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kfujiiasa.hatenablog.com
NHKBSのプレミアムシネマで放送された米映画「ショーシャンクの空に」を録画してようやく観終えた。 1回目はどこで観たのかハッキリしないが途中から2回目であることに気付いたものの映画自体の吸引力に引き込まれて最後まで集中して観ることが出来た。 【以下少しネタバレになります、要注意】 テイム・ロビンスが演じる主人公のエリート銀行員が無実の罪の終身刑でショーシャンク刑務所に収容される。 一見「やわ」そうに見える彼がその持っている、忍耐力、反骨心、金融知識、包容力、石を愛好する趣味力(?)、継続力等々の総合力で過酷な刑務所を生き抜く。 その間、主人公の持つ魅力に牽かれたモーガン・フリーマン演じる囚人の一人と心を通わせるようになり、また囚人仲間との交流が生まれる。 刑務所内は所長と看守長の非道がまかり通っている中で、主人公の金融・税務知識が彼らに重宝されるが、自らの無実を証明してくれる証人の囚人仲
私の書いてるこのブログは自分で振り返っても少し硬い内容が多いが、自分のスタイルを今さら変えるわけにもいかず自分の文章を貫こうと思っている。 こんな硬い内容ながら長く続けているせいか、当初は毎日の訪問者数が10~20件程度だったのが、最近では100~150件を毎日推移しているデータが出ており、本当に読んでもらっている方々に感謝して毎日の励みになっている。 私がこのブログを書くきっかけのひとつが、今まで史料などを少しずつ集めてきたふるさとの山口県厚狭の街の歴史の事などを書き残しておきたいと思ったところにある。 昨日厚狭在住と言われる見知らぬ読者の方から「厚狭のブログを検索していたらこのブログにたどり着いた」とまさに私が始めるに当たって期待していた、とても嬉しいコメントを頂いた。 昨年、このブログに500回程度に渡って書いて来たふるさと厚狭の事などをとりまとめ「厚狭吉亭日乗・ふるさと厚狭&歴史の
原口 泉著「日本人として知っておきたい琉球・沖縄史」PHP新書 を読み終えた。 用事で駅前へ出た折、帰りのバスの待ち時間が小1時間生じてしまい、さてどうしようか? こういう場合私の行動パターンは大体2つに集約される。 ①近くの喫茶店でコーヒーを、 ②近くの本屋を探して新刊を見て廻る、 今回は出掛けにコーヒーを飲んで来たので必然的に②へ。 見て廻るのはとても楽しい時間なのだが、この場合の問題はついつい1冊買ってしまうことで、ある時期から後始末も考えて「本は借りることにする」方針に逆らってしまう。 今回もまさに方針に逆らってつい購入したのが冒頭の本でただ小さい新書なのが少しの救いなのかもしれない。 著者の専門は日本近世・近代史特に薩摩藩の歴史で、NHKの歴史番組でもよく見かける。大河ドラマ「西郷どん」の時代考証でも字幕に出ていた。 沖縄の近世以降の歴史については2019年4月9日のこのブログに
用事が出来て兵庫県神戸市の垂水(たるみ)まで出掛けてきた。本来なら車で行くのだが約束の時間が通勤等と重なり渋滞に巻き込まれる事から電車で行くことにした。 最近開通したJRおおさか東線、地下鉄東西線経由で尼崎まで出て、そのままJR神戸線で垂水駅へというルートを選択、ドア~ドアで2時間かかった。乗り換えは全て同一ホームで階段の昇り降りがなく数分待ちで、JRの時刻表も上手く出来ているものだと感心してしまった。 スマホで路線を調べたのだが西へ行くのに大阪駅を経由しないのは初めての貴重な経験。 初めて乗車した神戸線で窓の外を見ていると、神戸駅の次が兵庫駅となっており、以前から良く分からなかった兵庫(県)と神戸(市)はどう違うのか、ここで更に疑問を感じてしまい少し整理してみることにした。 日本史で出てくるこの地域の重要な港・湊(みなと)は全て兵庫である、例えば、 ・平清盛が中国・宋との貿易を意図して開
慶応元年(1865)は長州藩が幕府の大軍を迎え興廃を掛けて戦う四境戦争(第二次長州征伐)の年であり、4月に幕府は諸大名に動員令を発した。その後実際に幕府が長州に攻撃をかけるのが翌慶応2年6月であり、この一年強を長州藩は軍制改革、軍備増強に邁進する。 代官所日記の閏5月~8月にも藩の指示を受けその対応に関する記述が急激に増えてくる。(多数の記述を要約する) ①(兵糧米として使うため)米の売り出し、積み出しを禁じ領内の有徳人(うとくじん・金持ち)に積極的に他国米を買い入れるよう奨励する。無断で売り払った者は速やかに斬首、売り出し積み出しを速やかに届け出た者には褒美としてその分の5分(%)を与える。 この禁令に関して色々な禁制破りの問題事例が頻発していることが記録され、代官所はこの対応に追われている。 ②松明(たいまつ)やわらじなどの準備も指示される。 ③軍資金調達のため御立山(おたてやま・藩有
大阪から神戸・垂水へ引っ越してようやく半年が過ぎた。隣接の自治体とはいえやはり歳を経ての住所変更は感じることが色々あり、思い付いた都度書いておきたい。 私の好きな歴史についても全くの思い違いがあった。 私の今まで住んだ大阪府はよく摂河泉(せっかせん)と呼ばれ旧律令制の国名、摂津(せっつ)、河内(かわち)、和泉(いずみ)の3国で構成されている。 また近畿のもとになった畿とは天子のおわす都、またはその地域を指し、日本の場合通常五畿内(ごきない)といわれ、先の三国に山城国(やましろのくに・京都府)と大和国(やまとのくに・奈良県)を加え五ヶ国を云う。 それで摂津国と兵庫県を代表する播磨国(播磨国)の国境はてっきり現在の県境と同じで尼崎や伊丹辺りから播磨国だとずっと思っていた。 実際は神戸市の須磨辺りまで摂津国になり五畿内に含まれる。平清盛が開発した大輪田の泊や兵庫湊は畿内に入る訳で当然と云えば当然
NHKBSプレミアムで放送された2021年の松竹映画「キネマの神様」を録画して観終わった。 松竹映画の100周年記念映画ということで現在も松竹のエースというべき山田洋次監督が作家・原田マハさんの同名小説を映画化されたものである。 ネタバレを避けて簡潔に書くと、撮影現場で助監督として働く主人公「ゴウ」が自ら脚本を書いた初監督作品「キネマの神様」の撮影途中で失敗、挫折、帰郷する。 それを追いかけた恋人と結婚したものの、今は酒や競馬で借金も作り娘や孫にも愛想をつかされている。ゴウの孫が昔の「キネマの神様」の脚本を読んだことから、キネマの神様が実際に微笑みかけて来るようなストーリーが生まれることになる。 ゴウの若い時を菅田将暉、老いた日を沢田研二、ゴウを追いかけ結婚する娘を永野芽郁、老いた妻を宮本信子、他に寺島しのぶ、北川景子、小林稔侍、リリー・フランキー等々記念映画らしく錚々たる出演者が並ぶ。
先にアップした「頑張れ美祢線」の記事でようやくこのブログも1000回に到達しました。 いつも見ていただいている同級生の皆さん、厚狭の皆さん、知人の皆さん、はてなブログを書かれている皆さん、本当にありがとうございます。 2019年3月に「初心者で始められる」のうたい文句につられて恐る恐る始めたものが、何とか所期の目標回数まで来ることが出来、おまけに中間時点ではこのブログに書いた内容をベースに自費出版本「厚狭吉亭日乗~ふるさと厚狭&歴史の彼方から~」にまとめることが出来ました。 読者の皆さんの励ましのお陰と大変感謝しています。 ところでこれから2~3ヶ月間集中してやりたいことが別に出来た為、やむを得ず当面このブログは中断させてもらいます。 落ち着き次第、新しい切り口も交えて再開するつもりでいますので今後ともどうぞ宜しくお願いします。 2022年2月25日 八尾ノ厚狭吉
私が初めてベルベル人という言葉を聞いたのはアメリカ映画「風とライオン」を大阪市内確か道頓堀にあった劇場で観た時で、私は封切り映画として観た記憶があるので1976年のことである。 余談ながらこの映画は私が観てきた映画のなかで10指には入ると思う映画で、北アフリカ・モロッコを舞台に、植民地化の波にのみこまれそうな20世紀初頭、ショーン・コネリー扮するベルベル人・リフ族々長が、キャンデス・バーゲン演じる米国婦人とその子供を誘拐、それによって起こるモロッコ、米、仏、独間の戦闘や族長と婦人との心の交流が描かれる。 ・風とライオンのパンフレット それ以来、映画やTVの紀行番組などで数回「ベルベル人」を耳にしては興味を覚えていたが、先日借りた本を返しに行った近所の図書館でたまたま「ベルベル人 ー 歴史・思想・文明」ジャン・セルヴィエ(仏)著 私市正年/白谷望/野口舞子訳 白水社刊 を見つけて借り出した。
「中年の本棚」萩原魚雷(おぎはらぎょらい)著 紀伊國屋書店刊を読み終えた。 近くの図書館に行った折に新刊書コーナーでたまたま手に取っただけなのだが。 変わった名前の著者だが本名だろうか? 略歴を見ると1969年生まれとあり私と20年違うので丁度題名に相応しい年齢と言えるが、そう考えると私はもうはるか昔に中年を卒業していることを思い知らされ少しだけ落ち込む。 著者は文筆業とあり紀伊國屋書店の無料配布季刊本のなかで本にまつわるエッセイを書いてきたのを編集し直したものらしい。 紀伊國屋書店は文筆家でもあった田辺茂一(たなべもいち)氏が新宿で創業された大型書店で、若い頃大阪梅田に初めて出店されたとき、私も本好きで興味が湧きわざわざ出掛けたが、当時としては破格のスケールでビックリした記憶がある。 余談だが田辺氏は酒好きで有名で、当時酒を飲んだ翌朝に良いということでトマトジュースのCMに出演していた。
はてなブログの運営会社から「ブログを開設されて四年になりました」という通知がメールで来た。 そうか、「誰でも無料でブログが始められる」というキャッチコピーに釣られてもう四年になるのかと我がことながら少し感慨もありデータを見てみると ・投稿回数が1310回 ・累積アクセス数が91083回 ・現在の読者数が301人 になっており、故郷厚狭の歴史のことなど余り一般的ではない内容にもかかわらず有難いことだと感謝している。 やり始めるとついつい毎日書くのが習慣になってしまうが、今後は毎日に余りこだわらず「書きたいことがある時に書く」を基本に出来るだけ長く続けていきたいと思っている。 また昨日はお彼岸で永く住んだ大阪八尾まで車で墓参りに行ってきた。良い天気に恵まれひょっとして近くの桜が咲いているかなと思ったもののまだまだ少し早くて残念。 自分が住んでいた場所を通り抜け、車から客観的に見るのもなかなか複
2023年は池波正太郎、司馬遼太郎という国民的人気作家2人の生誕100年に当たるということで色々なマスコミで取り上げられたり行事が計画されている。 日経新聞の元旦記事第二部でも「歴史・時代小説の巨星 生誕100年」との見出しで紹介があった。 共に1960年に直木賞を受賞しているがその作風は大きく異なる。私は世代的にも両者が精力的な執筆活動を繰り広げた時代を共に生きており、かなりの分量を読んできた自負もある。 池波正太郎さんは亡くなられて33年、司馬遼太郎さんは27年経過しているものの、その作品は全く色褪せず常に文庫本は売れ行き上位にランクされ、ドラマ化も頻繁で広く国民に受け入れられていることがわかる。 池波正太郎さんの代表作のひとつ「まんぞく まんぞく」が生誕100年BS特集時代劇として石橋静河さん主演の女剣士役で最近放送され、本で読んだ印象とは少し異なることを含め楽しく観させて貰った。
旧日本軍の「軍隊手帳」というものを初めて見させてもらった。正確には表紙に「軍隊手牒」と旧字体で書かれているもので旧陸軍兵の所持した形式、海軍は錨マークが入った別物があった。 旧軍はこの手帳の取り扱いを厳しく指導したとされ汚すことなどもっての他で内容の暗記も要求された。 入居している施設の俳句サークルに入っている方から参考にと父親の遺品を持参いただいたもので、このような手帳が有ることは知っていたが実物は初めてである。 内容を見ていくと 1、軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ) 明治15年天皇の名で発せられたもので、過去の歴史から説き起こし軍人の本分を示し、大正、昭和の代変わりの追加分もそれぞれ載っている。 明治15年の最初の軍人勅諭は故郷の大先輩で奇兵隊出身、明治陸軍の骨格を作った山県有朋(やまがたありとも)が主導したと言われ、そのせいか国民的人気はその功績に比して高くない。 2、心得 軍隊手帳の取
昨日は久しぶりの地域ゴルフ同好会「田球会」があり滋賀県大津市瀬田のゴルフ場へ再び出掛けてきた。 概ね3ヶ月に1回の割合で開催されるが、2回連続悪天候などで中止され約9ヶ月ぶりのコンペ会である。 天候には恵まれたがグリーン上でのパターの出来が散々でスコアーは46、50、トータル96、目標を7打もオーバー、落ち込んだものの他の人も悪く3位賞を頂いた。 パターが悪くなると通常のショットまでおかしくなる、次回までどう改善できるか悩ましい。 瀬田にはゴルフ場のすぐ近くに名高い「瀬田の唐橋」がある。唐橋の名前の由来は「からみ橋」、「唐模様」など諸説あるようだが京が都で天下そのものであった時代を通じて「唐橋を制するものは天下を制す」という言葉がある程その重要性は古来から変わらない。 地図を見るとよく理解できるが東国から京を目指そうとすると(逆の場合も)琵琶湖の険しい北岸を大きく迂回するか、琵琶湖の南端か
昨日は本当に久しぶり、多分2年ぶりの同窓会で昼時に大阪北新地へ出掛けてきた。 コロナのこともあり小ぢんまりとした集まり、ふるさとの中学校の卒業生で大阪周辺に住んでいるものが7人集合した。 いつも思うのだが半世紀以上も時間が経過して、500km以上の空間を超えて集まれているのは不思議で、貴重な、また大変ありがたいことに違いない。 皆さんや幹事役の骨折りの賜物と言えるかもしれない。 コロナに気を遣いながらだが互いや友人の近況などに話が弾んだ。 小学校や中学校時代の写真を持参してきた方が居られそれを見てなんとも云えない時間経過の不思議を感じることになった。 また息子さんの海外赴任が近いとのことで少しアドバイスさせてもらったり、今まで私のブログが見ることが出来なかった方に検索方法を伝えて見ることが可能になったことや、同級生がこのブログを楽しみに見てもらっていることが分かり、自分にとってもとてもよい
歌手・加藤登紀子さんが歌う「百万本のバラ」は好きな歌のひとつである。 あの繰り返すフレーズ「あなたにあなたにあなたにあげる」のところがお気に入りで何回か唄う努力もしてみたが、全体に難しい気がする歌で生来の音痴にはなかなか歯が立たない。 元々ロシアの歌で加藤さんが気に入って自分で日本語の詞を作り持ち歌とした話は聞いていたが、元歌に関しては全く知識がなかった。 9月22日の産経新聞朝刊一面のコラム「産経抄」にこの点に触れた記事が載っていた。それによると ・この歌はロシアの国民的女性歌手 アーラ・プガチョワさんが歌っていた。現在プガチョワさんはソーシャルメディアを通じて政権批判を繰り広げている。 ・ロシアの詩人による詞はジョージアの貧しい絵描きをモデルにしている。 ・原曲はラトビア(バルト三国)の音楽家が、自国の愛国詩人が大国に翻弄される悲劇を詠った作品をもとに作ったもの。 プガチョワさんを知り
10月16日の続き 慶応2年(1866)周防大島・大島口の戦いで始まった長州藩にとっての祖国防衛戦争は、過去の厚狭毛利家の俗論派寄りの立場もあり当初厚狭兵は動員から外されていたようである。 明治21年に記されたふるさと厚狭の戦死者を祀る招魂場(しょうこんじょう)の由来を書いた「観山招魂社由来(かんざんしょうこんしゃゆらい)」を読むと、当時慶応2年、小倉口の戦いが起きるとこの方面の指揮官・高杉晋作宛に嘆願書を出し 「以前の因循(いんじゅん・古きにこだわる)の汚名をすすぎたいので兵を出したい、了解してほしい」と訴え高杉から出兵が認められたとある。 (当然のことながら漢文であるこのくだりを読むと、藩内で不遇に追いやられた毛利一門の厚狭毛利家が、その立場を何とか挽回したいという切々とした思いが伝わってくる) 当時の厚狭毛利家の記録「豊前(ぶぜん・福岡県)出張戦争人員附出」を見ると戦いに参加したのは
昨日は岡山・倉敷から来た娘が施設の私たちの部屋に前泊して合流、私の車で3人、お盆には少し早い墓参りに大阪八尾へ行ってきた。 引っ越してから一度玉葱収穫も兼ねて立ち寄り、その時墓参りもしたのでおよそ2ヶ月ぶりとなる。 大阪に下宿中の孫も合流する話もあったが、コロナのこともあり残念ながら断念し小遣いだけ娘に預けることにした。 (その後孫より元気な電話があり就活状況などを話した) いつも混み合う神明道路や阪神高速も殆んど混雑すること無く往復共に約1時間比較的楽なドライブで、お盆の前倒し墓参りは良い選択だった。 墓の周辺はさぞかし雑草が生えていることだろうと気になっていたが意外なことに殆んど草が見当たらず暑さのせいかもしれず、お参りだけで楽をさせてもらった。 終って以前時折訪れていた懐かしい八尾の食堂で昼食。 それでも神戸に帰り着くとさすがに少々ぐったり、娘のお土産・桃入りロールケーキとコーヒーで
2012年に本屋大賞を受賞した直木賞作家・三浦しをんさんの小説「舟を編む」は、当時娘から頼まれて文庫本を購入して渡した記憶があるが、私自身はまだ読んでいない。 その「舟を編む」の映画がNHKBSで放映され録画して観ることが出来た。日本アカデミー賞を受賞したという話は聞いていたが噂に違わず地味ながら見応えのある映画だった。 兎に角出演者が主演の松田龍平をはじめ宮﨑あおい、黒木華、オダギリジョー等の若手有望株で、彼らをバックアップしているのが、加藤剛、小林薫、八千草薫、渡辺美佐子等々でこれだけ並べられると集中して鑑賞せざるを得なくなる。 筋書きはもう周知の通り国語辞書を編さんする仕事に就いた青年が15年かけて遂に完成にこぎ着けるまでを、私生活や周囲の人間像を交えて描いていくもので、その編さん作業のプロセスが実に丁寧に表現され、原作を読まなくても読んだような気にさせる映画である。 映画のなかで「
モデルで女優の杏さんが書いた「杏の気分ほろほろ」朝日新聞出版刊 を図書館で借り出し読み終わった。 多分今年の1月1日にこのブログに載せた「杏のふむふむ」の姉妹版といえるものだろう。 まず題の「ほろほろ」という意味が今少しわからないが、本の最後に、 『ーーーそうして循環していく人生を歩んでいけたらと思う。そんな日々を、また書き記してみたいとも思う。これからの日々、ほろほろと柔らかく積もって、また形になりますように』 とあり、どうやら日々の生活のことを表現しているようだが、わかったような、わからないような。 この中の一章に「北条政子との一期一会」があり以前杏さんが大河ドラマ「平清盛」で北条政子を演じた事のアレコレが書かれているがその最後が、 『もし、また政子を演じられるなら、その時はもう少し年を重ねて尼将軍となって、承久(じょうきゅう)の乱』の演説をやってみたいものだ。』 とあり、さすが歴女の
一昨日は朝から天候が不安定でいつもの歩きを短縮して帰宅したところ、ちょうどNHKの「朝イチ」で推理小説作家の湊かなえさんのスペシャルトークをやっておりたまたま一部を聞かせてもらった。 作家としての源泉である好奇心がとても旺盛なことの話のつながりで、江戸時代以前の傘連判状の話が出ていて、私と同じような事に興味を持たれていることに感動してしまった。 傘連判状は、手持ちの「国史大辞典」吉川弘文館刊の記述では『多人数の者が一致して契約状や訴状などに署名する場合、円形放射状に署名する文書をいう。署名の順位がはっきりせず、署名者が対等になり、または首謀者をかくす効用をもつ。ーーーーー』となっている。 武士階級では有名な例として毛利元就が、山陰の大々名・尼子氏と西国の雄・大内氏に挟まれた安芸国(あきのくに・広島県)の豪族を語らい外敵に対して一致結束を図った傘連判状があり、毛利元就を語る際には必ず出てくる
神戸に引っ越してきて車に乗る機会は用事で大阪を往復するか、買い物の運転手を務めるくらいのもので、以前に比べめっきり減った気がしている。 しかし走行距離にかかわらず年月が経つと車検の通知がやって来て、その見積もりに出掛けてきた。 街の修理工場で以前トライして貰ったがドイツ車の為かエンジンオイルの交換にも手こずる始末で、今回は最初から引っ越し後の最寄り正規ディ-ラ-に持っていった。 診断では冷却水がサーモスタットケースから水漏れしているので、車検を通すには交換が必要とのこと、半信半疑で現象を見せてくれと伝え立ち会ったが確かに少量漏れた痕跡が見られた。 通常水漏れの場合部品単品とシールパッキン類を交換すれば済むと思うが、これを修理するのにはユニット全体の交換が必要と言われた。 そもそも部品の供給単位がユニットで、細かい個々の部品を交換するような体系になっていないらしく、サービスメンテナンスの後の
若いときから買い溜めた蔵書を全て処分しようと思い整理を始めている。 その頃は、本を積み上げると後でその処理に困るなど思いもしなかったが、人生も後半戦に入るとようやくその事に思いが至り、それからは本は出来るだけ図書館で借りるようにしたが、それまでのものが結構膨大で難儀している。 その中でタイ駐在時代に現地で読むために購入し帰国時に持ち帰った文庫本等多数が段ボールに入れて押し入れに収納してありその整理を始めたところ、当時タイ国の民情、歴史、文化、言葉などを勉強するため手元に置いていた本の内、3冊が出てきた。 ・「タイ国理解のキーワード」阿部利夫著 勁草書房 ・「タイ・変貌する白象の国」安田靖著 中公新書 ・「面白く学ぶタイ語」小林豊編 小林(株)刊 当時とかなり状況は変化しているが、懐かしくしばし手を休めて読みふけってしまった。 この3冊の本に共通する事のひとつがタイの言葉を色々な角度から説明
昨日3日は2023年初の1月句会で施設のメンバー11人の参加があった。私はこのブログに日頃から書いてきたもののなかから以下の5句を出した。 ①大根の首高くして這い出たり ②爽やかに働く少女年の暮れ ③林道に木洩れ日仄(ほの)か苔寒く ④煤(すす)逃げし山より見ゆる吾が住まい ⑤家移りも変わらぬ仕草去年(こぞ)今年 今回は残念ながら特選句の対象にはならなかったが、③と⑤の句については各々2人の方から選句対象にして貰った。 ②の句で爽やかは秋の季語で年の暮れと併せ違う季節の季語が重なっているとの指摘を受けたが爽やかが秋の季語とは全く気付かなかった。 爽やかはどんな季節や場面にも当てはまると思うのだが俳句のルールもなかなか難しい。施設内に掲示して貰う自選句3句は⑤、③、①とした。 私が特選句に挙げさせて貰った句は 【黒き眼で 朝餉(あさげ)食(は)む牛 息白し】 子供の頃牛を飼っていたが、まさに
昨日は肌寒い朝ながらゴルフの予定で、少し早起きして堺市にあるホームコースへ車を走らせていた。 するとNHKニュースでスピードスケート小平奈緒選手が前日の全日本距離別選手権500mで7年連続となる優勝を果たしたというニュースが流れてきた。 実はこの競技会が行われていることはこのニュースを聞くまで全く知らず、シーズンオフでしばらく小平選手の名前を聞いていなかったこともあり、突然ながら嬉しくなってしまった。 もうウインタースポーツのシーズンになる。 帰宅して早速、新聞やインターネットを見てみると高木美帆選手にわずかに0.07秒差で競り勝ったらしい。 現在の日本では長距離も含め総合力では高木選手が上にいると思うが、短距離の王者を今年も渡していないのはとても素晴らしいことに思える。 (今朝の情報では、1000mは高木選手が優勝、小平選手は2位だった。) 新聞の記事ではレース後の小平選手のコメントは
伊東潤著「幕末雄藩列伝」角川新書刊 を読んでいる。著者は最近色々な歴史番組にも顔を見かける気鋭の歴史小説家で、私も水戸藩天狗党の争乱を扱った「義烈千秋 天狗党西へ」等を読んだことがある。 この本が取り上げているのは300諸侯と言われた諸藩の内、幕末にその去就が注目される14の藩で良くも悪くも危機の時代の決断がどのような結末に至ったかを書いている。 この本を手がかりに私自身が興味を持つ事柄を二三書いておくことにしたい。 まず最初は幕末に過激な攘夷思想先駆けの双璧となった水戸藩と長州藩のことである。 天保元年(1830)水戸藩は9代藩主・徳川斉昭の就任以来海防意識に目覚め攘夷運動に邁進する。水戸光國以来の尊皇思想と相まっていわば全国の尊皇攘夷の総本山のようになってしまう。 元水戸藩士が中心になって実行した桜田門外で井伊大老が暗殺された事件の同年、万延元年(1860)斉昭が死去すると藩内で苛
私の応援している清原果耶さんが主人公役を演じる連続TV小説「おかえりモネ」は現在宮城県登米市の森林組合で林業の仕事に目覚めている。 この番組で私自身の林業知識を底上げするなか、世間ではオイルショックならぬ「ウッドショック」なる言葉が出始めている。 経済関係のニュースのなかで春頃から米国やカナダ木材の価格高騰が出始め、物流の問題と併せ私も注目していたがあっという間に世界の木材市場に飛び火して需給が逼迫、 例をとると、3月に立法メートル当り35000円のものが、6月には80000円今後は100000円を越える予測らしい。 我が家のすぐ前に新築予定地がある縁者の方の話では、この影響で木材の入手が難しい予定状況になっているとのことであった。 原因は米国でのコロナを見越した都心から郊外一戸建て住宅に移る需要の増加と、世界最大の輸入国中国の需要増加にあるらしい。 3倍近い高騰というと、ついモネの働く森
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」では伊豆国(いずのくに・静岡県)に流された源頼朝のことを、北条氏一族や、関東の武士達がしきりに「佐殿(すけどの)」「佐殿」と呼び立てる。 これは頼朝が流人(るにん)になる前に朝廷の官職・右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)に任官していた為で、この略敬称として呼んでいる。 権(ごん)とは定員外で仮の、臨時のという意味合いで、例えば九州を統括する大宰府(だざいふ)の長官は太宰帥(だざいのそち)であったが左遷された天神さま・菅原道真は太宰権帥(だざいのごんのそち)であった。 律令制度のなかの全ての役所の官職は上から〔かみ、すけ、じょう、さかん〕と呼ばれる四等級で構成されていた。 呼び方は同じ「すけ」でも役所の種類によって当たる字が異なり、 ・武官の府である左右の衛門府(えもんふ)や兵衛府(ひょうえふ)は督、佐、尉、志、 ・諸国の国司では守、介、掾、目 ・大蔵省な
12月20日の続き 「地名大辞典・山口県」の月報に田中彰氏(当時北大教授)の「防長風土注進案と地名」と題した寄稿文が掲載されている。 田中氏はこの注進案の地名を例に挙げ、行政の側から勝手に地名を変えたり、作ったりすることだけは断固としてやめるべきで、地名はその土地土地の歴史であり、顔である、地名を見れば由来がわかり、由来を知ればその地名を歴史的に納得できると力説されている。 ここで挙げられた「防長風土注進案」は長州藩の天保改革の一環として企図されたもので、その改革は商品経済への転換期の幕藩体制の危機を領主の側から克服しようとしたもので後の維新活動の基礎になったものである。 注進案は村々の実態を詳細に把握すべく意図して天保12年(1841)から嘉永5年(1852)まで足かけ12年の歳月をかけて全395冊が出揃った。 名前の由来は18の各宰判(さいばん・長州藩の行政区画)ごとに村名の由来、広さ
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