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超文学フリマに参加しました - activeエレンの続きです。 はてなダイアリー 上記の斧屋さんほか、超文学フリマは失敗だったという意見をいくつか読みました(斧屋さんははっきりと失敗と書いているわけではありませんが)。 ASCII.jp:「ニコニコ超会議2」ってどうだったのよ? 取材陣で語ってみた (1/4)|じゃあ、いつ撮るのか? 今でしょ! ニコニコ超会議2013 まとめレポート Axel Nico 「リアルの場で対峙しているのに、私と会話しているんじゃなくて、みている観客全員で会話している、そんなニコ動特有の空気をまとってました。要は「エスカレーターとかなにそれwww うけるーwww」ってみんなでコメントしあっている感じです。「なにそれww うけるーwww」ってリアルの世界でぜんぜんわかってもらえないひとたちがお互いの傷をなめあう世界がコミケだと思うんで、ニコ動も、同じようでいてベク
4月28日、超文学フリマ「はなごよみ」ウ-14に立ち寄ってくださった皆さんやお買求めくださった皆さん、有難うございました。前日のまーちゃんインパクト?で1時間くらいしか眠れないままイベントに参加したのですが、とても充実したものでした(●´ー`) 超文学フリマinニコニコ超会議2 幕張メッセ 2013年4月28日(日)10:00〜17:00 http://www.chokaigi.jp/ http://www.chokaigi.jp/2013/event/bunfree.html 一般来場者は「ニコニコ超会議2」の入場券(前売1,500円・当日2,000円・通し券2,500円)が必要になります。仮に「超文学フリマ」だけに来場したい場合でも入場券が必須となります。ただし、「超文学フリマ」への入場料が別途発生することはありません(サークルカタログもこれまで通り無料配布となります)。 http:/
大晦日、冬コミに参加します。個人誌『綾波レイはどこへ消えた?』を頒布します。ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Qについての感想文であり、綾波レイについての個人的な思いを書き殴ったものであります。 東ヒ57b「書肆言葉言葉言葉」 そこで、今日は、同人誌に掲載しなかったアウトテイク(ボツ原稿)を掲載します。いちおう書いておきますが、ネタバレ注意です。 想像を越える新展開 劇場公開の前日、特別にテレビ放映された、『Q』の冒頭シーン、アスカとマリがエヴァに乗り、宇宙空間にある「何か」を回収していた 彼女たちが回収したのは、エヴァ初号機 碇シンジが目覚めたとき、彼は拘束されていた 葛城ミサトや赤木リツコ、その他の良く知らない者たちがいた 『破』のラストで何か重大な事件が起こり、実はあれから十四年経過していた ここはネルフ本部ではなく、巨大な戦艦ヴンダー ヴンダーは、エヴァ初号機を動力源としているのだという
きのう(http://d.hatena.ne.jp/eal/20120806/p1)の続き。夏コミで新刊を出さないので既刊の宣伝。「はなごよみ」から出すぼくの個人誌シリーズ。本日は二冊目の『はてな☆オタク』の紹介、といってもこれから書くのはアウトテイクというか裏話ですね。 「はなごよみ」公式(通販あり) http://osito.jp/ 「はなごよみ」押井徳馬さん id:osito 「はなごよみ」夏コミC82サークル位置 http://twitcmap.jp/?id=0082-3-RRa-49-a ウェブ検索で「はてなダイアリー」がたくさん検索結果に表示されたり、自分のお気に入りのブログが「はてなブックマーク」に登録されていたりと、会員でなくとも、「はてな」の名前を一度は目にした事のある人はきっと多いでしょう。 ブログとブログをつなぐ「はてなキーワード」、ただのURLメモではない「はてなブ
アイドル論といっても「論」は書いてません。いつものやつです。これまでのアイドル語りのまとめとして出します。アイドルと銘打っていますが基本的にハロプロのことしか書いてません。コピー誌です。10月16日以降のブログの文章も入ってます。テーマとなっているひきこもりについては下記の内容にも書いたけど「ひきこもりがアイドルを好きになれるの?」ということです。アニメや漫画のほうがひきこもりに親和的じゃね?でもぼくは違うんだけど!的なものです。幻の「安倍なつみによる人類補完計画」もリイシューしたでやんす。 【内容】 “ひきこもり”だけど、人間が好きです。 ■自宅で見てるだけのアイドルファンが、外に出てコンサート体験 ■「“ひきこもり”はリアルな三次元アイドルに否定的」ってホント? ■“ひきこもり”と“おたく”はどこが違う? ■音楽シーンの「漫画的リアリティ」 ■漫画のようにキャラが立ってる「モーニング娘
日曜に中野にドリ娘。のコンサートを観に行きました。 真紅に輝くなっちTだべ(●´ー`) ドリームモーニング娘。コンサートツアー2011 秋の舞 〜続・卒業生 DE 再結成〜 2011年10月16日 中野サンプラザ 14:30/18:30 http://www.dream-morningmusume.com/ ぼくは昼だけの参加だったから、ごっちんとののは見れなかったけど、楽しかったです。 感想、というかコンサ参加が久しぶりだったので単純に見られてよかった。メンバー自身が楽しんでる感じがよかったです。ぼくはなちヲタなのでなっちこと安倍なつみばかり見てましたが、なっちはなっちとしか言いようのない魅力。キラキラしてました。 なっちのソロコンは2〜3回くらいしか行ってないしハロプロのコンサートは後浦なつみを見ただけで、ぼくはあまり現場に行こうって人間じゃなくて申し訳ないのですが、ソロじゃなくてグル
文学フリマが明日6月12日に開催されます。 ・文学フリマ | 小説・評論・詩歌 etc.の同人/商業作品展示即売イベント ・ページが見つかりませんでした | 文学フリマ ・第十二回文学フリマ 6月12日開催! - 旧・文学フリマ事務局通信(はてなブログへ移行しました) ぼくが参加するのは押井徳馬さん(id:osito)の「はなごよみ」(U-15)です。 頒布物 * どうして女の子のイラストばかり描くの?(萌え論・オタク論の入門書) 400円 * どうしてカノジョをつくろうとしないの?(非モテ論や非婚問題と、それにまつわる社会問題を扱います) 400円 * どうして詐欺って気付かないの?(悪徳商法やカルト宗教で用いられる「騙しのテクニック」を暴露します) 300円 ※文学フリマ初登場 * 萌えはお菓子(お菓子と同じく生活必需品ではないけれど、お菓子と同じくニコニコ顔にしてしまう「萌え」の正体
自分のブラウザではなく、ウェブ上でブックマークを行うサービス「ソーシャルブックマーク」のなかで、はてなブックマークは、現在のはてなを代表する興味深いサービスとなっています。もともとソーシャルブックマークはウェブに記録することによる利便性が特徴でしたが、はてなブックマークは、その本来の目的以外の部分でも注目されています。 はてなブックマークとは、特定のブログの記事やウェブページに対し、自分のアカウントでアクセスできる専用のページにて百字程度のコメントをつけておく「自分専用のメモ」であると同時に、公開することで情報発信ツールとなるニュースサイトにもなり(非公開設定も可)、そしてコメント欄でコミュニケーションするSNSのような場所でもあるといえるでしょう。ブックマークされた側のページには、自動的にそのブックマークサイン、そして誰がブックマークしたのか、どのようなコメントがついているのか、また、何
ハイクやツイッターで表示されるハンドルネームを「ぎのエレン」に変更しました。「萌えぎのエレン」の名前を捨ててはいませんが、変更には、ちょっとした理由があります。 ぼくは萌えについての個人的な文章を同人誌『萌えはお菓子』として発表しました。そして、昨年12月の増版時に追記したヲタクについての文章がきっかけで、ぼくはもう一度ヲタク論を書いてみようと、考えている最中です。 が、どうもぼくのなかで萌えとヲタクが一体化していて、でもどうやらそこにこだわっているとネクストに進めないことに、気がついてしまいました。 実はツイッターでのやりとりがきっかけだったのですが、萌えはもう死んでいる言葉だという意見に、ぼくは反論できませんでした。一般的なマスコミで乱雑に消費されたことも「死んだ」理由のひとつでしょう。ぼくよりも若い世代である、能登有沙や和田彩花や福田花音が萌えという言葉を使っている。それもあって、萌
※これは、夏コミで頒布予定のぼくの個人誌「萌え論」(仮)のアウトテイクです アニメや漫画の登場人物に恋すること。それは昔からありました。過去にそんな経験をされたかたも、いらっしゃるかもしれません。それと萌えは同じものなのか、それとも萌えは、これまでと違う新しい何か、なのでしょうか。 キャラクターを好きになるという点で、それほどの違いはないと、ぼくは思っています。しかし、そうではなく、萌えとは、それを誘発する記号(いわゆる「萌え属性」なども含むでしょう)に飛びついているだけで、つまり対象を「モノ扱い」している、だから萌えとは、暴力的な振る舞いとなってしまう危険なもの、という考え方もあります。だから、キャラクターに対する恋や愛のような思いがあるだろうときに、この萌えという言葉を使うのに慎重になるのだ、というオタクもいます。 実際のカップル同士での暴力沙汰が後を絶たないように、愛と暴力との関連は
東浩紀の萌え感その2 - activeエレンの続き。 「萌えみたいな問題がないと、そもそも思考ができない」と語る東浩紀。 萌えとかキャラの問題というのは、要は「人格の同一性」の問題です。これはとても深い。深すぎるくらい深い。しかし萌えの現象は、それこそ、ドゥルーズやらパーフィットやらをぽんと飛び越えて、同一性の崩壊を経験させてくれるところがある。こういうのは、とってもとっても理論的な話なのです。 http://twitter.com/hazuma/status/8153902193 「問題」という言葉が語感的におかしいなら、「謎」でもいいですよ。 http://twitter.com/hazuma/status/8153996823 だって萌えって謎じゃん。 http://twitter.com/hazuma/status/8154003530 それって愛か? いやそういうわけでもあるまい
の続きです。 はてブもコメントもたくさんいただいています。それにレスしようかなと考えてはいたんですが、それは、今後のぼくのアイドル語りの参考になるはずなので、今回は省略します。 ぼくが上記のエントリーでとりあげたのは、以下の動画での東浩紀の発言でした。 エラー|NHKオンライン だけど、この会話の流れは、全体を見ないと、わからないかもしれませんね。以下から全部が見られます。 エラー|NHKオンライン ぼくが言いたかったのは、彼と同じようにぼくは萌えという現象をとらえている、ということでした。で、おそらく、ぼくのエントリーがきっかけで広まった「誤解」について、東本人からレスをいただきました(ぼくに対するレスではないでしょうけど)。 ラブプラスをやっているやつは現実と虚構を混同している」と発言したことになっているらしいが、そんなこと言ってないよ。 http://twitter.com/hazu
今日はクリスマスイブですが、それはそれ、これはこれ。 先日、12月4日にNHKのBS2で放送された「ザ☆ネットスター! 09’12月号」、その番組終わりの座談会。 【参加者】 立川談笑 喜屋武ちあき 白石稔 東浩紀 真田アサミ エラー|NHKオンライン そこでの東浩紀の萌えについての発言が興味深かったので、重要だと思われる箇所を抜き出しておきたいと思います。 ぼく、ラブプラスって途中で放置して終わったわけだけど、あれってあの女の子3人しかいないんだよね? トゥルーエンドで4人目とか出てきたりしないんでしょ? がっかりだよねえ。 ゲームの性質が違うんだよなあ、ラブプラス。ゲームの性質っていうか、3人のうち誰にも萌えないんだけどね。キャラクターのバリエーションが少ないですよね。あれは基本的には、コナミだし、ときメモの現代版、ときメモ+ニンテンドックスということなんですけど、基本コンセプトは。そ
おととい、id:POGEさんとネットラジオ「アイドルマスターがアイドルだ」をやりました。最初は自分がホストで始めたのですがトラブルが解消できなかったので急遽押井さんid:ositoにホストをお願いしまして、22時に再スタートで3人のトークとなりました。ゲームにまったく興味のないぼくが、アイドルマスターがアイドルだと強く主張するPOGEさんにアイドルとは何かという質問をする。それが当ラジオの目的でした。 開始後0:50くらい ぼくはPOGEさんにアイドルとは何か?と訊いた。 すると 「アイドルとは存在しない神」 「存在しているアイドルは語義矛盾」 「バーチャルアイドルこそが本来のアイドル」 だから 「アイドルマスターがアイドルだ」 ということ、だというのです! これには反論のしようがない。「アイドル」という言葉の意味を厳密にとらえると、これ以上語りようがないはずなんです。そうなると、なぜぼく
※ただの垂れ流しなので内容はありません はてなのコミュニティを指して、「はてな村」と呼ぶことがある。このたった一言に、さまざまな意味が込められて使われているようだ。無理矢理まとめると、観光には楽しいが、よそ者はちょっと入り込みづらく、でも本気で住民になってしまうと居心地がいい、といったところだろうか。 http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/2007/10/15/ それは、はてな自体がマイナーであること、そして、取り扱われる話題や盛り上がりかたにある傾向がみられ(偏り)、だから、外からみるとかなり独特の世界のように映る、ということだろうと思う。はてなダイアリーで人気のあるブログの書き手を、ぼくははてなアルファと呼んでいますが、彼らをはてなブックマークでもよく目にするようになって、現在のはてなはブクマを中心に動いているらしく、ブク
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破のネタバレを含みますが、基本的に綾波レイの話だけです。 アスカについては何も書かないつもりなのですが、「破」の感想としてアスカにふれないのは何となく申し訳ないので、きっちり書かれているたまごまごさんのエントリーをぜひとも読んでください(^^) 新世紀エヴァンゲリオンという作品をぼくは面白いものとして楽しんだのは間違いないのですが、ぼくがその「旧作のエヴァ」について多少面白くないと感じているのは、6話まであれだけていねいに綾波レイというキャラクターを描いていたのに、話が進むにつれてどんどん彼女の描かれかたが雑になっていったことだった。 作品そのものも20話が実質的な最終回だったと感じた。それは、20話の出来の良さもそうだけど、21話以降は何となく惰性で作ってるんだみたいに感じてしまったからだ。シンジと綾波の行方もEOE*1にて確かに最後まで描かれていた。だから特に
きのう書いたはてなハイクへようこそ! - activeエレンが自分でもわけわからくなったので、もう一度書き直してみたいです。 Twitterと違ってハイクにはキーワードがあります。これがわかりづらい。では、どうしてそうなっているのでしょうか。 もともと、ハイクとは俳句を意味するものでした。つまり、あるお題について俳句を書くというのが当初のコンセプト。句会で出されるお題、つまりそれがハイクキーワードなのですね。ちなみに、ハイクの初期には五七五で書くことがルールとなっていました。 ハイクキーワードというお題について書くのがハイクのコンセプトなのですが、お題なしで書き込むことも可能です。それが、IDページへの書き込みです。ちなみにぼくのIDページはhttp://h.hatena.ne.jp/id/ealです。 すべてのハイカー(ハイクを使うはてなユーザー)が自身のIDページにのみ書き込むだけなら
※今夜こっそりねとらじでしゃべった内容をまとめてみました はてな内でいま最もマイナーかつ独自の盛り上がりをみせている、はてなハイク(以下ハイクと省略)。これまでははてなユーザーのなかでもごく一部のひとたちだけが使う、あまり知られないものでした。先日のはてなプロフィールのリリースやそれにともなうはてな各サービスの連携などで、はじめてハイクの存在に気づいたかたもいるかもしれません。 はてなブックマークと同じように、ハイクもまた、よくわからないものと映るようで、ぼくも最初はまったくわけわかりませんでした。ハイクはいわゆるミニブログ、わかりやすく言えば、はてな版Twitterです。ところが、はてな独自のキーワード文化がはさまってくることで、Twitterよりも、わかりにくい印象が強いのだろうと思います。 Twitterには基本的に、自分の使う(見える)二つのページがあります。ひとつは、自分の気に入
はたしてまとまっているのか... (以下本文) 最近、はてなハイク界隈では「おにゃのこ」という言葉をめぐって論争のようなものが起きています。ことの発端は、女の子にTwitterを流行らせよう企画 - おもヤロ!というエントリーでした。ここに書かれた内容よりも、女の子を「おにゃのこ」と呼称してしまったことに、一部のはてなユーザーが反応したようなのです。(以下、はてなブックマーク - 女の子にTwitterを流行らせよう企画 - おもヤロ!より抜粋) あんまりがっつきすぎるのは逆効果のような気が。今も女性ユーザー結構多いしオフでも見かけるよ?「おにゃのこ」とか特別に騒ぐから参加しづらくなるってのはあると思う。 id:riko 私スイーツですし出会いの恩恵はたくさんありますけど、「おにゃのこ」で激しく鳥肌立つ… id:moet-bois とりあえず、あたしが¨おにゃのこ¨にカウントされないのはよ
NHKの「復活?真剣中年しゃべり場」という番組に富野由悠季が出演。番組の作りはいかにもNHKという感じの堅苦しい作りなんで、見ていてつらかったけど、富野さんはけっこう切ってた。 番組の内容は「最近の若者はどうなんだ?」みたいな感じで、まあよくある典型なので省きます。 若者のコミュニケーション不全や依存の問題と、メールなどのテクノロジーとは、分けて考えるべきだという、富野さんの主張。これが最も印象に残った。メールがあるから依存症になる、のような論法は間違っているという。なるほどなと思った。バカはそう思いがちだからねえ。 勝間という女が、自分はいちにち100通ほどメールのやりとりがあるということを言っていて、富野さんは「メール100通とかおかしい!」。富野さんが言うには、そんなにメールばかりやってるような奴は暇なんだし、そういう奴はしょせんその程度の中身だし、本当の友達として選ぶんだったら、も
萌えはヲタクにしか理解できない感覚なのだとされる。では、ヲタクを自称する人間は全てヲタクなのか? いや違うヲタクは自称などしないものなのか? まあ自称などしなくても他人から見てヲタクにしか見えない人間は間違いなくヲタクなんだけど、単なるマニアをヲタクといっちゃう人もまだまだ多く、非常に困っております。 ヲタクとは誰のことか? そんなことを考えるのは、実はそんなに意味のないことである。「社会のヲタク化」などという主張とは、たいていの場合否定的な見解であるのだが、実際はどうなんだろう? 個人的にはウェブ2.0化する社会=ヲタク化する社会だととらえていて、それは肯定的でもあり否定的でもある。要するに、これからの人間のありようを模索する上での検討課題なのである。 それはともかく、ヲタクは増えているように見える。それはどうしてだろうか? ヲタク取りがヲタク ブログやSBMなどによって構築された、容易
今の私にはライトオタク言説は倒せん。 なっち、私を導いてくれ。 かつて、ニュータイプという思想があった。機動戦士ガンダムというアニメ作品にて示された、人と人とが誤解なく分かり合えるという思想。富野由悠季(ガンダムの監督)自身が、あれは方便であったと言及した。そしていま、ニュータイプという思想について語る者は誰もいない。 しかし、当時のインパクトはいまだぼくのなかでは衰えていない。 いまになってふりかえると、メタレベルでの理解こそがニュータイプであると感じる。ネットにて初めて実現した、日常生活(地域レベル)では得られない趣味レベルでの出会いとはメタレベルでの相互理解であると、ぼくは確信する。はてなブックマークなどでのクネクネや罵倒合戦には色々と問題があるだろう。 逆立ちしたって人間は神様にはなれないからな。 でも、ネット経由での人の出会い(オフミーティング)とは、真のリレーションシップである
また「含む日記」がえらいことに…… これです、先日ぼくが申し上げた現象 こういうときは、はてな先住民としてのハロヲタクラスタが忽然と姿を現す http://b.hatena.ne.jp/y_arim/20090228#bookmark-12293781 あれ、どんな話だったっけ? 思い出せない。 えー多分あれかなあ。どうしてハロヲタはブクマしないでブログに書くんだろうってことだったかなあ。 で、ぼくのブクマに対するスタンスの話なんですが。 ブクマすることそのものが手段ではなく目的となるような場合がある。本来であれば、ブックマークしておきたいからブクマするわけです。しかし、自分のブラウザではなく公開ブックマークであるはてブにブックマークすることが日常となるなかで、そのブクマのページそのものを見て楽しむという面白さが生まれてきた。誰がブクマしたか、また、ブクマ数は多いか少ないか。そして、はてな
久しぶりにいとこの女の子たちと話をして、どうやらぼくが非モテなのは、ヲタクであることに原因があるのではなく、被害妄想がそうさせているらしいことに、ぼくはようやく気がついた。 アニメヲタクであれアイドルヲタクであれ、リアル彼女がいる者はいるし、いない者はいない。この違いに、ぼくは気がついていなかった。ヲタクだからモテない、すなわち「ヲタク=非モテ」なのでは、決してない。非モテ要素のないヲタクが決して少なくないこと、どうしてそういう「不条理」(ヲタクならばモテないのが当たり前なのになぜヲタク間での格差が生じてしまうのか/リアル彼女のいる奴らはニセヲタクだのような怨みつらみ)を感じてしまうのかを、ついさっきまで気がつかなかった。 はっきり言って、ぼくの大半は被害妄想でできている。それを取り除けば、ぼくは女性関係で困ることはなくなるだろう。だけど、それをどうやって取り除くのか、その方法がまったくわ
ここ最近の、アイドルの恋愛について語られたやりとりの一部を、自分用の覚え書きとして、貼ってみる。 アイドルは、やはり絶対に恋愛をしてはいけない バレようがバレなかろうが、とにかく男女交際は厳禁 ハックルベリーに会いに行く 「恋愛の圧力釜」という一種のハングリーさがアイドル自身を磨くというのはありそう。ただ、恋愛をすることで愛を歌で伝える表現力が向上するメリットもあるが、そのメリットはアイドルにとっては薄そうだとも思う。 http://b.hatena.ne.jp/BluePhobos/20080914#bookmark-10001669 ①「アニメ・まんがは「作品」であるが、アイドルは「存在」がまぎれこむ」ということだ。 ②「アイドルがリアルタイムで進む現象であるということ」 ③アイドルが「愛」という概念と絡むということ アイドル論はなぜ成り立ちづらいのか - 斧屋のアイドル領域 相手を思
非モテ問題を考える前に。 非モテはなぜ気持ち悪いのかを、考える前に。 (自分用の覚え書き) 基本的に、国内のブログでは、書き手はハンドルネームを名乗る。一方でネットには、2ちゃんねるのように、無記名で書き込みがなされる場所もある。 はてなのサービスのなかに、加入者であれば無記名で投稿可能なブログ「はてな匿名ダイアリー」がある。そこでは、自分のブログでさえも書くことがためらわれる、いわゆる「ぶっちゃけ日記」が、毎日のようにアップされている。 ここ最近、この匿名ダイアリーにて活発に書かれている、非モテ男性のネガティブな言動は、はてなダイアリーの一部の層を巻き込んで、ちょっとしたブームとなっている。 オタク仲間の友人から突然告白されたことがある 彼は食事の間中、俺はこれまでの人生でこんなダメなことがあって、人と上手く付き合えなくって、オタクで収入も少ない的なことを延々と私に話し出したのである そ
そもそも、「書かれるべき」というのが、単なるぼくのエゴでしかない。 偉そうに上段から構えてペダンティックにものを言うよりも冗談で笑わせるほうが、説得力があるように感じる。興味のないことについて長々と論じても、誰も読んでくれない。ぼくは斎藤環や東浩紀の論説を支持するのだが、これが一般的に広まらないのは、そこに笑いの要素がないからなのかなあ、なんて感じる。ブログに熱心なひとたちは、評論などの本を熱心に読む。だけど、一般的なひとたちは、そんな本など読まないし、そのような、評論のにおいが強いブログなど、読まない。そして、閉鎖された村内で「アルファブロガー」なんていう、くだらない優劣が生まれ、ますますブログ(評論界隈)は閉鎖的になっていく。 これまで人類は、論ではなく「なんとなく」生きながらえてきたのだし、なるようにしかならない。おたくや非モテが今後どうなるのか、淘汰され絶滅するのかは、ぼくが決めら
わかっているひとには「今さらなんで?」、わからないひとにはさっぱりわからない、この虚構主義について、いま一度おさらいしておきます。 アニメはくだらないのか? 現実逃避とは、単なる逃げであるとされる。現実と立ち向かえ、などとよく言われる。アニメなどのコンテンツとは、ヲタクにとって理想そのものであり、だからそれは現実ではないので、程度の低いものとされる。そのような、例えば、実写の映画やテレビドラマのほうがアニメよりも現実っぽいので格が上だというような見方は、一般的に常識だとされている。 なぜ、そのような間違いがまかり通るのか。実写であれアニメであれ、何らかの意図に基づいて作劇されたものであり、作り物であるという点で両者に違いはない。 おそらく、ヲタクが興じる、妄想するという行為(萌え)が、恥ずかしいものであるという認識があるのだろう。アニメの登場人物とは、画に描かれたものであり、描き手の理想が
僕が感じるそれらの萌え絵の嫌な所は女の子の服装や髪型のダサい事です no title なぜダサいのか。理由は3つ。 まずひとつは、デザイナーにセンスがないから。こればっかしはしょうがない。梅津泰臣と永野護だけでしょ、センスあるのは。 ふたつめは、アニメってのは典型の組み合わせだから。ただ可愛い画を描けばいいってわけではなく、動かしやすさが最も優先される。配色なんかも含めて、あまり凝ったことは敬遠される。基本的に着ているものはいつも同じでなければならない。 みっつめ。デザインには金がかかる。ファッションを研究するには、雑誌を購入したり(購入費)、街中に出て観察したり(人件費)、そして、そこにかかる金ってのはデザイナーの持ち出しである。要するに、予算不足なんですね。キャラデザインのファッションの質とは、例えば、人気の声優を使う(ヲタクが喜ぶ)ような、売上に直接響く要素ではない。 カラスを描けと
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