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体力トレーニング
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2012年、新しく聞こえてくる音楽に以前ほどの輝きをもはや覚えないのはどうしてなのか。 青年期までの僕は、「今はそういう音楽を聴いていても、やがて歳をとれば演歌が好きになるんものなんだ」と吹聴されてきた。それはどこか違うな、ということは当時から感じていた。年齢を重ねての落ち着きが自身の音楽の嗜好性を変えるだろうことは理解できる。しかし、僕の世代の「懐メロ」はもはや演歌にはなりえない。若い頃の音楽体験が落ち着きの底辺に横たわり、そんな記憶が眩しく見えるかぎり、演歌の根を持たない僕たちの世代がその方向に傾くとはどうしても思えなかった。カー・ステレオにサザンの「バラッド」を常備している親戚を眺めて、将来僕はそういう趣向の人間になるのかもしれないとも感じた。 年月を経て分かったのは、確かに若い頃に接した音楽を偏重する傾向は多少なりともあるということだ。しかし、それでも新しい音楽の潮流を蚊帳の外に置
みみたぶ通信 §6 ピチカートとフリッパーズ周辺② ‐会議はおどる/ピチカート紛糾 僕が知る限り、ピチカート・ファイヴについて大論争が起こったきっかけになった最初の記事はミュージック・マガジン一九八八年一一月号の吉住公男氏の「ベリッシマ」(1)評からだ。氏の評論は「前作『カップルズ』(2)は、個人的にまるで素養のないA&Mサウンド(3)とやらがべースで判断がつきかねていたが、これでやっと正体がわかったぞ。みなさん、こんなレコードに騙されてはいけません。」「仏作って魂(ソウル)入れず。キャッチ・コピーが『汗知らずスーパー・スウィート・ソウル』とはまさに言い得て皮肉。マニアックな研究調査にもかかわらず、成分分析あるいは翻訳できない『汗』が最後に残った。振返ってみれば、果敢にも『汗』の謎に挑んでは力尽きて倒れた、先人たちの累々たる屍がたわっている。演歌調のコブシをソウルフルと勘違いしてしまうのに
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