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買ってよかったもの
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自分用のTeXメモ。\sectionのフォントサイズがデフォルトだとでかいので、どこからか持ってきたプリアンブルに書く用のソースを使っていた。これだとフォントサイズはうまい具合に変更されるのだけど、本文の段落頭が1字分下がってくれない。 \makeatletter \def\section{\@startsection {section}{1}{\z@} {2.5ex plus -1ex minus-.2ex}%上スペース。 {0ex plus 1.2ex}%下スペース {\normalsize\bf}%体裁} 自分で見ても分かんないので、いろいろ調べてメモったのがコメントアウトしてあるところ。1字下げなくてもいいや、欧文とかも下げないみたいだし、という荒業(開き直りともいう)で数年すっ飛ばしていたところ、いい加減この書式考えたほうがいい、と編集側からツッコミが入った。「これ意図してるんで
先日留学生と話していて、帰化の話題になった。日本人学生も混ざっていて、帰化すると具体的に何が起こる?みたいな質問が出た折りに、留学生は驚くべき答えをした。 「帰化するってことは、日本人の名前に変えなければならないってことだよ」 うおーいマジか本当にそう思ってんですかとつい勢いよく突っ込むと、少なくともうちの界隈の留学生はみなそのような理解をしているという。いやいや。人権マターだから、それは微妙な領域に踏み込むことになるけど、たとえば日本人風の名前にしなければ日本国籍を取得することはできない、ということはないはずだと強弁した直後に附属の留学生担当部署に行って、尋ねてみた。 すると、「国籍を取得するってことは名前もそれ風に変えるってことでしょ」と驚くべき答えを出す人もいる。「いや、名前を変えさせるってことは人権マターじゃないの?国籍と名前は別じゃないすか」と突っ込みかけると、外国籍を持ちつつ日
野間秀樹『ハングルの誕生 音から文字を創る』(→amazon)読了。平凡社新書すげえなあ。今時の新書のボリュームが米国的ファストフードだとしたら、こっちは満漢全席じゃねーのと思ってしまうくらいの食べごたえがあった。言語学者(→野間秀樹研究室archive)としてハングルの歴史を追ったものだが、芸術家(→Hideki Noma's Art Works)?としての側面がただの表記の歴史に骨格を与えているように思えてならない。読み応えがありすぎ。 全7章構成のうち、第1章~第3章までが言語学を背景とした、ハングル誕生の歴史的経緯、ハングルに仕組まれた工夫。ハングルが音素音韻論・音節構造論・形態音韻論の三重のレイヤーからなると説明するあたりは、特に面白かった。第4章から最終章までがエクリチュールとしてのハングルについて述べたもの。文字の線そのものから、詩や散文にまで話が及ぶ。言語系研究者と文学系研
テッド・チャン『あなたの人生の物語』(→amazon)に収められている短編、表題作である「あなたの人生の物語」が衝撃的に面白かったので紹介したい。知的冒険や知的実験に興味がある向きはぜひぜひと思う。優れたSF作品に与えられる各賞を総なめにしているように、この作品はまずSFとして評価されているようだが、狭義のサイエンス・フィクションを越えて面白い。 ガワとしてのSFを取りだせば陳腐なものだ。地球にやってきたエイリアンと言語学者が対話をする。対話を通じてエイリアンの言語形式を自分のものとした言語学者は、時間を越えて事象を認知する力を身につける、といったもの。しかしよくできたSFの背後には、言語学に対する理解と、人間の言語が人間の認識世界を作り出しているということに対する深い内省とがあるように思われる。そこが知的に興奮できるところだ。 * * * * * 主人公の言語学者が対話を強いられるエイリ
さて、TeX環境である。平安鎌倉期の漢字文献を取り扱うという専門の性質上、多漢字環境の構築は必須、で、文字鏡フォントに依存した環境を利用している。今回は(も?)インストールに苦労したので、以下メモ。 まずはTeXの環境づくりだが、例によってTeX Wikiを見ながらひとつずつインストールはめんどくさいなあと思って、ネットを検索しているとTeXインストーラ3 0.72(→TeXインストーラ3 0.72)を使うと、dvioutからgs関連ソフトまで、自動でftpからダウンロードしてインストールしてくれるという。vistaの成功例もあるようだからと思ってトライしたが、インストールが完了しても、うまく文書ファイルがコンパイルされない。PATHが通っていないので環境変数を書き込んでもうまく行かない…。 結局、インストール(Windows) - TeX Wikiを見ながらゼロから環境構築して行くと、途
水村美苗「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」(新潮2008年9月号)を読んだ。今秋刊行される7章にわたる第3章のみということだが、これで280枚あるというシロモノで十分読み応えがあった。2008-10-18 - 東京永久観光で掲載を知って、図書館ですぐに借りた。 * * * * * この小編は3つのパートに分かれる。第1パートがアイオワで世界中の小説家が集められ様々な言語で小説を書くという現場の体験談。多言語による小説生成の現場体験(多言語体験とは違う)がテーマ。第2パートがフランスで行われたシンポジウムでの講演を主軸した語り。二言語使用が強い言語/弱い言語といった非対称の営みであって、例えば弱い言語の使い手であるたとえば日本語話者である「われわれ」は、強い:フランス語/弱い:日本語のような構図にほとんど強制的に気づかされるという。でもグローバル社会たる今では強い:英語/弱い:フランス
今回の日本語学会は、なんか不思議な大会だったなー。企業セミナーみたいな話もあったし、内部告発みたいな話もあった。もちろんきちんとした研究の方が多かったんだけど、正直、印象はそちらに持って行かれた感じがする。なんかもう、詳しくはここには書けない感じ。シンポジウム「漢字文化と日本語の未来」は、常用漢字への追加漢字の話題もあって(→asahi.com:「鶴」「亀」「尻」…常用漢字の追加候補 220字公表 - 文化一般 - 文化・芸能)、いい意味で波乱含みな企画だったのに、結果的にそんな釣りには乗らないぞ~という会場の空気があらぬ方向に向かって、あんまり良くない展開を見せた。 むしろ学会後のこじんまりとした飲み会で、教育の現場ではどうして漢字や送りがなや同訓異字の書き分けに、あんなにやっきになっているんだろうと話したことの方がずっと楽しかったなー。中でも面白かったのは、漢字の話題ではないんだけど、
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