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体力トレーニング
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小説を書くことは罪深いことだと思っています。この小説はそのことを特に意識した作品になりました。それは、被災者ではない私が震災を題材にし、それも一人称で書いたからです。 実際、私は被災地に行ったことは一度もありません。とても臆病で、なにもかもが怖く、当時はとても遠くの東京の下宿から、布をかぶってテレビを見ていたのです。現実が恐ろしくてしかたがなかったのです。あまりにも大勢の被災者たちの喪失を想像することが恐ろしかったのです。また恐ろしさは、自分が思考の止まった人間であることを自覚させられることにもありました。あまりにも自分のキャパを超えてしまった現実に対して、どう考えていいのかわからなくなりました。私にとって思考することは私そのものでありましたから、なにか大事なものを取り上げられてしまった虚しさに襲われたのです。私は自分がいったいどうしたいのかもわからず、悶々と、事態が静まるまで時間を稼いで
クラシックに疎い自分は、本書を読んでさっそく、ブルックナーの作品を買って聴いた。ピエール・ブーレーズ指揮による「交響曲第八番(ハース版)」である(それとネットで聴けるものをいくつか)。聴き始めた最初、メロディが変に地味だという印象を抱いた。と思ったら、いきなり仰々しくなった。なにより魅惑的だったのは、その予測のつきにくい展開だった。なかでも第二楽章のスケルツォは、ミニマルなフレーズの反復がとても中毒的に響いた。したがって、作中の「あの八番のさあ、スケルツォのとこ、ドンタタタタ、ドンタタタタ、ドンタタタタ、タ、って何回もやるとこなんか、ちょっと馬鹿みたいなんだけど、もう五倍ぐらい繰り返してほしいような……」という代々木ゆたきの意見には、けっこう共感してしまった。とくに「ドンタタタタ」のあとの「、タ、」の部分が気持ち良かった。不自然な場所でループを切っているような、そういうつんのめった痙攣的な
木下古栗さんの小説がとても好きなのだが、いつもすぐには飛びつかず、掲載誌を部屋に持ち帰って、あまり目に付かないところにひっそりしまいこんでいる。自分でもよくわからないのだが、たぶん、熟成とか発酵という意味がある行為なのだと思う。そして、辛い時や苦しい時、そっと持ち出してきて貪り読み、ひたすらフヘフヘして、束の間にその辛さや苦しさを忘れる。読書体験にもいろいろあって、知らないことを教えてもらったとか、あの感情はこう説明できるのかすごい、とか、ひたすら展開から目が離せなくておもしろかった、などのパターンがあるのだけれども、木下さんの小説は、ただもう読むことに快楽がある。わたしが読んだことがある小説の中でも、もっともその度数が高いように思える。 ときどきは、あまりに素晴らしいので、小説の書き手としての自分に立ち戻った瞬間に、落ち込むこともある。本書に収録されている「教師BIN☆BIN★竿物語」を
一読して、これは傑作だと思った。この作品を、声を奪われたすべての人に読んでほしい。 主人公は、在日コリアンの少女ジニ。物語はオレゴンの片田舎の、小さな、雨ばかりふる街からゆっくりと始まる。そしてジニは、五年前のある「事件」を思い出す。 当時、日本の小学校に通っていたジニは、朝鮮学校の中等部に進学する。そこは、これまで見たことのない世界だった。教室には金日成と金正日の肖像画が飾られ、授業は朝鮮語でおこなわれる。 いじめや「初恋」のようなものを体験しながら、なんとか朝鮮学校での暮らしをおくっていたジニだが、ある日、テポドンが発射される。 一挙に世界全体が、ジニに対して敵意と憎悪を向けてくる。ジニが満員電車でもみくちゃにされる描写は圧巻だ。人ごみに押されて電車を降り損ねたジニは、そのまま池袋まで行ってしまう。そして、パルコの地下のゲームセンターで、黒いスーツを着た日本人の中年男性三人から暴行を受
貞明皇后といわれてもぴんとこない。大正天皇妃節子(さだこ)だといわれて、ああそうでしたか、と不得要領にうなずく程度だろう。 大正天皇も印象は薄いが、読み終った詔書を丸めて覗いたという「遠眼鏡」の挿話はなぜか広く知られている。しかし皇后の人柄と人生など、誰も気にしていなかった。 もと九条節子であった貞明皇后は、体格が立派であったために、皇子誕生を望みやすいという理由で皇太子妃にえらばれた。ついに実子をもうけなかった明治帝皇后美子(はるこ)の轍を踏ますまいと周囲は考えたのである。その甲斐はあったか、少女時代を東京郊外で自在にすごした「お転婆」な華族の娘は、嫁してすぐ十六歳で裕仁(昭和天皇)を、十八歳の誕生日には雍仁(やすひと)(秩父宮)を生み、さらに二人の皇子を誕生させた。 しかし五歳年長の大正天皇は、意志が弱く病弱であった。のみならず女性へのただならぬ「御癖」が貞明皇后の悩みの種となった。
翻訳文学の現在を問う「21世紀の暫定名著 海外文芸篇」では、沼野恭子、野崎歓、小野正嗣、藤井光という、ロシア・フランス・英米文学のプロフェッショナルであり、翻訳家としての活動も著しい四人が登場。辛島デイヴィッドとともに世界の現状を辿った結果、文学の希望が見えてきた!? 長野まゆみ『冥途あり』が泉鏡花文学賞に続き、第68回野間文芸賞を受賞! 受賞記念対談「省略とポエジー 小説の終わりの時代の文学」では、三浦雅士が長野文学の詩的な鋭さを読みときます。 第37回野間文芸新人賞は滝口悠生『愛と人生』、古川日出男『女たち三百人の裏切りの書』の2作受賞! 「男はつらいよ」を主題にした実験的かつユーモラスな小説『愛と人生』を中心に、曖昧であるがゆえに面白い記憶や語りについて、選考委員・小川洋子と滝口悠生が語り合う対談「過去の持ち歩き方」、必読です。 対談「全身で書く小説」では、古川日出男が選考委員・保坂
■応募作品は自作未発表の小説に限る。同人雑誌発表作、他の新人賞への応募作品、ネット上で発表した作品等は対象外とする。 ■枚数は400字詰原稿用紙で70枚以上250枚以内。ワープロ原稿の場合は400字詰換算の枚数を必ず明記のこと。応募は一人一篇とする。 ■締切は2024年10月15日(Webの場合は当日24時まで。郵送の場合は2024年10月31日〔当日消印有効〕※WEBのみ締切が早まっています。) ■郵送の場合は、原稿は必ずしっかりと綴じ、表紙に作品名、本名、筆名、ふりがな、生年月日、住所、電話番号、メールアドレス、職業、略歴(出身地、筆歴など)、400字詰換算枚数を明記する。同じものをもう一枚、綴じずに原稿に添付すること。 Webでの応募の場合も、原稿データの1ページ目に上記と同様の情報を明記し、2ページ目から原稿本文を開始すること。なお、原稿データ形式はMSWord(doc、docx)
「道化師の蝶」は昨年六月、国際会議に向かう飛行機で読み始め、とまらなくなってしまった。硬質でありながら独特のリズムのある音楽性の高い文章は、心地よく次のページを誘うのである(あまりの心地よさが子守唄として作用する場合もあるようだけれども)。張り巡らされたユーモアに微笑しながら次の章にすすむと、前章は実は……という構造が見えてくる。しかし、それで解決、というのでなく、そこには玄妙なずれがある。眩暈のような感覚を経て最後のページに至った時に広がる、イメージの美しさ。そして、読み終えて冒頭に戻ると、どうも一周まわったあとでは違った世界が見えている。変わったのは自分だろうか、作品なのだろうか。 かつて一世を風靡した、ホフスタッターの『ゲーデル、エッシャー、バッハ』という著書がある。登り続けているはずなのにもとに戻る階段、そして永遠に登り続けて感じられるバッハのカノンに想を得て、思考という不思議なル
【特集・日/戦争/常】 ・新連載 「せんそうって」永井玲衣×八木咲 ・ノンフィクション 「茶碗と骨」石井美保 「「国境なき医師団」をそれでも見に行く 戦争とバングラデシュ編」いとうせいこう 「「同郷二人」の「沖縄決戦」――八原博通と岡本喜八における「事実」と「戦後」」前田啓介 ・論考 「平和記念資料館は“カメラ”である――広島を貫く光軸と祈りの方角」大山顕 ・エッセイ 「透明化される現在を前にして」石沢麻依 「「私の命は大事だけど、あなたの命は死の近くにある」」酒井啓子 【特別対談】 「エッセイのたくらみ、詩という祈り」島田雅彦×奈倉有里 「小説が生き延びるために」保坂和志×山本浩貴 【批評】 「こころをからだで読む」頭木弘樹 【不定期エッセイ】 「いま、球場にいます」高山羽根子 【レビュー】 「わたしたちは愛とロマンから逃げ切れるか? 『ブレインウォッシュ』」鳥飼茜 【本の名刺】 上田岳
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