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パリ五輪
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サッカーの朗報にたいして、生命科学ではよろしくないニュースが出てきています。 わがくにゲノム創薬の第一人者といわれている京大の薬学の元教授が逮捕されたとのことです。 逮捕の理由はたいへん芳しくないです。 わたくしは,ゲノム創薬の日本の第一人者は東大の中村祐輔教授だとずっと思っていたのですが、この分野はいろいろあって第一人者といわれるかたが自薦他薦でおられるのかもしれません。中村先生は日本のこの分野の体制はまったくなっていないと宣言して、米国に行ってしまいました。大変残念です。日本のこの分野の政府筋としても総責任者と聞いていたので、わたくしもそのニュースに接した時には目が点になったものです。中村先生はその前に朝日新聞とかなりひどく対立していたので、日本のこの分野にたいするきつさに嫌気がさしていたのかもしれません。詳しいことは分かりません。なおゲノム創薬とは、遺伝情報にもとづいての適合した薬を
次男と一緒にドライブをして一日中遊びました。北は辺戸岬まで行きました。途中で東村にある、ヒロのコーヒーショップによりました。コーヒー栽培をヤンバルでするという面白い店です。コーヒーデザートどちらも美味しい。6年前にこの店に寄ったときには、持田君の結婚式で,そのあと島の北部に一泊旅行したのでした。今回は恩納からの日帰りですが、宜野座から辺野古もよく見て、ゆっくり島北部を見ました。感想はいろいろあるのですが、まあいつか別の機会に。 辺戸岬、すばらしい快晴でもあり海の色の美しさに感動しました。また前回も読んだ、碑文にも感心しました。帰りに読谷のやちむんによっていま戻ったところです。 京大の薬学研究科の辻本教授のできごとあんまりですね。私用に流用しているかどうかは分かりませんが、いかにもという感じです。ただ、これも例の東京地検特捜の記者へのたれ流しの情報を新聞(読売が主に)報道しているので、本当の
大阪のバイオサイエンス研究所の危機に対してあまり学会や社会での意見が聞こえてきません。 この研究所はわたくしの理解では、不世出の生化学者早石修先生が京大を辞められたあとに設立された高名な生命科学研究所です。脳科学や免疫科学に特にすぐれた研究所で、その後花房先生、中西先生と世界的に著名な方々が所長であり、存続が危ぶまれるという可能性があるなどとはわたくしにはまったく思いつきませんでした。杞憂であってほしいと願うばかりです。北川さんはわたくしが橋下市長に直接ツイートしなさいと言うのですが、どうもねえ相手が、あまり気が進みません。 こういう場合のルールというのはなかなか一義的に決まってないのでしょうが、でも人件費と建物経費の肩代わりをするのなら、阪大とか私学の関学とか関西大とか手をあげるところはないのでしょうか。 この話題とは独立ですが、日本国民の生命科学の基本知識というのは低いともいえないし、
お金をつかわずにいかに面白い研究をするか。 いままでのわたくし個人の経験では遺伝的な研究がいちばん安価でしたs。要するに変異体を分離する仕事です。お金をかけずにだれもとったことのない変異体を分離する。とれれば独自な結果を出せますから,意義はあります。しかし最近ではあまり人気がないのはアイデア的に非常に新規なものを考えつくのが難しくなったのと,しごとが記述的、descriptiveと批判される傾向がつよいですね。わたくしはそういう批判はほっときたいのですが,いいところで発表したいと願う若者達には、descriptiveという言葉がまるで汚らしい仕事という語感を感じるようで,こうなると安価な研究,はランクの下の研究と見なされがちになります。わたくしは,それでいいじゃない、別にかまいませんですが、それはもう役目の終わったじいさんのいうことと見なされがちです。 それじゃ安価でかつ汚らしくないメカに
昨日のブログ反響があるようです。困っているひとがたくさんいるのです。困っているというより、気持ちとして必要とされないことからくるやるせなさというか、なんでこうも苦しい目にあうのだとおもうひとが増えているのでしょう。 問題なのは、沢山研究費をもらっている人達までもが、自分は大変なのだ大変なのだといって、合唱に参加してくるのです。でも次元の違う困りかたのはずなのですが。でも、外から見るとなにがどう困るのか、よく分からないかもしれません。 日本の科学研究の土台がすかすかになっているのは、研究をするための土壌そのものがやせ細ってきたというか、欠苦部分が増えてきているからなのであって、十分な肥料がたりないとかそういうレベルの問題ではないのです。続けられないので、研究から退場せざるを得ない人達が増えているのです。欠落部分の増大は若者の減少に如実にあらわれてます。 三月末で、ラボの構成がすこしかわります
きょう午後琉球大病院のかたがたがおいでになったので、共同研究の段取りなどの話しあいをしました。研究の承認をえるのに非常に時間がかかりました。ごくごく簡単なことなのですが、このご時世ですから慎重に、慎重な審査は、しかたありません。研究費の初年度はもうおわりですから本当は困るのですが。でもいよいよ始められそうで喜んでいます。 今日の、タイトルなんのことだと思われるでしょうが、これは日経にでていた、いま苦しんでいる電気会社はみな選択と集中をやったのだそうです。シャープなんかもテレビと太陽光パネルの二大事業に特化したので、困るし、だれもが知っているソニーやパナソニックの苦境もやはり選択と集中の結果なのだそうです。「選択と集中」の誤算に苦しむエレクトロニクス業界、というこの日経の記事かなり説得力ありです。 それじゃどこがうまくいっているか、というと日立なのだそうです。ここは複合企業を旗印にしていて、
きょうは東京の霞ヶ関にでかけました。文部科学省でヒューマンフロンティアの関係の会議がありました。昨年も来ているはずですが、玄関の守衛さんのあかるい雰囲気が印象的でした。親切かつ対応がすばやい。入口の掲示物も一般のひとが文部省にやってきても、建物にのこのこ入ってみて展示物でもみてみようかという気持ちになります。好感がもてました。もっと入りやすい感じになるためにギャラリーなんかを1階に作ったらいいと思いました。開かれた官庁の先頭を切ってもらいたいものです。 直前の国税庁の前にはたくさん守衛の人達がいたのでコントラストです。 帰りの新幹線、昼を過ぎていたいので駅弁を東京駅で買いました。いろいろ眺めて、貝づくしというのにしました。考えてみると、わたくしは幕の内はきらいではないが、たいてい鳥めしとか貝めしとか東京ではそんな駅弁を買う傾向があります。幕の内が1200円とか1300円とか見ると、ケチでは
科学の英才教育をするのならどうするか。 わたくしは分からないことを、どうわからないのか自分で説明する能力を高めることだとおもいます。 分からないことをなんどでも見つけては、質問すること、返事をもらい、考えることだとおもいます。 おもしろいと感じたことを、面白いといってみたら、周囲がちゃんと反応する環境にいることだと思います。 面白いことを面白いとはっきり言い続けることが楽しい経験だと感じられる環境にいることだとおもいます。 知りたいとおもったら、どうしたら、知る事ができるのか教えてもらえる、手ほどきを受ける環境にいることだと思います。 知りたいことを尋ねる人がいる環境にいればいいのですね。 さらに知的な議論が(正しく)できる環境にいることだと思います。 議論というのは、ああでもないこうでもない、という類の話しあいですが、議論が面白い楽しいという環境にいればいいのです。 これらの環境がそなわ
昨日書いたことたぶん共感する方が多いのではないかとおもいます。 でも最後に以下のように書いてしまいました。 どうしたらいいのか、解決は実に簡単だと思いますが、いまの日本、組織的に不可能でしょう。 つまり解決が不可能に見えるくらい、組織がそうなってしまったのです。 やはり説明を追加しないといけないかもしれません。 組織と書いたのは、政府系の研究費配分組織のことです。つまり税金を研究費に使うときの組織で、これはおもてから見えるものから隠れたものまで含めて、実に様々のものがあるのです。解決はこの組織の考え方を抜本的に変えてもらいたいのです。大変ですが、考えは簡単です。 つまり、重点とか特別とか、大型とか戦略とか、そういうのはもうすべてやめてほしいのです。 研究費を広く薄く配分して欲しいのです。集中、選抜でなく広く薄くです。政府はぜひこれでやって欲しい。基礎的な研究も、応用的な研究もです。 そして
日本発の科学技術論分数の伸びが他国にくらべ弱々しくなっているという記事をみました。 文科省の政策研究所のかたが、論文の書き手である国立大学の状況が反映しているのではないかという意見が出ていました。 そうだろう、とおもいます。 論分数の増加とかそのような行政目標は科学技術政策レベルでは存在しないようです。と、同時にまず論文を出すということを目標とする研究室が激減しているのだとおもいます。 その理由は、同じ論文でもどこに出すかで研究室の運命は大きく異なることがいまのご時世、トレンドだからです。 有名ジャーナルにでると、研究費がもらえる、ありきたりジャーナルにいくらだしても研究費はもらえない。これが真実かどうかではなく、そういうふうに日本の研究者の多くは考えているのです。 地道なつましい貯蓄的研究の生活をしても未来の可能性はあんまりない。わずかなチャンスでもいいから、有名ジャーナルであるネーチャ
研究者というのは、どうでもいいことはほとんど真面目になにも考えてない場合がままあるということも世間は知っておく必要があります。 たとえば、基礎研究者というのは応用のことをほとんど知らないというか経験がない。この場合、応用というのは成果でたとえば医療に役立つ、成果を用いて企業がお金を稼ぐとでも考えてください。しかし、研究費申請時には何の役にたつか、とかならず聞かれなにかもっともらしいことを書かねばなりません。そういうときはその分野の大物がいっているようなことを無批判に書くものです。独創性など考えていません。 わたくしはそれが悪いといってるのでなく、そんなものであると事実を書いているに過ぎません。審査する側も社会にとっていかに有用であるかの部分はあまりちゃんと読まないし、重要な評価点をださないものでした。これが基礎科学の審査の長い期間の状況でした。しかし、英国や米国のトレンドが先進する国の研究
博士の学位をとりたいと希望する若者たちとわたくしは何十年も一緒に研究をしてきたのですが、そんんなに長くやっていても、若者とのつきあいで、まるで初心者のようなエラーをしてしまう、というのがわたくしの実際の感想です。 なぜそんな失敗というのか、より良いやり方ができなかったのか、それはですね、われわれはひとりずつどれだけちがうか、という理解が十分でないのです。そんなもの当たり前でしょうといわれそうですが、でも芸術などと異なって、人には個性があっても学問にはやはりやるうえでの規範があるので、その基本にそってやれば結局若い人達に対して、似たような教育でおおむねいいのではないかとおもいますね。でも歴然として異なった個性をもっているのが分かるような若者に対しては、それなりにやり方を変えていきます。 非常に大ざっぱには上で述べたような原則をもちつつ若い人への研究の意欲を高めるべくつきあって来たつもりですが
きょうの午後、来客時の雑談ですが、だれがアップルが世界最大企業で純益1兆円になることを10年前に予想しただろうか、と話題になりました。 お客のひとりが、やはりハードじゃなくて、iTuneのようなものを使って音楽を販売し始めたのがおおきいのではないか、というご意見でした。なるほど。 でもわたくしは音楽をiTuneで購入したことがないので、むしろパソコンとつなげて音楽を編集整理するiPodみたいなものを売り始めたことが世界制覇の第一歩だったのかな、などと思ってしまいます。 ずっとMac党だったわたくしとしてはアップルが世界一の企業になったといわれても別に嬉しくもありません。むしろクラウドなるものがわたくしにはさっぱり御利益がないことが不満です。ただ、パソコンをここまで徹底して民生化というのか誰にでも使えるようにしたこのアップルの革新性というのは本当に凄いと思います。そしてなぜソニーがこういう方
ダルビッシュのファンへの発言、なぜ米国のメジャーに行くのかの説明、感心しました。微温的ないまの日本のプロ野球にだんだん嫌気がさしてきたとのこと。自分が骨身を削って闘おうという相手が、闘う前から「お手柔らかに」とか「本気出さないで」、などといってくるのが、たとえ軽い挨拶のつもりとはいえ、やっていられないとのこと。このままでは自分が駄目になる、と思ったとのこと。その彼の気持ちを理解していた関係者は非常に少なかったのでしょうか。 かれがファンを大切にしているのは自分の本当の気持ちをわかってもらえると思っているのでしょう。だから、日本を去るときに真情を伝える相手に選んだのでしょう。札幌の球場に1万人もいたとのことです。 頂点を目指す若者の本音を聞いた気持ちでした。 願わくば、米国での野球の場が彼にとって、真にやりがいのある場であって欲しいとおもいます。 多くの日本人が、ダルビッシュのファンへの発言
学問というのは継承なんですよ、といっても若い人は分かったような分からなかったような、表情をたいていします。しかたないですね。日本の学問はまだ歴史が浅い。 明治以来ずいぶん時間が経っているとはいえ、たいした古さではありません。磁石の単位にデバイがありますが、わたくしのお師匠さんの元を三代辿るともうデバイさんになってしまうんですね。わたくしの学生時代の先生は生物物理学の野田春彦先生ですが、先生の先生である水島三一郎先生の先生はデバイ先生こうなります。スイスでの先生は物理学のケレンバーガー先生で、もうひとりのお師匠さんはクルグ先生ですが、かれはれっきとした物理学者ですから、わたくしの先生たちはみな物性系の物理学になっています。学部卒研時の先生は江上不二夫先生だったので、生化学は江上研で学んだものです。遺伝学は自己流に学んだといわざるをえないのかもしれません。でも、スイス時代のエップスタインさんや
わたくしはもう長いこと日本人の新規大学院生を受け入れていません、というか受け入れる資格がなかったのですが、いまひとり外国人の大学院生の指導をしています。 ただ表向きはしていないことになっています。実質的にしているということです。 かなり研究経験のある学生だし、また異なった国での体験もあるのでおとなだし、非常にやりやすいのです。それでも、やはり学生、つまり博士の学位を取得したい若者だし、指導の勘どころはあまりかわらないと言えます。 つまり、理由の無い自信をもちすぎていたら、それは根拠がない、ということを教えてあげる必要があります。逆に理由無く自信がなければ、ちゃんと理由のある自信を持ってもらうべく、わたくしなりに努力します。 結局は自分に対する信頼みたいなものを、きちんと持てるようになると、博士の学位は近くに来ているのです。 その自分に対する自信ですが、やはりあがったり、下がったりを最低三回
来年論文としてかたちにせねばならぬのをひとつずつメモ的に書いてみるとなんとかなりの数になるので、ちょっとショックです。今まとめているのが、思いのほかに時間がかかることもあって、こんな調子では起きても覚めても論文書きかと、げんなりする気分です。 しかし、前に進むためにはこれまでの成果を公表するのが大切で、公表の努力の過程でいろいろなことがまた分かってくるはずです。 一年の計を立てるに当たって、このメモを捨てずにおりおりに確認のために見ないといけない、さもないとまた幸せに忘れてしまうのです。 もちろん今進行中の研究も進めなければいけません。 来年やってみたいと思ったことのひとつにtwitterなるものがあります。 いったいどういうものなのか、やるとどうなるのか。正直ぜんぜんわかりません。 見当もつきません。でもなんか面白いかも、と思いだしています。 子供のだれかはやっていると思うので聞いてみた
きょうは忙しい日なのでさみだれ的に書くことにします。 沖縄大学院をささえるのは現場の人間でしょう。わたくしは現場の人間です。そういうひとりとして、批判しています。 さてわたくしがなぜこのようなブログを使って自分の属する組織の問題を論じ批判するのはどうなのだ、と思われるかたも大勢いるでしょう。この大学はまだできたてのほやほやで。創立につきものの問題点が山積しています。現場の人間にはひしひしと感じます。 わたくしは京都大学においても学長に対する厳しい批判をオープンに述べたことがあります。しかし事態はそんな生やさしいことではないのです。まだ書くべきことの一部しかかけていません。 そもそも研究の状況についてひとことも書いていません。研究者の水準ややる気など何も書いていません。ただいえることは、わたくしのようなこれまでのみならずあちこちで空気をすった人間には非常にいずらい場所です。 しかし、わたくし
沖縄大学院は100%税金の大学ですが、その前身は、ついこの間までですがこれも税金100%の独立行政法人でした。この組織運営については色々な問題が発覚しました。パワハラ問題、40億円のずさんな予算超過の発覚が遅れたことなどなど、あまり中央マスコミでは出ませんが、地元ではそこそこ話題になり、それが県民の離反を引き起こしているのです。 日経が出版しているBTJジャーナルというのがあります。2010年の5号に「沖縄科学技術大学院大学の深層」というタイトルで特報が4本として掲載されています。河野修己記者による記事です。 一年以上前ですし、長くなりますが、その一部を引用させてください。 この中にある異例の昇給とかトップによる直接な裁断による給与査定は100%税金の組織になじまないのです。でも、いまも大学院になっても引きずった問題です。人心の懐柔のための昇給と反抗者には減給が、ピラミッド型の閉鎖組織とし
さて気分がすぐれなくなる話題を再開します。 わたくしのこの大学院大学話題の想定読者は主として沖縄県民です。期待している人たちです。 そして日本の国民です。税金を払ってのサポーターです。 もう一つの重要想定読者は、この大学院大学の監督官庁である、内閣府と文部科学省の関係者のひとびとです。特に内閣府は予算のの胴元でもあります。 わたくしがなぜ声を出す決意をしたのか。それは昨日話題にした新学長の年収額などということではありません。 新学長が沖縄大学院大学に外国の軍事研究費を導入することに決して否定的でないことを知った日からです。 沖縄大学院大学は潤沢な政府資金によってサポートされていると思われがちですが、執行部周辺では、外部資金の必要性が声高く論じられています。 軍事関係の研究費でもその導入について、議論を妨げる理由は無いとの意見を学長はもっています。わたくしは、沖縄の土地で、この大学のなかで、
昨日の披露宴、途中まで雨でしたが終わる頃にはきれいに晴れて、そしてわかものたちの快いエネルギーの噴出もあり、とても楽しかった。両方のご両親とご家族、親類のかたがた、北海道と新潟からおいでになり、たいへんでしたでしょうが、息子と娘が元気に多くの若者たちと生活していることを実感して、安心したでしょう。Aさんとてもきれいで、まさに輝いていました。新郎のMさん、元気いっぱい、前向きのエネルギーはあまりあるほどあるようで、いいカップルの誕生でした。 さて気が重い、大学院大学の現状ですが、沢山のうっとおしい話題があります。 ですから、この話題が嫌いな人は、この後を読まないでください。その日のフツーの話題は前に書きますから。 まず、新学長の年収が6千万円というとんでもない法外な額については、明日に真剣に話題にしましよう。この新学長さんの年収は公開情報だし、文部省への設置許可を求める書類にも明記されている
昨日写真を撮っていただいた後で、宮内庁の建物の中で記者会見がありました。約20分ほどでしたか。 5人の方が共通質問に答えるのです。新聞では受章者のお一人が代表してもうしあげたのが一行程度でたようです。 わたくしは 受章の感想は? 妻に大感謝、一緒に研究した多数の若い人たちに大感謝、かれらも共に喜んでくれると思う。 自分は研究者としてまだまだ発展途上の未熟部分が色々あるので、その改善の成果が今後楽しみ。頑張ります。 若い人たちに何をいいたい? 昔も今も研究の世界を目指す若者にとってまわりが言うことばはあまり変わらない。大丈夫?厳しいんじゃない? わたくしが言いたいのは、自分の未来には楽観的であれ。勇気を持て(バンジージャンプの勇気でなく、少数派であることへの勇気)。そして忍耐心を。 さらにひとこと、体を鍛えよう。 きょうはこれから来客があり、午後は皇居へまたまいります。 沖縄の自宅に戻るのは
驚きました。 文化勲章とは。 事前に聞いてはいましたが、驚きに喜びが混ざるのにはだいぶ時間がかかりました。 身が堅くなるような感じです。 でも、この驚きを、これから生きるうえでの勇気に変えたいな、という考えが生まれてきて、それで落ち着きました。 昨日はですからほぼ平常に過ごせました。 ちょうど国際会議でもあり、沢山のひとたちから直接お祝いの言葉を頂きました。ありがたいことです。 メールも沢山いただきました。 わたくしは自分が学問上の少数派であることをまったくこわがったことはありませんでした。 意気込むうえでの条件にするくらいでした。 でも、さすがに70才にもなってまだ現場でやっているという少数派に属することについてはときたまつらい感じをもつことがあります。でも、こうやって評価して頂けるのなら、まだまだ頑張りたい、こういう気持ちです。というか、ますます頑張ろう、とはいえ年寄りですから、ほどの
科研費の申請の時期ですが、わたくしはことしどうしたもんだろうと考えています。 わたくしこれまでずっとやってきた染色体の研究でここのところさっぱり研究費がとれません。定年後何年も、何回か申請しましたが、駄目でした。またどこからも声がかかりません。 このブログを読み続けている人は、わたくしが非常にガッカリした時期があったことを憶えておられるかもしれません。あれは非常にショックでした。あとで、信じられないような悪い点をつけた有名若手壮年教授たちがいるとか内情を知るかたからどこまで本当か知りませんが、実名つきで聞きました。それ以来、もう駄目かな、そういう人達がそこまで認めてくれないのなら、染色体研究で研究費をえることはもう日本では不可能かな、とも思うようになりました。 しかし、実際には染色体研究をやめてはいません。わたくしは自分でも驚くほどしぶとい人間だし、その程度のことで染色体研究を辞めるわけに
最近とみにおもうことは、本音ではなさないといけない。 今の日本は本音での発言と議論がすくなすぎる、そう思うのです。 われわれは、博士として本音での発言と議論のために資格と給料をもらっているのですから、使命感を感じます。本音のプロとして、いまの日本はほんとうにあやうい。 セシウム放射能の高い地域をじっと見ていると、東京都でも奥多摩地区が相当に高いことにきがつきます。小河内ダムとか雲取山のあたりは群馬県から南下したのでしょうか、驚くほどの高さ。 長野県の測定値はありませんがこれだと、山岳地帯に相当の広さでありそうです。東京の北では柏あたりがなぜか高い。かつてラボに居たFさんの勤務する学校は柏だったな、とおもいだし、本人も家族も心配しているだろうな、と気になります。この千葉や茨城南部の放射能は海から来たに違いありません。福島原発の爆発雲が海に出て、その後風で南に下がりながら西に移動したのでしょう
わたくしは自己主張の強い人(学者ですが)が好きです。 強いどころか、強烈なくらいが好きです。でもこれには上に日本人がつきます。西欧系で自己主張が強すぎる人は若いのならしょうがないのですが、ある年齢を越してそうだと敬遠します。しかし、日本人だと40代でも50代でも60代でもいわんや70代、80代ならますます、自己主張の強い人は好きでそばにいって話を聞きたがります。 たとえばPさんという人がいて、やたらに自己主張する、鼻つまみの人がいます。わたくしがそばにいくと、先生駄目ですよ、あんな人と付き合っては、絶対やめてください。なんて言われます。でも自己主張の強い日本人なんて、もう天然記念物みたいに珍しいので、とりあえずそばにいって、なんでそんなにその人は自己主張が強いのか、理解したいのです。 総じて、日本人で自己主張が強い人は、自分は充分認められてない、自分の考えも認められてないが、自分は無理解者
第二次世界大戦時に日本軍は戦争捕虜を紳士的にあつかうことがまったくできなかったことはよく知られています。それで捕虜が戦争開始時に多かった英国人などは長期の捕虜生活にあい、終戦後帰国していかに日本人は捕虜を残虐に扱ったか、とるると述べたこともあり、戦後かなり長期にわたって、日本人は生得的に残虐で舌なめずりをして残虐行為をするとの、日本人性悪説が固く信じられたものでした。 わたくしが英国に長いこと訪問をしたあいだにもなんどもその話は蒸し返されたものでした。それはいやがらせに言う場合も結構最初の頃は多くありましたが、その後変化し、最近では多くの場合は、そういう性悪日本人という考えを植えつけられていたという述懐に近いものでした。最後は、たいていどこの国の民もそうかわらないという意見になるのです。でも親日的かどうかはよく分かるものです。英国は一時はかなり親日的だったからこそ日英同盟もあったのですが、
なるほどわたくしなりに、この紳助氏の突如引退見えてきました。 本当かどうか知りませんが、推測はこうです。 番組で紳助氏がなにか暴言らしきことを吐いた、まあ芸風のひとつですが、それがどうも右翼の逆鱗に触れるようなことであったらしい。10年以上前なのでまだ芸風があぶなすぎたのでしょうか。 それでテレビ局に毎日街宣車がきて。大音量でわーわーやったらしい。 困り果てて、テレビ局や警察にもお願いしたが、だれもなにもやってくれない。それで、芸人をやめようかと思っていたところ、窮地を助けてくれる人があらわれた。 禁固刑を判決された世界チャンピオンだった渡辺氏とか紳助氏の友人の暴力団メンバーらしいのですが、でも最後に問題解決をしてくれたのは、暴力団の大幹部らしい。 これで周辺は静かになったのでしょうが、お礼やなにか現金は動いてないと言いますが、なかなか信じにくいのですね。 でも決定的なのは、警察が捜査をし
なにかまとまったことを書きたいのですが。 盆にやってくる子供たち家族が見られる程度には生えすぎた雑草などをさっぱりするのにすっかりエネルギーをとられました、それで軽い話題しかできません。 この五山の送り火に岩手から送ってきた薪を放射能があるとかないとか、京都人がごちゃごちゃいって、相手をふりまわして、怒らせて、それでもまだ市長あたりがあきずに相手にできた不信の傷にさらにトウガラシをかけるようなことを次々やっていますので、ひと言いいたいです。 基本的に相手が希望もしないのに京都人が勝手に放射能検査をするなんて、まずおかしい。そんなものしないで黙って燃やせばいいのです。そんな当たり前のことができないのが、この送り火の主催者かとおもうと世も末(すみません、またです)です。 主催者が相手に五山で燃やさせてくれというからには、検査なんてしちゃいけません。 だいたい京都人はもともと意地が悪いのですが、
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