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人間の「生」にとって「スポーツとはなにか」を問う。それは「儀礼」なのか,それとも「贈与」なのか。はたまた「宗教」なのか。この問いはどこまでも広く,かつ深い。 野見宿禰と当麻蹴速の間で繰り広げられた「決闘」の話は,日本人であればたいていの人が知っている。しかも,これが「相撲の祖」として,一般に語りつがれていることも。 しかし,この話,典拠となっている『日本書紀』の該当部分をよくよく読んでみると,野見宿禰は当麻蹴速を蹴り殺しているのである。昨日のブログで書いた話は,まずは,手と手を取り合って力競べをしている。そして「つかみひしぎて投げはなって」いる。こちらは,いくらかこんにちの相撲のイメージに近いものがあるが,野見宿禰と当麻蹴速の相撲はお互いに蹴りあって,蹴り殺してしまっている。いわゆる「決闘」である。このことが,ずっと以前から,なんとなく釈然としないまま,こんにちにいたっている。 しかし,舟
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