 3度の手術や病床でのつらい思いを打ち明けると、 シオはこらえきれず涙を流した。 女性ファンの1人は、もらい泣きしていた。 1人1人と丁寧に握手を交わすと、最後に拍手が贈られた。 入院中、ファンから届けられた手紙やメール、折り鶴に支えられたという。 感謝の気持ちを、真っ先に自分の言葉で伝えたかったという。 春の青空の下、 ピッチ脇で開かれたシオの「復帰会見」。 心が洗われるような、微笑ましい光景だった。 ファンに支えられている選手がい
日本代表―イエメン戦(熊本)の後半43分、 香川に代わって、金崎が投入された。 A代表での19歳リレーを見て、1年前の権田の言葉を思い出した。 08年2月。 同1月に行われたカタール国際大会の感想やU―19代表について、 権田に話を聞いていた。 権田「中心の2人、A代表に入りますよ。絶対に。そう思うんですよね」 記者「へぇ~、そんなにうまいんだ。で、誰?」 権田「シンジとムーですよ。あいつら、本当にうまいから」 記者「へぇー、シンジとムーね…。で、誰?」 シンジ? ムー? 恥ずかしながら、どこの誰だか、その場ではまったく思い浮かばなかった。 すぐに調べて、その2人は香川と金崎と判明したが、 プレーさえ見たことがない選手だっただけに、 将来的な話としてあやふやに受け止めていた。 当時はしっくりとこない会話。 だが、5月に香川が、そしてイエメン戦で金崎がA代表デビューを
若者が集うライブハウスに、1人だけ場違いなスーツ姿のオジサンがいる。ギャルが不思議そうに横目で見ているその人こそ、実は知る人ぞ知る“日本一有名なお客さん”――「なんのこっちゃい西山」だ。 1980年代半ば、今は亡き江戸アケミ(90年に死去)率いる「JAGATARA」に感銘を受け、日本のロックにどっぷりと漬かった。毎月10~15回というハイペースで全国のさまざまなライブに足を運び、音楽を聴き、愛し続けてきた。 スピッツや真心ブラザーズといった後にメジャーで大ヒットを飛ばす正統派も、大阪発アンダーグラウンド経由で世界へ羽ばたいたボアダムスのような先鋭派も、みんなこの男の前を通っていった。ヒップホップにも造詣が深く、独特の詩的表現でジャンルを超えた人気を獲得したTHA BLUE HERBにも、熱い視線を送ってきた。 その徹底した現場主義と審美眼は、音楽業界関係者の間でも話題となり「あの人が通うバ
今年5月に発表された安藤裕子の傑作アルバム「chronicle.」。作詞作曲にイラストまで手がける彼女の才能がほとばしり、アレンジも最高だ。しかし、それだけでは終わらない、特別な要素がある。その興味深い事実が、TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」で紹介されていた。 (5月17日放送分。ポッドキャストで聴けます) 全13曲の「chronicle.」の12曲目で、小沢健二の94年のアルバム「LIFE」に収録されていた「ぼくらが旅に出る理由」がカバーされているのだが、そこに東京スカパラダイスオーケストラの茂木欣一が参加している。しかも本来のパートのドラムだけでなく、デュエットのシンガーとして。 安藤裕子の「そして君は摩天楼で 僕にあてハガキを書いた こんなに遠く離れていると 愛はまた深まってくの」というパートに続き、茂木はこう歌う。 「それで僕は腕をふるって 君にあて
【“エア”じゃなかった!金剛地武志、伝説のバンド「yes, mama ok?」CD3枚組発売】という記事(9月26日本紙掲載)で紹介した金剛地武志。日本にエアギターを紹介したパイオニアとして知られ、人気TV番組「クイズ!ヘキサゴン�U」では「エアバンド」に参加、銀縁メガネにスーツ姿でタレント活動に多忙な日々を送っているが、実はルーツは“エア”ではない、れっきとしたミュージシャンだ。 しかも、作詞作曲プロデュース、全楽器までをこなす多才っぷり。90年代に率いていたバンド「yes, mama ok?」は、美旋律、サンプリング精神、ロック的反骨、ハズシの美学といったJ-POPからは逸脱しがちな要素さえも絶妙なバランスで作品にまとめ上げ、“伝説のバンド、イエママ”として音楽ファンの根強い人気を獲得していた。その95-97年の音源55曲とプロモーションビデオ2曲がこのたび、CD3枚組ボックスセット
この男が 「ロンドン世代」の命運を握っていると言っても、過言ではないだろう。FC東京のU―19日本代表GK権田修一(19)が、「世界」への思い入れ、自身と同代表の現在地を率直に語った。守護神が放つその強烈な「個性」は、主将としてもチームにとっては特別な存在。鋭い反応、1対1の勝負強さ、精密なロングフィードは、「アジア」「世界」でも大きな武器となるはずだ。仙台カップ国際ユース大会(9月11−15日)で強豪を相手に真っ向勝負を演じ、肌身で感じた収穫、課題は―。(聞き手・松岡祐司) ―サウジアラビアでのU―19アジア選手権が間近に迫ってきた 権田「アジア予選を考えてプレーする、ということができてきたと思う。もっともっと細かいことを詰めていかないといけないけど、予選前にやるべきことはできてきた。練習中、以前よりも仲間に要求する声も出てきた。とてもいいことだと思う」 ―チームに一体感が生まれつつあ
2人の青年がチームを去った。 別れの握手は時に辛く、寂しいが、 それ以上に「希望」を感じることがある。 1人は「ガミちゃん」。 今季はなかなか出場機会に恵まれなかった。 でも、腐ってもいなかった。 いつも、こう話していた。 「僕の持ち味は安定感なんです。 いつ、どんな時も安定していないと、僕の存在価値はないんです」 だから、練習で手を抜くなんてあり得ない。 いつも一生懸命だった。 サッカーに対する真摯な取り組みは、誰もが認めていた。 もう1つの顔があった。 選手会副会長を務め、「裏方」の仕事を黙々とこなしていた。 例えば、募金活動のため地域のイベントに参加すると、 いつも自分自身で礼状を書いていた。 チーム、選手を代表して、自分の言葉で感謝を伝えていた。 活動の準備やレポートにも時間を割いていた。 すごく面倒だし、人が敬遠するようなことを率先してやっていた。
長友の心身のコンディションが心配だ。 北京五輪で予想を超えるエネルギーを使っただろう。 経験したことのないプレッシャーも感じただろう。 オランダ戦から中2日、浦和戦にフル出場した。 そして、A代表の親善試合・ウルグアイ戦にも途中出場した。 オリンピックという特別な大会の「後遺症」はないのだろうか。 ココロを整理する時間はあったのだろうか。 それにしても、A代表に追加招集されたのには驚いた。 W杯最終予選ならまだしも、親善試合なのに、だからだ。 国の最高峰のチームでプレーする機会を与えられるのは、 とても喜ばしく光栄なこと。 望んでプレーできるチームではないから。 でも、今回ばかりはどうだろうか。 クラブ関係者によると、 水面下では今回に限っては招集を見送るよう伝えていたという。 城福監督も不快感を隠さない。 「ただただ、驚くばかり。 代表に招集されて、前向きにと
昨季、スペイン2部リーグ・ラスパルマスでプレーしたFW福田健二(30)が約4年半ぶりのJリーグ復帰を視野に入れていることが分かった。 昨年8月に完全移籍したラスパルマスとの契約が満了し、現在はスペインの複数クラブと交渉中だが、福田は「正直、悩んでいる。日本でプレーする希望は持っている。もちろん話があれば、聞いてみたい」と語った。 帰国中の福田はすでにJリーグ数試合を観戦。「試合の内容、レベルが上がっている。4年半も日本人とやっていないので、本当に必要としてくれるところがあれば」と、日本への復帰に前向きな姿勢を示した。欧州のシーズン開幕も迫っているだけに、「早く決められればいい」と語った。 福田は抜群のスピードと強いフィジカルを武器に、2004年からはパラグアイ、メキシコ、スペイン2部のカステリョン、ヌマンシアなどでプレーした。 ◆ ◆ フクダと言えば、日本では福田康夫首相だ
FC東京のブラジル人MFエメルソン(28)が、優勝にかける熱い思いを語った。「チーム全員でこのクラブの歴史を築きたい」。目指すのは、クラブ史上初のリーグ制覇だ。ピッチでは、高度な技術とリズミカルなドリブルを駆使し、豊富な運動量で守備陣を翻弄(ほんろう)。陽気でクールな半面、その言葉にはプレーと同様、燃えたぎる「情熱」を感じさせる。青赤のユニホームに身を包んだ勝利の使者から目が離せない。(聞き手・松岡祐司) ―チーム加入から5カ月が過ぎた。現在の率直な感想は エメルソン「約半年が経過する中で、いつも向上できるように練習に取り組んできた。チームが勝つために試合でも頑張ってきた。ただ、負傷で試合に出られない期間が長かったのが残念だった。だから、これからはもっともっと練習を積んで、チームの勝利に貢献できるように、もっといいプレーがしたい。もっといいプレーができると思っている」 ―巧みなテクニック、
勝ち点、自信という「順風」を背に進んできた「城福丸」。 だが、いま、吹いているのは、間違いなく「逆風」だろう。 浦和を追い詰めきれず、鹿島には力負けした。 「苦しい展開になっても、いい試合、いい結果を出せるんじゃないか」 戦前、そんな淡い期待を描いていた。 鹿島戦、後半32分に本山に逆転弾を浴びて以降、 取材ノートにペンを走らせることが出来なかった。 立て続けにゴールを許し、ちょっとぼう然としてしまった。 それだけ、負の衝撃が強かった。 寝苦しい夜が続く。 ピッチには選手の数だけ苦悩が渦巻いている。 でも、下を向いているわけではない。 羽生の言葉がある。 G大阪戦に向け、紙面では紹介しきれなかった言葉を紹介したい。 「気持ちの面が大きいと思う。すぐに何かが変わるわけではない。やろうとしていることがすぐに結果に結びつくわけではない。練習してきたことが、すぐに出るわけではない
すっかりごぶさたしております。石井です。 これまでトーチュウ整理部で紙面のレイアウトをしながら、 2004年に始まった、この「365日FC東京」で、 開幕特別版をつくったり配ったり ブログを書いたり 「FC東京検定」でクイズを出したり …と、いろいろなことをやらせてもらってきましたが、 このたび、担当部署が文化社会部というところに変わり、 主に社会面の取材を担当することになりました。 読者のみなさまには多くのことを教わりました。 この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。 本当にありがとうございました。 報道、とくにスポーツ新聞は、サッカーにおいて 「日本代表」ばかりを重視してしまい、 リーグ戦の結果を伝える紙面でも 「●●監督の御前で1発!」 「代表入り猛アピール!」 といった視点になりがちです。 それが「偏っているのではないか」ということ。 「誰に向けて新聞を
長友が驚がくのA代表デビューを飾った。 24日のコートジボワール戦でエブエ(アーセナル)に真っ向勝負を挑み、 ほとんど仕事をさせなかった。 バチバチとやり合う姿を見て、 ちょうど1年前のことを思い出した。 2007年5月24日。 五輪代表に初選出された長友に話を聞くため、 東京・八幡山にある明大サッカー部の寮を訪ねた。 約1時間半。サッカーのこと、家族のこと、これからのこと。 本当にいろいろな話を聞いた。 取材ノート10ページ。長友の夢や希望があふれていた。 最後に好きな選手を聞くと、「ロベカル」「エブエ」の2人を挙げていた。 当時、エブエはアーセナルで右SBを務め、 「あの上下動は半端じゃない」と自身のプレースタイルと重ねていた。 1年後。Aマッチで対峙するとは、予想もしていなかったと思う。 「まさか、エブエとやるとはね。いまも大好きな選手。 対戦できるなんて思
もうみなさんご存知かもしれませんが、 キング・オブ・トーキョー、本紙連載でも おなじみのアマラオ氏がブログを始めました。 これがけっこう衝撃的(?)な内容で…。 アマラオ公式ブログ「アマブロ」 すっかりハマッてしまいました。 なんという手作り感。 なんという情熱。 なんというひらがな。 最初の頃なんて、タイトルのところに一生懸命 本文を書いちゃってて…。それもアツい。 コメントしているみなさんも素敵すぎます。 みんなひらがなで、アマラオが読めるように… という気持ちがびんびんに伝わってきますよ。 これは我々トーチュウとしても全面的に 応援したい所存であります。 ぜひご一読を! (石井知明) 【追記】 弊社的には、ドアラがたまに筆談するときの ひらがな全開モードおよびフリーダム感に 通じるものも感じられて、胸が熱くなります。
ひたむきに挑戦する若者の姿はカッコイイ。あらためてそう思った。 鳥取にレンタル移籍した小沢が先日、小平グラウンドに顔を出した。 「やりがいはあります。 だって、自分の力にJ2昇格がかかっているんですからね。 こんな経験はできませんよ」 カテゴリーは2つも下だ。サッカーの環境なら断然、東京の方がいい。 それでも、あえていばらの道を選んだ。 「いろいろ厳しい面はあります。でも、自分で選んだ道だから。 も〜う、やるしかないでしょ!!」 タイ人・ビタヤ監督の練習は毎日みっちり2時間半。 チーム内の競争も激しく、レギュラーは確約されていない。 開幕前のインフルエンザと故障で出遅れ、まだ得点を挙げていない。 「そろそろ(点を)取らないと、やばいッス。バシバシ決めないと」と、決意めいた様子で話した。 苦労するのは百も承知。そんな20歳の充実感が体中からにじみ出ていた。 山形にレンタ
15日の新潟戦(東北電ス)前日。 練習中にメンバーが発表されると、 今季初先発が確定した吉本のもとに某T選手が寄ってきたという。 T「うれしい?」 吉本「うれしいです」 T「うれしい?」 吉本「うれしいです」 T「しつこいけど、うれしい?」 吉本「だから、うれしいですって!!!」 この問答が7回も繰り返されたそうです。 新潟戦当日。 試合後、重圧から解き放たれた吉本が涙を流すと、 某H選手が「どうしたの? ねえねえ、どうしたの? ねぇねぇ」 わざとらしく、喜びを分かち合おうと…。 某K選手は「おまえ、初めて勝利給がもらえるからって泣くなよっ!」と、 笑いながらツッコミ。 「みんなが気を使ってくれるので、ありがたいです」(吉本) チーム最高のいじられキャラ、吉本が「因縁」の味スタに帰ってきます。 これは、いじり倒すしかないでしょ。 (松岡祐司) 土曜日の練習
いきなりのシズオカ・ウィークで始まったナビスコカップ。 生憎の雨の中ですが、行って来ました日本平@清水戦。 TV中継もなく、現地へ赴いたヒト以外は分からないネタではあるんですが…試合後のつぶやきをイラストで再現すると…。 いやー、試合を見たヒトの殆どが同じ感想を抱いたんじゃないスかね。 マジすげーってホント。 開幕戦でもそうだけど「追加点が欲しい」という時間帯に投入される…というのがオオタケへの期待の高さを物語ってますな。(ナビスコだから若手を試した、というのとはニュアンスが違う) んでもって試合の詳細はと言うと…このメンバーでは良くも悪くもカジヤマの存在が目立つというカンジ。東京の攻撃の殆どはカジヤマへボールを預けてからが起点になっており、彼ひとりに負荷が集中してしまってる感も。(パスが繋がらない問題は出し手の責任もあるけど、周囲の受け手の問題も有りそう) ただし、今期からの新ス
前回のエントリから続くハナシではありますが、自由業者のワタシにとって不自由なのが年度末…ってワケで新潟へのアウェイ行きはスルー致しまして都内でお留守番。さりとて気になる城福トーキョーの新スタイル…そんなこんなで恵比寿のパブ『FooTNik』でモニタ観戦の新潟戦。 さっくりと試合をイラストで振り返りますと、前半はこんなカンジ。 "相手に触らせずに打つ"という全盛期のモハメド・アリみたいな電光石火の早業で「おいおい、早くも新スタイル完成かぁ」と手元のベルギービールもグビグビ進む。 ところが後半戦…。一転して『ロッキー』の様なベタ足インファイトなドつきあいの様相に、甘いハズのホワイトエールも舌に苦いス。 なんだかんだ言いつつ"サリナチオ"で逃げ切り成功→やったね。結果的には「オモシロかった」試合だったイイや、というお気楽な感想っス。いや楽しかった。もちろん課題もテンコ盛りで残りましたけど…それを
クセになっちゃうカボ〜レ〜 というわけでわれわれトーチュウ勢も 味スタに行って参りました。 「開幕特別版」、配りましたよ1万部。 キックオフが迫り、残りわずかとなってからは 半ば奪い合いのような光景も繰り広げられて いましたが、ご覧いただけたでしょうか。 こんな方もいらっしゃいました。多謝!!! 試合のほうは、惜しくも勝利は逃してしまいましたが、 新戦力の充実っぷりは確かに伝わってきました。 特に後半途中出場のカボレが絡んだいくつかの シーンは、興奮のるつぼでしたね。 あーコレは間に合わないだろ、え、いけちゃうの?あれま DF4人も引き連れて突進キャアァァーー ああアレが決まっていれば…というちょっと苦い 思いも抱えつつ、これから明日の新聞をつくります。 みなさんお楽しみに。 さてさて特別版に掲載したクロスワードパズルは、 次回の記者ブログでも問題を公開し、回答を
6日の練習後。クラブハウスに戻ると、洗い場でGK広永が熱心にスパイクを洗う姿に出会いました。 通常、選手のスパイクのメンテナンスは山川ホペイロが行っていますが、「これは自分でやろうかなって・・・」と広永。聞けば、このスパイク、昨年行われたU−17W杯に出場した際に使用していたという、思い出のつまった一足なのだとか。 この春より新しいスパイクを履くことになり、”旧友”もこれで履き収め。 「自分の部屋に飾ろうと思うんです」と、別れを惜しむように丁寧にブラシをかけ続ける広永でした。 (塚田陽一郎)
元気ですかーーーーーー! と開幕を迎える前にすでにテンション全開なのはワケがあります。 ただ今われわれ、毎年恒例の「開幕特別版」を制作中なのです。 今年も3月8日、味スタで無料配布します!! 注目のカボレのロングインタビュー、城福監督の一風変わった「語録」、 裏方さんのコメントにより意外な一面が分かる選手紹介… などなど、愛と情熱をたっぷり込めた4ページ。 試合開始を待つ間のお楽しみとして、クロスワードパズルも用意しました。 みなさま、どうぞお楽しみに。 しかし昨年のを見ると、1年経っただけなのに、隔世の感がありますね。 1面はこんな感じ。
いやあついに決まりましたね、カボレ。 交渉自体は早い段階で始まっていたものの、 日本海を挟んであっちにいったりこっちにいったり…。 Youtubeでキレッキレの映像を見て、 妄想を膨らませ続けた日々もこれで終わり。 もうひと月もしないうちに、青赤のユニでの あの疾走を見られると思うと、興奮してきます。 さてさてそんなアツい流れに乗って、2月22日付の 東京中日スポーツ「Friday Super Confidencial」は、 お待たせしました【FC東京創立10周年企画 第2弾】。 クラブ名の秘密に迫った第1回に続き、今回は 「昇格、その瞬間」の舞台裏をドーンとクローズアップ! 99年11月21日、勝ち点61の3位で迎えた最終節。 東京は新潟を1−0で下し、勝ち点64に。 しかし、その時点でライバルの大分は、山形を1−0で リードしていました。 このまま試合が終わ
城福新監督が提唱する「ラブリー」なサッカー。 唐突な言葉だなあと思った人もいるかもしれませんが、 これ、イングランドのプレミアリーグ中継とか見てると、 現地実況でよく登場する単語なんですよね。 プレミアらしいゴツゴツしたプレーの中での、 意表を突くヒールパスやスルーパス、華麗なスルー、 効果的なサイドチェンジ、テクニックを生かして相手DFを 抜いたときなど… “Oh, it's lovely.” “Lovely ball.” “Lovely movement.” などなど。叫ぶわけではなく、どちらかというと 感嘆のため息混じりの、抑制の効いたトーンで、 アナウンサーが反応する印象があります。 「ステキ…」って感じですかね。 松岡記者に聞いてもらったら、城福監督もやっぱり、 プレミアの中継でこの言葉を知ったそうです。 数年前にイギリス留学していた同僚に聞いて みると、
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