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掃除・片付け
kurosuke.hatenadiary.jp
家の裏の柿 家の裏に柿の木があることは2,3年前に気が付いていたが、実がなったのは今年が初めてだ。少し前に風の強い日があって、葉っぱをきれいに落としてくれた。それで、初めて気づくことができた。 それにしてもこの国の政治はひどい。 「はやく芽をだせ かきのたね・・・」が、昔話になる。今、国会でやられている「種苗法改定」の問題だ。 竜宮の話 さっきまで釣りをしていた二人の男が、防波堤でしゃべっています。 夏の、日陰も何もない防波堤の上は、灼熱の地獄のような暑さです。 一人がいっしょうけんめいに説明しています。 「・・・あのな、入り江全体が桜色や。それも輝くような桜色や。夕日にはまだ早い。不思議なこともあるもんや、と思ってると、ぷくん、ぷくんとあぶくが浮いてきた。そしたらそのあぶくから声が聞こえるんや。 (ああ、しばらく地上ともお別れだな) あぶくがそういいよる。それから、 (この次は千年後かな
中学生のとき、はじめて「進化の系統樹」の図を見た。 海の中で生まれた命が、何億年という時の中で分化し、さまざまな種に枝分かれしていくというあの図。中学生のぼくには、なぜか感動的でさえあった。 中学の頃、ぼくは学校の校門を出るとまったく勉強しなかった。勉強は学校で、と決めていた。その理由はこうだ。 教室でみんな同じ授業を受けている。それで中間試験や期末試験がある。家へ帰ってから勉強することは、カンニングしているのと同じじゃないか。試験は授業をどこまで理解したかを試すものだろう。家での勉強は、クラスの共通の土台を壊してしまう。そう考えていた。 そのかわり授業には集中した。教師の話を一言も聞き漏らすまいとノートもとらずに聞いた。授業が終わると、顔は上気して火照っていた。 そんなぼくが「進化の系統樹」と出会ったのだ。 そのうちに「知の系統樹」という漠然としたイメージがわいてきた。ぼくたちは成長する
八月になった。 今日は、74回目の広島原爆の日。 このあと、長崎原爆の日が来て、15日の敗戦の日と続く。 しかし、ぼくの中ではここで終らない。 1979年9月9日、当時住んでいた埼玉県で、一人の在日少年がマンションから飛び降りて自殺した。間もなく40年になる。 在日朝鮮人ということでの、いじめが原因だった。 ぼくたちは『九日会』という市民グループをつくった。在日の現状と韓国・朝鮮についてもっと知りたい、と思った。ぼくは、亡くなった少年のお父さんと一緒に働いた。約一年間、少年のお父さんとビル掃除の仕事をした。いじめた日本人に代わって謝りたいと思った。 家には在日1世のハルモニがいて、よくスジ肉の煮込みをごちそうしてもらった。ホルモンの意味もそのころ知ったように思う。 「関西では捨てることを”ほうる”と言うそうだ。だから捨てるものということで”ホルモン”」 それから40年経って、アベの馬鹿は嫌
たまには 二人で出掛けようか 危なっかしく手をつないでさ 二十五夜の月が西に傾くころ 街は夢の中 夜明けまでのしばしの時間 通りの真ん中を歩こう どんなにどんなに悲しくても 二人一緒なら平気 どんなにどんなに疲れていても 二人一緒なら また元気になれる たまには 二人で出掛けようか 危なっかしく手をつないでさ
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