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中東情勢
koshi-miyake.hatenablog.com
今年7月、歴史を同好する碩学の大先輩T氏と上越市〜糸魚川市を訪れた。目的は弥生〜古墳時代の県内屈指の斐太遺跡を見ること、合わせて周辺にある式内社を訪れることだった。弥生時代の竪穴式住居後が窪地として現在でも観察できる稀有な斐太遺跡は、何度訪れても新鮮な驚きがあるが、ちょうどお城のイベントをやっていてかなりの混雑だった。斐太遺跡の裏山がそのまま御館の乱に敗れた上杉景虎が自刃したという、戦国時代の名城鮫ヶ尾城となっていて上記のような看板が立ててあった 現地に立ってみると地政上の好立地条件と言うものは、時代がどんなに変わろうとも変わるものではないという思いをT氏と一緒に実感したが、上記の縄張り図看板がとても美しく典型的な山城を理解するのにとても参考になった。棚田状に見える尾根上に書かれた白く平らないところは田んぼではなく、曲輪といい戦の時に敵を迎え撃つ要害である。棚田状に連続してあるのは高低差を
旧古志郡地域のお盆の風習 今年も暑いお盆がやってきました。昨日の気温は高田で40度超え。新潟県内のお墓まいりは8月の13日。夕暮れになると提灯をぶら下げてお参りします。陽が落ちて、木々の梢や葉っぱにお供えのロウソクの光が照り返すのはとても風情がありましたが、今は時代の変化と共にお参りする時間が早くなり、日が落ちてからお参りする人はほとんどいなくなりました。 遠い昔民俗学の講義を受けていた頃、お盆の本質は「火祭り」にあるという話を聞いたことがあります。軒先きで迎え火を焚いて先祖霊を迎え京都の大文字焼きを始めとする送り火で先祖を送る。これら一連の行為はお正月の塞の神のどんと焼き等の行事と同一線状にあり、先祖霊を祀るには火が欠かせないことを明らかに示しているとのことでした。 全国に共通する火祭りの原理は当地では提灯に集約されているようです。私の子供の頃には近所の川に提灯をぶら下げ出かけ、呪文のよ
元共同通信社記者で在野の民俗学者、筒井功氏の著書「『青』の民俗学」(地名と葬制)『2015]に次のように書かれている。 信濃川氾濫原の青地名 新潟県長岡市青島町と、その北東一キロばかりの青山町は、ともに日本屈指の大河川、信濃川右岸(東岸)沿いに位置している。ここに青地名が、ほとんど隣り合っているというほかに、まことに不可解な事実がある。 まず、文禄元年(一五九二)の石高記載文書(高梨大平家蔵)に、青島のことが「青岐」と見えていることである。次に、明治中期成立の『温故之某』が引く「天明村名考」なる資料では、青山のことが「青田十三軒」とされていることである。つまり、古くは青島は青岐、青山は青田とも呼ばれていたらしいことになる。これを一体、どう理解すべきだろうか。 本書でこれまで記してきたところによれば、この一帯はかつて葬送の地だったことにならなければならない。それが立証できたとしたら、ここで青
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