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岡 敦公式ブログ『言語と音楽』 ─── 東京都出身の江戸っ子。小学生の頃からプログラミングが趣味。中卒で都内で困窮生活を送り、八百屋・バイク便・新聞配達員から突如プログラマに転身。データベース・システムエンジニアとして大企業を渡り歩いた10年後… 突如東南アジア放浪生活に出て語学武者修行。12年に渡る辺境での生活から4か国語を習得し生還。都内でジャズギタリスト&リアル・フルスタック・ウェブシステム・データベースエンジニアとして活動中 ─── そういう私、岡敦が見つけた『言語と音楽』の関係について誰でもわかる様に順序立ててご紹介させて頂きます。
何故、日本人は縦乗りなのかを書いてから丁度1年たった。この記事を公開したのは、2018年1月17日 ─── 本日は2019年1月20日だ。 この1年の間でいろいろなことを研究して訓練したが、結果として私自身がアフタービートのリズムを聞き間違えていたことに気付いた。その聞き間違えたリズムに基づいて、前述の記事を書いていた。恥ずべきことだが、どんなに偉そうなことを書いても、私も日本人だということだ。 訂正すると共に、どこをどう聞き間違えたのか、説明してみようと思う。 最初に聞いた音の解釈 バダムツーとは 何故、日本人は縦乗りなのかで説明した通り、日本の「ちゃんちゃん」みたいなものだ。 これで8分音符として見ても4分音符として見ても共に裏乗りとして解釈されている。 出ている音はどちらも同じだが記譜上1拍ずれていることがわかる。 これが正にリズムの解釈の違いだ。 ジャズはインプロヴィゼーション(即
『いち』を取り除いて1文字ずつずらす… そのことが感覚的に理解できるまで、何度も繰り返し声に出して読んでみて頂けましたら幸いです。 日本語の発音をずらしてしまう ─── これでは日本語として意味がなくなってしまいます。しかしジャズのリズムは日本語のリズムと発音を並べる順序が違うので、敢えて日本語のリズムのまま解釈しようとする時には、意味がわからなくなってしまうこともやむを得ないことかも知れません。 ここでの要点は次のとおりです。 日本語は「お」で 始まる。 ジャズは「お」で 終わる。 この本では、この日本語の「基準点から始める」というルールで作られるリズムのことを「頭合わせ」と呼ぶことにします。そしてこの「基準点で終わる」というルールで作られるリズムのことを「尻合わせ」と呼ぶことにします。 この「頭合わせ」「尻合わせ」という2つの言葉は、日本語を母国語とする日本人からとても気づきにくい日本
どん、どん、どん、どどんがどん。 どっどんがどんの、どんどんどん。 日本人は何故たてのりなのでしょうか。ロックやってもたてのり。クラシックやってもたてのり。ジャズやってもたてのり。バンドやってもたてのり。手拍子打ってもたてのり。ステップ踏んでもたてのり。かっこよくダンスしたつもりでたてのり。歩いてもたてのり。走ってもたてのり。 何をやってもたてのり。─── 日本人は、どうやってもたてのりから脱出できません。 縦乗りからの脱出。 これは日本人にとって永遠のテーマです。日本のミュージシャン達は激しくスイングする本物のグルーヴを求め、滝に打たれたり、長期間断食して生死の縁をさまよったり、燃え盛る炎を裸足で渡ったりします。しかしそんな命がけの努力も虚しく、依然として縦乗りから脱出することはできません。 しかしもうリズムを精神論で考える必要はありません ─── 日本人が何故縦乗りになるのか。これまで
モーラムとは、東南アジアに住む民族「ラオ族」の民族音楽だ。 筆者は、日本人を含む多くの人が、どういう訳かタイ中央の芸能=ルークトゥンの事をモーラムだと思っている事に強い違和感を感じているのだが、筆者は、この違和感の来る場所を誰にでもわかる形で的確に説明する事が、極めて難しい事にふと思いあたった。この文章は、筆者のイサーン語の知識を元に、ルークトゥンとモーラムの違いとは一体何なのか、考察した記録である。 ※ ルークトゥンとモーラムのどこが違うのか。それはズバリ全く同じである。何故なら、イサーン(ラオ)の民族音楽=モーラムは、タイでは禁じられた音楽だからだ。イサーン人は、モーラムをルークトゥンと偽って演奏している。本物のルークトゥンは、本来モーラムとは全く雰囲気の違う音楽だが、このイサーン人が演奏するニセ・ルークトゥンとしてのモーラムが増えすぎてしまい、ルークトゥンがモーラムに乗っ取られた状態
よくがんばりました! このドランダックの英文を解釈していくと、日本の英語教育の根本的な間違いが色々と浮き彫りになる。語学を学習する上であるべき姿とはどの様なものだろうか。 日本の英語教育の根本的な間違い 日本人の英語の勉強法は、単語丸暗記一本槍だ。だが、この勉強方法は、使えない。何故なら、世界中の多くの国の言語は、日本語のような表意文字ではなく、アルファベットの様な表音文字だからだ。 表音文字をつかう言語をしゃべる人は、みなまず音声が念頭にある。よって、スペル上多少の表記ブレがあっても、特に支障なく読み書きすることが出来る。もちろん表音文字にも正しい綴りのルール「正書法」が定められており、人によって異なる表記ブレが発生した場合に、どちらの表記を標準とするか決定する為の公式な取り決めは存在する。 だがこれは飽くまでも取り決めに過ぎず、実際にコミュニケーションをするにあたっては、日本人のように
何でも右と左に分けるから、世の中には右と左しか居ないように見える。本来全ての物は右でも左でもない。分け方の基準は、極めて感覚的なものだ。左とは何か。それは、右ではないもの。右とは何か。それは、左でないもの。だから世の中の全てのものは、必ず右か左に別れる。 だが実際には、世の中のほとんどの人は、右でも左でもない。 何が右翼なのか、何が左翼なのか。恐らくほとんどの人は、それに対して漠然としたイメージだけがあり、それが具体的にどういう思想なのか知る人は居ないだろう。筆者は、その無知を責めるものではない。むしろ知らないのなら、そのまま知らないままでよい。右翼が何なのか。左翼が何なのか。それは、右翼と左翼の本質を考えるに当たって、必要のない知識だ。ただ我々は、右翼と左翼という発想自体が持っているトリックについての知識さえあれば良い。 宮崎駿がアカだなんて、そんな分かりきったこと今さら言わないで下さい
岡 敦公式ブログ『言語と音楽』 ─── 東京都出身の江戸っ子。小学生の頃からプログラミングが趣味。中卒で都内で困窮生活を送り、八百屋・バイク便・新聞配達員から突如プログラマに転身。データベース・システムエンジニアとして大企業を渡り歩いた10年後… 突如東南アジア放浪生活に出て語学武者修行。12年に渡る辺境での生活から4か国語を習得し生還。都内でジャズギタリスト&リアル・フルスタック・ウェブシステム・データベースエンジニアとして活動中 ─── そういう私、岡敦が見つけた『言語と音楽』の関係について誰でもわかる様に順序立ててご紹介させて頂きます。 選挙は、本当に公平か ─── 否。 選挙は、政治家の全ての失敗の責任を投票者になすりつける為のよく考えられた詭弁だ。何故、選挙を詭弁と断言出来るのか。以下選挙の詭弁のからくりを見ていこう。 1. トリックの存在 選挙結果を操作する様々なテクニックが存
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