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ノーベル賞
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エーコの『薔薇の名前』 [第五日]一時課:キリストの清貧をめぐって激しい論争が交わされる。 霧深い朝だった。会談の行われる部屋に入ると、双方の使節団が着席して対峙していた。ウィリアムは記録をとるためにアドソを小さき兄弟の修道士たちの側に座らせた。先ずアッボーネが彼の立場から近年の事態を要約した。そして1322年にミケーレ・ダ・チェゼーナの指導のもとでペルージャで行われた小さき兄弟の修道士たちの総会が、キリストが完全な生活の模範を示すために、また使徒たちが彼の教えに従うために、いかなるものも決して共有しなかったことを決定し、この真実は、健全でカトリックな信仰の土台だとしたということを思い起こさせた。そして1312年のウイーン公会議はこの真実に従ったものであり、1317年に教皇ヨハネス自身、Quorundam exigitで始まる小さき兄弟たちの状態についての勅令において、その公会議の決定を聖
定型詩と伝統の問題 (1) わが国の近代詩が西洋の詩の模倣によって出発して以来、われ われは西洋における詩の流行変遷に対して実に敏感に反応してきた 、たとえその反応がつねに末梢神経的であり、歪曲されたものでし かないとしても。しかしわれわれは西洋の詩の枝葉を見て、その根 や幹を等閑に付してきたと言えないであろうか。いく世紀ものなが い伝統を通して鍛えられてきた言語芸術を、われわれはその伝統を 無視して安易にその皮相のみを受けいれてきたのではないであろう か。しかもわれわれは言語の決定的相違を飛びこえて、詩の意味や 思想のみを問題にしてきたのではなかろうか。しかしかかることこ そは詩において許されえない撞着的理解である。しかもわが国の近 代詩をして、散文と詩との混同、詩の観念のあいまいさ、狂気じみ た言語の混乱、散文への隷従という道を歩ませたことなのである。 実際、現
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