サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
ningen2.hatenablog.com
私は高校生の頃、同年代で有名になる人物に対して嫉妬していた。 私はただの高校生で、有名になりたい、皆に認められたいと思っていた。 しかし、その考えは今思えば自分というものを確立できておらず、誰でもいいので認めてほしいという行為だったと思う。 年齢だけで嫉妬するのは間違っている。 なりたい姿が生み出される年齢というものがある。それは努力とは関係ない。 卓球選手は若いうちに芽が出る。 そういうものだ。自分がなにになりたいかを理解しなければ、その嫉妬は間違った方向へ進む。 経営者で若い人がいる。若いのに経営していて偉いと言われるかもしれない。 しかし、それは若いなりの経営なのかもしれない。 雇われる側を長いこと経験していない経営なのかもしれない。 この嫉妬は、経営者になることが目的になってしまっている。 経営者になりたいから、経営者になる。 若い頃から年取った話をしていて、落ち着いていて偉いと言
感じたことがある こうしたいという感覚 それがなによりも正しい 何十年と歳月が過ぎ、いくつもの道をみた だが、あの時に感じた正しさを求めて今も生きている 苦手なことは苦手なままで 心地よいことは心地よいままだ これから自分がどうなるかをあの時の自分は知っていたのだ 環境に何を言われても変わらなかった いくつもの道を歩いたけど、昇ってくる太陽はいつも同じで、 それが大事なものだってことは生まれたときから知っていた 天文学の勉強をしなくたって 植物の光合成の勉強をしなくたって 太陽が自分にとって大事なことはわかった それがないと死んでしまうんだとわかっていた 大事なことがわかってくるなんていうのは 大人の自慢話か、社会の話 大事なことはわかってるんだ じゃなきゃ、どうやって生きてきたっていうんだ 今をどうやって生きているんだ 風がふきぬけると感じるんだ 自分の体の大きさを
作品の質を向上させたいので不定期にします。 いつも見てくださってありがとうございます。 より良いものを届けたいと思います。 少しでも多くの存在の発見を提供したいです。
我々は言葉がなければ、感情を表現できない。 形容する言葉を持たない新しい形のものは、 批判という誰にでも出来る言葉で語られてしまう。 我々は、そのようなことをさせないためにも、 言葉を作らなければならない。 「ファウスト」であったように と言えば、そこにはこの文字だけで、 幾千もの言葉をつづった小説と同じような 一つのイメージを与えることができる。 (それは小説を知っているものにだけ与えられるが、言葉というものは元々そういうものだろう) だから、新たな概念というものを 我々は、芸術によって作りだし、 「~~のようだね」と言ってもらうことで、 それを形容する言葉を作りだし、 それを認められる世界にするのである。 だから、我々の仕事は重要なものをもっていると思う。 いつかは、その新たな概念に気づくこともあるが それを早めることができるというのは 何千何万の子供たちを救うことになるのではないかと
今日は作品が作れなかったので、作品投稿はおやすみ。 悔しい!ルーティンっぽくなってきたのに。 夜に映画みたからなぁ。 映画ミレニアム、ドラゴンタトゥーの女が面白くて一気に見てしまった(計3時間 貴重な作品でした。ありがとう。 夜を楽しんだ。こういうときもいいよね。 面白い作品作れるようになりたい! 笑わせたい!安心させたい! 危ない、願望に呑まれそうだ。 落ち着こう。 体:ゆっくりいこう。今は冬だよ。 では皆さん、よい一日を。 また明日会いましょう
店長の趣味がわかるレンタルDVD屋がある。大型チェーン店や、ネット配信が主流の映像業界において、このような店は珍しい。この店が残っているのは、毎日、決まった時間に通ってくる常連客、そして、店長の「仕事は趣味の範疇」という利益度外視の経営方針、そして、親がこの土地を持っていたことのおかげだろう。 今、狭い店内には客が一人、そして店長が丸椅子に座り、都市伝説の本を読んでいる。 常連客:店長って、体いらないって思ったことない? 店長:そんなもんないよ 店長は本を開いたまま答える。本の文字は読んでいない。 常連客:体を捨てたいんだよ。そうすれば、ごはんたべなくていいし、寝なくていいし、ずっとDVDみてていい。 店長:体捨てたら、体を持ってる人間の立場から理解できなくて嫌だけどね 常連客:ふーん、体持ってない立場からでも楽しめる気がするけどね。宇宙飛行士じゃないのに、アルマゲドンを楽しめるようにさ。
今より少し昔、フランスの片田舎。針葉樹がそびえたち、穏やかな川の流れる村。名産は、リンゴ酒。昔ながらの製法で作られたリンゴ酒は、愛飲者が多い。 そんな村の、はずれの丘で針葉樹の影に包まれ、ひっそりと青年が寝そべって青空をただよう浮雲を眺めている。 青年:あの子は、浮雲のようだ。白くて、太陽の光を内包させ、まばゆい。つかめるとは思えない。すぎゆくのを眺めることが精一杯だ。 友人:いま、邪魔かな? 青年の横に、友人が座った。青年は、上半身をあげ、一息ついた。 青年:少しね。だけど、そこにいてくれるか。質問が降りてきそうなんだ。 友人:じゃあ、ここにいるよ。ここは、景色がいいな。全てが見通せて、気分が良い。絵が描きたくなってきた。道具を持ってくる。 青年は手を振り、友人は絵の道具を取りに家へと戻った。 青年:これは恋なんだろうか。なら、すぐに彼女の元へ走るはずだ。ならば、恋ではないのかもしれない
一人の男が、動物園のライオンの檻の前にいる。 男が、一番近くにいた前足に顎を置き寝ているオスライオンに話しかける。 男:なあ、ライオン。お前は、何に憧れてる? ライオン:なんで、俺にその質問をするんだ。 ライオンが顔をあげ、男のほうを向いて、口を動かし話した。 男:驚いた。ライオンが話したぞ。 ライオン:話さないと思って話しかけたのか。 男:人の顔に似ているから、話しそうだとは思ったが、期待はしていなかった。 ライオン:それでは、返事を求めていない質問かな?ならば、やめてもらいたい。きちんと理解しているから。 男:すまない、悪いことをした。なにも知らなかったんだ。返事は求めているよ。君がなにに憧れているのか知りたい。 ライオン:なぜ知りたい? 男:人間は、ライオンというものの強さに憧れを感じている。そのライオンの憧れているものが知りたい。 ライオン:憧れているものなんてないね。俺は俺でしか
彼女の顔は宝石のようだ。見る角度によって、美しさの種類が変わる。しかし、彼女の内包している魅力は何も変わらない。 光を受けた肌は、最高級の絹だ。私の手のひらが彼女の絹へ吸い込まれる。これほど人の心を翻弄する絹があるか、悪魔の絹か天使の絹か。 ああ、なんと優しく物をもつのだろう。あれほど優しく触れられたら、どんなものでも彼女の言いなりになってしまう。ペンは、どこまでもインクをきらさず彼女の思いをわずらわせることがないだろう。私のペンは、私が彼女への思いでいっぱいだから、私に愛想をつかし、いつも乱れでいる。もっと優しくせねば。 なにものなのだろう。わからない。言葉で彼女の存在を思いえがけばえがくほど、言葉は彼女の真の存在から離れていく。 これほどの思いを、仕事につぎ込めれば世間的にはいいのだろう。私には、それができない。どちらのほうが幸せなのだろうか。愛と仕事、どちらに人生をつぎ込むのが幸せな
その男は、いつも空を見つめている。仲間と一緒に昼食をとった時も、急に姿を消したと思うと空を見つめていた。そして、にやりと笑う。 最初はみんな不思議がって質問するのだけど、この男とんでもなく口下手。 「いやあ、これが好きなんです」としか答えない。みんなそこまで興味があるわけじゃないからそれ以上は聞かない。 私は気になって仕方なかった。でも、男ははぐらかす。私はそういうことをされると、さらに気になってくる性格だ。 「別にそこまで興味ないからな」という思いと「教えてほしい」という思いを行ったり来たりする。 私は男が答えるまでおいかけまわした。 男がいつものように空をみている。私はそれを見ている。 「この空、どんな風にみえます?」 質問してくるなんて、めずらしいことが起きた。これは答えがきけるのも近いかもしれない。友好的にいこう。 「そうだな、澄み切った青空で、洗濯物がよく乾きそう」 「ほうほう、
「今日の「たいいく」、鉄棒だってよ」 この言葉をきいただけで、学校に来なければ良かったと思う。 先生が言う 「次は、逆上がり!」 次々にみんなが、さか上がりを成功させていく。自分の番がきたら、さか上がりできるようにみせなきゃいけない。 なんでかっていうと、「逆上がりできないことがばれたら大変なことになる」からだ。 同じクラスにNというやつがいる。 Nは、足が遅い。泳げない。自転車も乗れず、走って自転車のうしろをついてくる。そして、逆上がりができない。 運動ができないだけで、人間ランキングは最下位。女子からは、いないことになってる。 この世界は運動のできるやつが一番偉い。 キーンコーンカーンコーン 待っていたチャイムがきこえて、今日も、やっとたいいくの授業が終わった。天国へ上るような気持ち。 きっと神様は、あのチャイムの音が聞こえてくる時計に住んでいるにちがいない。 「ああ、やっと終わった」
ゴトン、ゴトン、と列車が闇夜を走っていく わたしは光を内包する列車内で、 花束を抱く女性をみつけた その小柄な女性は、柔らかなソファーに座り、かかえるには大きそうな花束を、つぶれぬよう優しく抱いている まるで赤子かのように抱いている 女性は、花束を抱いているが、 それは愛を抱きしめているかのようだ 満ち足りているのか、 口元に微笑みをもっている これは、アルカイックスマイル 性を感じさせぬ、その姿は 妖精だろうかとすら思わせる 自然に対するように私の心は浮き彫りにされ しだいに一切の感情が取り払われ わたしの心は、透き通った水のようになった 妖精はいた 花束を抱いていた
わたしたちは、もっとも興味のそそられる 「心」というものを見ることができない。 それでも「心」をみてみたくて、 好きな人の「行動」から「心」の形をおしはかる。 それは、ブラックホールを認識するときと同じ。 光を吸い込んでしまうから、形は見えない。 けれど、ブラックホールが「黒い星」と呼ばれているように ブラックホールの周りには衛星が周回している。 なにもないはずのところを、星が回ってる。 「心」も同じで、みえなくても、みることができるはず。 「心はあるのか?」と「神がいるのか?」は同じ問い。わかることはない。 それでもわたしたちは「心」をみたがる。 言葉でどれほど「ツライ」と話しても、 それを続けてくる人がいる。 「わがままを言うな、こちらをコントロールして、楽したいだけだろう。本当はツラくなんかないのに」 彼らは、自分以外の「心」の存在を認めていない。 見えないのだから、無いのだと。 た
バンプオブチキンの音楽が「存在の証明」だという話をしました。 ningen2.hatenablog.com よく考えると、芸術そのものが「存在の証明」なのではないでしょうか。 私の芸術のはじまりは、誰にも気づいてもらえないという思い。 私の存在を証明し、誰かに気づいてもらうということ。 芸術は、物事を説明するという意味を持つ。 つまり「存在の証明」 なんの存在を証明するかは、人それぞれだ。 広告によって、商品の素晴らしさの証明をする人もいる。 農業によって、生きていくためには食べなければいけないという証明をする人もいる。 数学によって、ある視点からみれば、世界は理論だって動いていて美しいと思えるということを証明する人もいる。 では、私はなにを証明する? 「私の思い、気づきを人に知ってもらいたい」 今も、この思いは変わっていないのかもしれない。 芸術は孤独な仕事だ。自分ひとりで満足できず、誰
100記事超えたよ!いえーい! てことで、このブログについて、考えてみる。 読者数は196人 本当にありがたいことです。ありがとうございます。 最近のアクセス数は、だいたい30~50のところかな? 徐々に落ちてきている。 でも、みてくれている人がそれだけいるというのは嬉しい。 初日に120アクセスだったのにね。 原因は、ブログが捉えどころが無さすぎる(ジャンルわけできない)ということかな? 小説書いたり、日記書いたり、詩書いたり。 定期購読するのには、あんまり向かないのかもしれない。 少年ジャンプ読むのは、ジャンプってぽいのが好きなのもあるけど、 漫画が読みたいから買う。 漫画しか読まないという層もいる。 このブログはいつも媒体が違うから、困るだろうなぁ。 表現したい、核の部分(思想)は、全部同じなんだけど そういうことじゃあないんだろう。伝わりにくいよなぁ。 ブログを複数作って「詩」「小
私は、原始的欲求(衣食住)に困らない環境で生まれた。 原始的欲求が満たされている私は、必然的に「芸術」を求めた。 少年時代、飢えにも似た感覚で求めたものが「芸術」だった。 私が最初に飢えを感じたのは、原始的欲求ではなかった。 (原始的欲求は、当然のように満たされているので) だから、人間に一番大事なものは「芸術」だと思うようになった。 私は「芸術」を追い求めた。 時が経ち、私は大人になる。 「一人立ちしなければならない」という現実が私を襲った。 私は初めて「衣・食・住」の飢えを予感した。 どれほど素晴らしい「芸術」を作り出せたとしても、腹が減る。 「芸術」の無力さをひしひしと感じた。 人生の意味だと思っていた「芸術」は、万人を救うようなものではなかった。 腹の減った人には、紙よりもパンである。 では、私はなにをすればいい・・・。 考え、考えた。 私は、農業という選択肢を手に持っていた。(農
この間の記事で、 人の話ってのはその人にとっての芸術だと思うと、 のんびりと聞いてられるという話をしました ningen2.hatenablog.com これに気づいたのは、このニュース 「コンビニの無断駐車がひどすぎるので、反論して、自分の車を使い、SNSに無断駐車をするとこうなるという画像を投稿した店員」のニュース www.asahi.com 覚えてる人は覚えてるかもしれません。 これに思いをめぐらせていた俺は、 「これって芸術だな」と思った 芸術ってのは、フラストレーション、自分の感情を表現するもの だから、このコンビニ店員の行動も一種の芸術なんだろうと思った そして、このSNSの画像をみた人の中には 「わかる!」と共感する人もいた 芸術っていうのは、作者の思いを観客に伝染させる行為でもある 「つまりこれは、芸術なんだ」と思ったわけです(芸術の好き、嫌いはあるけど・・) 今回は、これ
私は、彼女のいる町を離れた。 ギターを弾くことの意味に疑問を感じたからだ。 ほんとうはそんなこと考えるものじゃない。芸術に意味などない。 けれど、考え出すと脳に焼き付いて離れなくなってしまった。 私は故郷に戻りたくなった。 自分の答えは、あそこにある気がした。 「兄さん?」 弟は私よりも大きくなっていた。 「久しぶり」 「父さんは今、なにしてる?」 「ああ、畑に出てるよ」 「父さん、珍しい人が来たよ」 父は聞かず、何もいわなかった。 弟は、結婚し、子供を二人授かっていた。 私は、しらぬ間におじさんに 「家出して悪かった」 「家出してよかったよ」 「なんで?」 「だって、あの頃、常に鼻息荒くて、呼吸するのも大変そうだったよ」 「・・・気づかなかった」 「今は、元気そうだ」 私は涙があふれてくるのを止められなかった。 どんな感情かはわからない。ただ悲しくはなかった。 太陽が真上にある、もっとも
私は家族の目の前で、堂々と家出の支度をし、目の前で家出をした。 父はいちべつもくれずに仕事をしていた。 なにを思っていたのか・・・本質が違いすぎて考えが及ばない。 弟の、あの時のまなざしは、今でも忘れられない。 人間は瞬時に信頼できる人物をみわける。 家出した時の私もそうだった。 私が身を寄せたのは ギター職人、親戚、友人、恋人 ではなく、 流れのギター弾き 「弟子にしてください」と頼み込むと すんなり承諾してくれた。 私は晴れて、父がいうところの「闇の住人」へ ギターを弾き始めた頃の遊びが役に立った。 客から「家」とか「石畳」などの簡単な言葉をもらい、 それを音にする。これが、定番に。 特に「土・草・ぶどう」などの音は、評判がよかった。 師匠も「私が作りましたよ」という顔で、この芸を披露していた。 私はそれが嬉しかった。芸人は、いつも雨風にさらされていて、面白い芸が出来ると、少しの間屋根
「わたしの人生はどうだった」 最近、死に神をみるようになって こんなことが頭の中をぐるぐる駆け回る 死に神は今日、風景画を書いていた この前は、路上音楽に聴き入っていた 死に神は芸術を解するらしい。嬉しい発見 とにかく、死に神をみてしまった 私は死ぬ 耳の脈打ちが聞こえるほど、静かな夜だ 思いを巡らすにはいい 生まれは、ブドウの葉が作るカゲと真っ青な空の下 遊び相手は、、土と草。草むしり、泥だらけ。それから、猫 雲のようにとらえどころのない美しき日々だった ひどい癇癪持ちで、 大人によく「体に癇癪虫が住んでいる」と笑われた 今風にいうなら、「自分の」心の変化を読みとる天才 そのせいで、母には迷惑をかけた ある時、町でギター弾きをみかけ、すぐに母親の腕を引き、ギターをねだった。 買ってもらえなそうと知ると、地面に張り付いて抗議した。 「あれがないと、俺は死んでしまう」 「死んでしまう」は私の
ツイッターで「悪者スピーチ」というのが流れてきた キミのストーリーの「敵対者」は、自分の気持ちや、悪事を働く理由を語っているか?「悪者スピーチ」で、悪者は魅力的なキャラクターに一変し、主人公との対立もリッチで意味深いものになる。「悪者スピーチ」は使えるぞ!(エイカーズ)出典:https://t.co/XsBit0VKXU — ストーリーの書き方 (@kakuniha) 2017年11月16日 これは「なるほど!」と思った 俺も悪者スピーチやってみよう 「悪者スピーチ」 全世界に俺の、思想をばらまいてやる そうして、住みやすい世界を作るのだ 勧善懲悪の、美しい、整った理論などぶちこわしてやる 世界を秩序のない混沌へと戻してやる 全ての人間が、自らの欲望を理解し、 多様な生き方をするのだ その世界の乱れ方といったら・・笑いが出る 神にすら、それが始まったら止められない 世界は、闇に包まれるのだ
価値ってさ 誰かが作り出してくれるものだと思ってたよ 「これは面白いから、価値がある」 「あなたは私に、大事なものをくれるから価値がある」 「これは、歴史に影響を与えてるから価値がある」 自分の価値も、そんな感じで、誰かが作り出してくれるものだと思ってた けど、ちょっと違うみたいだ 自分の価値は、自分で決めるべきなんだ 「ここは、こんな風にこだわってるからこの価値」 「これを作れるようになるまで、何年も修行したんです」ってね みんな、なるべく安値で買いたいものさ だから、相手に合わせたら、自分の価値ってどんどん低くなる ピカソは、価値を作り出すのがうまかった 今では、誰もが認める画家 たくさん絵が変化するけど、その変化にすら価値がある 人って価値が落ちてしまうのが怖いから、 誰にも求められなくなってしまうのが怖いから、 変化できない けど、その変化すら価値にできるんだよ 名前は忘れたけど、
馬になれたら 四つの脚すべてで大地を蹴り 広大なモンゴルの草原を なにを追いかけるでもなく、 ただ風の中を、かけまわりたい 種になれたら まず、一番心地いいと感じる 土、光、水のある場所に降りたって 芽を出したい そこで、命の限り生きるんだ すべての元素が拍手をくれてる 動物たちが、葉の下で雨宿りするだろう 人間になれたら 人間になれたらどうする? わからない 自分のことになると途端にわからなくなってしまった これで、いいのかもしれない 生きていれば、行動が願望を表現してくれるはず 下手に、願望をえがけば 願望の奴隷だ それ以外は、喜びでは無くなってしまう 選択肢が無くなってしまう 人間になれたらどうするのかは、 もうすでに、言葉にせずとも ここにある 私はわたしの、願望そのものだ なれないからこそ、 鳥になる夢は輝いてみえる なれるかもしれないものを 夢にするべきではないのか?
女性の求める会話というのがわかったかもしれない 女性との会話でよく言われるのが 「答えを教えてほしいわけじゃない、聞いてほしいだけ」 若いころなんかは、その意味がわからず 「じゃあ、相談しないでくれよ」と思っていたのだが 最近、そのことをよく考えることがあって そして、気づいた 俺もその感覚には覚えがある。 「答えを教えてほしいわけじゃない、聞いてほしいだけ」 それが起きるのは、創作物を人にみせたとき こちらとしては、その人を楽しませたくて創作物をみせるのだけど 「ここ、こういう風にしたほうがいいんじゃない?」 とか様々な意見を言われることがある まぁ、意見をもらえるのは嬉しいことなので 「ここはこういう風にしたいんですよ」と意図を説明すると 「質問してるのに、ぜんぜん話を聞いてくれない」と思われる これ、まさに「答えを教えてほしいわけじゃない、聞いてほしいだけ」の状態 意見に対して、いろ
ああ、「時計仕掛けのオレンジ」を ついに観てしまった。 俺は今まで「観たい」という衝動に何度もかられながらも 自分の中でカルト的位置付けの、この作品を 「あれをみたら、洗脳されるのでは」と 拒んでいた。 俺は洗脳されやすいタイプで、 アクション映画を観ただけで、 強い気分になってしまうほどだ。 そんな俺が「時計仕掛けのオレンジ」を観た。 予想どおり 今の心は、時計仕掛けのオレンジ一色。 作品の感想は、 「またキューブリックが現実を突きつけてきた」だ。 彼は、彼の作品 「2001年 宇宙の旅」でも Aiの発達した現実を、緻密にえがき出した。 彼は現実を突きつけてくる。 「人間はこういう生き物である」とね それは、少しも文句も言えない現実 その現実を突きつけられた俺は まるで北極でアザラシ皮の温かコートを着込み 「余裕だよ」と話していたら 急にコートをはがされ 「現実の寒さはこれだ」と体感させ
なぜだか目についたのさ お菓子売り場に貼ってあったポスター 「11月11日は、ポッキーの日」 その売り文句 バレンタインと同じ、商業戦略 そんなもくろみ知ってるけど 今回はなんだか嬉しく思っちまったのさ どうして嬉しくなった? 今日って日は、名もない日かもしれない でも、誰かにとっては 子供の名のついた日 愛の誕生を思い出す日さ 同時に悲しき日でもあるだろうが ポッキーは嬉しい日だろ だから、数珠つなぎで 嬉しいこと考えちまった 大切な人のこと この世界にいる、今日誕生した人のこと 祝おう 今日は誰にとっても特別な日になりえる それは君にもいえることだろ 散歩したら特別になるかも ポッキーは買わなくていい 気分の問題さ 俺は商業戦略、そういうのが嫌い 今回は買っちまったけど そういうときもあるだろ 気づきがあると、嬉しくなって わけのわからない行動するもんさ 後悔はしちゃいけない 「商業戦
指はささくれだらけだ 栄養とれてないとそうなるらしい 痛みが「疲れ」を知らせてる 「ああ、わかってるよ」 そう答えてやるんだ 「でも、休むつもりはないんだよ」 足は泥からひきぬくように重い けど、心が前を走っていくのが見える 心の背中がみえる 「どんなに疲れてても、創作(ブログ)は続ける。俺の生きる証拠を残したいんだ」 心が走ってる だから、進まないわけにはいかない 心の行くほうへ 心が後ろにいるときもある そういうときは、ゆっくり心を待ってあげるんだ 心は子供さ 心によりそって生きてあげれば 心は真実を教えてくれる 心をだませば、何も教えてくれない 心は身体と一緒にいたいと願ってる それが一番幸せなことだから 心が前を走っていく 足がもつれてきた もう歩けない 「限界だ」 心が振り向いた 「じゃあ、休もう。でも、疲れがとれたら一緒にきて」 そう言うのさ 今まで、心によりそって生きてきたお
個性ってなんだろう? 思いつくのは、個性について行われたある授業 「まずはみなさん、好きな絵を描いてください」 そう、先生に言われた生徒たちは、紙に好きな絵を描いていく 生徒が「好きな絵」を描き終えると 「では次は、ここにあるビンを描いてください」と先生が言う 生徒は、真剣な顔でビンを描いていく 描き終わった 生徒の描いた「好きな絵」を並べてみると 同じような題材の絵がいくつかみられる 次に「ビンの絵」を並べると 多種多様な絵の描き方があることを感じる この授業でわかるのは、 たしかに「好きな絵」という「世界にあふれているものから何を選択するのか」というのも「個性」 しかし「個性」というものはそこで終わりじゃなくて 「選択したものを、どう見るかの選択」というのも「個性」 なるほど この世には選択が大量にあふれているから、第一段階の選択だけで「個性」を出すことはできる けど、それだけでは「内
わたしは、お酒を飲むと「女っぽくなる」 (話してる相手が女性だと多くでてくる) 下世話な話になったら、口にてを当てて恥じらうし 女性視点でものごとを語ったりする 周りは「そういうひとなのかな?」と思うらしい で、よく考えてみれば、そうなのかもしれない 一時期ネットで女性のフリをしてたときもあった 詩を書くのも女性的といえば女性的なわけで 現実的にも、このあいだ 「この映画のこういうところがいい」って言うのが女性視点すぎて 「そっち視点なんだ!」と驚かれた ナチュラルで女性 女性になりたガールである でも、自分としては立派に男だとおもってる ついてくより、ひっぱっていくほうが好きだし マッドマックス好きだし、ジャッキー・チェンも好き 男のことは「男」っていうけど、 女性のことは「女性」って言う じゃあ、この女性っぽくなるのはなんだろうなあ?と考えていたら、、、わかった 「女性になりきると、い
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ningen2.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く