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ノーベル賞
dokusyotyu.hatenablog.com
昨日、なんとなしに新聞を読んでいたら「移人称小説」なる言葉を見つけた。以下、日本経済新聞2015年8月22日の40ページを読んだ感想などなど。 移人称小説? 不勉強なため、その単語を知ったのはそのときがはじめてだった。とっさに移民をテーマにした小説のことかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。 移人称小説とは「作品内で人称が移動する小説」のことらしい。例として、藤野可織『爪と目』の一節がひかれている。未読なため孫引き。 はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。 すごい。わけが分からない。でも、わけが分からない小説はわくわくする。 「爪と目」では3歳の「わたし」が知るはずもない義母の「あなた」の過去や生活の細部を語る。「現代は他人とものの見方が異なることが前提となっているように思う」と藤野氏。だから「(小説で視点を固定する)一人称も三人称の語り
今週のお題「読書の夏」 『ほかの誰も薦めなかったとしても今のうちに読んでおくべきだと思う本を紹介します。』、長い題名だ。だけれども、惹かれる題名である。 今のうち、とはいつのことか。それははっきりしている。14歳。河出書房出版社の「14歳の世渡り術」シリーズの一冊。14歳のために書かれた本を、一回り近く年をとってから読む。私が14歳のころには、このシリーズはなかったか、もしくは、自分の狭い世界には存在しなかった。こんなシリーズが世にあることを知ったときには、私はもう大学生だったし、だからこそ、このようなシリーズものの本を手にすることに抵抗はない。中学生のころの自分は、「14歳の世渡り術」なんて本、恥ずかしくて手に取れなかっただろうと思う。今の私が、20代向けに書かれた人生論を手に取ることができないように。 30人の読書案内 さて、この本。本のための本である。本のための本は私の大好物だ。 帯
引っ越してから2ヶ月。新しい町にも徐々に慣れてきた。 新生活も慣れてしまえばただの日常。新鮮な驚きも日々の煩わしさにかわる。 そんな日常の日々でちょっと悩んでいることがある。新聞だ。 一人暮らしの皆さん、新聞は購読していますか。 当たり前のように購読している方、キオスクやコンビにで時々購入する方、情報収集はネット派ですという方。生活の形だけ新聞との付き合い方もあるだろう。 現在、私は新聞を取っていない。 それが何の問題があるのか。問題は私が新聞が好きなことである。では、購読すればよいではないか。そう、購読すればよい。しかしそこに立ちはだかるのは、悲しいかな、低所得という名の壁である。 学生時代は、研究室や友達同士でお金を出し合って新聞を購読していた。ちょっと高い研究に関係ある分野の専門誌も友人とお金を出し合うと月千円ほどの負担で済んだ。それを一人で出すとなると、一般紙でも月4千円。 4千円
ときどき児童書というか、児童文学を読みたくなる。 とはいっても「子ども向けに書きました!」というような本(学校を舞台に子供が活躍する、みたいな)ではないもの。 対象年齢でいえば、小学校高学年や中学生向けの本になるのだろうか。中学生向けに書かれた本なんかに需要があるのかしらと思わなくもないが、私のような「子供むけの本を読みたい大人」が一定数いるのかもしれない。中学生にもなれば、大人が「子ども向け」とラべリングした本ではなく、各々の好みに合わせたジャンル小説なり文学なりを読むだろう。ラノベもあるし。 幸いなことに、近所の図書館には私の需要に合うような本が「子ども向けコーナー」とは別に「児童書コーナー」としてまとまっている。そのような棚から見つけた一冊を読んだ。 ジョン・メイスフィールド『ニワトリ号一番のり』。 福音館古典童話シリーズ。このシリーズ、デザインも「いかにも」といった感じで好き。 そ
疲れている。 用事があって横浜まで行ってきた。夕方の飛行機で田舎町に帰って来て、夕食を食べ、今この文章を書いている。そしてとても疲れている。 久しぶりに都会に出たせいか、長時間歩き回ったせいか、昨夜見た嫌な夢のせいか(教授にハードな実験日程を組まされた夢だった)、それとも時間つぶしとして読んでいた本のせいか。 一泊二日の旅程のなかで、本を二冊読んだ。二冊も読む時間があったら勉強しろよ、自分。たぶん、さぼって本を読んでたから、実験の夢なんて見たのだと思う。やけにリアルな夢で、起きぬけの頭で、実験予定は現実なのか夢なのかとちょっと混乱していた。 中上健次の中短編集『岬』感想 ところで、読んだ本の一冊が中上健次の『岬』であった。これが面白いが、疲れる小説だった。 中上健次といえば、1月17日に河出文庫の『枯木灘』『十九歳の地図』で、新版で出た。二冊とも去年買ったばかりだ。なんだか損した気分。『枯
学生の本分である学業で忙しいのと、にも関わらず、ドストエフスキーの長編小説(『白痴』。新潮文庫で300ページくらいしか読んでいないけど、なんだか恋愛小説っぽい。面白い)を読み始めてしまったので、なかなかブログの記事を書く時間が取れない。ぼおっとネットサーフィンしている時間を削れば良いだけといえばそうなのだけれど。それでも隙間時間にちょっとずついろいろな本に手を出している(『詩のこころを読む』『ゾウの時間ネズミの時間』『大いなる不満』などなど)。 学生最後の春休みのことを考えている。普通は卒業旅行などへ行ったりするのだろう。残念ながらお金がないので(就職を期に引越し&車検)、特にどこへも行く予定はない。 最後のモラトリアム、やっぱり本を読んで過ごしたいなと思う。 学生時代、ひとつやりたいことがあった。 「引きこもり」である。 半年程ひきこもって、ひたすら本を読んでいたかった。誰にも会わないで
クリスマスである。今年は24日25日ともに平日であることもあり、普段通りに過ごしたという友人が多かった。私も例に漏れず、どちらの日もいつも通り学校にきて、実験して、論文をまとめていた。ネットを見ると、リア充を羨むあまりクリスマスまで憎むような人間もいるようだが、私自身はクリスマスを過ごす友人や恋人がいなくとも、クリスマスは好きだ。 12月に入るといつものスーパーもクリスマス色に染まる。華やかなディスプレイに、BGMのクリスマスソング。影響されやすい人間なのでそれだけでなんだか楽しくなってくる。売っているもの、クリスマス商材はどれもこれも美味しそう。例えば、肉売り場には手羽に骨付きもも肉に、普段は並んでいない丸鶏まで並んでいる。各種オードヴルやちょっといいハムやベーコン、どれもこれもちょっとずつ食べてみたい。ああ、美味しそう。この時期だけのものが食べられる。それだけでもいいことじゃないか、ク
今週のお題「2014年のお別れ」〈2014年をふりかえる 3〉 体調を崩したり(クリスマス会・忘年会欠席)、車が壊れたり(ファンベルトとバッテリーの交換2万円)、論文が進まなかったりと(休んじゃった)、散々な週末だった。図書館も本屋も行けなかった…… 思い返せば2014年はなかなかに辛い年だった。そもそも正月からついてなかった。生まれて初めて、初詣のくじ引きで「凶」を引いてしまったのだが、まさにその通りな年であった。「願い事 叶わず」「学業 実らず。淡々と精進せよ」。 しかも今年の「辛さ」は、具体的な辛さではなく抽象的な辛さだった。身内に不幸があった、失職した、生活が苦しい、一家離散、健康を損なった……といった分かりやすい、ある意味共有しやすい具体的な原因を伴った辛さではない。世間の一般的な物差しから見れば、2014年の私は昨年に引き続き十分に恵まれて幸福であった。それは分かっている。 け
先日晒した本棚写真。今更ながら恥ずかしくなってきた。 本棚の写真が印象的な読書エッセイを読んでいる。ちょっと前から気になっていた読書エッセイ『乙女の読書道』。題名に「乙女」って。なんだか恥ずかしい。しかし表紙写真――著者と思われる若い女性とその背後の文庫で埋め尽くされた本棚、しかもハヤカワSFがいっぱい――の魅力に惹かれ、思い切って手に取った。私の本棚とは雲泥の差である。 著者は池澤春菜さん。誰?と思い、裏表紙の著者紹介を読む。 ギリシャ生まれ。声優、歌手、エッセイスト。 おお、なんだかすごい。 幼少期から年間300冊以上を読み続ける活字中毒者として知られている。日本SFクラブ会員。父は作家・池澤夏樹、祖父は作家・福永武彦。 なんと池澤夏樹の娘さんらしいです。いやそれよりも年間300冊という冊数。別にたくさん読める人がすごいとは思わないが、それでも自分よりたくさん本を読んでいる人は尊敬して
本棚晒しのついでに本の整理をした。 その後さらに整理を続け、文庫は日本人作者棚と翻訳物棚に大雑把に分けた。 雑な分類だが、今まで整理された本棚というものを持っていなかった私は、それらの棚を見ては一人悦に浸っている。 1年以上かかりながらも『屍者の帝国』を読了し、なんだかもやもやしつつ寝た日の翌朝。大学に行く前に、この棚をなんとなく見た。棚の中で目を引いたのは緑の背表紙。文庫で並ぶ倉橋由美子。倉橋由美子はここ数年でハマった作家だ。まだまだ読みたい未読本がある。しかし倉橋由美子の大部分の本は絶版である。電子書籍としては売っているようだが、私の持ってるリーダーには適応していない。二人称作品『暗い旅』とか読んでみたい。 ネットで買えばいいじゃんと言われればその通りなのだが、ネットで買い集めたい気分ではない。今並んでいる本たちは古本屋で見つけてはその都度買ったものである(『パルタイ』だけは新刊で買っ
第0回、第1回に引き続き、【第2回】短編小説の集いに参加させて頂きます! 三人称推奨とのこと。ごめんなさい、一人称です。それから、来月参加できるかどうか分からないので一足早くクリスマスネタで。よろしくお願いします! 『ホワイト・クリスマス』 星の見えない曇天の夜。星明りに代わり、街はネオンの人工光に照らされていた。12月24日金曜日。クリスマスと週末が重なった今日、道路には多くの人が溢れている。時刻は二十時半。早めの夕食を終えたのであろうカップルたちが、何組も何組も俺の前を通りすぎていく。 目の前には不味いコーヒーと冷めてしまったポテト。それからアリバイ作りのように置かれた小さなノートパソコン。24時間営業のハンバーガーショップは、普段より客が少なかった。うるさく騒いでいた高校生の一団が去ると、店は急に静かになりBGMのクリスマスソングがなぜかもの悲しく聞こえた。座っている席が入口に近く、
私の中のアガサ・クリスティランキング1位は『アクロイド殺し』であった。シェパード先生大好き。 が、まさかの非ミステリ小説がこの座を奪おうとしている。『春にして君を離れ』、めちゃくちゃ面白い。 人は死なない、探偵も出てこない、イベントすら起きない(基本的には主人公が砂漠の中でひたすら考え事をしてるだけ)。にも関わらず、物語世界に引き込まれなかなか戻ってこられなかった。何がこんなに面白いのか。裏表紙の内容紹介には「ロマンチック・サスペンス」と書かれてあるが、まずロマンチックではない。むしろ主人公が、リアリスティックに今までの人生を振り返る物語だ。 サスペンスでもない。いや、主人公にとっては、自分自身が気づいていなかった自分、自己中心的で愚かしい自分を知ってしまうので、サスペンスかもしれない。 私たち読者は、主人公ジョーンが愚かしい人間であるということを早々に気づいてしまう。彼女は自分の尺度でし
読書感想ブログを書いているのになんだが、基本的に読んでいる本を知られたくない。 理由?そりゃあ、恥ずかしいからだ。 こんな本読んでいるんだと思われることが恥ずかしい。 自分の頭の中を晒してしまうようで恥ずかしい。 自意識過剰なのは分かっている。 仲の良い友達だったら良いのかといえばそうでもない。むしろ仲のよい友達にこそにこそ知られたくない。大学で本を読むときは、本屋大賞受賞作的無難な小説や新書の類でごまかしている。ディープな本は一人だけの部屋や移動時間にこっそりと読む。そして無名な一人間としてネットで晒しているのだ。 一冊の本でさえ知られたくないのだから、それらの集合体である本棚は誰にも見られたくない。 が、見られたくないという気持ちの奥には、やっぱりちょっと見て欲しい、みたいな天の邪鬼的気持ちもある。実はこんな本読んできたんだよ!って言いたい。 こんな気持ちに気づいてしまったのも、下記ブ
読みました。例にもれず幼稚な感想で申し訳ないのですが、感想文を書いてみました。 記載順は下記公式ページの順番に従います。 『かつて‐そこに‐あった』 『明るい部屋』は未読です。そのため物語の全てを感じることはできなかったのですが、面白く読めました。最後の「腕がうつりこんだ」写真ということは上司と誰かが一緒に撮ったということなのでしょうか。それからぜろすけ様の感想を読んでから、上司の性別が気になってしょうがないです。私は男性だと思って読みました。 『ツナガル』 ド直球ないい話。前作に引き続き、心の汚れきっている私にはどうしても出せない「暖かさ」が文脈から立ち上っています。自分なら同じシチュエーションでシリアス風味な怪奇譚にしてしまうと思う。いい話をいい話として書ききることは凄いことだと思う。それから脇役のピースケがよいと思います。 『ハロウィンの思い出』 出来ごころからの悲劇。オチに驚いた。
【第1回】短編小説の集いの投稿作品のうち、テーマAの分を読ませて頂きました。「ハロウィン」と一言で言っても様々な作品があり楽しかったです。 せっかく読んだので感想を書こうと思い筆を執った(メモ帳を立ちあげた)のですが、なかなかうまい言葉が見つかりませんでした。作者の皆様には申し訳ないのですが、小学生並みのクオリティーの感想です。というかもはや感想ではなくて私的メモです、すみません。 (順は短編小説の集い公式ブログ「のべらっくす」の「投稿作品一覧」での順番に準じました) 『おばあちゃんのかぼちゃ』 サクッと短いホラー。出てくる道具立てはハロウィンということで西洋的ですが、作品の怖さの質はどちらかといえば日本的な気がしました。怪談的、都市伝説的。 『取り繕い』 「不正は正さなければならない」というセリフが象徴的な、サークル内恋愛戦争のお話。ホラーではないのに、どろどろしており良いと思います。ハ
10月はあっという間に終わってしまった。もう次の金曜日が31日。ハロウィン。 ハロウィンにかこつけての飲み会があるのだが正直出たくない・・・・・・最近、飲んだ翌日に二日酔いからの偏頭痛に見舞われるようになってしまい、翌日のことを考えると思いっきり飲めなくなってしまった。酔って楽しむのは嫌いじゃないんだけど。 そんなことはどうでもいい。ハロウィンだ。 ハロウィンだから選んだわけではないが、最近読んだ短編集がハロウィンにぴったりな感じだった。 ビアスの『アウルクリーク橋の出来事/豹の目』。 これはいわばアメリカの怪談だ。妖怪は出てこないが幽霊はいっぱい出てくる。 ハロウィン=アメリカ作家の怪談、ハロウィンの専門家からすれば怒られてしまいそうな図式だが、ハロウィンについては「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!」と目をくりぬいたカボチャぐらいのイメージしかないので許してください。 ちなみに我が田舎町に
【第0回】短編小説の集いに参加させて頂き、思いのほか小説っぽいものを書くことが楽しかったので、今回も参加させて頂きます。 テーマは「B 写真」です。4637字。 よろしくお願いします。 『おばあさんの思い出』 恵美子の思い出の中にはいつもおばあさんの姿がありました。幼いころ近所の公園に連れて行ってくれたのはおばあさんでしたし、友達が遊びに来た時にお菓子を出してくれたのも、遠足のお弁当を作ってくれたのもおばあさんでした。 「ただいま」 恵美子が中学校から帰ると、いつものようにおばあさんは台所に立っていました。 「恵美ちゃん、おかえり。学校はどうだった?」 「いつもどおりだよ」 共働きの両親に代わり、掃除をし、食事を作るのがおばあさんの仕事です。おばあさんは白菜を洗いながら恵美子に話しかけます。恵美子は鞄を置き、制服のリボンをはずしながらおばあさんに答えます。 「算数のテストが返ってきたんだろ
ぜろすけ様の呼びかけで開催された第0回短編小説の集い。応募作は40作を超えるとのこと。すごい。 先週末、応募作品に一通り目を通しました。 個人感想募集とのことですので、少し書いてみます。全部の感想を書く筆力がないため、気になった作品を5点をあげてみます。すみません。順番は適当。 文学的な価値というものがどこで決まるのか私はまったく無知なので、客観的な良し悪しではなく個人的な好みで選んでます。(個人ブログにそこまで求めている人はいないと思いますが念のため) 一言感想(である調に他意はないです) ・『金魚姫』by「価値のない話」id:zeromoon様 視点の移動がとてもよい。一人の背後に張り付く系三人称なのに、前半はオトメちゃん、後半は未歌視点。 視点移動という手法自体は良くあるが、前半で感情移入させておいて後半で落とす、というのが利いている。 冷たい未歌が素敵。「歌」、「未」満という名前も
https://novelcluster.hatenablog.jp/entry/2014/09/18/121657 企画に乗っかって、黒歴史時代以降久しぶりに小説もどきを書いてみました。 お題「りんご」。 条件:三人称、5000字以内(4663字) 『発熱』 佐藤氏は寝込んでいた。頭も喉も腹も痛く、鼻はつまり痰は絡み、口で呼吸をするたびにひゅうと胸がなった。激しく咳きごみ思わず上体を起こすと、今度は吐き気が襲ってくる。そんな具合であった。しかたがないので便所に行くか、水を飲むかするとき以外はベッドの上でおとなしく布団と毛布をかぶっていた。このまま孤立死するのかしらん、とも思った。3LDKの家族向けマンションは10年前、佐藤氏が30代半ばのころに購入したものだった。いつか結婚することもあろうと思い購入したのだ。家族は増えず、部屋の一室は物置に、もう一室は置くものさえなく空き部屋になっていた
雨が降り、夏の暑さはあっという間に去っていった。わが田舎町の夏が終わった。 本が読めない。 先週まで一日一冊のペースで小説を読んでいたのだが、その読書の波がぴったりと止まってしまった。一日に10ページ程というスローペースで小説と、勉強の合間に選書・新書をぱらぱらと読んでいる。今週に入ってから、まだ一冊も読破していない。「夏の文庫特集」である今週号の週刊読書新聞も買うだけ買って、まだ目を通していない。 そして今まで読んだ本についても、こうしてブログに書く気がしない。映画についても、ゴジラもマレフィセントも見たのでネタには困らないのに。 読書の波に乗れない自分が少しもどかしくもある。違和感がある。もちろん、趣味に没頭できないからといって困ることはない。むしろ先週のように読書の波に乗りまくっている方が、日常生活を疎かにしてしまい良くないなと思う。 このようなときの対策は経験から十分に承知している
今週のお題「選んでよかったもの」 全国の文房具好きのみなさん、こんにちは。 文房具好き、と一口に言っても各々得意分野があると思う。 私が最も好きな分野は「ノート」である。 日記や読書記録等にはいわゆる「高級ノート」を使っている。 が、私はまだ大学生。 日常的にノートの出番がある。 講義やら論文のメモやら実験結果のまとめやらに、高級ノートは使いにくい。 高級ノートには殴り書きができないからだ。 殴り書きすればよいではないか? 残念ながら私は貧乏性だ。 ということで普段使いのノートには所謂「大学ノート」を使っている。 中学生のころから色々な大学ノートを使ってきた。 格安のものから一冊単位で売っているそれなりのものまで。 あっちこっち行った寄り道を経て、大学生の今使っているノートを紹介したい。 これがマイベスト大学ノート。 私が日常使いしているノートは「大学生協ノート」である。 大学の生協で売っ
中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』を購入。 中島らもという書き手を知ったのは、中学生のとき、母親の本棚を覗き見したときであった。 『心が雨漏りする日には』という本を見つけた。当時『症例A』などの精神病系ミステリやサスペンスを好んでいた私は「心」という単語に反応した。 パラパラと読み、母親はこんな本を読んでいるのかという衝撃を受けたのを覚えている。 そのころから「中島らも」=「なんだか凄い人」というイメージがあるのだが、どうやら間違ってはいなさそうだ。 本書は著者の中学生から大学生までの出来事について書かれたエッセイである。 著者もエッセイに出てくる友人たちや周囲の人々も常識外れで、変な人ばかりである。 変な人、なのにとても魅力的だ。 そしてゆとり世代の私たちが教育によって身につけさせられている「生きる力」とやらに満ちているようにみえる。 もちろん彼の世代の教育は詰め込み型だ。しかも
二日酔いの朝は何もしたくない。 痛む頭で就活についても、人生についても考えたくない。 でも、それではいけないだろう。 なんといっても日曜日。二日酔いでせっかくの休日を棒に振るのはもったいない。 ということで二日酔いでも楽しめるレジャー、映画館へ行ってきた。 観てきたのは『LIFE!』ベン・スティラー監督。 雑誌「LIFE」のネットへの移行は日本でもニュースになった。2007年のことである。 紙媒体は廃止。一度も読んだことはなかったが、時代の流れの残酷さを思った。 そんなLIFE誌の社訓は以下である。人生に前向きになれるような言葉が並んでいる。これだけでお腹いっぱい。映画の中でも繰り返し出てくるキーワードである。 世界を見よう 危険でも立ち向かおう 壁の裏側を覗こう もっと近づこう もっとお互いを知ろう そして感じよう それが人生(LIFE)の目的だから さて本映画の主人公、ウォルター・ミレ
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