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d.hatena.ne.jp/satosuke-428125
ダイアモンド社のサイト「ダイアモンド・オンライン」の連載コラムのひとつ、森達也氏の「リアル共同幻想論」がある。今回は、死刑制度について書いている。以前勝間和代氏が司会を勤める「デキビジ」に森氏が出演、トークを展開していったが、それ以前にも視聴者からのコメントが多く寄せられたが、その内容が批判というより誹謗だったそうだ。 この人らに聞きたい。被害者遺族のことは考えているのか?と」 「親・兄弟・友人・恋人…、そういった人が殺されても同じことが言えますか?「言える」のなら、人間性を疑います」 他にも罵倒と言えるコメントが寄せられたが、どれも「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と信じる人たちが発するものばかりだ。 しかし彼らは、決してそうした体験はしていない。むしろ被害者遺族のことを思って発しているのだろう。 そうした「被害者遺族のことを想像しているのか」という問いに、森氏はこう答えている。
どうやら石原慎太郎芥川賞選考委員の逆鱗に触れたのは、『共喰い』(集英社)の田中慎弥氏ではなく、円城塔の『道化師の蝶』(講談社)だったそうだ。それで選考委員を辞任したのだから、相当うんざりしたのであろう。田中氏の「もらっといてやる」発言は、一方的な挑発に終わった感じが強そうだ。 こうした言葉の綾とりみたいなできの悪いゲームに付き合わされる読者は気の毒というよりない。こんな一人よがりの作品がどれほどの読者に小説なる読みものとしてまかり通るかははなはだ疑わしい。(文藝春秋三月特別号 選評) 自分のことを棚上げにして、いけしゃあしゃあと貶すものである。こうした言葉の綾取りみたいなできの悪い選評に付き合わされる円城氏や読者は気の毒というよりない。作家を失格して政治家になった都知事閣下の貴様になんぞ、文学作品を貶す筋合いはねえ!(「もらっといてやる」発言に匹敵する言葉を投げてかけてみました) それはさ
ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにするな みずから水やりを怠っておいて (中略) 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ この詩の作者は、茨木のり子。彼女の有名な詩のひとつである「自分の感受性くらい」の一部である。 NHKの人気番組「おはよう日本」で昨年、茨木のり子が取り上げ、話題となった。日本の詩人は数多くいるが、そのなかでも、茨木のり子はポピュラーな詩人のひとりといえよう。「自分の感受性くらい」が有名になったのは、学園ドラマの祖「3年B組金八先生」だったか(間違いでしたら、ごめんなさい)。この詩は思春期や心の迷いを抱えた人たちに衝撃を与えたことだろう。しかし、疑問に思う。彼女はなぜ、この詩を書いたのか?一体何のために? 茨木のり子の人生を描いた『清冽 詩人茨木のり子の肖像』が先頃中央公論新社から発売された。著者はノンフィクション作家の後藤正治氏。意外だったが、現代詩に関心がある
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