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円安とは
kuujigen.hatenablog.com
真我から見れば全ては幻想だが、物質次元で過ごすには物質次元の扱い方、その知恵は必要だ。 例えば全ては幻想だけれども、火の扱い方は知っていた方がいいでしょう。火は火で良くも悪くもなく中立にただそう在る性質のものだけれど、扱い方によっては創造にも維持にも破壊にもなる。 精神探究が必要となるのは、人間は思考が優位になって自他に対するジャッジメントに縛られ過ぎて、自他のその存在の自由を奪っているからであって、思考自体はツールとしては悪くない。 (精神探究の必要性の中には更に言えば人間の根本的部分、生死に対する執着や恐れについて等も含まれるがここでは割愛) 火をどう扱おうか判断するのは思考だし、全て幻想だと完全に腑に落ちている状態、真我から思考や感情を使ってあげることは、それなりに大切なことだ。 火を例えにしたけれど、判断は日常に溢れている。社会で過ごすというのは判断の連続だ。 物質次元を扱う知恵す
人間は執着と愛情を混同してしまうことがある。 内的探究を深めて行くと執着は薄らいでゆくが、その時人は好きだった人や好きだったことへの関心が無くなるような感じがして、寂しく思い、好きという気持ちにしがみつきたくなることがあるかもしれない。 しかしこの時、執着が苦だということは充分に分かっているから、どんなにもがいても結局は好きという傾きも嫌いという傾きもない、ニュートラルさへと帰還する。 目覚めとは、興味関心を失う事ではなく、興味関心の対象と自分との間に距離が無くなることだ。見ていた対象と自分は溶け去り、“ただ在るそれ”が現れる。自他に対する反応は完全に幻想だと知る。 しかしここで終わりではない。ニュートラルな視点でありながら、尚もある物質体を通して、幻想と知りながら幻想を体験するフェーズに入る。最初はぎこちないだろう。以前と感覚が違うから。そのぎこちなさの中で生じる心の摩擦を再び観察して行
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