鎌倉幕府第8代執権・北条時宗が元(蒙古)の使者を斬った話しは、有名な史実です。 もし、蒙古の使者を斬らなければ、元寇は起こらなかっただろう、といわれています。 北条時宗は、ボンボン育ちのため、周囲の意見に振り回され、判断を誤った、と論ずる専門家もいます。 そのため、「北条時宗は、アホだ」という評価も多いですね。 しかし、当時の鎌倉幕府が置かれた状況を考えると、元の使者を斬ったことは、必ずしも間違いとはいえません。 もちろん、人の命を奪うことは許されないことですが、現代と時代状況が違うため、仕方がありません。 では、なぜ、使者の命を奪う必要があったのでしょうか? 蒙古が朝廷と同盟することを危惧した 使者を斬った理由は、元と朝廷を同盟させないためです。 野蛮人にみえる元(蒙古)ですが、知的な戦略も得意です。敵対する国の敵対関係を調べ、内輪もめをさせ、漁夫の利を狙うのが元の譲渡手段です。 過去、