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ドラクエ3
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何か違和感を感じる。 無論小説である以上、物語に都合の良い展開になっている、そのために現実には重要性を持つ部分の描写が削られているのは当然のことなのだが、それにしても重要な部分の描写が全くされていないように感じられるのだ。 それは「宗教」の部分、より正確に言えば各宗派の教義の部分だ。 あの世界では、人間界のほぼ全体を「聖光会」が支配していて(おそらくカトリック教会がモデル)、その中の一教会だった「湖畔修道会」が勇者側につき、魔王よりもたらされた農業改良や種痘と言った技術によって「聖公会」と肩を並べる二大宗派へと成長していくのだが(おそらくこちらはプロテスタント諸宗派がモデル)、その2つの教義の違いが全く見えてこないのだ。 もちろん「まおゆう」という小説は、もともと戯曲形式で書かれ、「勇者」「魔王」のように登場人物も固有名詞ではなく役割で記されており、またそれらの台詞においてもその役割を越え
前回の続き。 http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100521/p1などにみられる、「人間性」を「理性」にのみ見いだし「理性」なき者は人間ではないというあまりにも主知主義すぎる考え方を、Kagami氏は 「まおゆう」はそういうRPGの良きところが全部、「自己責任論ネオリベ経済学」を語るために利用されるだけの道具に貶められていて、僕は、この話には乗れないなあと思いましたね…。強烈にネオリベラル経済学をプッシュする物語なので、ネオリベが大歓喜しているのも、いやになっちゃうなあと…。下記とかネ オリベの人が如何にこの物語を支持しているか分かりやすいですね。 困っている人を冷酷に見捨てることを経済学を持ち出してひたすら正当化する理屈の羅列で、心底うんざりするとしか…。まおゆうはひたすら上記のような話、人々の冷酷な振る舞いをトンデモ経済学で正当化することで
最近話題の「まおゆう」について。 まあ単に経済学っぽいファンタジー小説と言うならこっちのほうが面白い(ストーリーそのままで文体変えたらおっさん向けの仮想戦記として通用するんじゃないか)と思うんだが。 それはともかく、「まおゆう」に対するあまりにもひどい評論を見かけたので、コメントするのを抑えられなかった。 農奴の奴隷状態から逃げ出してきた二人のかわいそうな少女に、魔王の親友であるメイド長は「こんな虫けら、早く村に突き出しましょう!」と。 これは、正しい態度です。それは、2点から。一つは、魔王と勇者は、こうした悲惨なことがなくなるように「マクロ」のために立ち上がったわけであって、個々のミクロに関わっていては大局を見失う可能性が高く、また最後まで彼女たちを救うことができないのならば、むやみに手助けすべきではないのです。最後まで面倒を見れないのに捨て猫を拾うなと同じことです。 またいきなり「虫け
http://d.hatena.ne.jp/ymScott/20090510/1241949759#c1241966782とかhttp://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090529/1243539743#c1243688677やhttp://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090604/1244099132#c1244320734で暴れているが、あまりにもひどいものを見つけたので書くことを抑えられなくなった。 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090610/p1 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090611/p1 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090611/p2 この世に、「存在意義のない」、「存在を許されない」ものな
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