サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
やる気の出し方
d.hatena.ne.jp/dasaitama_osamu
ここの所ずっとダメ人間だ。大学院の研究にも就職活動にも身が入らないというか体が全く動かないというか拒否反応を起こしてしまう。それらに関わってると、特にこれといって大変なことをしていなくても本当に苦しい。就職活動もほとんど何しないままで周りから取り残されるばかりなのに体が動かない。研究室にも週3、4日行くのが限界で、長時間いると頭がおかしくなりそうになる。研究室でやらなくてはいけないことが多くなってくると、精神的に不安定になってきて泣きそう*1になったりする。その割りに、はてな見たり本を読んだりはできる。こうしてブログを更新することもできる。だからやっぱりサボってるだけのダメ人間なのかなと感じざるを得ない。 以前、太田光が「生きることは好奇心だ」「自殺する人ってのは好奇心が切れてしまう」というようなことを言っていた。ある人が生き続けるのは、何かしら生活の中で「生きるエネルギー」みたいなものを
ネガティブな心理状態に置かれると、どうしても出てくる言葉は酷いものにしかならない。やる気が無い。何もしたくない。何もできない。何かできるようになるとは思えない。それに比べてお前は恵まれてていいよな。自分なんかもうダメだ。死にたい。みんな死ねばいいのに。 しかしこのようなことを言えば、叱責が飛んでくる。そんな考え方じゃいつまで経ってもダメなままだぞ。前向きになれるように努力すべきだ。ていうかキモイんだよ!…正論だがそれができないから苦しいのに。それどころか、そんなこと言うようなダメ人間だからそんな状況に陥ったんだろ、自業自得だ、などと見なされる。もともと悪い人格を持っていたから悪い状況になったんだという論法だ。悪い状況が悪い心理状態を生み出した可能性は考慮されない。 だからネガティブな心理状態にある時は、素直な感情を吐露することが自身の立場を危うくすることに繋がる。となると何も言えなくなる。
こちらのエントリに対してAgguy0c氏から反論がありました。個人的には、これ(引用者注:強者の規範に自分を合わせて肯定感を得ること)って弱者同士のゆるコミュ以上に、物足りない薄味なものに感じます。それに、「既定にあわせる」と言う作業は、とどのつまり「仮面をかぶる」と言うことじゃないでしょうか。何故なら、ルサンチマンやジレンマ、トラウマ、自己承認不全と言うものは、記憶を失くすくらいのことがなければ自分の努力だけで解消させるのはとても難しいと思うからです。それって、議論や損切り等を考える以上にコストが高いように思えます。オレ理論ちょっと書き方が悪かったかなと思います。僕も、自分を「弱者」と捉えている人が強者の規範に合わせることで肯定感を得るのは難しいと思います。僕も「仮面をかぶる」ことの苦しさは身にしみて分かります。ですが、そのようなルサンチマンを持つ人は自分が受けてきた苦しみを「理不尽な苦
弱者は普段肯定されないからこそ、他者からの肯定を求めて弱者コミュニティに入る。けど弱者は様々だから互いの求めるものが一致せずイザコザの元になり、弱者は連帯しにくい。とすると弱者は他者からの肯定も得にくい。だったらやっぱり強者の規範に適応させた方が肯定を得るにはシンプルな方法だ。弱者を叩きながらでも強者の規範に乗れる能力があれば、わざわざ弱者に理解を示したり規範に違和感を持ったりする必要性は無いわけか。何とか強者の規範にしがみ付けるんだったら、わざわざ弱者コミュニティに入らない方がいい。弱者で肯定を得るのは茨の道だ。議論とかゆるコミュとか損切りとか考えることが多すぎる。そんなのよりは規範に合うよう努力して、規範に合わない奴を叩く生き方のほうが考えることが少なくて済む。非コミュと似非コミュは似ているけど、やっぱり遠いのか。非コミュと似非コミュが連帯したり、ニートと長時間労働を強いられてる正社員
「自分は努力したから、お前達も努力すべきだ」的思考をする人の不思議なところは、「努力すれば成功する。努力しなければ成功しない。」とか言うとこなんですよ。もしホントにそうだったら、努力してない(ように見える)人達はうまく行きたいと思ってない人なんだからほっときゃいいはず。「自分は成功したいから努力します、あなたは別に成功したくないんですか、だったらいいです。」で終わりなはず。そこで「お前達も努力すべき」っていう僻みがチラつく発言をする人は、「ホントは努力なんかしたくなかったけど仕方なくやってきた」という意識があるんじゃないでしょうか。「努力すれば成功する」から成功したくて自発的に努力したんじゃなくて、そうせざるを得ないからしてきたと感じている。ただ自分がしたいから努力してきた人って、努力を人に押し付けないもんだと思うんですよ。で、「仕方なくやってきた」んだったら「そうせざるを得ない状況」に対
自分の傾向として、言いたいことを抑えてしまうということがある。まぁ要は非コミュなわけですが。会話の最中、相手が何か引っかかることを言ったとしてもその場で反論するなり自分の見解を述べるということができない。その場で反論できないだけじゃない。単に言いたいことが言えなかっただけなら、後で言いに行くなりメールするなりすればいい。しかし自分の場合、言いたいことが言えなかったと感じた時点で、もはや何が言いたかったか分からなくなっている。 もう少し詳しく言う。まず相手と話していて引っ掛かりを感じても、その「引っ掛かりを感じた」という感覚に自信が持てない。自信が持てないから、相手の方が正しいような気がして自分で言いたいことを抑えてしまう*1。抑えてしまうといっても、別に意識して「自分の考えていることはおかしいな、今言うのはやめよう」と考えてるわけじゃない。無意識に抑えてしまっている。後になって「何か言いた
昨日、ハルヒが好きなくせにハルヒダンスを叩く2ちゃんねらーと同じ気分を味わった。 大学の研究室でセミナーの休み時間の雑談中に外山恒一の話題になり、誰かがyoutubeの例の動画を再生した。そしたらその雑談の輪の人達*1は動画を見ながら大爆笑。セリフを一緒になって言ったり、その改変ネタで盛り上がったりして。しかし私はやはりそこで盛り上がれないわけです。物理的には輪に入っているのですが、とても一緒になって笑えなかった。笑えないってか何も言えない。それどころか、その輪に対して非常に嫌悪感が発生。え?なに?なんでそんな爆笑できるの?もう何度も見てるんだろお前ら?なんで何度も同じネタで笑えんだよ?いやそんな改変ネタ面白くないし。ていうか休み時間って言ったって隣の部屋で勉強してる人もいるし、実験に集中してる人もいるかも知れないじゃん。その人達への迷惑とか考えないわけ?*2何なのこいつら?くだらねー。ク
ブクマコメントで「自分の内面を観察できている」「自分のことを冷静に把握できている」と言われたのですが、ちょっとそれを褒め言葉として取っていいか微妙な気がしている。自分のことをメタ視してばっかりで、自分に対してのベタが足りないんじゃないかという気がしている。例えば、「自分は人の優しさを吸ってばかりの"ヒル"だ」などと自分をメタ視せずに、ベタに人の優しさを吸いまくって生きる方がいいんじゃないかという気がしてしまう。いやそんなのは周りに迷惑をかけまくるわけで、とてもじゃないけどいいとは言えない。でもそうやってベタに人に頼りまくっていたらいつの間にか人に頼らずとも生きていけるようになるかも知れない*1。逆にいちいち自分をメタ視していると自己嫌悪に陥りまくっていつまで経っても停滞したままになってしまうんじゃないか。確か宮台真司が「僕は社会にノルことができないから、社会を分析してしまう」とかいうような
今、私のそばには「優しくしてもらって当然」の人がいる。彼女は、いつも自分の病歴を持ち出して同情を買おうとする。私を構って、優しくして、とまとわりつく。自分は優しくしてもらって当然だと思っているので、毎日は「優しくしてくれない人に対しての愚痴や不満」で埋まる。病気であることはかわいそうといえば、かわいそうなんだとは思う。優しくされて当然の人などいない - 鼻が赤くなりにくいティッシュです僕の周りにもいた。ものすごく寂しがり屋で構ってちゃんの男だった。ちょっとメールの返信が遅いと催促メールが来たり、時には自殺予告みたいなメールが来たりする。友達なんだから見捨てないでくれ!と何度も言われた。すごくイヤだった。ヒルに食いつかれてエネルギーを吸い取られる、まさにそんな感じだった。こんな奴にはなりたくない、と思った。自分は感謝の気持ちを忘れないようにしよう、と思った。 基本的にはこのエントリには同意す
■マイ・ひきこもり・バレンタイン 僕はチョコが好きです。何の話かと言われるかも知れないけど、ただそのまま好きなんです。チョコが好きでいつも298円の袋入りのキットカットとかチョコパイとか今は亡きカントリーマァムとかを近所のサティで買って来てストックしてあります。で毎晩、はてなとか見つつ紅茶を啜りながらチョコお菓子を食べるんです。毎日の楽しみは本当にそんくらいです。僕は酒飲まないけどその分チョコとか甘い物食べなきゃ気が済まない性質です。 ですがね、2日前くらいにそれが切れちゃったんですよ。なんか袋に小粒のアーモンドチョコとかトリュフとか入ってる、チョコアソートって言うのかな、それを食べつくしてしまった。で、買いにいきたいんですが、時期が時期ですよ、ほらアレ。こんな時期に陰気な24歳の男が一人でサティ行ってチョコだけ買ってくるとか、そんなこと自意識過剰な僕ができるわけありません。パートのおばち
■脱優等生 優等生ってのは、社会のフリーライダーを許さない体質なんだと思う。社会的に有用な人間になろう、生産的な人間になろう、より有用で生産性の高い人間になろう、と考える。だから社会的な評価を気にして常に未来のために努力していないと自己否定に陥る。他人に対してもそれは適用されて、フリーライダーを許せない。かつては自分もそうだった。でもいつの間にか自分がフリーライダーだ。ちょっとフリーライダーを許さないなんてことをしてる場合じゃない。 ここ最近、長居公園の野宿者排除について野宿者の人権を訴えるような記事をブクマしまくっている。これは自分を野宿者に投影して自分を救いたいからに他ならない。自分は一応大学院生ではあるのだが、暫く前から研究活動・就職活動が余りにも辛くなって現在何もしていない。バイトも殆どしていない。間違いなくフリーライダーであり、しかも特に病気という訳でもなく、何もしていない自分を
非モテがモテになる努力をすべきかどうかは個人の好き好きでしょう。でも非コミュはある程度コミュニケーションの努力をしないと生きて行けない。でも非コミュがコミュニケーション能力向上になかなか踏み出せないのは、一人ではできないから。コミュニケーションの練習なんか一人でできる訳無いから当然だけど。でもいきなりコミュニケーションの舞台へ上がろうとすると、そこには今までコミュニケーション能力を積み上げてきた達人ばかり。そこで非コミュが喋ろうとしたところで、キモイ、つまらない、空気嫁などなど各種罵声を浴びることになる。非コミュがコミュニケーションの努力をするなんて、周りからしたら迷惑なんですよ。それは痛いくらい分かっている。非コミュ当事者にとって、身の回りの人間で訓練をするということは、実弾を撃ってくる敵に対して模擬弾で射撃訓練をするようなもの。非コミュが訓練の中でした失敗は「なかったこと」にはならない
■自己責任 別に好きで非コミュになってるんじゃない! と言えば 「じゃあお前は社交的になれるように努力したのか? 今までさぼってたから非コミュになんったんだろ? 文句言ってないでさっさと努力しろ!」 と言われる。 それで自分は好きで非コミュになってるんだからうるさいこと言うな! と言えば 「じゃあ非コミュのせいで人が近寄らなくてもそれはお前のせいだよな? それを分かってて非コミュになることを選んだんだよな? 文句言ってないでずっと一人でひきこもってろ!」 と言われる。 Permalink | コメント(0) | トラックバック(0) | 06:21
「向こう側」だって別に輝かしく素晴らしい世界などではない。もともと「向こう側」の住人だった人に聞いてみれば、ほとんどの人がそう言うだろう。準ひきこもりだけが際立ってダメな人間として描写されているのは、それが著者の世界観だからである。確かに非コミュにも克服するべき問題はあるだろう。しかしあまりにも非コミュと非非コミュの差を誇大に描き出すことは、余計に社会参加の敷居を高くしてしまうように思う。アマゾンのレビューを見ていても、当事者にとってはこの本の内容は余計に非コミュを悪化させかねないもののようである。mixiでは書けない日記 - 「向こう側」は別に素晴らしくなんかない 同感です。上山和樹氏も以前こう言っていた。ひきこもりは、異常に恥ずかしい。 その羞恥を増幅することで本人の社会意識を高めようとする試みは、傷口に焼け火箸を突っ込んで治そうとするようなもの。 【そもそも社会意識が高くなければ、「
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『d.hatena.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く