サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ドラクエ3
kiki-sh.hatenablog.com
今日の材料:教育、先生、学び、学部ゼミナール、あきらめること 「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」 前回に引き続き、この言葉が意味することを問い直していきます。 kiki-sh.hatenablog.com このブログでこれまで、教育に関する記事を何度か書いてきました。【未来型人材育成―「何を教わるか」ではなく「いかに学ぶか」を考える】、【新たな学びを生むために、一人ひとりが出来ること 】、そして【知識に価値があるのは、興味という基礎があるからだ 】。 教育という場を通していかに一人ひとりが「自分らしい」学びを見つけることができるのか。そしてこの学びの主体は、「教えられる側」だけでなく「教える側」でもある、ということ。いずれの記事も、そのことが根底にあります。 人は学ぶことによって成長します。そして成長とは、まさに「変わる」こと。そういう意味では、教育というのは自分を変え
今日の材料:自分を変える、他人を変える、社長評価、意図せぬ「問い」 「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」 カナダ出身の精神科医エリック・バーン氏の有名な言葉です。エリック・バーン氏は自らの心理学理論に基づく心理療法『交流分析』を考案した人。『交流分析』は、自分自身、そして自分と他者との交流の仕方を構造的に分析する方法です。心理学の授業やカウンセリング等の資格試験で、必ずといっていいほど紹介されています。 そんなバーン氏のこの言葉、人間関係や生き方などを考える上で、私自身も若い頃からずいぶんと役立ててきました。 でも最近、少し違う思考が芽生えています。それは、「自分」という存在は他人との関係性の中でしかとらえられない、と考えるようになったからだと思います。 そのことは、【「自分らしさ」や「自分探し」という言葉が嫌われる理由 】、【「自分とは何か」を探るヒントは人との関係性の
今日の材料:心の強さ、信念、行動、継続 40代も半ばを過ぎ、「書く」ということの中にようやく自分の道を見つけた私。これまでの人生は悩みや迷いばかりでしたが、これからは、それらも全て糧にして「働く」と「生きる」を思いきり楽しみたいです。 でも、歳を重ねてもなお手を焼いている自分の性質があります。それは、気持ちの切り替えが極端に下手だ、ということ。例えば人との関係性で何か納得がいかないことがあると、なかなか先に進めなくなってしまう。心の弱い人間です。 もちろん、そこで自分にとって価値あることにも気付いてきました。【答えは簡単に見つからない方がいい 】や【物事の価値を築くのも、やはり人との関係性だ】、【今、自分にとっての「繋がり」とは何か 】などの記事は全て、経験を問うことで導かれた発見です。 でもこうしたアウトプットも、切り替えなければ出来ません。結局はブログ更新が滞ることの言い訳でもあるので
今日の材料:ブログライフ、繋がり、関係性の変化、自分らしさ 久々にブログ活動を再開し、みなさまのブログもお散歩させていただいています。ブログライフを満喫することが出来て、すごく幸せです。 そして改めて、自分にとっての「繋がり」とはどういうことなのかを考える良い機会になっています。 ブログの世界では、自分の興味関心に本当に素直になれるように思えます。【人間関係の広がりは、ネット(網の目)からノット(結び目)へ 】で書きましたが、今の私は「広く浅く」でも「狭く深く」でもない、純粋な興味や共通性で繋がることが出来るノットな関係性に心からの納得があるのです。 でも日常を生きていると、思いもよらない出来事で負のスパイラルに陥ってしまうことがあります。人と人との関係性は、自分だけで考えたようにコントロールできるほど単純なものではないですよね。 無意識に相手に期待したりそれを裏切られたり、そこで心が乱れ
今日の材料:ブログの意味、繋がり、意識転換、脱力 前回の更新から2ヶ月以上経ってしまいました。みなさま、お元気でしょうか。 この2ヶ月はどうしても集中したいことがあり、ブログに手が付けられませんでした。そもそも更新頻度が低い当ブログですが、書き上げるのに時間はかかるものの思考は常にこの場にありました。全く手を付けられないのはやはり辛かった・・。 改めて自分にとってのブログの意味、日々のル―ティンの継続がもたらす効果を実感しています。 ただ、この期間に一つ気付いたことがありました。どれだけ期間が空いても、私はブログを終わらせることはないだろう、と。 【書くことへの信念は、もう揺るがない 】という記事で書いた通り、これからの人生、どんな形であっても書いていくことは絶対にやめないと思います。実はこの2ヶ月も、別の場で書くことに注力していました。 そしてその内容をベースに、これから論文にも挑戦する
今日の材料:知識と興味、家庭学習、9月入学、想像力 新型コロナの影響で外出自粛となり、家族と過ごす時間が増えています。 我が家ではこの4月に息子が小学校に入学しましたが、新型コロナウイルスの感染防止のため、その後すぐに休校となりました。学校に通うことが出来ずに息子はずっと家で過ごしています。 1歳半から保育園に預け、幼稚園でも通常保育だけでなく預かり保育をフル活用してきた私たち親子にとって、毎日一緒にここまで長く過ごすのは赤ちゃんの頃以来です。でも息子はもう赤ちゃんではなく就学児童―在宅生活の中で遊びだけでなく、学習の時間もとらなければなりません。 改めて、子供の学習に親がどう向き合うか、私たちが今考えなければならない大きな課題を身近に感じます。 前回『新型コロナを乗り越えたら、世界はきっと変わる 』という記事で、これまでと同じようにはいかないからこそ、考えられなかった知恵に辿りつくはず、
今日の材料:新型コロナウィルス肺炎、日常の問題、工夫と努力 新型コロナウイルス肺炎の流行が世界的な問題となり、日本はこれまで経験したことのないほどの深刻な状況に陥っています。 感染者数が日を追うごとに増えていく中、ご自身やご家族が感染されている方々には心よりお見舞い申し上げます。そして私もそうですが、現時点では感染確認されていなくともいつどこで当事者となるのかわからない状況には、誰もが大きな不安を持っています。 中国の湖北省・武漢市で、これまで確認されたことのないウイルス性肺炎が流行しているというニュースが広く報じられたのは、今年に入ってからと記憶しています。でも警笛を鳴らす一部の専門家を除いて、新型コロナは対岸の火事でしかありませんでした。 多くの人にとっての身近な問題は2月初め頃、「マスクが手に入らない」といった困りごとから始まりまったのではないでしょうか。当初は中国人観光客に批判が集
今日の材料:関係性、発信すること、対話すること、価値を築く 前々回、前回と2回にわたって身近なトラブル経験の記事を書いたのですが、皆さまからコメント&ブクマコメントで温かい励ましと労いの言葉を頂き、とても力になりました。 この場を借りて、心からお礼を申し上げます。 消費者として考える、モノやサービスの価値とは① 消費者として考える、モノやサービスの価値とは② 今もなお、あまり読み返したいとは思えない苦い経験です。でも、自分では情けないとしか思えなかったことに共感してくださったり、励ましてくださったりした皆さんの存在が、私をさらに前向きにしてくださいました。 モノやサービスの価値は人によって決まる、と記事の中でも書きましたが、この経験それ自体も、私自身が今後どう生きるかによってその価値が決まるものなのかもしれません。 記事にしたことで皆さんが言葉を投げかけてくださり、これからまたその価値を一
今日の材料:今日の材料:マンション、エコキュート、工事業者、自分の弱さ 実家のマンションで給湯器(エコキュート)が壊れ、修理代が大きくかかるため入れ替えとの検討もしたものの工事会社の対応がひどく、挙句に貯湯器を収納している場所に不具合まで見つかった前回の話の続きです。 トラブル5:不動産会社の対応 ネットで見つけた工事業者に助けられました ここで大団円・・とはいかなかった そして、どんでん返し 工事は無事に終了し、お湯が使えるようになりました 人生はドラマかと思う・・まさかの展開 結局、自分の弱さを嫌というほど知った トラブル5:不動産会社の対応 実家のマンションの管理会社と不動産会社に、「給湯器がキツキツに入っていて新規のものが入らないだけでなく、既設のものを取り出すのも困難」という貯湯庫の問題について連絡しました。ところが驚くことに、ここでも前回同様にたらい回しに逢いました。さすがに私
今日の材料:消費者、モノやサービスの価値、エコキュート、マンションの施工 今年に入ってから消費者としてちょっとしたトラブルに遭い、モノとかサービスの価値について深く考えさせられました。少し長くなりそうなので数回に分け、経験とそれについて考えたことを記事にしたいと思います。 個人の忘備録として詳細に書くつもりなので、あまり興味がない方もいたら申し訳ないですが、もしかしたらどこかで誰かのお役に立てばいいなと願っております。 事の発端は昨年末から、実家の両親が「お湯の調子が悪い」と言い始めたことです。 7年ほど前に今後の生活の不便さを考えて長く住んでいた家を離れ、新築マンションに移り住んだ両親はもう80歳前後。ややこしい手続きは難しいらしく、よくヘルプの声が上がります。 今回は「給湯器が壊れた」ということで、普通に考えれば直せばいいというだけの話ですが、私たちの当初のその予測は見事に裏切られまし
今日の材料:学校教育、意識転換、対話、発信する勇気 前回、【未来型人材育成―「何を教わるか」ではなく「いかに学ぶか」を考える― 】というタイトルで学校教育をテーマに記事を書いたのですが、それに対してTAKAさん【id:virtue000000】から以下のようなコメントを頂きました。 答えを出す→何→受動的/問いを組み立てる→いかに→能動的 という認識ならば、これからの学校教育は問題提起の力を養う場であるべきということになります。それを踏まえて質問なのですが、その様な学びはどの様なもので、どの様に学校教育に取り入れるべきだとkiki_shさんはお考えなのですか? とても興味深い内容なので、今回はそのことを考えてみようと思います。 まず始めに明確にしたいことは、「どういう学びをどう学校に取り入れるか」ということに関しても、どのような文脈にも当てはまる「答え」はない、ということです。 このブログ
今日の材料:学校教育、学びの創造、社会生活、いかに学ぶか 40代半ばの私の子供時代、日本経済はまだまだ活発で、高校生になる頃まではいわゆるバブル景気真っ只中でした。大量生産、大量消費経済の中で、物事の標準化や均質化にこそ価値が見出されていた時代です。今思えば、教育カリキュラムもいかに標準的、均質的な知識を身に付けられるかに重きが置かれていたように思えます。 それは学ぶ側の視点ではなく、教える側の視点ともいえるでしょう。子供たち一人ひとりに「何を学んでもらいたいか」より、先生が「何を教えるべきか」の方が明らかに先行しました。だからこそ「何のために勉強をするの?」は、子供の「質問あるある」だったように思えます。 そして、この状況は今も根本的には変わっていないと思います。 確かに、教育カリキュラムの内容は少しずつ変わってきました。私たちの頃にはなかった生活科の新設、さらには自分で学び考える「生き
今日の材料:持続可能な社会、主体性、責任の所在、小さな成功 「持続可能な(sustainable) 」という言葉をよく耳にします。 私が初めてこの言葉を聞いたのは15年くらい前と記憶しています。当時在籍していた大学院の授業で、「持続可能な開発のための教育(ESD: Education for Sustainable Development)をテーマに学んだことがありました。それ以降、いろいろな場で出逢うこの「持続可能な」という言葉がとても気になるようになりました。 実際に国連や関連機関からこの言葉が発信されたのはもっとずっと前なのですが、社会の中で関心を集め、より意味のある言葉として定着してからはそれほど長くないのではないかと感じるのです。 言葉というのは生き物です。太古の昔から人々の生活とは無縁に存在するわけではなく、ある社会環境の中で生み出され、人々に使われることによってその意味を確立
今日の材料:書くこと、今後の自分、来年の抱負、想像力 12月に入ったと思ったらあっという間にもう年末。書く力を付けたいと始めたブログなのに更新が全然出来ていません。 自分の時間管理能力を反省するしかないのですが、その一方で12月は「今後の自分」を見据えるための良い機会がいろいろあったような気がします。 少し前に【書くことへの信念は、もう揺るがない 】という記事を書きましたが、私は今後の活動をこれまで以上に「書くこと」を軸に展開していくつもりです。そしてそこには研究と実践という境界を作らず、自分だからこそ書けることを追求していきたいと思っています。 そこで今日は最近の出来事がこの「書くこと」にどうつながっていくのかを書くことで、来年の抱負にしたいと思います。今回の記事は完全に自分の忘備録とさせて頂きます・笑。 1.何を書くか 【多くの人が変わるには、多様なきっかけが必要だ 】という記事で少し
今日の材料:未来、行動の目標、不確実な状況、中村哲医師の活動、変化 ブログを始めて半年経ちましたのでふと振り返ってみました。(記事数を見ると「とほほ」ですはありますが) 【老後「2000万円」問題に取り組む前に、まずは自分探しから】というタイトルで書いたのが最初の記事でした。当初は長い記事ではなくサラっと書いてたんだな、と改めて思い返しています。 金融庁の「老後は2000万円必要」という発表が大きく問題視されるのを見て、真っ先に記事に書いたようなことが思い浮かんだことを覚えています。誰が何と言おうと所詮は不確実な未来、にもかかわらずどうしてここまで私たちの心をこんなにもとらえるのだろう、と。 この問題が私たちに提示したことの一つは、見えない不安が良い意味でも悪い意味でも私たちを突き動かすパワーを持っていることだったように思えます。 だからこそ、最初のこの記事で一番言いたかったことは、 まだ
今日の材料:フィードバック、フィードフォワード、研究の価値、ブログの価値 前回の記事【「物語」の力をさらに問う―多様性を創造力にするために― 】には、たくさんのコメント&ブクマコメントを頂き、本当にありがとうございました。 私はブログ執筆を通してもっともっと書く力をつけたいと強く思っているので、頂いたコメント一つひとつが本当に宝です。 書く力は書くことでしか身に付きません。みなさんから頂くコメントは私が書いたことがどのように伝わっているのかを教えてくれる、この上なく貴重なフィードバックなのです。 そういえば、最近は「フィードバック」ではなく「フィードフォワード」という言葉が使われているようですが、ご存じですか。 ざっくり説明すると、(あえて対比した場合)「フィードバック」は過去志向で私見の色彩が強く、問題や欠点の指摘が中心。それに対して「フィードフォワード」は未来志向で広い視野からの意見で
2020-8-3 今日の材料:多様性、創造力、物語、知恵を集める 日本は単一民族国家と言われますが、時代の変化と共に多様性はますます増しています。まだまだ多数派が生きやすいものの、「多様性が創造力を生む」といった潜在的可能性も、あちこちで叫ばれるようになりました。 でも実際には、さまざまな志向や経験を持つ人たちの知恵を集めて一つのものを創り上げるということは、言うほど簡単なことではありません。 例えばいろいろな住民がいる地域コミュニティ、必ずしも目的意識が共有されていないグループや組織などでそれを実現するのは、本当に難しいことです。 興味や志向、利害などが一致しなければ、人はなかなか同じ方向を見ることは出来ないからです。結果として多様性は、建設的な対話や実践の阻害要因となってしまいます。 では、どうしたら人は同じ方向を向くことが出来るのでしょうか。 以前【理屈よりも深い納得を生む物語の力】
2020-11-10 今日の材料:気付き、きっかけ、自分を変える、多様性 みなさんが、このブログをご訪問されたきっかけは何でしょうか。 「働く」と「生きる」を「楽しむ」ということがテーマのこのブログですが、問題を解決する知識の伝達が目的ではなく、自分と読んでくださる方の小さな変化のきっかけになればと思って書いています。 当然、こうした変化は一つのブログを書くだけで起こるようなものではないですから、私自身もいろいろなブログや記事を訪問しています。 ネット上には生きる背景が異なる人たちが、さまざまな想いや情報を発信しています。そこで得られる気付きがあまりにも多く、時間が経つのも忘れてしまうほどです。 この「気付き」こそが、人が変わる最初のきっかけになるものだと私は思っています。変わることーそれをこれまでとは違う考え方に納得することと考えるなら、それに先行してまずこの「気付き」が必要です。 私は
今日の材料:物語、納得、主観 前回の記事で、「ナラティヴ・セラピー」について触れました。 そこでの「ナラティヴ」とは「語り、物語」のことです。 私が書いたのは、自分について語ることをきっかけに、「当たり前で動かしがたい」と思っていた現実が実はある関係性の中での限定的なものでしかない、ということに気付くということ。 その経験を自ら語り直すことによって、何も変わっていないはずの環境が全く違うものになる、ということでした。 「実際にはそんな単純にいかない!」と言われちゃうかな、と思ったのですが、頂いたコメントを見ていると、こうした経験は意外と多いのかもしれない、と思い直しました。 この「物語」というのは、実は合理的な説明よりずっと物事への納得を生み出すものだ、という考え方があります。 「物語的現実」とか「物語的自己」とかそんな言葉で表現されるのですが、それは原因と結果という明確な因果関係ではなく
今日の材料:自分、他人、関係性、気付き、語り直し ブログの投稿を積み重ねていく中で、最近は記事にいろいろなコメントを頂けるようになりました。何か新たな思考が生まれるような気がして、対話の楽しさをますます実感しております。 前回の記事でも「自分らしさ」や「自分探し」について、塾パパさんからこんなコメントを頂きました。 他人がいるから自分を認識できるのかもしれません。他人がいなければ自分を認識できないかもしれません。もし世界に自分ひとりしか人間がいなかったら自我は芽生えないのではと考えてしまいます。 なるほど!確かに、自分を認識する上で他人という存在はなくてはならないものですよね。 実は前回も引用した「”私は誰か”は自分だけでは決められない」という記事の中で、私は「相手」のことを2つの視点から書きました。 一つは、「私が誰か」ということは、自分だけで決められるものではなく、相手との関係性の中で
今日の材料:自分らしさ、自分探し、本当の自分、問い、気付き このブログの中で「自分らしさ」や「自分探し」は重要なカテゴリーであり、中心となるテーマです。でもネット上でいろいろ見ていると、嫌われることも多々ある言葉です。 日々の生活の中で我慢し、押し込めている「本当の自分」を見つけよう、という考え方に違和感を感じる―「本当の自分」って何?そもそもそんなもの自分でわかるはずないし、わかる必要があるの?と感じられることがその理由の中心にあるようです。 ごもっともだと思います。 「本当の自分」というある種の決定論的な答えが「自分らしさ」であり、その答えを見つけることが「自分探し」ととらえるなら、私もおそらく馴染めないでしょう。 私は以前、「”私が誰か”は私だけでは決められない」という記事の中で、こんなことを書きました。 「自分探し」は、 自分の心の中を必死に覗こうとすることではなく、他の人との関わ
2020-5-23 今日の材料:人間関係、網の目、結び目、主体性 インターネットが普及し、不特定多数の人々が情報を受発信できるようになってから、人との関係性に対する私たちのとらえ方は大きく変化しました。 ネット(網の目)とはよく名付けたもので、無数の網が絡まり合い、複雑な構造を織りなしています。以前【「なるほど!」と思うことを大切に】という記事でも書きましたが、あるコメントがモラルを問われぬままに大勢の影響力を持つようなことが起こるようになったのも、ネット構造の力の一つなのかもしれません。 ただSNSに限らず、こうした集団心理は日本社会の根底に常にありました。 いじめがその典型的な事例かもしれません。近年では「教師いじめ」という衝撃的な事件もありましたが、学校だけでなく職場やコミュニティ、親同士の関係性など、集団があるところには必ずある種のパワー関係があり、こうした不具合が起こりがちです。
今日の材料:悪魔の代弁者、意外性、創造性、判断留保 ブログを書いていてスターやブックマーク、励みになるコメントを頂き、継続のモチベーションを各段に上げてくださる皆さまには、いつも本当に感謝しております。 そして時々、「そこきますか!?」と思えるような視点からのコメントを頂くことがあり、驚きとともに考えを掘り下げる良い機会をもらっています。 「書くことも読むことも対話だ」という記事を以前書きましたが、こういう意外性はやはりコメントのような直接のやり取りの中で起こるように思えます。 ところで、この意外性を意図的に生み出すことで創造性を広げるという手段があるのを、ご存じでしょうか。 「悪魔の代弁者」(devil's advocate)といわれるものです。 この言葉は、カトリック教で故人を聖人として認めるか否かの審議において、指名される役割からきています。「悪魔の代弁者」に指名された人はあえて故人
今日の材料:行動すること、知恵、理論知、実践知 すっかり秋らしい季節になりました。 読書の秋、スポーツの秋などと言いますが、何かを始めるにはちょうど良い時期かもしれません。 でも年齢を重ねると、なかなか腰が上がらないものです。原因が年齢の壁である場合のことはこの記事で、そして日々の生活の中で何が出来るかについてはこの記事で、書きました。 ただ私自身もそうなのですが、物事を深く考えるタイプの人は年齢や環境を問わず、そもそもそれを行動に移すということ自体が苦手なのではないでしょうか。 そういう人はたいてい知識が邪魔をして、行動を制限してしまいます。「〇〇が~であれば」とか、「△△は・・であるべきだ」といった思考が先行してしまう一方で、それが出来ない理由ばかりが頭を巡ってしまいます。 一言で言えば、「失敗したくない」と思ってしまうのです。 少し話は変わりますが、私は学生の頃から英語を勉強するのが
今日の材料:自分を問う、信頼関係、諦め、学び 以前の記事で、常識を問うことの必要性を書きました。でもそれは、自分自身を問い直すということでもあると思います。 自分の話をすれば、私は元来ルールが好きな人間でした。決められた通りに行動し、常に確実でいることで精神の安定を保っているところがあったのです。でもある人との出会いで、そのことを問い直す必要性を強く感じさせられました。 ルールに厳密な指導者 その人は私の指導者という立場で、非常にルールに厳密な人でした。例えばある日、その人の都合で指導時間が通常の2/3程度になってしまい、残りの時間をどうしようか、と悩んでいたことがありました。私はわざわざ別の時間を設定してもらうのは申し訳ないと思い、こう言いました。 「ある程度まとまった内容でご指導頂けたので、私はこれで大丈夫ですよ。」 私が授業料をお支払いしていたので、気遣いのつもりでした。でも、思いも
今日の材料:働くということ、組織を生きる、働き方の多様性 最近ブログを書いていて思うことがあります。 このブログのタイトルは【「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ】。でも、これまでの記事は「生きる」に寄っているような気がする。 かといって、【「生きる」を楽しむためのレシピ】とするのも、何か違う そもそも「働く」ってどういうことなんだろう、と。 働く=会社員!? 「働く」というと、なんとなく会社や組織というものを想像してしまいます。 日本人が仕事を聞かれた時「〇〇社で経理をしています」のように、社名を言う傾向があることはよく知られています。対して欧米人は、自分自身の個性や専門性をアピールするので、グローバルなビジネスの場では発想を変える必要がある、と頻繁に指南されます。 でも、私はこういう所属意識を否定したいとは思いません。むしろ「自分がある組織のメンバーである」という感覚を持つことは、
※9月12日(土)から13日(日)にかけて日本列島を通過した台風19号によって、事前に深刻な被害予想が出ていたにもかかわらず多くの犠牲者が出てしまったことに、本当に心が痛みます。家屋の浸水等、被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復旧をお祈りしております。 今日の材料:そもそも、目の前の問題、考え続けること 私は「そもそも」を考えるのが好きです。 これまでの記事でも、「そもそも」が結構な頻度で出てきています。 でも、いわゆる「そもそも」論は、嫌がられることも多いものです。 私も会社員経験があるので、よくわかります。確かに目の前に解決しなければならない問題があるのに、「そもそも~」と言い出す人は、場の空気が読めず面倒くさいタイプですよね。 ただ、ふと気付くと私たちは結局いつも、「目の前の問題」にばかり振り回されてしまいます。 「目の前の問題」が片づいてから「そもそ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『「働く」と「生きる」を楽しむためのレシピ』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く