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この記事について ノエル・キャロル『批評について』(訳=森功次、勁草書房、2017。原著は2009)を取り上げた読書会にちょっと前に参加して、とりあえず通読したので、そのレビューのようなもの。基本的にキャロルが言いたげなことを私なりに雑に解釈したもので、ノエル・キャロルが同書でそう書いているぜ!といった要約のようなものではありません。 ちなみに、この記事のサムネは某企画展で撮った壁の写真。 批評について - 株式会社 勁草書房 ノエル・キャロル『批評について』の批評観 キャロルの批評観は、作品を提示する作者の「意図」なる何かを推し量り、作者が現にそうしていることの目的に鑑みた批評を試みるというような、ある種のコミュニケーション・ゲーム的な「批評」を想定している。 もちろん、私たちが批評と呼びうるような実践のすべてがそのような狭義の「批評」であるとはかぎらない。キャロルもそのような意味の留保
あなたはわたしを読んでいるが、果たして、わたしの言語を理解しているという確信があるだろうか? J.L.ボルヘス「バベルの図書館」より はじめに本論は、短歌における「私性」について考える文章である。しかし、残念ながら(?)本論はいわゆる「短歌評論」ではない。 「私性の文学」などと呼ばれる短歌は(よくも悪くも)事実として、作品を通じた自己表現を主眼としている。営みとしての短歌の主だった目的は、たとえば、巧みな表現を行うための技術の向上という点――そのような自己表現を担いうる〈私〉の実現を目指す、ある種の「自己づくり」にあると言ってよい。 「自己づくり」において重要なことは、その都度ごとに自己を演じることではなく、そうして演じられることが〈私〉の言葉としていわば「板につく」までの過程にほかならない。一般向けの書籍における紹介としては、小野田(2021)が引用している、平野啓一郎の「分人」というア
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