新番組と書いてぬかるみと読む。 らき☆すた。OP、ニコニコ動画での再生数とコメント数に吹いた。それも当然、ハルヒEDのハイパー化ともいうべき過剰な音楽性と運動性、ロングショットでのダンスや的確な日常芝居と、ほんのわずかな時間の中にファンが京都アニメーションに期待するもののすべてが込められている。最も訴求力の高い表現を冒頭に濃縮するというのは非常に正しい戦略だ。一方EDは、1枚の背景で表現されるカラオケボックスの部屋の外に漏れ聞こえるアニカラ(新曲ですらない。しかも選曲がアレ)を流し続けるのみという過剰な簡素さだ。その簡素さから、かえってアニメーションの運動性が強調されてもいる。これまでの京アニ作品ではあまり見られなかった引き算の芸だ(例の長門の長回し読書はそれだけに印象的ではあった)。 ハルヒでは「シリーズ演出」を名乗ることで「作家のアニメではない」ことを主張した山本寛の作家性は「運動性の