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GPT-4o
efs.hatenablog.jp
ふと思った。失敗を書き出してみよう。 いつからだろう。失敗というのが当たり前の感覚になったのは。 サラリーマンの時?いや、そうでないように思う。 サラリーマン当時は失敗のことを「まだうまく行っていないこと」と、呼んでいた気がする。記憶が定かではないが。 本田宗一郎氏の有名な言葉はかなり昔から好きだった。「成功は99%の失敗に支えられた1%だ」でも、実践できていたか?いや、絶対にできていない。 失敗から逃げていた。ただ、ひたすら。逃げるのは簡単だ、考えなければ終わりなのだから。 当たり前になったのは、何をやってもうまくいかないことが普通になった時に感じられるようになったのだと思う。サラリーマンは評価してもらえる。善意の取り組みや、苦労をしていることを否定できる人なんて、そうそういない。厳しいことを言ってくれる人も幸いいたが、マイナスしか言われないということは経験してこなかった。 しかし、独立
ある方に言われて、一瞬ハッとして、それ以降とても教訓として頭に残っている言葉があります。 それは、 「できるかどうかを考えず、やりたいかどうかを考えればいい。やりたいと思えば、必ず"できる"にたどり着ける」と。 その瞬間は、その通りだなと納得したものの、特段、"バットで殴られたような衝撃"ほどまでには感じていませんでした。 しかし、その後、色んな設計や取り組みをしている時に、よくフラッシュバックするようになりました。これはつまり、何かをやる時に自然と「これ、できるかな?」と考えてしまっていたということです。自分ではそんなつもりはなかったのに、、、これはショッキングでした。 最近は、そういう時に自然と上のフレーズが頭に戻ってきて、自分を否定してくれます。 「じゃなくて、それやりたいの?(できるかできないかなんて聞いてない)」と。 「やりたい」と考えたら、方法を必死で考える。 すると、驚くほど
起業して1年強が経ちました。この経過期間だけには何の価値もないと思っていますが、「起業」というものに感じたことを書き記しておこうと思います。 私は、中学2年生の時に、20年後に社長になっていることを目標に決めました。 もしかしたらその前からかもしれませんが、ありがたくも中学校で「20年後の夢」というのを書くきっかけがあり、明確に記憶に残っています。 そのきっかけは、他愛もないことでした。 当時、「お金がない」というドラマのエンディングが大好きで、あんな社長になりたいと憧れたがきっかけと記憶しています。今からするととても浅く、恥ずかしいレベルの思考ですが、それが残念ながら事実のようです。 そして、20年後の34歳になり独立をしました。そんなに綺麗なストーリーではなく、もう猶予がないというとこまで来て選択肢がなくなったというのが真実です。何れにしても目標通り、社長になりました。と言ってもスター
私は、確か書籍から影響を受けたのですが、「迷ったら、苦しい方を選ぶ」ということをいつも意識するようにしています。 この方法に出会ったときは、まさに目から鱗でした。「こんな楽な方法があったのか」、と。 私は、何事においても自分が決定者になる場合、「決断のスピード×質×量」がアウトプットになると考えています。 と言うのは簡単ですが、現実は簡単ではありません。決断する情報が揃う前に判断しなければ、スピードが悪化しますし、早く判断すると質が悪化します。ですので、いつも、判断に迷って遅れてしまったり、早めに判断し過ぎた感があったりしました。 例えば、大学を選ぶ時、就職をする時など、私の中では、感覚を重視して早すぎる決断をしていた気がします。これらの決断を一切後悔していませんが、他の考え方もあったかな、と思ったりはします。 そこで、「迷ったら、苦しい方を選ぶ」という考え方が活躍します。 例えば、大学A
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