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体力トレーニング
choten.hatenablog.jp
前回の第一章では、淡路島洲本市の海岸沿いの町並みを採り上げた。 choten.hatenablog.jp 今回は、江戸時代の町割りでいう「内町」を、ゆっくりと歩いてみることにする。 谷崎潤一郎ゆかりの旅館 まず迎えるは、洲本の旅館、「華海月」である。 なんということもない普通の旅館だが、ここにはかつて「なべ藤」という旅館があった。 1830年(文政13)創業の老舗旅館で、谷崎潤一郎が長期滞在しここで小説「蓼(たで)食ふ虫」を執筆した。 1995年に島を襲った阪神・淡路大震災で半壊し翌年に営業を再開したものの、経営が悪化し身売りされ、2009年に地元のホテルが競売の末落札し再再開した。しかし、「なべ藤」の屋号は諸事情で使えず「華海月」という名前でオープンしている。 中には「蓼の間」という部屋があり、谷崎が執筆に使ったという机が残っているという。 その「華海月」の隣に、古くからありそうな雑貨店
町を歩きながら懐かしいものを見つけ、歴史を勉強する「町点(ちょうてん)」の第一弾を、どこにしようかしばらく考えていた。 私は現在、居を淡路島に構えているのだが、そもそもの出身は海を隔てた大阪である。現時点では、淡路島に居候の身である。しかし、悲壮感ただようようなものではなく、むしろ逆に開放感にあふれている。こちらに来て以降、ブロイラーのように肥えてしまったのがその間接的な証拠であろうと思う。 第一号は気心知れた大阪でも良かったのだが、今お世話になっている淡路島最大の都市、洲本がいちばんふさわしいだろう。私の中でそういう結論に落ち着いた。 洲本史概要 洲本市の名前は聞いたことがあっても、その位置となると案外知らない人が多い。淡路島の少し南に位置し、東に海が開けた海辺の町である。 洲本には戦国時代に安宅氏が城を築いていたのだが、町の始まりは江戸時代の太平の世が明けた時に始まる。豊臣秀吉の家臣で
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