『魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語』において、ある意味「神に背く」存在となった暁美ほむらですが、彼女の救済に関しては様々な意見があると言えます。このような、意見を分類する図すら登場している始末です。 ちなみに、私は「まどかの願いを否定しているよ」派なわけですが。 私は、鹿目まどかが「神に等しい存在」、いや、「新たなる神」になったことを物語では重視する立場をとります。だけど、「叛逆してもなおほむらは救われる機会がある」と考えています。 ところで、正教会の師父に、ニッサのグレゴリウスという人がいます。カリストス府主教の論説で考えれば、 断罪を免れた「全救済」論者 すべての者の救済へのオリゲネスの渇望は、彼の同時代からすでに疑惑の目で見られていました。それでも彼の霊的な子孫たちにはこの普遍的な希望を保ち続けた人たちがいます。その特筆すべき二人の例が四世紀の末に現れます。ポントスのエヴァグリオス