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円安とは
gustav5.hatenablog.com
ケチ臭い話をすると最寄りの駅のそばにヨーカドーがあって、ヨーカドーは8のつく日はnanacoを使えば5%値引きになります。日持ちするドレッシングだとか醤油だとかはたいてい8のつく日に買うことが多いです。節約ばかりしてると息苦しくなるので贅沢をすることがあります。 そのひとつがジャムで、食パンに載せるジャムはケチりません。『きのう何たべた?』ではバターをたっぷり塗ったトーストの上に自作いちごジャムをたっぷり載せていた記憶があって「ああわかる!」となったのですが、私は自作ではないしバターも載せないもののオレンジマーマレードをそこそこ載せます。オレンジマーマレードの酸味と香りを鼻と舌で楽しめば憂鬱をいったんはシャットダウンできます。 ここしばらくは明治屋の大人のジャムのオレンジマーマレードというのをヨーカドーで買っていました。リキュールがいくらか入ってて特に香りが好みで、おそらく1年以上欠かさず
東京ローカルかもしれないくだらない話をします。 神田の(神保町にほどちかい)錦町というところにアムールヱーパンというパン屋があって、そこにはシベリアという羊羹をカステラ生地で挟んだものを売っていました。学生時代のバイト先がそれほど遠くないところにあってバイト先の他大学の先輩からその店と美味いものとしてシベリアを教えてもらっていたものの、裕福な家庭ではなかったせいもあって食費をいくらか浮かせて本代等につぎ込んでてお金に余裕のあるときにしか寄らなかったので、その店にはそれほどお世話になってはいませんし、シベリアも食べずじまいです。さぞかし美味しいのだろうな、と横目で見ながら4年を過ごしています。その反動からか社会人になって資金にいくらか余裕が出来るようになると、学生時代のリベンジとして錦町の店のものでなくてもシベリアを見かけるとたまに手を伸ばすようになっています。 JR系の駅ビルの食品売り場で
なにか特殊技能を持っているわけでもなく被災地へ行ったところでなにかできるわけでもないし…と考えて、個人ではたかがしれてるのですが加賀揚げというすり身を使った製品を製造している能登の会社の品物を意図的に今冬買っていました。その会社はカニカマも作ってるので買っていて、安直ですがキュウリとわかめと一緒に酢の物にしたり、カニカマをみじんにしてキムチと卵と一緒にカニ炒飯ならぬカニカマ炒飯にしたりしています。 8のつく日でいくらか安くなるので退勤後のヨーカドーへ寄り、いつものようにカニカマをかごの中に入れていました。帰宅して紅麹関連の報道を眺めててさっき買った赤いカニカマが気になり「あのカニカマの赤はもしかして?」と不安になり、不安要素はとりあえず除去したかったので念のため能登の会社のホームページを確認すると近畿地方の当該メーカーの製品は不使用であることが明記されていました。ので、しばらくカニカマを工
くだらないことを書きます。 裏の畑でポチが鳴く 正直爺さん掘ったれば 大判小判がざーくざーくざっくざく という童謡を題名は知らぬものの子供の頃に聞いたことがあります。多摩では上記のような歌詞なのですが、もしかしたら地域によって歌詞は違うかもしれません。この曲が不思議なのはなぜ裏の畑に大判小判が埋まってるのか?という点です。正直爺さんが埋めたなら歌にならないでしょうし、そのあとに出てくる意地悪爺さんが埋めたとも考えにくいのです。第三者が埋め→それを正直爺さんが発見した、という理解が適当ですが、しかし「なんでそんなもの埋めたの?」という謎が無いわけではありません。 くだらないな…と思いつつも続けます。 以前伊賀上野城と城内の忍者屋敷を見学したことがあります。城内に忍者屋敷がある時点で正直「は?」なのですが(ほんとは横に置いてはいけないのかもしれないものの)それは横に置いておくとして。その伊賀上
博多華丸大吉師匠の漫才に人間の記憶は不確かである、という説を唱える中洲産業大卒のお父さんが出てきます。「昨日の夜はちゃんぽんやったけど昼はなんやったかな…」と続くのですが、私も7日前くらいの夕飯になると怪しいです。くわえてあまり人の顔を覚えるのが得意ではありません。たとえば1年前にあった人をきちんと覚えてるかというと怪しいです。 話はいつものように横に素っ飛びます。 隣県に所在するある小さな会社の株を持っています。賃借対照表に一年以内に支払う項目として未払金というのがあるのですが去年まで数年ほど未払金の額がずっと同額で、去年の総会で「これは内容はどんなものですか」と尋ねると取締役も監査役も誰も答えずというか答えられず、3年前の帳簿を調べて貰ったら設備工事をある役員が立替払いをしその役員に対しての未払金ということが判明したものの、ところが名指しされた役員が「おれそんなの知らねえ」と云いだし、
スケトウダラやサメを使う東京のはんぺんは白いのですが、イワシやサバを使う静岡のはんぺんは黒かったりします。その黒はんぺんにわさび漬けを添えたやつは知らなかった方が良かった酒の最強のアテで…って話がズレそうになるのを戻すと、獲れる魚によって水産加工品は地域によって全く違ってくるのでこれから書くことは謎の食べ物の羅列になるかもしれません。 東京では加賀揚げというゴボウやニンジンの細切れを白身魚のすり身と一緒に揚げたものがあり、トースターでそのまま温めてもよいし(ごぼう天うどんのように)うどんに入れてもよいのですが、私はその加賀揚げというのをピーマンやタマネギと一緒に油で炒めそのあとオイスターソースもしくは中濃ソースで味つけする、というのをたまに(でも10年以上)やっていました。それほど時間をかけずに出来るし酒のアテにもごはんのおかずにもなります。もっとも手の込んだ料理を至上とする価値観からする
あまり政治の話はしたくはないのですが、その禁を破ります。でもってそのうち消すつもりの記事です。 これを書いているのはギャル系JKで…じゃねえ、若干くたびれたおっさんで領収書の管理を任されていたことがあります。複写式の領収書の束を渡されて、入金があったのち額が正しいかどうかを確かめてから金額と宛名を書いて、正本を発送して控えをこちらで保管していました。領収書は入金があってから対応するのが基本でそれを律儀に守っていて、なぜかと問われれば相手先から支払われた金銭を受け取ることが領収でそれを書面にして証拠にするわけですからそれを順守していました。これらのことはなにかしらの法律にかいてあるわけではありません。慣習的なものです。 話はいつものように横に素っ飛びます。 贈与税は110万までが基礎控除です。仮に私が政治家であったとして、Aさんから111万受け取ったとき、どうすべきか?というと答えはひとつで
食い意地が張ってる証拠かもしれぬものの読んだ本に出て来た料理が気になることがあります。新田次郎の『武田信玄』の中で栃餅を蜂蜜で煮るものが出て来てて栃餅がなにかわかっていないにもかかわらずどんな味か興味を持ってしまいいまでも印象に残っています。いつかどこかで栃餅を見つけたらほんとに蜂蜜で食べるのか訊こうと思ってるのですが、残念ながら栃餅に出くわしたことがありません…って栃餅の話をしたいわけではなくて。 ギンナンはその味を大人になってから知りました。ギンナンを雑炊に入れて食べる記述をどこかで読んだ記憶があるのですがそれが何の小説かが記憶があやふやで、しかしいくらか真似て粥に入れたことはあります。メリットがあるから本を読むわけでは無いものの本を読むことの副次的作用として食生活をちょっとだけ豊かにすることもあるよな、と。ここで終わらせればどってことない小さな話で終わるのですが。 彼氏が封筒にたくさ
静岡に行っていて、その際に掛川に寄っています。掛川には掛川城があってそこを見学しました。 いまある掛川城の城郭は安土桃山時代に掛川に居た山内一豊が整備したもので、丘の上にある天守は幕末の安政の地震で倒壊したあと平成になって(山内一豊が築いた高知城や残された絵図などを参考に)再現していてます。 さて掛川は遠州で、戦国時代は駿河の今川家が支配していました。ご存じの通り桶狭間の戦いで野村萬斎…じゃねえ今川義元が死亡し、義元亡き後に信玄公は駿河へ侵攻し、跡を継いだ溝端淳平…じゃねえ今川氏真は家臣を頼って掛川城へ行き、しかし掛川では西からの松本潤…じゃねえ徳川家康の軍勢に囲まれる事態に陥り、およそ5か月ほど籠城します。 籠城時に必要なものの一つが水でおそらく長期にわたり籠城できたのは井戸があったからで、今川家時代の痕跡でもあるのですがいまでもその井戸は現存します。丘の上なのになぜ?と不思議に思って尋
小学生の頃からレギュラーコーヒーを飲んでいたのでイスタントコーヒーが苦手でネスカフェもダメ、違いの判る男ではないことを自虐的に周囲に述べたことがあります。それがよくなかったのかコーヒーにこだわりがあると思われたのか、旅先で買えるようなドリップバッグのコーヒーをお土産に貰うことがあります。ここまではよくある話なのかもしれません。レギュラーコーヒーなら飲めるので礼を述べて受け取っています。 ある朝冒険しようとして、貰った京都市のコーヒー屋さんのドリップバッグを楽しもうとしました。コーヒー粉がメッシュ状の袋に入っていて、そのメッシュの袋の上層部を開けるのだな?と判断し、感心しながら封を開けたら粉がパラパラとマグの中に。封を開ける前にトントンと叩いてくださいと袋に書いてあったのですが気が付いたのはしでかしたあとで、読まずにやってしまったのが敗因です。 また別の日の朝、(朝が苦手なので)世の中を恨み
gustav5.hatenablog.com という記事を書いたあと nonavias.hatenadiary.jp 言及いただいたので書いておきます。 個人的な経験から書くと私は井伏さんの『黒い雨』を読んでピカドン直後や戦後の日常についての細部の描写が作品に「深さ」を出してるのではないか?と考えていました。文学部卒ではなく文学に詳しいわけではありませんから、もちろんここらへん異論があるかもしれません。そもそも「深い」という言葉の意味だけ抜き出してみても多様で「深い≒底の見えない深さ」もあれば「深い≒難解さ」、英語のdeepもしくはdepthだと「深い≒声音の低さ」も含みますし、in deepなら「深い≒抜き差しならない」という意味にもなります。人間は工業製品ではありませんから脳内が同じとはありえなくて、文中の 「深い」というのは人によって違うんだと思う。 というのは同意見で、人によって違
たしかNHKだったと思うのですがBSは稀に不思議な放送をすることがあります。数年前の秋の朝には長崎の諏訪神社からの中継があって、いわゆる長崎くんちの踊りの奉納をそのまま流していて、金の宝珠を追い求める龍をまるで生きてるかのようにの見せる龍踊りのほか、ポルトガル語で歌をうたった後に南蛮船を模した鉾をぐるぐるまわすものなどがあり、腹が減っていないわけでは無いのだけど・朝めしを用意しなくちゃとはわかってるものの、ついその場を動けずに見入ってしまっています。死ぬまでに一度現地で見学したいとは思ってるのですがさすがに長崎は遠く時間的余裕もなく、まだ果たせていません…って、見果てぬ夢を語りたいわけではなくて。出勤前に新聞のテレビ欄を斜めに読んでいるとBS朝日で朝7時から長崎くんちの中継があることがわかり(念のため書いておくとかの地では朝7時からそんなことをしていて)、あわてて予約しています。 いつもの
必要な書類を送付してもらうためにA社のBさんに連絡とらなくちゃな…とか出勤前に皿洗いしながら考えていたせいか、冷蔵庫にマグネットで挟んでおいたメモを持参するのを忘れて出社し、連絡とらなくちゃいけないところには連絡は取れたものの、メモを持参するのを忘れたので退勤時にヨーカドーでメモになにが書いてあったのか真剣に思い出そうとし、ある程度は思い出せたもののやはりすべてはムリで、牛乳を見事に忘れて近所のファミマまで買い足しに行ってます。信号待ちのときに目にした薄雲越しに見える月がいくらか風情があり、あれっておぼろ雲っていうんだったけか?行き掛けの駄賃としては不意の月見で良いもの見れた…などと満足していたものの、ファミマに入って牛乳を買ったらいま257円ほどでけっこういい値段で思わず「え?マジ?」と唸ってます。 まあおぼろ雲越しの月に気付けただけヨカッタと思いたいところですが、不意の月見はちょっと高
くだらない話をします。 前にも書いたかもしれませんが山梨の東側には酒まんじゅうというのがあります。酒まんじゅうはあんを包む生地に酒種を使っているまんじゅうで、どちらかというと素朴な甘さで、小学生の頃にはだいたい父方の叔父の土産としてもたらされ、土産として一回にもたらされる酒まんじゅうは10個1セットで、もちろん子供が1日で食べきれる量ではありませんから1週以上連続でずっとそれを食べ続けることになります。父方の叔父は子が居なかったこともあっていまから思えば相応の愛情表現だったのかもしれませんが、しかし何回も何年も続くと「えーまた酒まんじゅう…」という心境になっていました。その酒まんじゅうはたいていは漉しあんで、なので漉しあんに小さいころから食傷気味で、漉しあんとつぶあんとを選べるのであればつぶあん一択です。もちろん漉しあんも食べれますが、できれば豆の残骸感を舌や口腔内で感じたい派です。 しか
今夏『デキる猫は今日も憂鬱』というアニメを追っていました。いくばくかのネタバレをお許しいただくと詳細は本作をご覧いただきたいのですが家事全般がそれほど得意ではない主人公である福澤さんと飼っている猫諭吉の物語で、それ以上でもそれ以下でもありません。ある日突然異世界に飛ぶわけでもなければ、同じ日が何度も続くということも起きません。でもただただ面白かったです…だと小学生の作文になってしまうので、もうちょっと書きます。 もう幾ばくかのネタバレをお許しください。諭吉を飼ってることを福澤さんは同僚などには知らせているものの、どんな猫かの詳細をそれほど言及していません。唯一諭吉を知ってるのが福澤さんの上司の織塚部長で、しかしそれは子猫の時代のことであって、福澤家のいまの諭吉の正体を知るわけではありません(2缶め「デキる猫は大きく育った」)。そして福澤さんは家族にすら諭吉の正体を隠しています(6缶め「デキ
いま住んでいるところは江戸期から続く水路があって、秋になると水路沿いにはヒガンバナが咲きます。根っこに毒があるのでネズミ除けとされてておそらく誰かが植えたのかもしれません。本来ならばそろそろヒガンバナの時期なのですが、今年はその気配がちっともありません。今日も明日も明後日も最高気温が34度で、ヒガンバナ的にはまだ秋ではないという可能性が高いのですが。 猛暑の今夏、(おそらく)青のり(かなにか)を混ぜてある刺身こんにゃくを酢味噌を添えてそこそこの頻度で食卓に登場させていました。刺身こんにゃくが緑色系で酢味噌が黄色系で見た目が涼やかで、食欲って見た目でも喚起されるものなのだな、と改めて体感しています。東京は9月に入ってからもずっと暑い日が続いててまだまだ刺身こんにゃくのお世話になるつもりでいたものの、10日前あたりから刺身こんにゃくが忽然と売り場から消えています。「闇の勢力が買い占めに走ってい
世の中にはたくさん本を読んでいる書評家というのが居るのは知っていて、しかしそれほど読んでないやつが読んだ本について書いてなんの意味があるのか?とここのところ自問自答していますが、答えがあるわけではありません。ただ読んで考えさせられた本はあって、そのまま葬るのがもったいないので、 お題「この前読んだ本」 というのを引っ張って書きます。 最近、林家正蔵師匠のしじみ売りや春風亭昇太師匠のストレスの海ほか11人の落語家が十八番の噺について語る『十八番の噺』(フィルムアート社・2017)という本を読んでいます。語られてる噺を知ってるとより面白いのですが簡単なあらすじも挿入されているので、それほど落語を知らなくても読めます。 その中で強烈だったのが立川こはる師匠の金明竹についての苦悩です。是非詳細はなにかしらの方法で聴いていただきたいのですが・いくばくかのネタバレをご容赦いただきたいのですが、親戚の経
『司馬遼太郎で学ぶ日本史』(NHK出版新書・磯田道史・2017)という本を読みました。司馬遼太郎作品のすべてを読んでいないのと磯田先生が書いたとはいえ作品を通して日本史を眺めてなにになるの?というひねた見方をしていたので買っておきながら長いこと積んだままにしていました。正直、積んだままにしておいたのは失敗だったかな…と積んだままであったのを反省させる程度に刺激的な日本社会批評の本です。 話がのっけから脱線して恐縮ですが、さすがだなあ…と思わされたのは司馬作品を一冊も読んだことが無くてもダイジョウブなように書かれている点です。たとえば あえてその人物の性格や資質をひと言で定義し「二流の人物である」「無能であると言ってよかった」とはっきり書く(P34) (日本史の教科書を読めばわかるような多くの人が知っているような)世の中に与えた影響という点から可能な限り単純化して人物評価をしている(P34)
高校時代に交換日記をしていた時期があります。当時もいまも書くことが決して得意ではありません。理由は単純で「文章をどう書くか」の基礎知識がないからです。おそらく人は知識が無いと苦手意識をもちます。苦手だからって回避できなかったのが交換日記というシステムです。くわえて最初のうちは「なにを書けばよいのか」もわからなく見当がつかず、なので身のまわりに起きたこと中心にまとめ、しかしがんばっても三行で、ゆえに三行日記っていくらかバカにされていました。 もちろんごらんのように今は三行以上書けています。ただ「なにを書けばよいのか」は別として、基礎的な「文章をどう書くか」ということの根本をいまも理解しているかというとかなり怪しいです。たとえば提示しておきたいAという段落と次いで提示しておきたい真逆のBという段落をどうやってつなげればよいのかなどよくわかっていません。なのでAという段落とBという段落をつなげる
浜松は比較的大きな都市ですが北部の天竜区は(悪く云えばというのは横に置いておくとして)よく云えば緑の多いところです。浜松駅から遠鉄電車と天竜浜名湖線を乗り継いで運が良ければ50分くらいのところに二俣という街があり、日本画を教えるためにインドの大学に赴任し赴任地インドの風景を描いた作品を多く残した二俣出身の日本画家(といってよいのかいくらか迷うのですがともかく画家)の秋野不矩の作品を収蔵した浜松市の美術館が建っています。 現在所蔵品展を開催中で、それを日曜に観覧していました。 作品については是非浜松で実物を観ていただいた方がぜったい良いのですが、洋画や写真のような写実的ではない日本画の素養を持って描かれた風景を眺めていると作者本人が荒涼としたインドの風景にいかに魅せられたかが良くわかるというか、作品にちょっと触れただけですが、館内は濃密な空間です。 館内の写真は撮っていませんが日本家屋のよう
いつものようにくだらないことを書きます。 完全に余計なお世話なのですが通勤途上で「このお店、経営が成り立ってるのだろうか?」などとたまに思うことがあります。通勤に使う駅にあった高級パン屋さんがそれで、店はキレイでおしゃれでしかし強気の値段設定で値段故に固定客がつくのか疑問で、誰が買うのだろうと思っているうちに見事に消えてなくなっています。 その逆もあります。 名鉄の新名古屋駅の周辺に夏の夜にワラビ餅の移動販売車が出没していました。「ツーメタークテ」「オーイシーイョ」「ワーラービーモーチー」と宣伝しているのですけどそれが哀愁に満ちた悲しげなメロディに載せてで(それがいまでも耳にこびりついていて)、冷たいワラビ餅自体には罪はないのですがちっともそそられず、そもそも楽しくなさそうなメロディが流れるところから誰が買うのだろうと最初は思っていたのですが、でも毎年夏になると必ず出没するのです。 名古屋
商学部などを出ていればそんなことないのかもしれませんが私はあほうがく部卒で途中から数字を扱うところに異動していて、悪いくせなのですが数字の桁を打ち損ねることがありました。読みにくいので桁を打てと複数回指導されています。いまでも作成したもので桁を打ち損ねているのを自ら見つけた場合、事前に防げたのですから無問題ではあるのですが、背中に冷や汗がうっすらと流れる感覚があったりします。その指導をしてくれた先輩は既に退社して居ないので怒られることはないものの、そのときどこかで想像して指導されることを意識しているわけで。そういう経験をしてしまうと、人は経験から想像し予測して、起きていないことに対して反応することがあるのではないかな、という気がしないでもないです。 匿名を奇貨として続けます。 以前、彼氏の持っていた装着式の大人のおもちゃをつけたことがあります。いくらか自業自得なのですがスイッチを自らMAX
今月に入ってから『豪商の金融史』(高槻泰郎編著・慶応大学出版会・2022)という本を読んでいます。本書は大阪の豪商であった加島屋(廣岡家)について江戸期から明治にかけて追った本で、特に幕末から明治大正まで大坂の豪商として加島屋がどのように生き抜いたかについてが主題で、史学科卒ではない上に経済史に詳しくないので知らない分野ゆえにとても興味深かったのですが、恥ずかしながら主題ではないところにも目が行ってしまっています。本書は加島屋の歴史に触れつつも江戸期の金融についての解説が随所でなされていて、いつものように話が横にすっ飛んで恐縮ですが、加島屋とはあまり関係ないものの何度かでてくるのが・個人的に目が行ってしまうのが細川家の借金についてです。 江戸期に大坂は米取引をはじめとした経済の中心地として発展しますが最初からそうであったわけでは無く、17世紀中頃までは西日本の経済の拠点として京がその役割を
何年前だか思い出せないもののシェイクスピアの十二夜を蜷川さんの演出で歌舞伎にしたものを観たことがあります。もちろん安い幕見席で席にはありつけず、面白くなかったらすぐ出るつもりでいて、しかし壁によっかかりながら最後まで観ちまっています。その十二夜の主演は尾上菊五郎丈と尾上菊之助丈で、しかし脇役にもかかわらず長丁場の芝居で観客を飽きさせず主役を喰いかねぬ動きをして印象に残ったのが市川左團次丈と当時市川亀治郎と名乗っていた当代の猿之助丈で、以降、気になる役者の一人になりました。 全ての芝居を観ているわけでもないし後援会に入っているわけでもないので推しとか贔屓とか云えるほどではありません。が、亀治郎時代に信玄公役で出ていた「風林火山」を数年前に再放送していた際にNHK甲府局が甲府駅北口に看板を出していて、しかし亀次郎表記になっていたので「なんぼなんでも」と間違いを帰りの特急まで時間があったので甲府
前から肩こりに若干悩まされていたものの、今冬はなぜか左側だけの肩こりが続いていました。ワクチンを打ったときになった以外に経験が無く、これはもしや四十肩というやつではあるまいか?と経験者=彼氏に訊くと四十肩はそもそも初期に痺れがありそれがないなら四十肩ではないのでは?との返答でした。次に季節性のもので寒さが和らげばなんとかなるのでは?などと愚考していたのですが春になっても変わらずです。左派的な思考があるのでもしや左に背後霊が乗ってるのでは?などと有り得ないことも考えたのですが背後霊ですからそもそも足が無く拠って立つ上こともできぬはずで右派でも左派でもないはずです…って話がズレた。原因が何なのか、さっぱりわからなかったのですが。 勤務先で背伸びをして相変わらず左だけ音がしてて去春と今春で違う点ってあったかな?と考えると、去秋に右の眼球内にレンズを入れる手術をしていることに思い当たりました。術後
猫と違って人は思ってることと逆の表情が出来ます。逆に猫は思ってることと違う表情ができないと云われています。とはいうものの、私は猫ではないものの、思ったことが表情にでちまうことがあります。先日も仙台でずんだ餅を前にして嬉しそうな顔をしていたようで…ってそんな話をしたいわけではにゃくて。 これからめんどくさいことを書きます。 以前はてなハイクというサービスがはてなにはあってそこに書いていたことに対して質問を貰ったことがあります。猫ではなく人としての意識が強かったのでめんどくさいな…と思いつつもそれを表出せずにやりとりしていたのですが、質問をしたほうがめんどくさくなったのか「どっちでもいいじゃないですかw」といいはじめました。「どっちでもいい」わけではないから書きそして反応していたものの、解がひとつとは限らないという教育を受けていたせいもあって白黒はっきりさせようと争うつもりもないので受け流した
仙台にある仙台城址は青葉山と呼ばれる丘陵にあります。 頂上ではないものの本丸のあったところからは東側の仙台駅方面を見下ろすことが出来るくらいの高さがあり、城は攻めにくくて護りやすいほうがよいのですが、東側から北にかけて広瀬川が流れいざとなったら橋を落とせばよく、南側には渓谷があり じゃあ西は、というと銅像のうしろをご覧いただくとわかるのですが森になっていて敵方が大挙して進軍してくることは考えにくいです。山城の難点は水の確保で、本丸跡そばの資料館で尋ねると本丸のそばに井戸があったそうで、丘陵といえどもその頂上ではないところに作った理由が腑に落ちています。バカと煙は高いところに登りたがるといいますが、政宗公はバカでもなければ吹けば消えてしまう煙でもなかったということになります。 本丸跡のそばには平成に入ってからの石垣改修時に不要となった石垣を使って、石垣の裏側がどうなってるかの展示もあって、つ
これを書いているのは残念にゃがら(…残念にゃがら?)誰かに飼われてる猫ではにゃくくたびれたおっさんで一応は仕事をしていて、抱えてる仕事に密接に関連するわけではなくても経済系の週刊誌は目を通すことがあります。今週の日経ビジネスの特集が「悪意VS企業」で、その中でひっかかったのが『日本人は日本人は「いじわる」気質? “愛情ホルモン”の功罪 悪意を昇華させるには』という記事です。他者への攻撃は快感を覚えるドーパミンの分泌を促すことを紹介しつつ「攻撃性は人間の本能として考えられている」とする桜美林大の山口創教授の説が引用され、勤務先の広報やSNS担当の中の人でもないので我が身に降りかかるような話でもないし確実に専門外なのですが、最近の敷島パンをめぐるSNSの事例などもあったのでつい読んでしまっています。特に印象深かったのが記事中にあった「自分の攻撃が他人に受け入れられる」と「クセになる」という趣旨
音も無ければ姿も見えずまるであなたは屁のようなという形容がしっくりくるのが秘密です。屁は臭いですが秘密は臭くないという差異はもちろんありますが、我慢して溜め込んでしまうと動きがとりにくくなる点を含め生きてく上で秘密というのを抱え込むと厄介です。誰にも云えない秘密を抱えてしまうと「隠す」という手間が出てきますからめんどくさくなります。事実を他人に言わないで「隠す」ことは正直ではありませんから多少のやましさがありますし、ややこしいことにこの国は正直であることが美徳であるとする空気があるので隠すことは悪いことをしてるのではないかっていう錯覚があるはずで、そういうときいちばん楽なのは抱えてるものの秘密の一部を放り投げちまうことです。 たとえば。 私はどちらかというと性的少数者のほうに入ります。つまり若干秘密があります。しかしここでは匿名を奇貨としてそれを秘密にしていません。秘密の種類によってはとい
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