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bluesky01.hatenablog.com
私は日本の文化と日本が大好き。 和食は美味しいし、世界トップレベルの治安と衛生状態の良さ、時間通りに走る電車、列を作って順番通りにきちんと並ぶ人たち、配慮のある立ち居振舞い…。 この『配慮』の文化は小さい頃から「他人に迷惑をかける行為はしちゃダメ」という教育が徹底されているからだと思う。 日本人のマナーの良さは世界的に有名で、実際に何度も耳にしてきた。 だけど私は小さい頃からこの『配慮』を含む、特に日本人同士のコミュニケーションでよく用いられる『本音と建前』がすごく苦手だった。 女性同士ではそれが顕著で、さっきまで笑いながら話してたのに、影では悪口をひそひそ…みたいなことがしょっちゅうあった。 私はそれがどうしても苦手だったし、今でもそういう人とは距離をとるようにしている。 陰口からは何もうまれない。 言うなら正々堂々と。 幸いにも今の職場の環境や雰囲気もそんな感じじゃないので、その点は非
小さい頃から日本の学校教育に強い疑問を感じていた。 小学校で先生に「なぜ前へならえをするんですか?」とたずねて、「なんでもいいからやりなさい」と答えが返ってきてびっくりした。 『理由はわからないけど、とにかく皆がやるからやらなければいけない』という行為に、とても疑問を持っていた。 円周率を3.141592…と小数点以下を第何位まで暗記できるかを競う算数の授業なんて、全く理解ができなかった。 「どうしてそんなに小数点以下の細かい数字まで覚える必要があるの?」って先生にはむかうつもりじゃなくて素直に疑問だったし、それが将来どんな役にたつのか教えてほしかった。 そんな調子だからいつも周囲からは白い目で見られたし、成績表の備考欄には「協調性がない/質問ばかりして授業を遮る/場の空気が読めない」と書かれた。 中学生になっても一年早くうまれただけで先輩きどりする上級生達にうんざりした。 一匹狼な私は目
友人のまーさん。 まーさんと私は留学していた時に同じ語学学校に通っていた仲間。 彼は世界一周の旅の途中に旅を一時中断して、英語を勉強しにやって来た。 旅の途中で「英語を身につけてから旅にでたほうが効率が良い」と気がついたらしい。(旅にでる前に気がつかないところがまーさんらしい。) 授業のあとは学校から近い飲み屋街で毎晩のように飲み歩いていたまーさん。 静岡県出身のまーさんは「世界一周の旅が終わったら、いつか東京で自分の店を持ちたい。小さくても居心地が良くて、みんなが笑顔になれるような美味しい食べ物を提供するんだ」と言っていた。 私は「英語力を磨いて、世界を相手に取引を行えるような仕事につきたい。まーさんのお店ができたら、その時は私も目標の仕事についてまーさんのお店でまた再会しようね」と言いながらビールで乾杯した。 あれから月日は流れて、まーさんは世界一周の旅から帰国して、東京の千歳船橋駅か
今日はたまには月でも眺めましょ(たま月)で行われた佐々木さん/本橋へいすけさん/高坂さんのトーク&ライブイベントに、「無職で今お金無いし、参加費(4,000円)が高すぎる。いやだー!」っと叫んでいたA1理論さんを無理矢理引っ張って一緒に参加してきた。 最近のA1さんは下諏訪のホシスメバのリノベ関連のことで関係者の方と連絡をとったりと、とにかく忙しい。今日もあんまり寝てないので若干ご機嫌ななめだった。 (イベント終了前にはカフェラテとお菓子を、終了後には日高屋でおつまみとレモンサワーをごちそうしてご機嫌ななめの兄さんをきちんとケアした。わらふくさんからMac Book Airをもらったことと比較されて若干ムッとしたが、わらふくさんが天使すぎるだけということを忘れてはならない!私も結構優しいんだからね!) 池袋の丸井で待ち合わせして会った瞬間に「痩せましたね。私は以前の丸みをおびた愛くるしいフ
2017 - 07 - 30 可能性を信じてみる。【英語編】 英語と片付け。 最も苦手だった2つのこと。 これを克服したことで、人生が劇的に変わった。 中学生の頃から英語が大の苦手。 仕事柄海外出張の多かった父からは「英語だけは勉強しないと将来絶対後悔するぞ」って言われてたけど聞こえないふりをしてた。 大学入試は英語の配点が低いという理由だけで全然興味の無い国文科を受験した。 好きで選んだ訳じゃなくて消去法で選んだ学科。かろうじて4年で卒業したけど、授業はすごくつまらなかった。 このまま英語ができないまま生きていくんだろうな。でも日本に住んでたら別にできなくても困らないし…。 そう考えながらそのまま社会人になった。 新卒で入社した会社は古い体質の財閥系の会社。毎朝のラジオ体操、 愛社精神 を煽る唱和。給料だけは高いけど全くやる気のない親会社からの出向社員のおじさんたちに囲まれて、私のOL生
片付けられない私。 …「以前は」。 転職して仕事が激務になったのをきっかけに、モノを捨て始めた。 新しい職場、今までとは違う業種。ただでさえストレスを感じるのに、帰宅してまでストレスを感じたくなかった。 とはいっても、今の部屋の状態になるまでに一年くらいかかった。 いただいたモノを捨てるのは相手に悪い気がしたけど、感謝して捨てた。 感謝まで捨てない! 学生時代にゲットしたトロフィーや賞状、卒業アルバムに卒業証書。お金を払っても二度と手に入れることのできないものも、写真を撮って思いきって全て捨てた。 思い出はいつまでも心に刻まれるから大丈夫。 思い出まで捨てない! 高価なモノを捨てるときは、「これは今後の教訓にしよう勉強代だ!」と考えて捨てた。譲れるものは無償で友人に譲って、そうでないものは「もしかしたら良い値段で売れるかもしれない」とは思わずにどんどん捨てた。 買った時払った金額は高くても
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