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ノーベル賞
ko-kanagawa.hatenablog.com
見てきました 家に帰ったらまた別なアングルから上げます 全長は想像以上に大きい。10メートル近い。 実物見ずにニュースで聞いただけなのでどうせゴンドウかなんかだと思ってたけどザトウクジラ? 追記 id:izumiya1948 原則通り、このまま埋めると思います。市職員さんが漁業への影響を懸念していましたが「それは自然界で日常的に起こっていることですので」、と学者らしき女性が力強く言っていました。 個人的に海とドリトルかへんなものみっけかどっちか忘れたけど生物学系の漫画でそういう対応をすることを知っていたのもあってテンション上がりました。 また、現地でも気温を考えると腐敗の進行は相当に高いはずという懸念があり、重機を出している業者との兼ね合いがあるにしても今日明日のうちに埋葬しなければならないという会話をしていました。台風も接近しているという事でなんとか対応を頑張って貰いたいですね。 死因な
山で救助なら自己負担にしろ そういう風潮がまずまっさきに殺すのは山があるから人が集まっている地域やそこで暮す人々なんじゃないか 自己責任とかいうマジックワードで何もかもを個人に負担させるのが最終的になにをもたらすのか そういう楽ちんな正義に乗っかることで得られるものと失うものの釣り合いが歳を取るたびアンバランスになる 稜線からころがり落ちないように耐えてたどり着いた山頂も、そこにしがみつき続ければただの墓場に変わる ま、そんなことどうでもいいんですけどね 最近、鎌倉の昔の姿や伝統について色々と考えるきっかけがあった。 その中で思いついた事がこのタイトルである。 文化とは連続性の刹那にきらめく個性の光なのではないかと思う。けして個性のみでも、また個性のない連続性のみでも大きな流れとはなり得ない。 資本主義社会は連続性を軽視しすぎる 文化の連続性が無くなるとき、人間は本当にそれを失うのではない
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