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円安とは
kenpi20.hatenablog.com
■「頭痛になるコーヒーとならないコーヒーがある気がする件」について専門店で聞いてみました。 ※以下、専門店の方から教えていただいた内容です。 自分の理解不足などで間違っていたらすみません。 ・基本的には、コーヒーよる頭痛・腹痛の原因は「カフェイン」であることが多い。 ・コーヒー豆の種類によって、カフェイン含有率に差がある。 市場のコーヒー豆は主に「アラビカ種」と「カネフォラ種」の二種だが、 アラビカ種はカフェインが少なく、カネフォラ種はカフェインが多い。 ・つまり、今まで感じていた「頭痛にならないコーヒーと頭痛になるコーヒー」は、 それぞれ「アラビカ種」と「カネフォラ種」かもしれない。 ・実際、今まで頭痛にならなかった「キリマンジャロ」「マックのコーヒー」は、アラビカ種。 今まで頭痛になってきた「インスタントコーヒー」「喫茶店のブレンドコーヒー」には、カネフォラ種が入っている可能性が高い。
数学クイズ なん度? Gakko Net Inc. 教育 無料 『数学アプリ なん度?』FinalStage 20(最終問題)の解法です. 昨日の「オードリーのオールナイトニッポン」で話題に挙がっていたので,解きました. 小学生でも分かる解法が書けたと思います。 ■問題 xの角度を求めよ. ■解答 (ここからネタバレ注意↓) ① 四角形の下に、補助線で正三角形を書く。 ②正三角形を二等分するような縦の補助線を引く。 ③右部分の角度を整理して考えると、75°が2つあることが分かる。 ④75°が2つあることと、2辺の長さが同じであることから、下図の2つの赤い三角形が同じ形(合同)であることが分かる。 ⑤ 2つの赤い三角形は、同じ形(合同)なので、角度も同じである。よって右上の角度は30°である。 ⑥ 以上より,上部の角度が60°だと分かる。 三角形の内角の和の公式より, x=60° 以上です.
『本当に危ないところを見つけてしまった・・・』(通称・本危スレ、蓋スレ)のあらすじを、どこよりも短くまとめました。 ■このページの意義 『蓋スレ』とは、 2ちゃんねるオカルト板において、主に2004~2007年に書き込まれたスレッド。 スレ民達によって綴られた、ひとつのノンフィクションの物語と言える。 いわゆる『怪談』というよりは、スレ民による心理戦を楽しむ読み物である。 かなり知名度のあるスレなのだが、 紹介サイトのまとめがどれも長く、非常に敷居が高い。 なのでこのページでは、『蓋スレ』のあらすじと顛末を、とにかく短くまとめて書いた。 その結果、面白さの大部分は損なわれるとは思うが、 まあ一種のネタバレサイトだということでお楽しみ頂きたい。 ■ごく簡単な概要(ネタバレなし) 「肝試し中、友人が行方不明になった。その場所を探してほしい」 そんな書き込みからスレは始まった。 該当場所の近隣住
ドラマ『古畑任三郎』で、とても好きな回があるので、その紹介。 ※途中からネタバレあり --- まず『古畑任三郎』シリーズの基本設定だが、 一話完結のサスペンスドラマで、毎回ゲストの大物俳優が、物語冒頭に殺人を犯す。 彼(彼女)は巧みに偽装工作する訳だが、それを殺人課の警部補・古畑任三郎に看破されてしまう、という筋書き。 特徴としては、犯人が最初から明示されており(倒叙モノ)、古畑任三郎がその犯行 を如何にして看破するか? という所が見どころとなっている点。 つまり、基本的にミステリーではなくサスペンスな訳だ。 --- で、今回お話するのは、『第2回 動く死体』。 第二回のあらすじは以下のとおり。 歌舞伎役者の中村右近(堺正章)は、過去の自分のひき逃げ事件の口止めに関する口論の末、警備員を殺してしまう。 彼は一旦死体を隠した後、歌舞伎の演目に参加する。 そしてその日の夜、事故死に見せかけるた
久しぶりの日記。 最近僕は、転職活動をしている。 今までとまったく違う職種で、住むところも違い、もう、完全に違う人生を歩もうかどうか、そういう選択の前に居る。 本格的に転職を検討しだしたのは14ヶ月ほど前で、色々と考えながらここまで来た。 それで結局、転職するべきかどうか、未だに全然分からないし、今後も死ぬまで分からないだろう、ということを書こうと思う。 --- なぜ転職したいのか? 理由はもうごまんとある。適当に言っていいなら何万字でも書ける。 でも、そのひとつひとつが正しいのか分からないし、その重み付けも曖昧だ。 仕事は、拘束時間も長いし、住む場所や生活レベル、健康状態、人間関係にも深く関わってくる問題だから、 仕事の選択とは「どういう人生を生きたいか?」という選択だと言っても過言ではないだろう。 だから、自分の人生にとって何が大事なのか、ということをよく理解していないと、仕事は選べな
闘争領域の拡大 posted with amazlet at 14.09.06 ミシェル ウエルベック 角川書店 売り上げランキング: 283,460 Amazon.co.jpで詳細を見る この偉大な小説について、僕の拙い文章力で何かを述べることは難しいのだけど、ひとまず一番言いたいことを冒頭で述べておく。 『闘争領域の拡大』は素晴らしい小説である。 貴方の好みに合うかに関わらず、必ず貴方の中に何かを残していく。だから、一度はお読みになることをおすすめする。 以下、感想。 1.あらすじ、およびプロットについて まず、これは作中で(!)作者はこう明言している。 僕の話は、緻密な心理描写で読者を魅了するという類のものではない。僕には技巧やユーモアで読者を感心させてやろうなんて野心はない これはその通りで、この小説のプロットとしては異常すぎるほど単純だ。 主人公は30歳のフランス人プログラマ。仕
昨日、物理の問題について考えていて、 ある結論を導き出してしまい、非常に悲しい気持ちになっています。 それは「あらゆる物理法則(科学の法則)は、間違っている可能性がある」ということです。 念のため言っておきますが、この記事は宗教論ではないし、ふざけているつもりもありません。 以下に、なぜその結論に至ったかを述べます。 --- まず最初に、本記事の論旨だけ簡潔に書いておきます。 科学(自然科学)とは、「物事の法則性を明らかにする学問」のことである。 そのため、科学は「この世界に法則性があること」を前提としている。 しかしこの前提は、科学では証明できない。 なので、科学が正しいことは、科学的に証明できない。 以上より、あらゆる物理法則(科学の法則)は、間違っている可能性を否定できない。 言いたいことは以上なのですが、分かりにくかったかもしれないので、以下に平易な解説を書きます。 長文ですが、読
<今回のまとめ> ・「科学」は世界を解明するもの、「工学」は世界を改善するものであり、つまり目的が違う。 ・このように、まず目的をはっきりさせることが、物事をうまく進める第一歩ではないか。 今まで何故か抽象的な話ばかりだったので、今日は僕の好きな工学の話をしようと思う。まずは、工学とは何か? という話から。 学問というものは何かにつけ分類され、体系づけられる。それが学問の本質とも言える。 最もメジャな分類方法は「文系」・「理系」というものだろう。しかしこれは教育機関的な必要性から付けられた区分であり、学問の内容に即した厳密な分類ではない。 それに引き換え、理系分野における「科学(ここでは理学とほぼ同義)」・「工学」という区分は、内容に即した非常に分かりやすい境界がある。それはつまり、「その学問の最終目的が、世界の解明なのか、改善なのか」である。 「科学」とは、「この世界はどのように出来てい
久しぶりに日記をネットにあげたくなったのであげます。 特に大きなことがあった訳ではありません。 単なる人生のモデルケースとして考えて頂ければ。 --- ■2017/4/10 仕事が今日も忙しい。 数ヶ月前から長期出張で現場に来ている。ロボットを生産現場に導入するのだ。 朝のミーティングでは、僕が担当の装置に関しては特に触れられず。ほっとする。装置に問題がない訳ではなく、他の装置に問題がありすぎるのだ。 それを横目に見つつ現場へ。 今日は装置のティーチングを行った。 ティーチングとは、簡単に言えば、ロボットに動きを覚えさせる行為だ。 手足を動かして前進させてから、 「これが『歩く』という動作だよ。覚えてね。じゃあ、明日から一人で『歩く』を行ってね」 とロボットに教示する作業を指す。 基本的な動作はもちろんティーチング済だが、この度特殊な形状の新製品を扱うことになり、その影響で新規の動作が必要
数年前まで、少しだけ同人活動をしていたので、今日はその話。 ちなみにここで言う同人活動とは、「趣味で漫画や小説を書くこと」ではなく、「即売会で同人誌を売る(頒布)すること」である。 まず最初にネガティブな話から。 なぜ僕が同人活動を辞めたかというと、「創作活動以外の部分があまりに大きいから」である。 同人誌制作というと「漫画家(作家)っぽいこと」をやるイメージがあるが、実際には「編集」「装丁」「宣伝」など、本作りに関わる全てのことをしなければならない。 そして、そちらの方が作業量・コスト・売り上げ貢献度ともにはるかに大きい。 つまり即売会の本質は、作品を作ることではなく、効率よく宣伝したり、人と交流を図ったり、本の見栄えを良くしたりすることにあるように感じた。 で、僕は宣伝や編集にあまり興味が無かったので、同人活動を続ける気にはなれなかった。 ※ちなみに、僕が作家を目指す理由はそこにある。
機動戦士ガンダム Blu-ray メモリアルボックス (初回限定生産) 出版社/メーカー: バンダイビジュアル 発売日: 2013/08/28 メディア: Blu-ray クリック: 4回 この商品を含むブログ (22件) を見る 【公開年】1979年-1980年 【視聴時】2015年 【レビュー執筆時】2015年 ■このアニメを見た理由 初見。 まず、僕はテレビアニメに詳しくない。全話見たアニメはエヴァとハルヒと苺ましまろくらいだ。*1 で、ガンダムという作品名はもちろん知っていたのだけど、何分古い作品なので見ていなかった。 そんな中、友人にガンダムオタクが多く興味があった事と、 有料チャンネルで同監督の『伝説巨神イデオン』(映画版)を見て、非常に面白かったので、今更ガンダムも見てみることにした。 少年に戻ったかのようなワクワク感を期待して。 ■あらすじ 人類が宇宙に移住を始めて80年。
作者が制御しきれている物語と、そうでない物語の話。 例えば、"若者"について語った物語は、 「"若者"を卒業した大人が、俯瞰的立場から若者を代弁する物語」と、 「"若者"が、等身大的立場から若者を代弁する物語」がある。 前者の例としては,サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』や、宮沢賢治、重松清、宗田理などが挙げられる。 後者の例としては、サガンの『哀しみよこんにちは』や、綿矢りさなどの若手作家の作品が挙げられる。*1 前者(大人が書いた若者の物語)は、作者に完全に制御されている。作者は主人公の気持ちの変化の理由を知っているし、それを操ることが出来る。 こういう物語は、理屈にそった無理のない物語となるというメリットがある一方、リアルさに欠けて迫力がない可能性がある。 後者(若者が書いた若者の物語)は、作者が物語を制御しきれていない。作者は主人公たちがなぜそう思い、そう行動するのか、その理由
昨日と一昨日のパズル記事の影響で、アクセス数が伸びている。 おそらく人気のアプリだったのだろう。 もしその中の数名が本ブログの他の記事を見たら、その脈絡の無さと暗さに驚くだろう、と想像すると少し笑える。 そんな事を考えながら、今日はアクセス数を稼ぐ方法とその意味(の無さ)について、少し考えてみる。 --- 素人がアクセス数を稼ぐ最も簡単・有力な方法は、他の人気コンテンツに乗っかることだろう。 例えば人気ゲームの感想を書いたり、新商品のレビューをしたり、話題のニュースについて書いたりということだ。 ただの感想でも良いだろうが、著作権を侵害するような内容のほうがアクセス数は稼げるだろう。 現にそういうサイトが人気を得ている。 --- そういう記事を書く際のポイントとして、人気の「固有名詞」を出すことが重要であろう。 何故なら、ネットユーザーのほとんどは検索サイトから各サイトにたどり着くからだ。
ブログ風タイトル。 久しぶりに暗くない話で、昨日の午後8時頃の話なのだが。 僕は大学の図書館に本を返す用事があって、大学の敷地内を歩いていた。 図書館は少し奥まったところにあり、夜だったこともあり人通りは少なかった。 図書館に近づいていくと、建物の前に二人の人影が見えた。二人とも研究室の先輩だった。男の先輩と女の先輩だった。 先輩たちは何か口論をしているようだった。何というか、非常に感情的な顔をしていて、研究の話をしているようには見えなかった。 まずいことになったな、と思った。 彼らがどんな関係で、どんな話をしているのかは分からない。ただ、こんな人通りの少ない所で話し込んでいる時点で、少なくとも知り合いには見られたくない一面ではあることだけは分かった。 僕は最初、彼らに気付かないふりをして図書館に入ろうかと思った。が、それは彼らの位置関係上、不可能だった。 これ以上近づいたら、僕が彼らに気
人生に絶望している人は、おそらく二種類に分類できる。 世界そのものに絶望している人と、 世界には絶望していないが、自分の現状に絶望している人だ。 世界そのものに絶望している場合、対策は「まだ知らない物事の中から、面白いものを探す」しかない。 とはいえそもそも、人間が人生の中で知ることが出来る物事などたかが知れており、世界のごく一部に過ぎない。 そのごく一部を見ただけで「世界そのものに絶望」するのは、時期尚早というか、短絡的と言わざるをえない。 現状にのみ絶望している場合、対策は、その現状から逃れることになるだろう。 その際、現状の内でどの部分が本質的な問題なのかを突き詰めることも重要になる。 前者に比べれば、この「現状にのみ絶望」のほうが論理的だ。そして救いがある。 とはいえ、人生には「逃れられない現実」もあるから、絶対に助かるとはいえない。 僕自身の話をすると、まず、「世界そのものに絶望
今日あった少し悲しい話。 まず話の前提として、僕はいわゆる「芸術家」みたいな生き方に憧れている。 というのも、僕は「安定した生活」ばかりを目指して、安定した会社の正社員になるべく生きてきたからだ。 だから、「芸術」のような世界には、自分の知らないような楽しいこと、輝かしいことがあるのではないかと思っていた。 それを踏まえて、今日のバイト先での話。 僕のバイトは飲食店のキッチンで、いつも社員の人(30歳くらいの男性)と二人で料理や下ごしらえをしている。 その人は、とても悪い人ではないのだけど、辛辣な言い方をすれば「普通の人」で、僕にとって特に興味を惹かれる点は無かった。 しかし今日、その社員さんは雑談の中でぽつりと言った。 「俺、学生時代にちょっと演劇をやっていたんだけど」 僕は驚き、そして彼に興味を持った。 演劇は、僕の中の「よく知らないけれど夢見ているもの」の筆頭だったからだ。 聞いてみ
<今回のまとめ> ・自分に生きる気力が沸かないのは、「君には価値が有るよ」という好意的な周囲の意見を無視しているからである。 ・無視する理由は、他者の価値観を重視することに抵抗があるからである。 ・「他者の価値観を軽視すること」は本当に悪いことだと思う。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 なぜ、僕には生きる気力がわかないのかを、思考整理しながら書いた。 これは一般論ではないので、皆さんには当てはまらないかもしれない。というかおそらく当てはまらないだろう。そういう意味でタイトルに『自分には』と書いた。ある一つのケースだと捉えてほしい。 ちなみに、特に現状打開の案も提示しないので、期待しないでください。 僕は今のところ、あまり「生きる」ということに執着が持てない。死にたい、と強く思うわけではないが(本当に思ったら死んでいる)、生きたい、と強く思えない。例えば明日マラソン大会に出なければならなくなっ
最近おぼろげに想っていること。 人生というと、「目標を定めて、それに向けて努力すること」が正しいとされることが多い。 でも、「楽しい瞬間を維持する」ってだけでも、十分なのではないか。 何か偉業をを達成する必要なんて無いんじゃないか。 ただ、後者の「楽しい瞬間を維持する」というのは、楽なようで、実は厳しい条件がいくつかある。 まず第一の条件として、今が楽しくなければならない。 貧困にあえいでいるとか、病気で体が痛いとか、精神を病んでいるとか、叶えたい夢の前で苦しんでいるとか、人間関係などに問題を抱えていているとか、そういう状態では「今が楽しい」とはいえない。 これらを全て解決しなければならない。 次に第二の条件として、今後も楽しい状態を維持できる見込み、が必須である。 そういう意味で、例えば学生のうちはこの条件は満たせない。 何故なら、確実で定期的な収入が確保できていることが必要条件だからだ
家族の生活音を聞きたくなさすぎて、自室で耳栓をしてこれを書いている。 まあそれ全く関係ないのだが、今日は子供時代に考えていた「大人たち」についてだ。 今日もつまらない話です。 --- 僕は子供の頃、「大人たちはすごい」と思っていた。 何故なら大人たちは、毎年夏休みの宿題をちゃんと出してきたからだ。 そして、教科書に載っていることを、ちゃんと学生のうちにマスターしてきたからだ。 それらの結果として、ニュースとかで話している、「政治」とか「金融の仕組み」といった難しい話もちゃんと理解しているのだ。 実生活でも、保険とか、銀行の手続きとか、国勢調査とか、そういう難しいものをちゃんと理解して使用しているのだ。 そういったとても難解な物事をきちんと理解しているなんて、大人は凄いと思った。 逆に言えば、大人になることはとても難しいことだと感じていた。 「普通の大人」になるためには、必死に勉強しなければ
昼から下世話な話で申し訳ないのだが、なんともまあお金が足りない。 来年から一人暮らしを始める関係で、まとまったお金が必要なのだ。 始めた後は社会人だから特に問題はない(?)のだけど、初期投資はどうしても必要になる。 親の援助に関しては、親は気分で意見がころころ変わる人なので、とてもじゃないが信用できない。 で、今は院生をしながらバイトをして、切り詰めながら暮らしている訳だが、 なんというか、お金の問題というのはソリッド的というか、シビアというか、人情味がないな、と思う。 物理的に無理な壁というのがあるのだ。 卒業を控えた院生だから、これ以上働く(バイトを掛け持ちする)のはほぼ不可能だ。 節約も、食費以外は何も使っていないのだから、これ以上は難しい。 何というか、「努力で何とかなる限界」が見えている。 精神論ではどうにもならない世界。それがお金の問題だ。 お金は、人生の全てでは決してないけれ
打って変わって、今日は抱腹絶倒の面白エッセイです。 --- 最近、僕は哲学に少し興味を持っていて、図書館で初心者向けの哲学入門書を借りてきた。 その本は、中学生でも分かるくらい平易に書いてある本だけれど、哲学初心者の僕にはちょうどいいかな、と思った。 僕は大学に向かう電車内でその本を開いた。 冒頭には、こんなようなことが書いてあった。 哲学は、「人間はどう生きるべきか」「道徳の根本とは何か」といった問題に取り組む学問です。 しかし、哲学は、実生活に応用できるとは限りません。 なぜなら哲学は、社会や人生における「理想状態」を追及するものだからです。 「その結論を、どのように実生活に活かすのか?」ということは、哲学者の考える問題ではありません。 豊かな生活を求めるのであれば、哲学書ではなく料理のレシピ本や電車の時刻表を読んだほうが良いでしょう。 これは、例えるならば、哲学書は「文法の教科書」で
暇な休日を過ごしている。 ここ一週間くらい、割と真面目に作業していたおかげか、今日は特に〆切に追われていない。 で、タスクのない休日というのは、どうも何をしていいか分からず、ぼーっとしてしまう。 とはいえ、やりたいことが無い訳ではない。 最近、演劇を観に行きたいなあと想っている。 前に書いた映画『ミツコ感覚』の影響もあるし、友人との会話でもたまに演劇の話を聞く。 生で演劇を見たことはほとんど無いので行ってみたいのだが、いかんせん値段が高い。 来年の一人暮らしに向けてお金を貯めなければならないので、そうそう浪費は出来ない。 早く、「お金」等の現実的な(下らない)物事から開放されて、「物語」とか「演出」といった、何の役にもたたないことに時間を使いたい。 --- 話を一般化するけれど、 僕は、「生存のための時間」(お金稼ぎ等)よりも、「生存と関係のない時間」(趣味等)のほうが、人生の本質なのでは
久しぶりに軽い笑い話。 今日は、知人の実験の被験者を行ってきた。 その実験は、あまり詳しくは書けないのだが、脳活動を測定するものだった。 頭に「脳計測装置」(たくさんコードが付いた帽子のようなもの)を付けられ、その状態でアレコレと動作をさせられる。 その際、僕は何も感じないのだが、実は頭に近赤外線を投射されている。 その近赤外線の反射の度合いが、つまり僕の脳活動の活発さを示しているわけだ。 この装置により、「どの動作をしている時に、脳のどの部分を使っているのか?」が丸分かりとなる。 しかしこの装置には一つ問題がある。 それは、この装置が、装置と相性のいい人しか測定できないという点だ。 つまり、頭の形や頭の中の構造(血管の位置とか)が少し特殊だと、近赤外線がうまく反射しないために、うまく結果が出ないのである。 この条件が結構シビアで、測定が出来るのは5人中3人くらいで、測定が出来た人の中でも
そろそろ、また学業に力を入れなくてはならない。 僕は工学部の修士2年なのだが、最近は落ち込んだりしていたせいであまり研究をしていない。 で、もうすぐ秋季の発表などが始まるので、何かしら進捗を出さなくてはならない。 最近は、恋人と別れたし、バイトもそれほど入っていないので、研究に割く時間的余裕はかなりある。 だが、モチベーションが上がらない。 「したくないこと」に対するモチベーションの保ち方を、すっかり忘れてしまった。 こんなことは6歳とか7歳のうちに身につけておくべきだよなあ、と他人事のように思う。 このまま発表直前まで作業しない場合、留年ということはほぼ無いが、色んな先生たちにこっぴどく怒られる。これは由々しき事態である。 だから作業をしたほうが良い。頭では、嫌というほど分かっている。 最適化を図ると、疲れるのは、何故だろう? 「一般的にどうすべきか」は、大体分かる。 飲み会では他人を持
創作における台詞の話。 『ミツコ感覚』という映画を見たのだが、映画内のセリフがあまりにもリアルで驚いた。 言わされている感じが全くなく、役者とも合っていて、不気味な程だった。 この脚本を書いた人間が実在する、ということが信じられない程のリアリティだった。 で、映画情報サイトOUTSIDE IN TOKYOに監督・脚本の山内ケンジさんのインタビューが載っていて、そこでこんな話をしていた。 山内:そうですね、作者が、プロットがあるとそこへ持っていくために強引に会話を、無理をさせて、そこへ持っていくから、そういう時ってしらけちゃうんだけど、その会話自体が成立していて、それを積み重ねていくと妙な変な柱へ向かっていくいうか、そういう書き方の方がどう考えても自然な流れに会話としてなるのでね、そういうのが多いです。 つまり、プロットよりも会話の自然さを優先している、ということだ。 しかしそれで物語の展開
あんまり正確なソースは無いのですが、小説のジャンルごとの人気の傾向を書いておきます。 今回は、「読み手に人気のジャンル」「書き手に人気のジャンル」「ネット上で人気のジャンル」について書きます。 1.書籍の売上において人気のジャンル……『時代小説』、『ミステリ』 読み手が多いジャンルは"時代小説"と"ミステリ"です。 時代小説の売上の高さは凄まじく、しかも一過性の物ではありません。 そもそも「大衆小説 = 時代小説」という時代もあったほどの大人気ジャンルで、その人気は今でも衰えません。 若い世代だけを見ると、時代小説だけが突出した存在だという印象は無いかもしれませんが、全世代の売上の合計を見るとやはり素晴らしいものがあります。 最近で言えば『永遠の0』なども時代小説として大ヒットしました。 また、広い意味でのミステリ(医療モノや警察モノも含む)は非常に人気があります。 東野圭吾、伊坂幸太郎、
「どうしようもない人間には、距離をとるしかない」という 僕なりに前向きな日記です。 最初に例え話をしましょう。 ある日、自分の部屋で、一週間ほど放置してしまったコンビニ弁当を見つけたとしましょう。 もちろん、中身は完全に腐っています。 さて、どうするのが正解でしょうか。 ・食べますか? まさか食べられるはずがありません。 ・中身がどう腐っているか、つぶさに観察しますか? おそらく、胸糞悪くなるだけでしょう。 ・もとの状態に戻すために努力しますか? 魔法でも使わない限り、不可能です。 ・弁当を他のことに使いますか? 腐った弁当が何の役に立つというのでしょうか。畑の肥料にだって、もっと良いものを使うべきです。 ・怒りにまかせて床に叩きつけますか? 言うまでもなく、そんな事をしても被害が拡大するだけです。 ※「原因を探る」「再発防止案を練る」というのは、大事なことではありますが、「目の前の弁当を
今日のタイトルは、『ぼのぼの』(劇場版)からの引用である。 今日は気分が良い…? 気がする。 分からない。多分、悪くはない。 感覚が色々と鈍っているせいか、ポジティブだ。 今日のタスクはそんなに多くないし、いつも通り特筆すべき事項のない日々だ。 別に良いこともないけれど、現状を我慢することで満足していきたい気持ちである。 そういえば、あれだけ騒いでいたバイトは、やはり続けることにした。 情にほだされた訳ではない。身銭が欲しかったからだ。 今のバイト先は決して褒められたものではないが、 他のバイト(時期的に短期バイトしかない)を始めるよりはまだマシだと思えたため、続けることにした。 別に、今このままバイトを辞めても、餓死することはないだろう。 ただ、遠距離の恋人と会う頻度は減るだろうし、昼食を食べる頻度も、飲み物を買う頻度も下がる。 それ自体が嫌というより、そうした変化を考えると気疲れして
自分でも良くないことだと思うが、 何をしても自由な休日よりも、そこそこ忙しい日のほうが生きるのが楽に感じる。 というのは、忙しい日というのは、 「これをしている間は、僕に何の罪も犯していない」 と思うからだ。 何をしても良い時間になると、僕は何をすればいいのか分からない。 例えば映画を見るとしても、「本当に最良の選択だろうか」と思い悩んでしまう。 本を読もうとしても、「この本を読むことに本当に意味があるのか」と不安になってしまう。 昼まで寝ていると、用事がない日でも自己嫌悪に陥る。 つまり、僕の中に「意味のないことは罪悪」という規定があって、 常に自分の中の小人に「お前は駄目な人間だ」と罵られることを怖がっているのだ。 これが間違っていることは、頭では分かっている。 休日は何をしてもいいし、自分が楽しいのなら無意味でもないし罪悪でもない。 人生の目的なんてものは自分勝手に決めればいい。 頭
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