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円安とは
fujiitakashi.hatenablog.com
あらまし 友だちをどう作るのか、が話題になっている。今の自分がどうやって作ってるのか、未来の僕のために書く。 学生時代から友人は多い方だったが、ここ数年はコロナのせいで新たに関係を結んだ友人は少ない。昔から、どちらかといえば濃い関係は数人で、あとは浅く広い交友関係を持つスタイル。割と普通だと思う。名前も相まって、芸能人と同じ名前のヤツってどんなヤツなんだろって感じで向こうから来ることもある。お得だ。 友人ってなんだ そもそも友人ってなんだっていう記事もあったりするけど、そこらへんを具体的にしてってもしょうがない。本当は何かしらメリットを享受できる関係であればいいけど、具体的なメリットがない状態でも付き合える関係を友人と、個人的には言いたい。こいつとなら2時まで喫茶店で適当な話できるなっていう関係が友人と言えるかもしれない。割り勘でこっちがちょっと損な金額になっても気にならないとか。ガソリン
昨日、子どもが産まれた。新鮮なうちに出産当日の記憶を書いておく。 出産前日の11/25の15時頃、予定日は12/1だったが、臨月に入り週に一度の検診に行った妻から急に連絡が来た。「なんかいつ陣痛がきて、産まれてもおかしくないから入院する。準備してた鞄持ってきて」割と驚いた。初産のため遅れることはあっても早まることはそうそう無いと思っていたから。後で母親に「これがお産よ」と言われたが元マリナーズの岩隈が脳裏によぎった。 とりあえず、すぐに上司に今日は切り上げる連絡をして、財布だけもって病院まで駆けつけた。道中、歩いていると見たことのある景色が写った。昔住んでいた場所からそう遠くない病院なことにふと気づき、妻が足繁く通っていたのに自分は何も知らなかったんだなぁと。実は妊娠前に別の場所の同病院に行ったきり産婦人科には行けてなかった。それはコロナのせいで出入りに制限がかかっていたからだが、情勢的に
最近の話をすると、やることが固定化してきたように思う。一日のスケジュールはこうだ。 06:00 - 起きる 06:05 - 犬の散歩(ショートコース) 06:30 - 二度寝準備 07:30 - 二度寝 10:00 - 起床 10:10 - 午前仕事開始 12:30 - お昼ごはん 13:30 - 午後仕事開始 17:30 - 犬の散歩(ロングコース) 18:15 - 仕事開始 19:30 - 仕事終わり&夕食開始 21:00 - 夕食から見てるドラマが終わる 21:30 - 風呂入る 22:30 - 風呂から上がってネットを見る 24:00 - 寝る こんな感じだ。リモートワークの弊害は生活の固着化のような気がする。家から外に出ること自体が毎秒サイコロを振るようなことで、何かしら分からないことが起こる。虫が襲ってくるかもしれないし、交差点から子供が飛び出してくるかもしれないし、急に友人か
何故かこの時期に「期待」について考えることになってしまうようだ。まだ三年目ではあるけど、不思議だ。 季節的なものなのだろうか。なんJ民の言う「なんか雨がよく降る時期ってあるよな」という世紀の発見と同じく、これも俺にとっては発見だがみんなにとっては既知の出来事なのかもしれないが。「なんか期待について考える時期ってあるよな」という宣言をここにしておきたい。 今回なぜまた期待について考えたのかといえば、会田誠の講演会でこれは環境型セクハラどうのこうののニュースを見たから。 あとズイショさんの記事を読んだ。 本人はブコメで「ネタバレする義務が発生するのはつまらない」と仰っていて、まぁ分かるわと思った。なお本文は各種ちんこを叫ぶところしか読んでいない。アルマジロのちんこは尖ってると僕も思う。 結局のところ、大学や会田誠に期待するところはなんなのさという話では無いだろうか。僕ならば会田誠の講演には、エ
昨日、友人からこの記事を受け取った。衝撃だった。はてブでは記事が出た当時800近いブクマを得ていたことを知る。ほんともうめちゃくちゃ長いのだが読んでほしい。 politas.jp この記事には沖縄の2018年選挙を通じて、沖縄県民のメンタリティ、そのせいで彼らが抱えている本当の問題、そしてそれが日本の縮図であり、世界から見た日本と全く同じ構図であるということが分かる、と書いてある。 このうち、上からおよそ7分の2くらいの場所にある「自尊心」以下それから半分くらいまでが今自分が置かれている環境や考えていることとリンクしてズシッと重かった。 自尊心が低い人は、失敗(正確には、失敗そのものよりも、失敗によって人から軽蔑されるリスク)を恐れ、挑戦を避ける傾向がある。失敗を恐れる人は創造的であり得ない。自尊心の低い社会から、イノベーションは生じ得ない。 自尊心の低い人は、他人の出方によって自分の行動
梅雨が嫌いかどうか聞かれた。正確には「梅雨、どう思ってます?」だったが。 いつだったか、ここ数週間以内、いや雨が頻繁に降り始めてからだからもっと最近だろう。誰に聞かれたのかも覚えてない。ひょっとしたら夢の中の出来事かも知れない。でも、この質問をされたことは妙に覚えている。 だって梅雨がどうかなんて、嫌いって言ってほしいんだろうなって思うじゃない。でも実際自分が真剣に考えたときの結論は興味があった。 これを聞かれたとき、真っ先には答えられなかった。何故なら、そんなことを考えたことがなかったから。自分の能力でなんとかできないものに対して「嫌い」と言っていたら、人生に辛くなるものが増えるだけだ。四季のうち、好きな果物が多いので秋が好きだが、寒い冬は苦手だ。ただ、嫌いじゃない。日本に住んでいる限り避けられるものではないからだ。もしも僕が寒いのが苦手な大金持ちだったら、20℃を割り込む季節は冬のない
あー、ええと。短めの日記をば。毎日書くように努めているのだけれど、なかなか1,000文字書くのですら億劫になってしまいがちでして。それなら140文字を超えればそれはブログに投稿してよし、というルールの下、こんな風に口語体にしてます。油絵の具にメディウムを塗り込んでかさ増しするかの如く、ブログ書いてます。 多摩美術大学の統合デザイン学科の卒業制作展に行ってきた。個人的には教授陣が豪華で誕生当初からどういうアウトプットをしてくるのか、気にはなっていた。かつ学科第一期生の卒展ということで珠玉の作品が出てくるのか、はたまた普通の美大生の作品と変わらないものが出てくるのか期待をして行ってみた。 自分はデザイナーでもないし、一観客という安全でズルくて責任感の無い立場から投げかけてしまうので、申し訳ない。なので、なんとなく思ったことを箇条書きにしようと思う。タイトルを無題にしたのも、現場の人に気付かれな
WIRED vol.30 國分功一郎と熊谷晋一郎の対談で「アイデンティティ」をテーマに二人で語っている。次に読む予定の本が「中動態の世界」なので、一旦読んでおこうと思ったのと、メモったのでそれを貼っつけておこうと思った。 各章に対して、抜き出したり、まとめたり、一言書いている。 :退屈 いまの人は「きちんとよく噛んで食べる」べき。 非行少年は最もしんどい現象に「暇」と名付け、薬物を使った。 :寂しさ 「孤独」= 自分自身と一緒にいるとき。 「寂しさ」= 孤独ではいられず、他人を求めてしまうとき。 :知覚と記憶 期待や予想を裏切る経験を傷と呼ぶ。 「知覚」=今まさに与えられた傷 「記憶」=過去に与えられた傷 人はそれを回避するはずなのに傷を求める振る舞いをする。新しい知覚の傷をつくることで、古い記憶の傷の痛みを癒すトレードオフの関係になっている。 :物語 同じ出来事が何度も起こればパターンと
深澤直人と中村勇吾の対談に行った。 割とワイワイニコニコな感じでその人達の人柄が分かる対談だったように思える。 ・アートは刺激を与えるもの、デザインは刺激を与えてはいけないもの。アートとデザインの分け方にはいくつも今まで聞いてきたけれど、これは割と分かりやすく今の時代に合致している例え方なのかなと感じた。 ・「よい」はソーシャルグッドネスとかポリティカルコレクトネスとかそういうこと。Appleの製品は完全に「よい」。この発言にはハハー、となった。「いい」は内発的なものだろうか、説明を省かざるをえない良さのこと。「いい」はマンツーマンでは教えることができないが、130人の教室のなかで醸成していくことはできると言っていた(多摩美統合デザインの話)。つまり今回の展覧会のテーマである Ambient(環境や空気など取り巻くもの)のことを言っているのだなと解釈した。「いい」は結局自分の中で消化しては
トリコを2時間弱やってみた感想。 トリコがめちゃくちゃ可愛い。トリコは画面上にしかいないし、3Dモデルで出来ている偽物の生き物ということは脳みそでは分かっているつもりなのだけれども、しかしトリコがまさしく動物の動きをしているから生きているものを見ている感覚に陥ってしまう。動物へ向かう愛情が確実に自分の中に芽生えているのが分かる。僕が飼っているハリネズミのチャツネへ向けているあの他人には見せたくない顔を、トリコに向けてしているだろうことを薄々勘付いている。 チャツネもそうだし、言ってしまえば人間もそうなんだけども、動物とコミュニケーションを取れたとしても思い通りにいくことが本当に難しい。人間とは言葉を介してアレをしてくれ、コレをしないでくれとお願いできる。相手側にそのお願いに対するメリットがあれば受け入れてくれるだろうが、デメリットがあるときには拒否されることがほとんどだ。トリコもそうなので
この世界の片隅にはせっかくだからテアトル新宿で観ようと思ったんだけど、池袋HUMAXで観た。字幕付でした。 僕は広島市出身で。冒頭の川筋と産業奨励館(現在の原爆ドーム)、おそらく福屋のよく見たことのある建物、ちょっと過剰なまでの広島弁を見て聞いてつねに胸が熱かった。呉にも訪れたことがあったので今とは全く違う町並みですが灰ヶ峰から見える風景を見て、あの景色は今も変わらずあそこにあるんよねと自分の中の記憶と照らし合わせていた。 テンポよく進むコメディとすずの可愛らしさが相まって、劇場では度々笑い声が起こっていて、僕もすずの目が「ヲ」みたいな形になる度に笑いと萌えのような感情が湧き上がった。可愛いな可愛いなと。そして仕草だけでなく、のんさんの演技力と声に魅力を感じた。また何かの役で声を当ててほしい。あまり演技について見識はないけど彼女は天才だと思う。のんの顔ではなくすずがそこにいるように僕には感
京都に行った理由の一つに知り合いや同僚に会うという目的もあったのだが、それよりも重い目的が実は裏にあり、それもちゃんと実行に移してきたのでした。それは「第一旭のラーメンを喰らう」ということでした。やっぱ京都人じゃなくても色んな人から「あそこのラーメンは美味い、美味いから行け、行ったら食え、美味いから」と何度も念押ししてくる人が多いわけですよ。お前は第一旭の回しモンかとも思うわけですがやっぱりラーメン大好き小池さんの一派であるワタクシとしては行かざるをえないワケです。 ほいで、新幹線で京都から東京へ帰る直前の18時、混むだろうなぁと思いながら足取り軽やかに駅から歩いて向かうと、何やら行列ができているわけです。遠くから眺めながら「いやーこれは新福菜館の方じゃろ…そうに決まってるわ」と思いつつ小刻みに歩くとやっぱり第一旭に20人くらい並んでるのが確認できるんですよ。あーあやっちまったなぁと思いつ
◆ はじめに アイカツ!をたくさん見てますという日記を先日書きましたが、引き続きということでこの記事はアイカツ!Advent Calenderの17日目の記事でございます。16日目はyellowhoさんのアイカツ!TRPGを作った話 その2でした。ボードゲームはよくやってたんですが、テーブルトークRPGはやったことがないのでアイカツ!なら取っ付き易いかもしれません。やってみたいゾ。 yellowho.hatenablog.com なにせよかにせよ、よろしくお願いします。いつもとはテイストを変えてですます調でいきます。 ◆ なにすんの アイカツ!は音楽が良い!と高らかに宣言しましたが、アイカツ!を見る前はSoundCloudでRemixを沢山digっておりました。今でもアイカツ!とか#Aikatsuとかで毎日最新作がボムされてないかを日課にしております。ということで、SoundCloudで
「だれもしらない建築のはなし」をイメージフォーラムで観た。 ぶっちゃけ安藤忠雄しか僕は知らなかった。そののち、レム・コールハースは「S,M,L,XL」という著を知っていたが、作者の名前までは記憶できてなかった。間接的に知っていた。というか建築界では有名な人ばかりを集めていたらしく、まぁ何も知らないずぶの素人がフラッとチラシを見て覗きに行ってはイケない映画だったのかもしれない…。 元々の上映された映画祭だったかでは、建築の歴史の流れを知っている人にとっては拍手喝采だったらしいが、その歴史を身をもって知らない学生たちにとってはナンノコッチャわからん内容だと取られたこともあるらしく、イメージフォーラムでの上映に向けて少し追加取材と再編集をしていただいたらしい。そのおかげで僕のような無知でも過去にどういうことがあり、どういう流れのもとに、現在の公共建築がなされているのかがすんなりと理解できたと思う
先日、過去に好意を持っていた女性と二人きりでご飯を食べた。別に何かを期待していたわけではなく、最近の自分がひどく落ち込んでいた為に、慰めてもらおうと思ったのだ。こちらから、ご飯に誘ったら「いきませう」と快い返事を頂いた。シーフードイタリアンを食べた。美味しいお酒を飲んだ。牡蠣は小長井が美味しかった。仕事のことを語らった。夏休みにどこに行きたいかってのも語らった。久しぶりに幸せだって感じた。 このブログは普通の日記だし、この話はその中でも特別に普通のお話だ。オチも無いし、何かこの飲み会によって学んだ知識なんかも無い。そこにあったのは只々過去に好きだった人と僕がご飯を食べたという事実だけ。それを書くことで、僕がその時のその出来事が特別だったんだと思い返すことができる、それだけなのだ。 記憶や思い出はスルメみたいなもんで、噛めば噛むほど味が染みでて美味しいんだけど、原型が無くなっていく。どんなカ
先日、フラッと(ふらっと、フラっと、フラッとどれも違う感覚だ)入った本屋さんでいつも購入している漫画を見かけた。月曜日集英社、水曜日は講談社を読んでいるとはいえ、僕は度々読みたいと思った漫画は家に飾ってたまに読み返すようにしている。いつも本屋に寄れば平積みを見て「あっ、新刊出たんだーやったー買おう」ってなったり「新刊出たかな?いや、これは前買ったな」などと一喜一憂できたものだけれど、今回ばかりは違った。 「お、漫画出てんじゃーん…あれ?これ買ったっけ?発行日いつ?ん?お?」 これは初めての体験だった。モヤモヤぁっとした。脳みそにイイとか言われてるアハ体験を、ジグソーパズルのピースがはまる云々を求めているのが経験則から判ったが年齢的にもうダメなのか茂木健一郎を理不尽にも憎んだ。 購読しているものが二冊あって、一冊は5/7発行だったので買ってないのを確信して買ったけれど、もう一冊は4月中頃発行
最近のトイレに恐怖を感じている。下品な話です。 ここのところ、色々な建物が新しいものに変わっている。東京では高度経済成長時代に作られた古いものから脱皮をして、21世紀仕様になろうとしているように思える。関東大震災のせいで、耐用年数や地震への恐怖感が増してきているからだろうか。なーんて、堅苦しい導入になったけど、話そうと思っているのはトイレのことだから気張らずに聞いて欲しい。 最近の建物はトイレが綺麗だ。大理石の壁とかタイルとか普通だし、綺麗すぎて汚せないオーラを出している。きっとこれも作戦のうちなんだろう。僕の母校の高校も大理石のパネルが貼ってあって、うんこをするとき落ち着かなかったことも多々ある。 以上までの文章を書いてから、自宅のトイレに行ってきて我に返ったけど、綺麗さのこととか話しても仕方ない。いや、妙な綺麗さも恐怖の対象ではあるかもしれんけど。んで、本題は何かっちゅうと、本題は流れ
「世界で一番役に立たない動物、ウォンバット」 彼らは他の動物が役に立つように最下位の座を握って離さないのだと考えれば、彼らのお陰で助かっている動物はいるのではないか。一応、役に立っている。でも、彼らはすごく可愛いからいいんだよ。役に立つ必要のないものだってたくさん必要だ。このブログだって誰かの役に立っている気がしないしな! ―― いぬじんさん(id:inujin)のエントリ 勝つ議論と、勝たない議論。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。 を読んだ。いぬじんさんのエントリしか読んでないんじゃない?と言われたらそうかもしれない。 内容もさながら、いぬじんさんの若い頃はどれほど尖っていたのか気になった。触れたもの皆傷つけるナイフだったんだろうか、今の文章からは考えられないし、多少は誇張しているんだろうけど、そこにすごい興味をそそられた。 今の穏やかさは何か事件があったのだろうかとも妄想する。過
ぼくがこの二週間ゴミのような生活をして理解したこと。 まずは、現在絶賛ニート中です。失職ではなくて、休職でもなくて、ただの有給消化中の人生の夏休みとは時期的にも大学生でもないので、なんちゅーか、人生における建国記念日的な、水曜日とかに休みあったらスゲー嬉しいみたいなお休み期間をいただいてます。 ちょっと前のエントリには「やばい、金が無くて生きれないかもしれないから1月末はバイトしながら少し稼がないと死んでまう。死んでまうわ。」とか言ってたと思うんですけど、いざ今の時期になってみるとあの頃の焦りのお陰からかお金に関してはそこまでピンチではなくなっていて、これから贅沢の限りを尽くさなければ普通に次の給料日である3月末までは生きられると感じております。もしも、それが無理ならば土日にちょくちょく日雇いバイトで食いつなぐことになるかとは思いますが…。 前置きは置いといて、今、自分がやってることといえ
「ポエム」 日が沈んだら寝て、日が昇ったら起きる生活したい。 日はカーテンで遮光され、闇は蛍光灯で白く明るく照らされる。影は、テーブルの上の綿棒が入ったカップのそばに薄らかに、しかし微動だにせずにそこにあった。 ――― 「ラスボスにも思い入れを」 ラスボスはぽっと出のやつだとすごく萎える。 序盤もしくは中盤辺りに登場し、禍根を残し、因縁を断つってお決まりのパターンが一番しっくりくる。 ――― 「困ったこと」 僕が小学生のときとはうってかわって、地面が土じゃなくなってしまったので、困ったときにつまさきでメモをとれなくなってしまった。 ――― 「働くってこと」 いぬじんさん(id:inujin) が働くってことについておしゃべりしてた。それを僕は聞き耳立ててた。今月に現状の職場を退職し、来月に新しい職場で働く立場の僕が「自分にとって働くってなんじゃろー」って考える。いぬじんさんと同じく、201
とある事情で、お金を稼がなくてはいけなくなった。 もちろん普通のお仕事もあり、それに加えて、だ。 確かに金が無くて、彼女の誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントも買ってあげられないだろう。買ってあげたい気持ちは山々なのだけれど、お金が無い。生活ができない。死んでしまう。死んでしまう。家から追い出される。路頭に迷って会社まで首になってしまう…。 つまりは、このままではここ二ヶ月が生きられなくなってしまうからなのだ。 なので、僕はこれからの二ヶ月ほど、土日や休みの平日を日雇いのアルバイトに精を出さないといかなくなった。僕は今痩せすぎなほど痩せているのだけれど、肉体労働をすればそれも変わるだろうか。まぁ、正直なところここ2年ほどずーっと机の前でパソコンとにらめっこしながら頭をウンウン言わせていただけだから丁度いいんじゃないだろうか。ここ数年の体力の低下をここで楽しもうと思う。しかし、他の人に迷惑
「あなたが私達の会社に入った時に貢献できることはなんですか?」 とこう聞かれた。 僕は前職の企画やっていたので~…いや、そういうことじゃなくて、もっと輪に入った時に起こせるような化学変化はなんですか?ということだった。同じことを言うが技術的な、ビジネス的な貢献ではなくて、もっと衣食住に関わる、キミと一緒にやっていくとして、一緒に住むとして君はどんなメリットをもたらせるの?と聞かれた。2社しか受けていないが、これが最も返答に困った質問だった。 だいたいどんなことでも質問されたら、うーんと唸った後に「これこれこうだから~」などとペラペラと今までの経験に基づいた何かをしゃべっていたのだけれど、今回のコレはうーんと唸った後に結構時間が経っていたらしく別の話題に変えてもらった。 それは貢献って言葉に引っかかったから。 相手から、メールがきた。 「貢献できることは?」 やはり、これについて相手がすごく
いぬじんさんにTwitterで「マレーグマさんちょっと最近転職活動とか言ってブログサボってるよね」って言われた気がしたので(風評)久々に書こうと思います。いやーなんだかんだ10月末から11月末に掛けて仕事は忙しくなかったのですが、忙しいふりをしていたり国内旅行と海外旅行してたりとかで結構ブログを書く暇と精神状態が満足に取れなくて週に一回テキトウに更新するしか無かったんです。この場でお詫び申し上げます。特に読者の方にはせっかく読者になってもらったのにこんな某家なんたらさんのメルマガみたく配信不定期だとイラっとするし久々に更新されてるのを見ても「誰だっけコイツ」とか「本文よりも表題のほうがなげーじゃねーか」とか思われた方もいらっしゃると思います。すんませんでした。わざとです。 とりあえず、近況なのですが、すごく面白いことになっています。 来年からどちらかと言えばデザイン的に今よりもずっとクリエ
工夫は技術のなさでもあり、それそのものが技術でもある。 ――― 「最近こういうの多いけど気にしないで」 受け手がグラデーションのフィルタを掛けることが大事である。発信者がグラデーションを掛けてしまうとうまく伝わらないことが多い。ぼんやりと綺麗なことを並べてやればなんとなく分かった気にさせることはできるのだけれど、本当のことが分からないし、なにしろ何かに配慮した文章よりもつまらないものはない。ただ、二値化してしまうとボロが出てしまう可能性が明らかに高くなってしまう。しかし、だからこそ、受け手がグラデーションを掛けるべきなのではないか。どんな事象にも例外がある。人間は自分の観測範囲よりも外のことを解るはずがない。だからこそ、自分の観測範囲と照らし合わせる必要があるし、そこに色の幅が存在することを意識しなくてはならない。受けての土壌が悪いのに、発信者が増えるはずがない。今もどこかで自分が書いた文
昨日から履いている長ズボンの寝間着のせいか、今日は会社に出勤するよりも家で作業がしたい気分なのだ。 ――― 「外」 「妬(ねた)み、嫉(そね)み」って言葉はすごく好き。ねたみはまだしも、そねみって言葉は少なくとも自分の日本語体系の中では全く出てこないであろう言葉だから素晴らしい。やっぱり自分の中に無いものが外に見受けられると感動しちゃう。 ――― 「表現は需要と供給から成り立っている可能性あるね」 誰かの表現を見るのは非常に心苦しい。それが良かったものなのか悪かったものなのかという判断は数時間後だったり、数日後だったり、あるいは数年後だったりする。いつそれが「あー。」という気持ちになるかは分からない。 「表現したい人がたくさんいるのにもかかわらず、その表現を見てくれる人がものすごく少ない」Tumblrで見た一言だが、確かにそうかもしれない。インターネットでそこら中に、ほら、この文章だってそ
「灰色の名前」 宇宙飛行士は、大気圏を飛んでいる間は、何士だろう。 自らが発光するミラーボールは、なんという名前になるのか。ライティングくるくるボールか。ただ、あの球形で光るものがミラーボールであると錯覚しているのは気付いている。 落ち葉は「落ちている葉っぱ」なのか「落ちた葉っぱ」なのか。木の枝から落ちて、地面に着くまでのランダムに動き、ひらひらと舞うあの葉っぱは落ち葉なのか、それとも別の何かなのか。大気圏から葉を落とし、さて地面に落ちるまでどれくらいかかるのか分からないが、その葉っぱを落ち葉とは、少なくとも僕は呼べない。 ――― 「魔法使いはどこから来るのか」 ITが身近になってきた今だからこそ、ITは魔法のように振る舞わなければならないのではないだろうか。単にブラックボックスにしようというわけではなくて、魔法使いが何故人々を魅了するのかを考えたら分かる。魔法という自分の手が届かない意味
大学院生の後輩とちょろっと話したこと。 どんどん自分に若さが無くなっていって、自分に対する万能感が無くなってきた。昔は何をするにも大体1人でやっていて、恥知らずなこともできるし、自分には難しいんじゃないかみたいなこともやってみれば意外とできたりできなかったり。ま、できなかったらケツを持ってくれる大人がいた。んで、今はどうなったかっていうかってーと、自分にできないことはできないし、むしろそういうことは大体後回しにさせられる。いや、自分でそういう風に仕向けていると言ってもいいかもしれない。あ、あと周りと比較すると、まぁ流石にそろそろ年齢的に若くてもやるじゃん!ってことはなくて、社会人3年目ともあればまぁ後輩に負けず劣らず頑張って、知識の差とか人脈の幅広さで勝てるような環境でやってる。若くなくて出来て当たり前的な部分が増えてきた。というか、そういう環境に拘泥しているといえばそうかもしれない。 段
MacBook Air 新しいの買ったんだけど、エンターキーの効きがすごく悪かったので出会って4秒で修理確定にしました。悲しい。 あと、ポートレートサイト作りました。 ふじいたかし サイドバーにも置きました。
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