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日本人は、外国語の文字である漢字で日本語を書くようになったが、その実践には様々な 試行錯誤が必要であった。その過程を示すキーワードが「飼い慣らし」と「鋳直し」である。 漢字が飼い慣らされた結果、平仮名と片仮名が生まれた。本書はその過程にも言及している。 本書は筆者の最近の研究のダイジェスト版であり、全十章の本文、補説、付録、の三部からなる。 このうち、第七章~第九章と補説は既出原稿の改訂版であり、付録は既出記事の再録である。 第一章と第十章は、いわば「序論」と「終論」のような関係にあり、本書全体の趣旨が 述べられている。 第二章~第六章は、漢字の受容から飼い慣らし・鋳直しまでの歴史的過程を整理した ものである。分かりやすい解説なので、スラスラと読み進めることができる。 第七章~第九章は学術書の要約版であり、著者の研究成果が述べられている。 補説は研究資料や研究方法について述べたものである。
文字は音声言語をうつす(移す・写す)手段であるとの説明がしばしばなされる。この説明は、文字で表記された文字言語が、音声で表現された音声言語に対応するという考え方に基づいている。しかしながら、音声言語と文字言語という二項対立だけで文字言語を見ていると、実のところ文字表記の現実のあり方が見えてこないのではないかと私は感じていた。また、『言語学大辞典〈第6巻〉術語編』の「文字」(pp.1340-1344)や「文字論」(pp.1346-1348)の項目では、表音と表語の対立が議論の中心にあり、「表記そのもの」に対する議論が希薄であるように感じられていた。 それに対して本書は、「表記そのもの」=「表記体系」を議論の中心に据えた本である。 原著は全7章からなる。それぞれの章の本文は「全体のレビュー+本文+まとめ」という構成を意識して書かれている。しかも、本文の内容をより深く理解するための問題が随所に設
本書では、口頭言語と書記言語が互いに異なる言語変種であることを 確認するところから議論が展開されるが、本書で想定されている書記 言語の最終的な定義は、「音声で発せられた言語」と対立するような 「文字で書かれた言語」のことではない。 そうではなく、本書は文字言語を「言語内情報完成度の高い言語変種」と 定義したうえで、それが如何にして、何のために、創りあげられていったのか ということを論じたものである。その論点を説いたものが「第6章 「日本語」という イリュージョン」である。 そこでは、我々が漠然と想定してる「日本語」とか「共通語」といったものが、 幻想にしか過ぎないことが主張されている。 それゆえ、本書は河野六郎式の文字論(文字と言語の関係)を論じた書ではなく、 日本人にとっての「日本語」がどのような存在であるのかを、文字で書かれたものを 通して考察した書である。 【目次】 本書をお読みにな
我々が学校で習う「古事記」は漢字仮名交じり文で書かれている。だが、実際の古事記の原典は漢字仮名交じり文ではなく漢字文で表記されており、本書の議論はこの当然の事実に向き合うことを基盤としている。 では、漢字テキストの古事記と対面することによって何が見えてくるのであろうか? 第一に著者は、古事記が倭語を写し取ったものではなく、漢文訓読に端を発する人工的な文体であることを指摘する。但し、古事記の文体を巡っては、書道家の石川九楊氏もすでにこれを看破していることをここで付け加えておきたい。 第二に著者は、古事記の本文が漢文訓読体で書かれている一方で、古事記に収めれられている歌が音仮名で書かれおり、両者の差が古事記に複線的な記述をもたらしていることを指摘する。 本書の骨格をなす認識は、ある前提を受けて古事記という漢字テキストが生成されたということではなく、古事記という漢字テキストを書くことによって作り
社会言語学という分野があるように、社会文字学という分野があってもよいであろう。だが実際には社会文字学という用語は未だ定着していない。否、そもそも提唱者がほとんどいない。そこで評者は、社会文字学という分野を定着させたいと思い、アレコレと研究例を詮索をしていた。そこで出会ったのが本書である。 著者の笹原宏之氏は国語学の中で日本の国字を扱っており、その研究で社会文字学という用語を使用しているわけではない。だが、本書の内容は社会文字学の実践だと言ってよい。 社会言語学では、①地域ごとの言語変種である地域方言(いわゆる方言)、②レジスター(register:年代別集団、男女、組織別集団、社会階級など)ごとの言語変種である社会方言が論じられる。 この言語変種の在り方を文字研究に応用してみると、①地域ごとに異なる文字体系がある場合、これを地域文字と呼び、そして②レジスター(register)ごとに異なる
戦後、民主化という思想のもとに日本の様々な制度が改められた。その一環に漢字制限がある。それが1946年に告示された当用漢字だった。以後、当用漢字政策はいくつかの改訂を経て、最終的には1981年に告示された常用漢字に吸収されていく。この間に生じた漢字と人々の壮絶な戦いが、本書で紹介されている。 当用漢字においては、漢字の字数制限や字体の統一が絶対的な基準として打ち出されたのであるが、実際の運用においてはかなり窮屈な面や不徹底な面を抱えていた。そこで生じたのが、基準に従うのか?、自由裁量が許容されるのか?、そもそも基準は誰が作るのか?、というような問いである。更に、漢字に込められた送信者や受信者の思い(これを「唯一無二」と呼ぶ)が上記の問いに絡み合い、漢字を巡って人々は紛争した。 たとえば、小学校に設置された「良い子の像」に彫られた文字を巡って学校とPTAが裁判で争った。「仲よく」の「仲」の字
「特集名:東アジアの文字文化―表現する文字、創造される文字」月刊言語2007年10月号 月間言語では何年かごとに文字の特集が組まれている。過去の特集には次のようなものがある。 ・1996年8月号「失われた言葉の発掘-過去へのフィールドワーク」 ・2004年8月号「言語にとって文字とは何か-文字論の復権」 1996年の特集では、ヒッタイト語、ファイストスの円盤、西夏語、ソグド語、日本の古代の記号など、全世界の文字・言語が対象となっていた。 また2004年の特集では、一般文字論的な視点から、文字の機能が論じられ、対象言語は主に日本語(+楔形文字)であった。 そして2007年10月号の特集は、東アジアの文字である。漢字系文字、契丹文字、中国女文字、チベット文字、イ文字、モンゴルの文字、トンパ(東巴)文字、ベトナムの文字、日本語の文字、朝鮮の文字などに関するレヴェルの高い紹介がずらりと並び、月刊誌
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