サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
買ってよかったもの
marple-hana1026.hatenablog.com
ウィスキーを買って帰ろう、と思いながら電車に揺られていた。 その日に出席した立食パーティーでは挨拶まわりをしてばかりで、小さなグラスでクラフトビールと日本酒を一杯ずつ飲んだだけだった。 こんな心象風景がある。暗い草原の中を、金色のお酒がきらきらと光る川になって流れている風景だ。これは何から来ているのか。EGO-WRAPPIN'の『色彩のブルース』という曲に「アルコールの川をゆっくり渡る」という歌詞があるが、それか。それとも子供の頃に教科書で読んだ宮沢賢治の『やまなし』か。川を流れてきた梨の実が水底に沈んでしばらく経つとおいしい果実酒になるとカニの親子が言っていた。「お酒がのみたい」と思うとき、とにかく酒の川の風景を思い浮かべる。夜に川になって流れるのは、金色のお酒がいい。だからウィスキーだ。 大人ぶったところで、わたしは最寄り駅のスーパーの棚に並ぶウィスキーのことしか知らない。その中でこれ
https://www.saizeriya.co.jp/ 会社の帰りにひとりでサイゼリヤに寄る。 街の雑踏の中を歩きながら、緑色の看板を見つけたときからわたしはなんだかぼんやりしてしまって、目が空洞になっていく感覚を抱く。あらゆる視覚情報が空洞になった目を風のように通り抜けて行って、頭の中身はこれから行くサイゼリヤの空間で満たされていく。 ビルの階段を上って重いガラス戸を押せば、薄暗い暖色系の店内照明も、大きなレプリカの絵画も、あか抜けないようすの家具類もすべてが思い描いたサイゼリヤの空間だ。入口のすぐそばに、壁がコの字形に凹んだなんともいえないスペースがあって、そこでたいてい2組くらい待っている。学校帰りの女子高生や、あえてサイゼリヤで飲んでみますかといった風情のサラリーマン二人組が楽しそうに「サイゼリヤなんてけっこう久しぶりだね」などと言っているそばで、ひとり順番を待つのも今では平気に
2019年3月26日に大学を卒業し、4月から都内で会社員になった。毎日通勤したり、先輩からこぼれ仕事をもらいながらいろいろやったり、デスクで壁と向かい合いながらお弁当を食べたりしていると、つい2、3週間くらいまえには卒業式のあとの謝恩会に何を着ていこうかわくわくしていたのがクラクラするくらい遠く感じる。ホテルでやるわけでもなく、きっちりしたドレスコードがあるわけでもなく、しかしれっきとしたパーティーであるという微妙なシチュエーションを、新しいハレ着を買う口実にしたかったのだ。 結局、くすんだブルーの総レースワンピースを選んだ。 卒業式のあとはあわただしく写真を撮って(親と)(!!!)、Tと一緒にタクシーに乗って大学に行き、あきらかに植毛して髪の毛が増えた学部長から学位記をもらい、ゼミの人たちと集合写真を撮り、また重い荷物を引いて汗をかきながらアパートに戻った。 袴で締め付けられたおなかの部
地に足つけて生きている人間の言葉には、ドライヴ感がある。 一見それは意味不明の言葉であっても、たしかな重量をもったカウンターパンチとして身体に響いてくる。 小さい頃は、よく喫茶店に預けられていた。祖父が自宅の一部を改造してやっていた喫茶店である。国語と美術の教師を長くつとめた祖父が、自分が好きな音楽をかけ、好きな詩集や雑貨を置き、のんびり時間をつぶすために作った店だった。なぜか店中にこけしを飾っていた。生真面目な祖父は、コーヒー豆屋から教わった方法を杓子定規に守って、抽出時間も一分一秒違わないように、サイフォンに一滴も水気がないようにふき取ってから、親の仇のように一杯のコーヒーを淹れていた。それ故、大して品質の良い豆を使っているわけではなかっただろうに、そこそこ美味いコーヒーだったらしい。 しかしわたしはコーヒーなんて飲まず、バナナパフェを作ってもらって、店の隅っこで宿題をやっていた。 す
京都旅行に行ったときの「苔」 昨日、彼氏がちいさなちいさな盆栽を買った。 てのひらに乗るくらいの丸い器に土が入っていて、その表面を苔がぽこぽこと覆っている。そこから、小さくて華奢な松が見事な昇り龍を描いて突き出している。よく見ると、小指の爪くらいの大きさの松ぼっくりがふたつみっつ実っていて、葉っぱには艶がある。 めまいのするほど愛くるしい盆栽だった。 先に見つけたわたしは立ち尽くして盆栽を眺めていた。 続いて気づいた彼氏が、雷に打たれたように動かなくなった。「ぽつねん」という感じに立ち尽くしていた。 そこから五分くらい黙って盆栽を見つめ、切羽詰まった声で「買っちゃうかも……」と言い、またしばらく見つめ、「買っちゃう?……かも……」と言った。そこから何回か「買いなさいよ」とわたしが説得して、「やむを得ない……」みたいな顔をしてレジに持って行った。 わたしはというと、連れがいい買い物をしたこと
はい。 この鞄を見て、一瞬にして時をかけた人も多いのではないでしょうか。「くもん行っくもん♪」でおなじみのくもん学習指導教室のバッグですね。 ついこの間、この黄色とネイビーの鞄を持った子供たちが脇を駆け抜けていったとき、まさしくわたしも時をかけました。過去の風が吹いた、と感じました。わたしもまた、かつてはくもんキッズだったのです。 齢5歳にして「幼稚園行くのめんどいな」という感覚をもっていたわたしは、割りばしを削る、たんぽぽの茎を割いて水に沈めてクルクルにする、などの地味な作業に明け暮れるだけの空虚な生活をおくる残念なキッズでした。 そんなわたしに「○○ちゃん、おべんきょうとかしてみる?」と母が問いかけてきたのがはじまりでした。まるで何のことだかわかりませんでしたが、「おべんきょう」とやらで空虚な日々を埋めることができるのならそう損な話ではないと思い、「よかろう」と答えるとすぐさま母も「承
この世でいちばん暇な人が誰だか、皆さんご存じだろうか。それは、今この地球のどこかでテトリスに興じている人である。 テトリスとは いわゆる「落ち物パズルゲーム」の元祖。「上から落ちてくる『4個の正方形で構成された7種類の多角形ブロック』(テトリミノ tetrimino)を操作して、埋まった横列のみが消えるのを利用してテニス(tennis)のラリーのようにひたすら消し続けていく」という単純明快なルールと直観的な面白さで世界規模で大ヒットした。 https://dic.nicovideo.jp/t/a/テトリス 4個の正方形からできた4種類のブロックを操作して横列を消していく簡単なお仕事。たいていこれをやる人間というのは、何かを先延ばしにしているか、本気で暇かのどちらかである。 寝そべって、ポテトチップスサワークリームオニオン味などを食べながらべとつく手でテトリスに興じている人間がいたら、そうい
電車に乗っているとき、ずっとこのまま居られたらと思うことがある。そう思わせる車両がたまにある。 他人の気配や視線というのは緊張をもたらすものだけど、不思議なくらいそれが無い車両なのだ。他人同士が絶妙な空気感で配置されていて、誰も各人をじろじろと眺めたり、詮索したりしない。大きな声でゴシップを話す人もいない。前髪の脂ぎった、いちゃいちゃの激しいカップルもいない。舌打ちをするおじさんもいない。ただそれぞれが、他人との境界線をふんわりと守っている。そして自分が誰であるかを忘れているかのような、ゆるみ切った表情をしている。ぼーっと、安定感のあるラクダに乗って砂漠を旅しているかのような表情。みんなが車両のその空気に包まれることによって、ようやく自分の輪郭というものを手にしているかのような、そんな感じである。 会社では高い役職をもっている人でも、はたまたフリーターであっても、ただまんだらけに行ってきた
「子供は汚れがない。純粋だ。」なんていうのは子供の頃を覚えていないひとの言うことです。女子小学生ほどバリエーション豊かな悪口を言う生きものはいませんし、男子小学生ほどトンボやカエルをいじめる生きものはいません。 しかし子供の頃にもっていた、視野が狭いがゆえのまっしぐら感、無鉄砲な探求心、どうでもいい細部へのこだわりや洞察力にはまぶしい思いを抱いてしまいますね。鼻くそがあれば深追いし、深海生物を網羅して暗記し、チョコボールのくちばしはハズレでも執念深く集めまくり、母親の毛穴の一つ一つをじっくりと観察して感想を述べ、ねこやなぎを鼻に詰めてみたら取れなくなって病院送りになっていたあの頃。 なんでこんなに子供時代を懐かしんでいるかと言うと、こんなブツを発掘してしまったのです。 『五日間でねこになれよう』 年齢オブジョイトイ(8才)編・著 これ、実家のベッドの下から出てきました。「え、これなんだっけ
ちょっといきなり甘酸っぱいことを言ってしまって申し訳ないんですけど、 わたし、好きな人の顔をなかなか覚えられないんですよね。自分だけだと思ってたけど、周りに聞いてみたらけっこうそういう人っているみたいです。 たとえばあなたはこんなシチュエーションにいる。 憎からず思っている相手と中目黒の高架下あたりで飲み、おでんをつつく彼の横顔を見たらなんか菅田将暉みたいに鼻がツンッとしているような気がしてかわいくて急激にキュンときて、俄然ノッてきて話もはずんで、それでも健全に終電前に別れて「またね」なんて言って各停の駅で降り、なんとなくまっすぐ帰りたくないくらい気分が高揚していてコンビニなどで無意味にアイスを買う。 https://spice.eplus.jp/articles/156690 だらだらとした坂を登り、自宅についてメイクを落としふーっと一息。バスタブに湯をためて、とっておきの入浴剤(クナイ
「ちょっと川の様子見てくる」 死亡フラグとして名高いこのセリフ、うちの父親は実際に言った。(ふつうに生きている) 毎年台風が来ると、川の様子を見に行って転落して死ぬ人がいる。こちらとしてはなぜそんなに川が気になるのか不思議でしょうがないけど、彼らからしたら何か抗いがたい衝動に導かれて川へ足が向かうのだ。 ――川に行かなければいけない。川へ行きなさい。 それは野性の衝動とでもいうべきか。 小さい頃、大型台風のなか川の様子を見に行くと言った父を母と一緒に止めた。我が子の手を振り払い、父は愛車のダークグリーンのエスクードに乗って消えた。窓にはビタビタと雨が打ち付けていた。「お父さん死ぬかもな…」と思った。 結局父は生きて帰ってきた。母やわたしは「台風のときに川の様子を見に行く人はおかしい」と小言を言った。すると普段縄文土器のように無口な父は、顔をぐにゃりと歪めて聞いたことのないくらいの大声で怒鳴
これがリアルな京都旅だ 例のあまりしゃべらない彼氏と、京都に行った。 「なぜ京都?」って感じだけど、お互い将来のことについて考えすぎてろくに夏休みを楽しまなかったので、「とりあえず京都に行っておきましょう」ということでゆるく決まった。以下、旅の記録をつづる。Hanakoなどを読んで、京都への憧れをふくらませている人々にあえてよんでもらいたい、ぐずぐずな旅程である。 羽田から京都までの往復航空券+宿泊+朝食で26000円というプランを予約。ろくにリサーチもせずに飛び立った。 一日目 羽田空港(9:30)→伊丹空港(10:35) 時間がないのに羽田空港で「サブウェイのサンドイッチが食べたい」と無意味にだだをこねるわたしと、沈黙を守る彼。バタバタと乗り込み、一時間弱で大阪に着く。 伊丹空港→京都駅(リムジンバスで一時間くらい) 伊丹空港の二番バス乗り場から、リムジンバスに乗り京都駅へ。ちなみに予
恐れていたことが起こった。 今日、同じ最寄り駅を使っている担当教諭とスーパーでエンカウントしてしまったのだ。そもそもこれまで遭遇しなかったのが運が良かったのか。 もともとは、わたしが教授の住む街に引っ越してきてしまったのだ。せっかく家族水入らずで平和に過ごしていたのに、近所をゼミ生がうろうろするようになるなんて教授もかわいそうだ。でも仕方ない。交通の便がよく、家賃が安く、まずまず広く、トイレとシャワーが別々になっている部屋をさがしているうちにその街に住むことになったのだ。教授だけの街じゃないんだ。許せ。 教授に「○○に引越すんですよ~」と言ったときは、「出ていけ」と言われた。「もう不動産会社にもお金払ったんです。」と言うと、「金戻してもらって、出ていけ」と言われた。ひどい話である。そんなにわたしが嫌いか。しかもそのとき向田邦子の「かわうそ」について話をしていたので、「僕が住んでいる街で獺祭
わたしの恋人には一人称というものがない。正確には「僕」と呼ぶはずなのだけど、めったに言わないので、ないようなものだ。そもそもが無口なので、言語そのものをあまり口にしないのだけど、一人称に関しては言うのを巧みに避けるようにして暮らしている。 そのことには付き合う前から気がついていた。 食事に行くようになって二回目くらいのときに、「一人称ないでしょ?」と聞いたら「よく気がついたね」と言った。 「なぜ?」 「僕も俺もなんか違う気がして恥ずかしい。」 「不便じゃない?」 「やや不便」 「このピザは誰が頼んだのさ」 「……(小さく手を挙げる)」 たしかこんな感じの会話をした。不便さを感じながらも、「僕」や「俺」を使うのが恥ずかしいからと言って、ほとんど一度も口にせずに20年間くらい生きてきた男がいるのだ。わたしは驚いた。 人はおのずと自分にあった一人称を選び取っていく。 俺、僕、わたし、あたし(主に
その恋愛、無駄無駄無駄無駄ァ!!!!????? 友達に言われた。 「結婚に行きつかない恋愛は人生において無駄。何度でも言う。無駄。」 思わず器官に何かがつまってむせた。こんなにも人生への考え方が違うものなのか。 その子は、勝手にすごくウマの合う子だと思っていた。容貌は由緒正しい家から盗んできたお雛さんみたいな感じなのに、アングラ映画やお笑いが好きで下ネタにもヌワハハ!と良い反応をする、おもしろい子なのだ。こんなに保守的な恋愛観を持っていたなんて知らなかった。 その子には9つ上の彼氏がいて、もう両親にも紹介されたらしい。両親にもたいそう気に入られてバーベキューに誘われるなど、いわゆる「囲い込み」を受けている状況だそうだ。そんなことをうんざりした雰囲気で言うものだから、てっきり結婚なんかしたくないのかと思った。でも結婚しない恋愛は無駄だから、ここで片付いてしまいたいというのだ。どうゆうこっちゃ
後期高齢者 meets earth music&ecology *1 タイトル通りである。 earth music&ecologyの年齢層が大きく変わり始めている。 母から電話がかかってきて「お祖母ちゃんがね…」と切り出されたとき、真っ先に「ああ、何か病気でも見つかっただろうか」と思った。 「どうかしたの?」と深刻なトーンで聞き返すと 「最近、earthなんちゃらで服買ってんのよ…」 「あのearth?」 「そう、あの。宮崎あおいの。」 Oh…と思った。 earth music&ecology(通称アース)にはわたしもお世話になったことがある。わたしが中学生の頃は、いかにも女の子という感じの服装がリーズナブルに手に入る店として人気を博していた。宮崎あおいが「ヒマラヤほどの!」と歌うCMが印象的だった。今はあまり趣味が合わなくなって着ないけれど、友達の服のタグに「earth musi
セブンイレブンの人、だと? のっけからタイトルうっとうしいですが わたしは複雑な気持ちなわけです。 忌野清志郎の話をしようとすると、「ああ、ずっと夢~をみて~~の人ね?」と言われることが。これはわたしが大学生だからかもしれませんが、周囲からは忌野清志郎がセブンイレブンの曲の人として認知されつつあるようです。これは看過できない。 デイ・ドリーム・ビリーバー~DAY DREAM BELIEVER~ THE TIMERS ロック ¥250 provided courtesy of iTunes わたしと忌野清志郎 セブンイレブンの人、だと? わたしと忌野清志郎 おすすめ曲【RCサクセション編】 そもそもRCサクセションとは 『初期のRCサクセション』 1972年 『シングルマン』 1976年 再発売1980年 『ラプソディー』 1980年 『PLEASE』 1980年 『BLUE』 1981年
バーフバリの過剰さが最高に良い https://www.huffingtonpost.jp/2018/05/30/baahubali-twin_a_23446544/ インド映画がアツい。 インド映画とは「過剰」の権化である。 バーフバリが面白くて、二回観た。バーフバリは半沢直樹もびっくりの勧善懲悪もので普段なら胃もたれするようなストーリーである。でもバーフバリはスケールが違う。なにもかもが過剰である。 まず登場人物の描かれ方が過剰である。本題からはズレるけど、紹介したいので紹介する。 (ネタバレを含みます) 一代目バーフバリは生まれながらにして、民を思い民に愛される王の素質を持った男。異常なほど強く、味付け海苔一枚で人ひとり殺せそう。そしてめちゃくちゃ優しい。そして血のつながらない国母シヴァガミを深く慕う、要はかなりのマザコン。そしてこのシヴァガミもめっちゃ強い。短刀みたいなので、屈強な
アイス総選挙 応援しても応援しても推しが花開かない、いたいけなアイドルファンの気持ちがわかったような気がする。 https://mognavi.jp/food/862774 わたしがどのアイスよりも大好きなSkyがかすりもしていなかったから…。 チョコミント論争はしばしば起こるのに、Sky論争はちっとも起こらないから…。 メーカーは江崎グリコ。スクエア型のカップに入っていて、食感は爽とアイスクリンを足して2で割った感じ。しかし味はただのバニラではなく「サワーバニラ」という攻めたフレーバーである。これがおいしい。チープな清涼感と、はんぱなクリーミー感がなんだかいとおしいアイスである。。そして牧場しぼりとかMOWみたいにこってりしていないから、ぺろりといける。少し思い出補正が入ってるのかもしれないけど、Skyの緑と青のあのパッケージを思い出しただけでテンションが上がる。 今ではめったに売ってな
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『marple-hana1026.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く