サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
TGS2024
cookiescene.jp
01. RIDE『This Is Not A Safe Place』02. FUTURE PILOT AKA『Orkestra Digitalis』 03. EDWYN COLLINS『Badbea』 04. GANG OF FOUR『Happy Now』 05. DEERHUNTER『Why Hasn't Everything Already Disappeared?』 06. AMERICAN FOOTBALL『American Football』07. BIS『Slight Disconnects』 08. SLEAFORD MODS『Eton Alive』 09. THE DREAM SYNDICATE『These Times』 10. VAMPIRE WEEKEND『Father Of The Bride』 11. LOCAL NATIVES『Violet Street』12.
今年4月にリリースされたシングル、「桜が咲く前に」を聴いたときから、予感はあった。この曲には、きのこ帝国のトレードマークである、聴き手の胸ぐらを掴むような轟音がほとんどなかった。親しみやすいシンプルなメロディーに、 耳馴染みがよいアコースティック・ギターの響きを際立たせたサウンド。一瞬、『eureka』(2013)収録の「風化する教室」みたいとも感じたが、「風化する教室」にあった、ヒリヒリとする緊張感やシニシズムはない。かといって、『フェイクワールドワンダーランド』(2014)と地続きだと思うには、あまりにも距離がありすぎる。「こりゃあ、次のアルバムはどうなるんだろう?」。怖いもの見たさという、一種の不安を抱きつつ、筆者はきのこ帝国の最新アルバムを楽しみに待っていた。 そして、『フェイクワールドワンダーランド』から約1年。届けられた最新アルバムが本作だ。タイトルは、『猫とアレルギー』。本音
ビヨンセやロードが自らをフェミニストだと公言し、同性愛者であることを告白しているサム・スミスは、第57回グラミー賞で4冠を果たした。チャーチズのローレン・メイべリーは、ネット上での女性蔑視に対する批判を積極的に語り、音楽以外でも興味深い活動をおこなっている。 一方で映画界。マシュー・ヴォーンの『キングスマン』(2014)は、誰を生かすか恣意的に決める傲慢な強者の選民思想にNOを突きつけ、ナンシー・マイヤーズの『マイ・インターン』(2015)は、〝男らしさ〟や〝女らしさ〟といった、従来のジェンダー観に疑問を投げかけた。スタイリッシュな映像と共に、マイノリティーが受ける抑圧を描いてみせるグザヴィエ・ドランも忘れてはいけない。映画『マトリックス』シリーズで知られるウォシャウスキー姉弟が、ジェンダー、差別、偏見、貧困などさまざまなテーマを取りいれたドラマ、『センス8』(2015)という傑作を作りあ
去る、7月2日のリキッドルーム恵比寿。この日は、タイヨンダイ・ブラクストンのライヴがおこなわれた。オーケストラルな前作『Central Market』から一転、ミニマルなエレクトロニック・ミュージックを打ちだした『Hive1』のリリースに伴うライヴだけあって、一体どんなパフォーマンスになるのか? と筆者は楽しみにしていた。 結論から言うと、タイヨンダイは筆者の期待に応える、いや、期待以上のパフォーマンスを見せてくれた。緊張感をまとった先鋭的なサウンド、計算しつくされた綿密な音響空間、そのすべてが観客たちの固定観念を爽快になぎ倒していく。そのさまは観ていて清々しいほど。〝圧巻〟とは、あの日のことを言うのだろう。 といったところで、そろそろ本題、タイヨンダイのインタヴューにいきましょう。このインタヴューは、今回の来日中におこなったもの。なので、『Hive1』について訊きつつも、タイヨンダイのパ
マーティン・デニーなどが代表的アーティストとされ、1950~60年代に流行ったエキゾチカなる音楽は、非西洋的イメージをサウンドで表現していた。エキゾチカを作っていたのは主に西洋人で、ゆえにエキゾチカは、西洋人から見た非西洋(例えば南国や熱帯地域など)という視点が色濃かった。言うなれば、外国人が日本といえば "ゲイシャ! スシ!! フジヤマ!!!" と口にする感覚と似たようなものである。日本だとエキゾチカはイージーリスニングとして聴かれることがほとんどで、レコード・ショップでも安売りのコーナーに置かれていることが多い。 だが、エキゾチカの影響力は思いのほか大きく、例えば808ステイトの大名曲「Pacific」は、鳥の鳴き声という形でバンドの中心人物グレアム・マッセイが持つエキゾチカへの敬愛を示していたし、YMOがマーティン・デニーの「Firecracker」をカヴァーしたのも有名な話だろう(
書籍『Jazz The New Chapter~ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平』(シンコー・ミュージックMOOK) 本書は密度の高い論考やインタヴュー、さらには300枚を超えるディスクレヴューによって、現代ジャズを様々な視点からプレゼンテーションしたものになっている。現代ジャズの旗手であるロバート・グラスパーとその周辺、老舗《Blue Note》の現在、ジャズとビート・ミュージックの関係性、ワールド・ミュージックという視点から見たジャズなど、その切り口は多様だ。 しかし、こういった紹介は本書の一側面しか捉えていない、というところからこの書評を始めることにする。なぜなら本書は、現代ジャズのプレゼンテーションと同じくらい、いやそれ以上に過去への眼差しと現在に至る道筋の確認に満ちており、それが本書を特別なものにしているからだ。 まず、本書の執筆人に、2人のベテランジャズ評論家が参
《Fabric》は世界中から客が集まるロンドンの有名クラブだが、人によっては缶のケースに入ったミックス・シリーズを思い浮かべるかもしれない。その《Fabric》が、2013年から新たなレーベル《Houndstooth》の運営を始めた。オリジナルのアルバム、EP、シングルをメインにリリースしていくそうで、『Fabric』と『Fabriclive』という2つのミックス・シリーズをリリースし続けてきたレーベルに新しいアイデンティティーを生み出そうという目的から設立に至ったそうだ。まだ始まって1年も経っていないのに、既にアルバムとEPを15枚もリリースしており、初めて見る名前や誰かの変名、ジャングルのようなベース・ミュージックからヴォーカル付きのエレクトロ・ポップまでと、顔ぶれもサウンドも幅広い。これらに大きく関わっているのは、設立にあたってA&Rに就任したロブ・ブースという男で、エレクトロニック
PREFAB SPROUT 今もAtariを使ってるんだよ 30年間ずっと(笑) 時代に左右されないエヴァーグリーンなポップ・ミュージック。最上級の褒め言葉としてよく使われるフレーズだが、それはこの10年代なかばに完成した、プリファブ・スプラウトのニュー・アルバムにこそふさわしい。 20世紀という「ディケイド×10」をとおして、資本主義とわかちがたく結びついてきたポップ・ミュージック。「100年たった関係」といえば、普通の夫婦関係よりよっぽど長い。そんな腐れ縁(?)が簡単に解消できるはずもない(笑)。しかし、インターネット/パーソナル・コンピューターという「鬼子」をとおして、それらのあいだに、今「新しい関係」が生まれようとしている。ぼくは、本気でそう思っている。 写真を見ると、すでに何千年も生きた魔法使いのジジイに見えるプリファブ・スプラウトことパディ・マクアルーンは、まだ50歳そこそこ。
複雑なアレンジ、忙しない転調、言葉が多すぎる歌詞。これらを揃えた音楽、強いて形容すれば "過剰な音楽"とでも言えばいいのか、最近いろんなアルバムなりEPを聴いていると、そういう作品に出逢うことが多くなった。"熱いなあ"とか、"情報量すげえ"とか、それはそれで興味深いと思うこともよくある。 しかし、そればかりではさすがに疲れる。これまた強いて形容するならば、"退屈を楽しむような音楽"も必要だ。平凡な日常における小さな一幕を切りとり、そこにほんの少しユーモアを注いだ音楽。例を挙げると、フィッシュマンズ『空中キャンプ』のような・・・。このアルバムは、目の前に広がる日常を拡張し、退屈の面白さを教えてくれる。そして、《目的は何もしないでいること》(※1)と歌いながらも、そう歌えてしまうささやかな芯の強さもある。こうした作品に出逢うと、今まで以上に他者を好きになれたり、些細な出来事で笑える視野の広さを
PRIMAL SCREAM 暗がりの時期から脱けだして、いい時期に 向かっていくようなものであってほしい さて、みなさん、プライマル・スクリームのニュー・アルバム『More Light』は、もう聴かれただろうか? このインタヴューは、それがほぼ完成したころ、彼らとは旧知の仲であるUKジャーナリスト、ジェームズ・ブラウンが中心人物ボビー・ギレスピーに聞いたものだ(ちなみに、このインタヴューのあと、1ヶ所だけ急遽曲順が変わっている。最終的に、このインタヴューで「12曲目」と言われているものが11曲目、「11曲目」と言われているものが12曲目になった。ほかは変わっていない)。 もちろん「旧知の仲」とはいっても「アーティスト対ジャーナリスト」、決して「なあなあ」になっていないどころか、その対極、いい感じの「丁々発止」。そして彼は『Screamadelica』25周年記念盤ボックス・セットで、実に力
人生、どうしたって上手くいかないことがある。呼吸しているだけでも胸くそ悪いし、とっとと地球なんか終わってしまえって心底思うし、生まれたときから背負った不景気は今の政治のせいだって思いながら心もとない財布の中身を憂い、目の前で幸せそうに歩く酔っぱらいですらも憎しみの対象へ早変わり。 冷静なときはそんなこと思っちゃいないし、こんなこと思ってもいけない...ってわかるけど、やりきれないときだってある。涙を拭いながら、ああ明日もまた生きなくちゃ、辛くたってなんとかしなくちゃならないなって、月夜に照らされながら強く実感することもある。 私が大森靖子と初めて出会ったのは、彼女が主催する月例企画だった。初見で感じた素直な感想は、一言で表すなら、「恐怖」でしかなかった。 ギターを掻き乱し、思いのたけを怒鳴り散らすかのように歌いあげる。乱れた髪の隙間から見える鋭い眼差しで、客席にいるひとりひとりを睨みつけて
「こんなバンドがシアトルから現れるなんて!」 このアルバム、『Go With Me』を友人たちと共に初聴した時に、思わず自分の口からそんな言葉が出てきた。 元々、ボーイング社やマイクロソフトにスターバックスといった、誰もが知っている一流ブランドの発祥の地でもあり、近年では日本にも浸透しきった感のあるこれまた大規模なビジネス、アマゾンの成功により、見る見る内に大都市化・高級化していくシアトルにおいて、いまだに労働者階級の雰囲気が染み付いているウェスト・シアトル(ちなみに、ここはシアトルのローカルシーンを支える2大インディー・レコード・ショップの一つ、Easy Street Recordsの本店のある地域でもある)の少し風変わりなビーチ、アルカイ・ビーチ・パークで撮影されたのでは?と思わせられる陽光に照らされた女性を写したジャケットが示すように、ザ・ペイング・オブ・ビーイング・ピュア・アット・
MY BLOODY VALENTINE 全部がただひとつの音に聞こえるような レコードを作りたいと思っていた その後の音楽の流れを完全に変えてしまったアルバムというのは、もちろんいくつか存在する。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインというバンドが1991年にリリースしたアルバム『Loveless』も、あきらかにそのひとつだ。 決してバカ売れしたものではない。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは、いわゆるロック・スターでもない。だがその一方で、カルト的ステイタスに甘んじる「仙人的」なやつらでもない。ただ、1991年以来まったく新作アルバムを発表していない彼らが、そんなふうに見られる傾向があることもたしかなのだが(笑)。 ここ数年「出る出る」と言われていながら、なかなかリリースされなかった『Loveless』のリマスター盤が、この2012年5月、とうとう世に出た。それは、ある種の音楽ファンにとって重
『GAME』におけるパフュームが衝撃的だったのは、普通にカッコいい曲を普通に可愛いアイドルが歌う構図だ。もっと言えば3人はアイドルですらなく(本人たちがいくらアイドルを自認していようが)、パフュームという巨大な音楽の一部に過ぎなかった。当時隆盛を極めていたニュー・エレクトロをポップスとしてうまく落とし込んだ中田ヤスタカの手腕もあって、当時のパフュームは"音楽そのもの"として評価されていたと思うし、だからこそ、アイドル歌謡でもなく純粋なクラブ・バンガーでもない楽曲群が斬新な響きとエッジを携えて世に広まっていった。 結論から言ってしまえば、『JPN』にエッジは存在しない。『GAME』から3年以上経って、中田ヤスタカのサウンドに対しリスナーが慣れてしまったと考えることもできるが、パフュームの魅力が"音楽"から3人の成長記録という"物語"に比重が傾いたことが大きな要因に思える。もちろん中田ヤスタカ
OGRE YOU ASSHOLE そういう場所をどう思うかっていうのは みんな次第なんじゃないかな 彼らは、またもや新しい境地に達した。 昨年リリースされたEP「浮かれている人」で表現されていた多彩なサウンドも、よりグルーヴィーになったビートも、さらに驚くほどの成長を遂げている。 4人組から、トリオとなってのニュー・アルバム『homely』は、音楽的なおもしろさにあふれているのみならず、そのテーマ性も実に興味深いものとなっている。 いや、こんな冷静ぶった物言いにはとても収まりきらない。この2011年の日本に生きる自分にとって、まったく人ごとではないレベルの問題意識に貫かれているような気がして仕方ない。 彼ら独特のユーモアと表裏一体をなす、そんな部分にも迫るべく、中心人物の出戸学に聞いた。 内容、かなりビックリしました。音はまたさらにおもしろくなってる。それプラス、よりメロディアスになってる
"チルウェイヴ"という言葉が生まれ、多くのリスナーはそこに"現実逃避"を求めた。ウォッシュド・アウトやネオン・インディアンなどが注目を集めるようになり、同時に様々な議論のネタになった。"現実逃避"のみを対象とすれば、『Bon Iver』で「ボン・イヴェールこそが居場所」としたジャスティン・ヴァーノン。"歌声"という聖域を犯しながら、そこに新たなソウルを宿して見せたジェームズ・ブレイクなども"現実逃避"的な音楽を鳴らしている者達だろう。他にもブリアルやアニマル・コレクティブなど、ここ数年で枚挙にいとまがないくらい"現実逃避"的な音楽は生まれ続けてきた。 僕自身こうした流れをポジティブに捉えている。というのも、従来の逃避、つまり現実に背を向け見て見ぬフリをしてきた逃避とは少し違うものを感じるからだ。様々なものが複雑になりフラット化していくなか、多くのものが見えづらくなってしまった現代において何
本日最後の更新はストロークスの新作について。すでにクッキーシーンでも松浦さんによるレヴューが掲載されていますが、待望だったわりには大絶賛の嵐ともいかなかったようすの本作。一方で、こちらの草野虹さんによる原稿はかなりポジティブな捉え方となっています。みなさんはどうだったでしょう? サマーソニックにもヘッドライナーとして出演が決まっている彼ら。いまだに語らずにはいられない魅力に溢れているのだろうと思います。またご意見お寄せいただけたらと思います(ちなみに僕は、ストロークスってまともに接したことがないんですよね。いまだに『Is This It』を通して聴いたことすらないです。どうもすいません...)。 >>>>>>>>>> いつからロックという音楽は、実験性とポップ性とセールスの3つが剥離してしまったのだろう、ふとそう思うときがある。 少なくとも、The Beatlesの『Revolver』や『
コントリビューターとして当サイトでもいつもがんばってくれている近藤真弥さんから原稿が届きました。きわめてド直球なタイトルですが、実体験を通じてのおもしろい仮説であり、今から近い将来にいたるまでのリスニング・スタイルについての興味深い考察になっています。 多くの音楽ファンにとっては今さらすぎるかもしれませんが、サマー・オブ・ラブのファーストとセカンドについてもしご存知でなかったら、先にぜひそれぞれのリンク先をご参照ください(って、ウィキペディアですいません)。ヒッピーからパーティー・ピープルときて、次はやっぱりナードやニートの時代なのか。はたまた...。 (公式発表はまだですが)5月末~6月頭くらいに刊行予定のクッキーシーン・ムック第2弾には、この原稿に伊藤さんがインスパイアされたことで実現した特集ページも掲載予定。そういえば、ご本人も少し前にこんなことをツイートしていますね。というわけで、
3.11の影響でリリース日が遅れたのもあるが、後出しジャンケンになってしまった感は否めないので、好き勝手に書かせてもらおうと思います。Salyu本人が(それまでほとんど放置状態だった)ツイッターで夜中にアナウンスした途端、すさまじいバズを巻き起こした新プロジェクト、その名もSalyu×Salyu(サリュ・バイ・サリュ)。本人いわく、2年以上前から水面下で動いていたプロジェクトらしいが、あのコーネリアス=小山田圭吾が全面プロデュースということで、今まで彼女の存在を無視してきた音楽評論家やメディアが、手のひらを返したように人物像や過去作品を調べていましたね。おせーんだよ。 振り返れば、2010年のSalyuはリミッターが外れたように働きまくっていた。まず、小林武史の黄金律をスロットル全開にした名曲「新しいYES」と、3年ぶりのオリジナル・アルバム『MAIDEN VOYAGE』のリリース。夏には
結論からいうと、とても評価の難しい作品になったと思う。 先行のシングル「Under Cover Of Darkness」はキュリアスな音響工作とある種、彼らのトレードマークの一つであるシャッフル・ビートのセンスの活きた佳曲だったが、その延長線にあるとは言い難い多彩なサウンド・ヴァリエーションと些かスキゾに引き裂かれた10曲には、これまでよりクリアーでハイファイな録音で、レゲエ、ニューウェーヴ、ポスト・パンク、シンセ・ポップ、レイドバック気味のロックンロール、ハードコアなどが混然と収められている。そして、メンバーの独自色がこれまでよりも色濃くあらわれるようになった。緩急、アップダウンを行き来し、より表情が豊かになったジュリアンのボーカル、実験的なフレーズが増えたアルバートとニックのツイン・ギター、ニューウェーヴ風のニコライのストイックなベース、リズムに対してより厳格になったファブのドラム、と
R.E.M. 伝えたかったのは"困難な変化が訪れても怖れないで 自分のプラスに変えよう"ってこと R.E.M.の通算15作目『Collapse Into Now』は、90年代初頭、誰もが彼らを世界一のロック・バンドとして認識していた頃の自信と輝きを取り戻したような一枚だ。プロデューサーには前作に続いてジャックナイフ・リー(U2、スノウ・パトロール、エディターズほか)を迎え、パティ・スミスやレニー・ケイ、エディ・ヴェダー(パール・ジャム)にピーチズという胸躍るゲストが参加。レコーディングは、ポートランド、ニューオーリンズ、ナッシュビルのほか、デヴィッド・ボウイの『Low』やイギー・ポップの『The Idiot』、U2の『Achtung Baby』などの名作を生み出したベルリンのハンザ・スタジオでも行われた。 1996年にビル・ベリー(ds)が脱退して以降のR.E.M.にどこか物足りなさを感じ
FRIENDLY FIRES どんな状況でも前向きでいたいと思っている フレンドリー・ファイアーズのファースト・アルバムには現実逃避の先にある甘美な夢がそこかしこに散りばめられていた。それは踊りながら脳みそが溶けていく瞬間のフィーリングが完璧にパッキングされた大傑作に違いはなかったが、5月にはリリースされる予定の彼らのセカンドがファーストを余裕で上回る出来であることは、おそらく間違いないだろう。何たって先行で試聴できた4曲が「Paris」と「Jump In The Pool」と「Lovesick」のそれぞれ優れたポイントをすべてより集めたような、信じ難いアンセム揃いだから。ファーストからのファンの期待は一ミリも裏切らず、もはや貫禄さえ漂う。早くも傑作揃いの2011年で、この「Pala」と名づけられた新作はどんな特別な輝きを放つのか。 去る2月に東京のみでおこなわれた一夜限りの来日公演前日、
正直この作品、彼にとっての3rdアルバムである『我時想う愛』は2ndアルバム『Whalabout』でスラックのファンになった人々にとっては賛否両論ではないかと思う。2ndにおけるスラックに顕著な奇妙に歪んだビートや、エクスペリメンタルなプロダクションは、スムーズでかつメロウなものに取って代わっている。つまり、非常に「聴きやすく」「キャッチー」になっている。あえて乱暴に言うなら、1stアルバム『My Space』収録の「I Know About Shit」「Deep Kiss」におけるジャジ―でソウルフルな路線をアルバム一枚に拡張したと捉えても良いだろう。しかし、そのトラック・メイクのクオリティは格段に上がっていて、「日常において零れ落ちたロマンティシズム」を非常に美しく表現している。 「そういうねじれた感じの曲もちゃんと入ってると思うんですけど、過去の作品はそれを大げさにやってたところがあ
周知のとおり、来たる2月27日にAll Tomorrow's Parties(以下ATP)の姉妹イヴェントとでもいうべきI'll Be Your Mirror(以下IBYM)が新木場スタジオコーストにて開催される。 ATPといえば、開催ごとにアーティスト/バンドがキュレーターとなり、出演者を決定するというコンセプトで知られている。過去にもモグワイ、オウテカ、トータス、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、果てはシンプソンズの作者として知られるマット・グレイニングetc...、錚々たる面々がそのホスト役を務め、どの面々も自分たちの趣味性を存分に発揮した味のあるブッキングを披露。商業主義に中指を突き付けるかのような(実際、ATPは一切の企業スポンサーを受け付けていないことでも知られる)挑戦的かつイマジナティブなラインナップに毎回圧倒させられる。このフェスの創立者であるバリー・ホーガンや(ソニック・
ようやくPrivate Top 10s of 2010も第一弾を掲載完了し、編集部側としてもやれやれひと段落(「遅ぇよ!」って声も聞こえてきそうですが、そこはまぁ...)。 いろんな人たちの年間ベストがずらりと並んでいるのを見ると、本当にいろんな観方(聴き方)があって、数多くの作品がリリースされているのだなと思う。もちろん、知らない作品も正直多い。リスナーが横並びになって同じものを聴く時代はとっくの昔に終わったのだなと改めて実感させられた(まあ、20代中盤の僕にとってはそんなのとっくの昔から当たり前の感性ではあるのだが...)。 そんな時代に、各メディアやリスナーから圧倒的な支持を集めたのがアーケイド・ファイアの三枚目のアルバム『The Suburbs』である。あらゆる年間ベストのたぐいに顔を出し、CD不況のこのご時勢にインディとしては破格のセールスを記録。つい先日にはグラミーのなかでも最
RECENT INTERVIEWS TEMPLES TRAXMAN THE RAINCOATS PREFAB SPROUT PRIMAL SCREAM PASSION PIT MY BLOODY VALENTINE OMD MOTION CITY SOUNDTRACK FOUNTAINS OF WAYNE PETER HOOK ALAN McGEE R.E.M. WIRE
ロックそしてポップ・ミュージックは、常に「オルタナティヴ」な存在であった。そんな信念のもと、1997年3月から2009年12月まで隔月刊/月刊ペースで発行をつづけてきた「クッキーシーン」。ウェブ媒体としては、ようやく本格的に動きだした...というか、まだよちよち歩きを始めたばかりのところ申し訳ありませんが、紙媒体としても不定期刊行ムックの形で復活します。 2010年12月なかばごろに、CDジャーナルでおなじみ(株)音楽出版社から発売される予定の第1弾は、題して「CDジャーナルムック『Cookie Scene Essential Guide: POP & ALTERNATIVE 00's: 21世紀ロックへの招待』。 00年代にUS, UK, 欧州でリリースされた素晴らしいポップ&オルタナティヴな音楽(日本人アーティストのものを除く)を網羅したパーフェクト・ガイド! 同時代性にこだわるべく、
例えば、アドルノが抱いた思想の主軸をなしているものは「近代において人間はどのように人間的でありうるのか?」ということに集約される。それを考えると、主体的に「音楽を書くこと」は「漂流する瓶に詰められた願い」を海に流す行為であり、それは聴衆を無視して、ひたすらわけの分からないことを書き続けるのとは違う―つまり、誰かが拾ってくれることを祈って、真摯に書かれる「べき」音楽である筈とも言える。その音楽には、作り手と聴衆との「間」に、偶然と言っても良い出会いによってミメーシスが行われることへの希望が込められている。 だからこそ、今、「音楽を聴く」という行為自体を、再定義しないと、このまま、相変わらずの印象批評が飛び交ったり、「良/悪」の二元論で帰着してしまったり、音質(温室内)問題であれこれ右顧左眄したり、歴史改竄されてしまったり、ファイルの中に、フェスの中に、音楽が埋もれてしまったり不健康なことこの
80年代にR.E.M.(やラヴ・トラクターやガダルカナル・ダイアリー)を輩出したアメリカのジョージア州(州都はアトランタだが、学生都市アセンズも見逃せない)から、90年代には、オブ・モントリオール(やオリヴィア・トレマー・コントロールなど)が登場した。そして00年代以降は...ディアハンター(やデンジャー・マウスなど)だっ! ...なんて言ってもいいほどの存在感を、彼らは獲得している(ちなみに、デンジャー・マウスの件については、この8月におこなったブロークン・ベルズのインタヴューも参照してほしいのだけれど、まだテープ起こしも終わっていない...。うー、もうしばらくお待ちください。すみません...:汗)。 彼らのニュー・アルバム『ハルシオン・ダイジェスト』は、まさにタイトルどおり夢の世界をさまようかのごとき甘美な感覚も、ポップ・ミュージックとしての強度も、見事に増している。 ご存知のとおり、
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『COOKIE SCENE』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く