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ノーベル賞
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1 橘孝三郎は一般に農本ファシスト、超国家主義者といったイメージで捉えられている。例えば丸山眞男は橘を評して「北一輝型と権藤成卿型の折衷である」とし、あるいは「このへんが日本ファッショの標準型だろう」としている【註一】。しかし、このような図式的な、わかりやすい理解は、そのじつ橘を初めとする戦前の所謂「右翼」が、そもそもどのような形で現れたのかを隠蔽してしまっている。彼らを農本ファシスト、超国家主義者として、ひとまとめに語ってしまうことは、彼らを異端として、特別なものとして見ることを意味し、ひいては第二次大戦前の日本の状況をも、特別な状況であったとしてしまうことに帰結する。しかし、事実はそうではなく、少なくとも大正期における橘は戦後言われるような超国家主義者の面影からは遠い、むしろトルストイ等に影響を受けた、人道主義的な思想を持っていた。確かに彼が行った「兄弟村農場」【註二】の試みは、後に彼
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