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GPT-4o
obacan.hatenablog.jp
mixiに書いたことを世間向け文体で書き直します。 自分語りです。 ぼくはどうも、好きなものごとを貫きとおせていない、ということを 劣等コンプレックスに感じているのではないか、と、 さっき友達と話していて気づきました。 教養コンプレックスに近いものがあるかもしれません。 世界の事象に対して、興味をもって、その多くを好きになり、 注意を払って長く触れているなかで鋭い感性を獲得し詳しくなり、 生活の一部としてとりこみ、人生に伴わせて、 審美眼が磨かれてセンスと呼ばれるものを良いとされるところに高め、 豊かな人間性を持った者として存在している、 という理想的な状態にありたいと思っていて、 それが自分の現状から遠い、というわけです。 ということが、いやだなあ、と思っている。 どうも間違いないようです。 以前に趣味欄問題というのを考えました。 趣味欄にはなんて書くのがいいんだろう?という話です。 「
質の高い作品を楽しむには、 受け手たるこちらも質の高い鑑賞者である必要がある、 てなことを、最近ことあるごとに考えます。 森薫の『乙嫁』を兄に渡されて、 明らかに質の高いマンガだった。 同作者の『エマ』同様、 世界観へのたっぷりとした理解に基づいて描いてあり、 キャラクターへの愛着も十分に感じられるし、 素晴らしい作品である。ことはわかる。 そゆう理性的な作品への評価はできるんだけど、 じゃあ読んでいてその質の高さへの恍惚のようなものが 俺にあったかというと、なかった。 十年くらい前の一人暮らしの頃、マンガをジャケ買いしては 読み漁っていたころの悦びというものが、このところ、ない。 ……という内容を先日Tumblrにポストして、昨日、 昭和元禄落語心中 雲田はるこ 久々に漫画をすごく面白く感じてる。やっぱ受け手の調子ってもんがあるな。 と、Tweet。 萌えるという行為だか様相だかを象徴す
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