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体力トレーニング
mi-fuketa.hatenablog.com
もう『好き』になることは無いと思う。出会いのチャンスが極小だという意味も含めて。 この年齢になるとそろそろ『人間』という生き物の正体を自分なりに解釈して勝手に納得している自分をコントロールすることが難しい。 解釈の妥当性を日々体感しながら傍観し、対処し、怒り、悲しみ、楽しんでいて、まんざら間違いでもない。若しくは解釈の方向性は間違いではないと感じてしまっているから。 異性に対しても同じ。 人はみな自分と同じく弱い生き物で、何かしら自分を満たしてくれる対象を求めいていて、その『都合』という台の上で動いてくれる人がいれば、時間を共にすることができてしまう。 はっきりと『好き』という感情を感じるわけではない。それよりむしろ『ありがたい』という気持ちの方が十分に大きい。 お付き合いしてくれてありがたい。僕と同じ時間を過ごしてくれてありがたい。旅行にいってくれてありがたい。ごはんを作ってくれてありが
たしか10年ぐらい前に購入したはずだ。 ボタンがキツイ。引っ込めて何とか閉じると横に深いシワが入って、縛られたハムのようになってしまう。そんなスーツの状態なのだ。ジャケットがね。 年に数回しかまとうことなのいスーツを新調するつもりはない。もったいない。 しかたないから痩せることにする。スーツが小さくなったのではなく、僕が大きくなったのだから。 10年前と比べると僕の生活はずいぶん裕福になったものだ。100万円の車が400万円になった。毎週一度は飲みにでて、月に一度は一泊旅行。スーパーでは値段を見ないで買い物するようになった。 いつの間にかこんな自分になっていた。 あんなにお金に苦労していたのに。 もうこれで十分だ。そう思う。 65インチの有機ELテレビが欲しい。40万だった。そんな大金は出せない。 給料がもう3万増えてくれれば、年下たちを飲みに連れていけるのに。 年に一度は遠出の旅行に行き
なにもかも上手くいっている。文句のつけようがないほどに。 突然の災いも、特別な幸運も、一切起きない凪のような日々だ。 朝は納豆かベーコンエッグ。納豆には生卵を混ぜ、小ねぎをたっぷりのせる。ベーコンはブロック状のものを購入し、その時の気分に合わせて好みの厚さで切る。 自分用の昼ごはんにおにぎりを作るときには、息子の朝食用に一つ多めに。 少なくなった頭髪を整髪料で無理やり元気にして。この時間が本気で嫌になったとき丸坊主にしようと鏡の自分をみつめる。 決まった時間に車に乗り込み日課となったライン電話で彼女の機嫌を取りながら出勤する。道中には電波状態が悪いところを必ず通過する。通話を辞めればいいものを二人して律義に音声が回復するのを待ち僕が会社に到着するまで電話を切ることはない。 若いカップルでもあるまいし、いい年したおじさんとおばさんが今現在こんな感じなのだとははずかしくてとても言えない。 毎日
とにかく生活を維持するためには金が必要だった。 子供が生まれて一歳にもならない時に失業した。 22歳にも満たない若造が社会に放り出された瞬間だった。 もし、背負うものがなかったら、学び直すために学生になってただろう。しかしそんな時間の投資をする余裕などなかった。次の給料が最後。子供にご飯を食べさせるためには金がいる。 そんなこともありながら僕はこれまで失業を二度味わった。 無事になんとか社会復帰できて今日がある。 書くと長くなるので細かいことは割愛するけど、1度だけ本物の人生の帰路に立ったことがある。 自分で会社を辞めたのだ。 このままじゃ自分がだめになる。そう思って考えに考えた揚げ句僕は会社を辞めた。38歳の冬だった。 いままでのキャリアを無しにして一から自分を作り直す覚悟だった。 そのぐらい僕は自分の人生に行き詰まっていた。 できる限りの方法で自分と向き合った。 自分には何が出来るのだ
体力は全然残っている。しかし、心のエネルギーが枯渇する。 完全にマインドの問題なのだけれど、疲れるものは疲れるのだ。 最近は仕事ばかりの毎日で。 楽しいのか?楽しくないのか?この二択で回答するならば、間違いなく「はい!楽しいです!!!」と答えることはできるのだけれど、楽しくても疲れるものは疲れるのです。 毎日起きる仕事上でのトラブル。それを解決しながら前進している。小さな切り傷のダメージが重なって、数か月分のダメージが蓄積していて、今では一日終わると猛烈な疲れを感じます。心の疲れです。 夜ご飯を作ることもなくなり、お弁当も作ることがなくなり、朝ごはんすら食べるのが面倒になってきました。 違うんです。『辛い』わけじゃないんです。やる気だって消えてません。 ただね、、、心のHPが一日で尽きてしまうのです。 コンビニでおつまみを一つ買って帰宅し、ビールを飲んで夜ご飯は終了みたいな生活をここしばら
8月14日は僕の誕生日だ。45歳になった。 正式にお付き合いさせていただいている彼女とディナーを取ろうとした矢先、僕の携帯が鳴った。画面には女性の名前が浮かび上がっている。 テーブルの上に無造作に置いてあった僕の携帯。 チラリと彼女の目線が携帯に動いたのを僕は見逃さなかった。 見られたな、、、と思った。 無理のない動作で僕は携帯を耳に当てた。 相手は中学の同級生のユキコだった。 凄く久しぶりだね。何かあった?と僕は聞いた。 「タクマが今朝、自死した」 そういう内容だった。 ユキコと話したのは何年振りだろう。数年前の同窓会依頼だろうか。 まさかこんな内容で電話をよこすとは思ってもみなかった。 タクマは中学の同窓生。柔道部の主将だった。 頭脳明晰。部活でも全国大会で活躍するほどの実力。容姿も端麗で異性にもモテた。 高校も進学校。順調に大学にも進学し教員を目指した。 ここまでは知っていた。何せ中
世間では甲子園予選の熱戦が繰り広げられている。 この時期僕は決まって思い出す。暑い夏の裏側で起こった出来事を。 今回は30年近く前の話をしてみようと思う。 僕が高校二年生だったころの話だ。 9回の裏。僕たちの攻撃。点数は9対5で負けていた。 僕たちチームの最後の攻撃が始まる。 諦めも期待もなかった。負けるとも勝つとも思わなかった。試合が終わったらはっきりする。この時はただ事の成り行きを見守るしかなかった。 両校の学校応援。ブラスバンドの音がぶつかり合う。俄然音が大きいのは僕たちの方。 三年生の引退が間近に迫った切迫感。高校まで野球を続けてきた先輩の引退が目の前に迫っている。自分の学校の敗退を阻止すべくブラスバンドのけたたましい音がグラウンドに鳴り響いていた。 肝心な試合はというと、ヒットを打ったりフォアボールをもらったり、タイムリーが出たり。 気づくと9回の裏2アウト。ランナー1・3塁。点
僕の実家は兼業農家です。 裕福とはかけ離れた貧乏農家でした。 両親はおろか祖父母まで、一日中働いていました。 そんな姿を見て育った僕は小学校に入ってから専業主婦なるものを知ります。 学校から帰宅するとお母さんがいておやつを作って待っててくれるんですって。 あぁ、仕事をしていないお母さんもいるんだぁ。。。 こんなことを思った記憶があります。 僕が幼いころから見てきた両親たちはずっと働いているイメージでした。 何より驚くのは母や祖母です。外で仕事をして帰ってくるとそのまま家事へと移行していきます。父や祖父は風呂に入り食事ができるまでの時間をテレビを見たりしてすごしている。 母と祖母だけはずっと、本当にずっと動いているのです。 外で仕事をし、家に入ると食事の準備から片付け。そして洗濯です。これを365日永遠と繰り返していました。 今思うとぞっとします。今思うと母や祖母の凄さに驚愕します。 現在は
100点は無理だけどMAXまではやる こんな姿勢で生きています。 そして本当にMAXやったと感じた時僕は、自分に満足します。 満足の基準に結果が含まれていないのでやはり僕は凡人です。 長く生きてきた経験の中で、『他人を気にしない』といいうマインドを手にするべく昨今は思考の変化を自分に対して促しています。 昔は他人からの評価を気にしていました。他人からどう思われるか気にしていました。 自分の思う100点ではなく、他人の思う100点を目指していました。 自分の好きなものではなく、他人の好きなものを『良い』としていました。 自分の基準は他人にありました。 こうやって生きてくると、自分の心とのギャップに気づき心の異変に気付くようになりました。自分の価値観を他人に合わせているという『無理』が精神を蝕んでいることに気づきました。 『自分の価値観』に不安があったから他人に合わせていたのか、ただ単に他人の
親切にしたら自分に返ってくる。親切にされたらお返しをする。 幼いころからこのような教育をうけてきたような気がする。 大人たちは『親切にしても見返りがあるわけじゃないけど、親切にしなさい』 とは言わなかった。少なからず僕の周りでは。 僕はずっと他人には親切に、丁寧に接し、礼儀礼節をわきまえて対応することが、人間として正しいことだと思ってきた。大人として正しいことだと思ってきた。 しかし、ここに問題あり。『正しいこと』だと思っているので、他人にも同じことを求めてしまう。ってか正しいことなのだから当然他人も同じように振舞うことが当たり前なのだと考えていた。 しかしどうでしょう。こちらが丁寧に対応しても、相手が同じようにお返しをしてくれるわけじゃない。なんなら『なんだその態度は!!』と思ってしまうような失礼な反応をされるときもある。 このように、生きていると自分が求めるような反応ではない相手と遭遇
ネットニュースで見た。 残業時間が100時間を超えて亡くなった人がいるらしい。 詳しくは読まなかった。悲しくなるからね。 どうなんだろう実際のところ。 世間の人たちは残業をどの位しているのだろう。 残業代はもらえているのだろうか? 僕の身近な人の話をしてみよう。 某有名企業のS君。 会社で仕事をしても19時には締め出されてしまう。 そんな時間だけでは仕事は終わらない。 会社に残って中途半端は時間で締め出されて集中力を乱されるよりはと、17時付近で退社し自宅で再度仕事を開始。眠るのはいつも日付を超えた2時ごろだそうだ。 これがほぼ毎日。 S君は超有名企業の社員だ。もちろん上場企業。 でもさ、これが現実。 では、僕の話をしてみよう。 5月5日から仕事を開始。 正式な休みは日曜だけ。その日曜も今日をいれて2日しか休んでいない。 平日は朝の5時から18時過ぎまで仕事をしている。 もう『残業』とか、
連休最終日も晴天にみまわれている。 遂に来た。明日から始まる。新しいスタートだ。 今のポジションを求めて6年経過。 6年前に覚悟を決めて転職。昨年6月に大きなチャレンジの為に転職、失敗。 そして現在の会社へ昨年9月末に入社。ついに現場代理人になることができた。 ここまでの道のりは長かった。 この仕事を始めて26年目になる。 右も左も分からず。なんなら何の仕事をする会社なのかも理解できていないまま新卒で1社目に入社した。 そこから僕の『現場監督』が始まる。 奴隷のような日々。劣悪な就業形態。信じられないぐらい安い収入。 「いつか辞めてやる!!」 これが僕の本音だった。 そんな思いを胸に、耐える毎日の中で、この仕事に意地と根性と人生を掛けて挑む上司たちの背中から、いつしか目が離せなくなっていた。 そんな上司たちの姿に『憧れ』を抱くようになっていた。 気づくともうすでに異業種への転職は不可能な年
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