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ドラクエ3
lesamantsdutokyo.hatenablog.com
・2015年2月、五反田 高校2年生の冬、私はどん詰まりになっていた。所属していた吹奏楽部が定期演奏会を前にして一切コンディションが仕上がらず(私も自分で出した曲の譜面がまともに演奏できない状態だった)、退部者が続出し、完全に空中分解していた。中、高とまともに授業を受けず部活に全てを捧げた学生生活だったので、部活イコール自分だった。あまつさえ、来年度は私が部長の責を負うことが決まっていて、つまりはこの崩壊したグループを立て直せるかどうかは私にかかっていたのだ。曲が吹けないプレッシャー、5年間ホルンを続けてきたプライド、「次期部長」の看板の重さ……今振り返ってみれば部活の問題なんて、という感じもするが、学校の授業をサボって昼まで寝ていて部活だけ行く、みたいな生活をして高校を留年しかけるような17歳にとって、部活は何よりも優先されるべきものだった。 グダグダの合奏が終わり、今日もダメだった、明
男性のオナニーは倫理的か?という問いがもしあったとして、そこで言われている「倫理」とはなんだろう。その営みが他者を傷つけていないことから、オナニーは倫理的に正しい、と言えるだろうか。オナニーが限りなく一人でする行為であるのに対して(この場合の「一人でする」とはペニスを手や任意のジョークグッズなどで刺激して快感を得ることである)、セックスは少なくとも二人以上ですることであるから、傷つけ傷つけられるセックスというのは容易に想像がつくにしても、オナニーで傷つく主体や、傷つけられる主体がいるかどうかというのはかなり微妙な話になってくる。 人は、性について話すとき、恥じらうか、開き直るか、格好をつけるか、何にせよなんらかのポーズを取らざるを得ない。フーコーではないが、それは性について話す人が意図的にポーズを取るのではなく、「性について話す」ということが人にそのようなポーズを取らせているのである。SN
・はじめに――増えすぎた「サブカル」言説 「サブカルチャー」の射程は、今や広くなりすぎてしまった。例えば……と列挙することもできないぐらい枝葉は分かれ、手の付けようがない。コンテンツがあればそれを語る言葉も増えるわけで、「サブカルチャー批評」と名のついた言説は細胞のように増殖し、文献渉猟や史料分析のハードルの低さ(これは決してサブカルチャー批評にあたって必要な作業が容易であると言いたいわけではない)から到底「批評」の名を冠するに値しないものも多く生まれた。というか、遠慮なく言ってしまえばゴミがほとんどである。私の愛するコンテンツであるアイドルやアニメ、そしてこの記事で言及するバーチャルYoutuber・バーチャルライバー(以下Vtuber、ライバーと略記)をめぐる語りは、もう遍在しすぎて正直訳が分からなくなっている。私は、「批評」や「論考」によってそれらサブカルチャーを捕まえようとか輪郭を
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