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GPT-4o
okikobo.hatenablog.com
ウチにいる猫達は、「愛情」を補充するために定期的に僕の側に寄ってくる。お腹を出して「撫でろ」と命令を下し、満たされるとそそくさと去ってゆく。 「多頭飼い」しているのだが、お互いに面倒を見合ったり遊んだりしているため、驚くほど「手間」はかからない。「ご飯」と「トイレ」だけ気にしていれば、後は勝手にやってくれている。 縁あって数年前から「保護猫」と暮らすことになり、それまで「動物」と一緒に生活したことが無く不安もあったが、想像とは全く違い、実際に暮らしてみて初めてわかることがたくさんある。 とにかく「手間」がかからないのだが、「静か」なことにも驚かされる。これは、今はもう亡くなってしまったが「ボス猫」の教育が良かったからに違いない。彼の佇まいは「知性」を感じさせるほどに貫禄があり、ルールに対して厳格で、面倒見も良かった。 彼が亡くなって、次の「ボス」は少し頼りないのだが、先代からの「伝統」はし
明日は僕にとって、忘れることのできない日。あの日から、音楽との向き合い方を変えた。 それまでの僕は、求められるがままに音楽をやっているだけだった。生きていくための「生業」として、それなりに真剣にやっていたつもりだったが、何かが欠けていた。 自分が守ってきたつもりの「日常」が、あっさり壊されてゆく「現実」に直面し、それまでの日々に強烈な「違和感」を持った。 「大切なもの」と口にするのは簡単だが、それを「極限状態」でも言えるのか?言えないのだとしたら、自分にとって真に「大切なもの」とは何なのか? 15歳の時に「後悔したくない」という想いで音楽を始めたが、「あの日」を経てそれをもう一度考えてみた時に、このままでは何も成し遂げられず、後悔してしまうと感じた。 何事かを「為す」というのは、いつ何が起きるかわからない「現実」の中で積み上げられるものでは無く、生きている全ての瞬間に、「悔い」を残さないと
シンガーソングライターとしてのライブは、一人で「弾き語り」の形になることが多いのだが、、たまにお客さんから「良く弾きながら歌えますね」と言われることがある。自分としては、ギターでもピアノでも「弾きながら歌っている」という感覚は全く無く、「車の運転と同じですよ」と答えることが多い。 車の運転は、あらためて考えてみるとなかなか「高度」な作業を同時にこなしている。「料理」も、いくつかの作業を同時進行で進めてゆかなければならない。それに比べて「弾き語り」の方が難しいということは無い。より正確に言えば、「運転」も「料理」も「弾き語り」も、「別々の作業」という感覚では無いということだろう。 何か「一つ」の目的に向かって、いくつかの作業をしなければならない場合、ゴールからの「逆算」をして「優先順位」を決め、どこから手をつけてゆくのかを判断してゆく。「経験値」による差こそあれ、それができなければ普通の「ア
僕が暮らしている街は川に挟まれているエリアのため、「土手」は身近な存在だ。小学生の時に東京から引っ越してきた際に、同級生が土手で「芝滑り」をしていたのだが、初めて体験する「スピード感」はなかなかスリルがあって楽しかった。 土手近くの「商店」で余っている段ボールをもらい、少し「工夫」を加えて滑るのだが、やはり「上手いヤツ」というのはいるもので、一緒に滑りながらその「秘密」を盗んで「上達」してゆく。基本的には「勇気があるヤツ」が速い。 このエリアで生まれ育った人間にとって、「土手」は故郷の象徴的な存在らしく、夏休みの宿題の「絵日記」にも、よく登場していたことを覚えている。山育ちの僕の絵日記は、夏休み中故郷に帰っていたので、やはり山ばかりだった。 春が近づくと、土手は「菜の花」で埋め尽くされる。「スーパー堤防」と呼ばれる規模の大きなものなので、黄色に染まった両岸の光景は見事なものだ。サイクリング
「他人のせい」にばかりする人がいる。もちろん、その人の「内面」までは見えないため、そう「見える」だけなのかもしれない。 自分自身を「省みる」ことでしか、得られないものがある。上辺だけ見れば「他人」に責任があるように見えても、根本的な領域まで遡って考えてみれば、自分には全く責任が無いということの方が「稀」だろう。 ここで難しいのは、「省みる」ことと「責める」ことの「差異」を区別できるかどうかであり、行き過ぎた「反省」は、自分を暗い水の底に沈めてしまう。容易とは言い切れないその「区別」をつけるための鍵は、「次のステップ」のための思考なのかどうかだと思っている。 正しい「反省」ができれば、そこから多くのことを得られる「学び」のチャンスになる。誰でも「失敗」はするし、「挑戦」するからこその失敗であるはずで、そこを否定する必要は全くない。 ただ、「挑戦」というものを冷静に考えた時に、自分の置かれた状
「予想通り」と言えばそうなのだが、自分が「歌う」と決めてから、毎日の「やるべきこと」が明確になってきた。「音楽漬け」だった10代の頃の感覚に少し戻ったような感覚だ。 それなりに長く音楽をやってくると、毎日の「ルーチン」が決まっているのだが、それを根本的に見直すところから始めている。不器用な僕のやり方として、音楽以外の部分にも「こだわり」を持つことで、「核」となる最も大切なことに手を抜かずに済む。 ずぼらな僕にはなかなか敷居が高いのだが、丁寧に「暮らす」ことでしか、自分にとっての「芸の道」を歩むことはできそうもない。何かを雑に扱えば「大切なこと」さえ、まるで「ドミノ倒し」のように連鎖反応を起こし、崩れ去ってしまう。 「音楽以外」で大切にしてゆきたいのは、カラダの「柔軟性」だ。楽器を弾いてきた中で「怪我」に近いような骨格の「異常」があり、そこから生じる「歪み」に対するケアをしないと、「発声」や
「全然歌わないシンガーソングライターです。」というこのブログのタイトルは、自分への「皮肉」と「自戒」を込めて付けたのだが、僕を良く知る友人たちからは概ね「不評」で、「笑えない冗談」になってしまっている。それだけ僕が「歌わない」ということは、「深刻」な事態だからだ。 「深刻」というのは、福島県出身の僕は「311」をきっかけに、それまで仕事でもプライベートでも曲を他人に「提供」してきただけだったのだが、自分の言葉で、自分の声で、自分の想いを伝えるということを始めようと決意した。そのことを知る友人たちが僕の歌わない「現状」を見て、怒るのも無理は無い。 始めの頃は、溢れる想いに身を委ねるかのように次々と曲を書き、「歌練」も毎日6時間はやっていたと思う。「量」が全てでは無いが、それだけ自分からは遠い存在だった「歌う」という行為を、自分のものにしようと必死だった。 人前でもなるべく歌う機会を作り、アプ
僕は若くは無い。そんな僕が歌うことに対して、世の中に「需要」が無いことは、ただでさえ「音楽市場」が縮小し続ける中では、まさに「現実」としか言いようが無い。「歌う」ことだけで食べていけるほど、甘くは無いことはよくわかっている。 ただ、どうしても僕の中に湧き上がる「反発」を、どう捉えればいいのか。冷静に現実を見る「目」も必要だが、湧き上がる「衝動」を抑え込んでしまうことも、違う気がしている。 稼ぐ、つまり「ビジネス」として考えた時に、「歌」でやってゆくというのは普通「メジャーデビュー」するカタチを取る必要がある。それによって、マネージメントを委ねることができ、売るための「戦略」的な部分は、その道のプロがやってくれる代わりに、自分は「歌」に専念できるというのが「建前」だ。 だが、「その道のプロ」が上手くやれていないからこそ、「縮小」という現実があることも確かだろう。景気の衰退も見逃せない要素だし
もう多くの方が様々な意見を書いている話題で恐縮だが、自分自身の「備忘録」として書いておきたいことがある。「コロナウイルス」による日常生活への影響の件だ。 とにかく、日用品が買えない。特にマスクとトイレットペーパーは、近隣のスーパーやホームセンターに「入荷未定」という張り紙がしてある状態だ。他にもインスタント食品や冷凍食品が「品薄」で、うかうかしていると「取り残される」ような恐怖心を感じるほどだ。 小さなお子さんや、お年寄りと同居している方は、いろいろとたいへんだろう。家庭の健康を預かる立場の人間にとって、この状況というのはまさに先が読めず「不安」でしかないはずだ。 「情報」自体は、テレビだけでなくネットでも拾える部分があるが、自分が暮らしている範囲の「活きた情報」は、普段からの近所付き合いの「密度」によって、大きな差がありそうだ。 僕が暮らしているエリアは、近所で「助け合う」ことに慣れてい
僕が生まれ育った街は、「陶器」の窯元がいくつもあり、幼い頃から「器」というものに慣れ親しんできた。材料となる「土」を採るための山は「はげ山」になっていて、故郷に「帰ってきた」と思わせてくれる光景にもなっている。 自宅での食事に使う「食器」も、大半が知人の「作品」であったように思うが、「産地」であるだけに特別扱いされるわけでもなく、「普通に」暮らしの中に存在していた。今思えば、なかなか「贅沢」な食卓だったかもしれない。 小さな街の「メインストリート」を中心に窯元が散らばっていて、最近では古民家をリノベして工房とカフェを兼ねた店も、いくつかできているようだ。その中の一つを訪れた際に、「手びねり」で器を作るワークショップに参加してみたのだが、「土」をこねるところから自分で作る「器」は、出来が酷くても「愛着」が湧く。 子供の頃、祖母が自宅で「ろくろ」を回していた記憶が、うっすらと残っている。「戦後
自分自身の音楽活動は「シンガーソングライター」として一人で動くことが多いのだが、本来は「バンド」を組みたいと、前々から思っている。複数の人間が織りなす「グルーブ」の魅力は、やはり捨てがたいものがあり、本業が「ベーシスト」でもある僕としては、「爆音」で音楽をやる楽しさは、楽器を初めて触った頃からの基本的なカタチでもある。 仕事以外でバンドを組むことを諦めてから、もう随分経つ。僕も含めて音楽をやっている人間というのは「変わり者」が多く、一つの方向でまとめてゆくのは容易ではない。「人間関係」か「音楽性の違い」が原因による「揉め事」は、もはやバンドには「付き物」と言っていいくらいで、その解決に費やされるエネルギーを考えると、「一人」の方が気楽で「効率」も良いと判断してきた。 この辺の感覚は、多くの人間が関わる「フェス」も同じで、人が増えればその分だけ「揉め事」が起こる可能性も高まり、正直「面倒」な
実行委員として関わっていた都内でのイベントが、「開催延期」になった。残念ではあるが、この時期に無理に開催することによる「デメリット」は計り知れず、賢明な判断だと思う。 イベントの準備は、規模にもよるが通常「半年」はかかり、「延期」する際に発生する各方面へのお詫びや説明も、関わる人が多いほど簡単ではない。今回の延期の理由が「コロナウイルス」なので理解は得られやすいとは思うが、精一杯の誠意を持って対応しなければ今後の信用を失ってしまうだろう。 逆に言えば、誠実に対応することで更なる「信頼」を勝ち取る「チャンス」かも知れず、しっかりとした「後始末」ができるかどうかで、イベント自体の今後の「可能性」を拡げることもできる。 イベントは延期になったものの、関わらせていただいたことで得た「人脈」は僕にとって「財産」であり、おそらく秋以降、もしくは来年までずれこむかもしれない次回の開催に向けて、やることは
とにかく学校が苦手だった僕は、どうすれば「普通に通えるのか」を当時必死に考え、「俯瞰する」ということを覚えた。「俯瞰」という概念さえ知らなかった小学校3年生の頃だったように記憶している。 僕の母は学校が大好きだった人のため、僕が行きたがらない理由が全く理解できなかったらしい。僕がオトナになってからその辺のことを話すと、母の感覚には無い学校の姿というものがあり、「無理に行かせて悪かった」と謝られたことがある。 子供にとっては、親の「方針」は絶対的なものになってしまうことが多々あり、反論しても「言い訳するな」や「屁理屈を言うな」という言葉で封じ込まれてしまう。僕なりの正当な「理由」があったのだが、ちゃんと聞いてもらえることは無かった。 自分が大人になってみれば、親の「言い分」もわからなくはない。学校に通うことは子供としての「仕事」かもしれないし、将来にとって「役に立つ」ものであることを全否定す
東京の下町にある、友人の店を初めて訪れた。バイオリニストである彼の店の前を通ったことなら何度もあったのだが、たまたま休みだったり所用があったりして立ち寄る機会が無く、どんなことを自分の店でやっているのかずっと気になっていた。 彼との出会いは、僕がお世話になっている地元のカフェがある「シェアアトリエ」の、オープンイベントでのセッションだった。「バイオリニストが来るから何か演奏して欲しい」と言っていただき、彼を紹介された際に、何をやるのかを打ち合わせしようかと相談したら「打ち合わせナシで行きましょう」と言われ、まさに「アドリブ」で演奏することになった。 僕はギターを持ってきていたので「伴奏」に回ることになるが、彼がどんな演奏をするのか全くわからないまま「本番」を迎えることは、まさに「セッション」の醍醐味だろう。初対面でも強制的に「一つのこと」を共有することで、相手との距離を急速に詰めることがで
拙いブログを、なんとなく「100日」を目標に継続してきた。音楽を数十年継続していても、やはり新しいことに挑戦するのは「未知の世界」に踏み込む感覚があり、僕なりに「悪戦苦闘」してきた経緯を記録できたことに、一定の「意義」はあると感じている。 記事をストックしておけば、その分は「楽」になるかもしれないが、自分の思考の「アーカイブ」を作ることが一つのテーマでもあり、書いている「今」を残す「速報性」を重視しているため、書きためることはしていない。毎日7時の更新という自分に課した「ノルマ」をこなすために、今も午前4時に書いている。 継続「120日」を越えた現在、書くことのメリットとして、予想通り思考の「言語化」によるアタマの中の整理整頓が進んだことが、真っ先に挙げられる。他人と会話をする際に、以前よりもスムーズに伝えられることが増え、それが「抽象的」な話題でも、思考回路が一度「通った道」として認識で
学生の頃から、ドキュメンタリー番組が大好きだった。未だ見ぬ「世界」を垣間見ることで、ほんの少しだけ「オトナ」になれたような気がしていた。「世界」というのは、「海外」という意味だけではなく、自分の「知らないもの」というニュアンスだ。 中でも学生時代に欠かさず観ていた「CBSドキュメント」という番組は、MCのピーター・バラカンさんの「カルチャー」への捉え方が「人間愛」に満ちていて、番組を観ることで、自分の将来にとって「大切なもの」になりそうなことをたくさん教えてもらっていた。 最近聞いた話だが、友人がピーターさんに直接お会いする機会があり、その際に「CBSドキュメント」の話になった際に「スタッフの熱量が凄かった」と言っていたらしく、彼の飾らない人柄と、関わる全ての人の「想い」が、素晴らしい番組を創っていたことをあらためて知る。 番組が放送されていた「日曜深夜」は翌日が「学校」のため、憂鬱になり
他人のことを、自分のことのように考えられる人がいる。他人が抱え込んでいる苦しみや痛み、そして喜びを「共有」できる人。そういう人に触れる機会が激減したのは、いつからだろう。 確かに「うざい」瞬間というものはある。「放っておいてくれ」と思うこともある。でも、本当に「放置」されてしまったら、人はいったいどうなるのだろう。 他人との「一線」を踏み越えてくれる人の存在が無ければ、洞窟にたった一人で閉じ込められているのと変わらないかもしれない。天井から滴る水の音を、数えるだけの人生になってしまうかもしれない。ギリギリの状態まで追い詰められた時、人はそれでも「孤独」でいられるだろうか。 他人の心の内は、当然見えるはずもない。どれだけ苦しくても、人はそれを覆い隠す術を覚えながら大人になってゆく。覚えなければ、「マトモ」ではいられそうもない。「苦しい」と誰にも言えない。「哀しい」と誰にも言えない。他人に「迷
僕の周りには、「よくわからない人」がたくさんいる。別の言い方をするなら、「職業不詳」であり、どうやって稼いでいるのか「謎」な人たちだ。「所属不明」と言ってもいいだろう。 何年お付き合いさせていただいても、さらに「謎」は深まるばかり…こういう人が持つ「面白さ」というものがある。共通項としては、「世間体を気にしていない」だったり、「常識に囚われていない」ということが挙げられる。 僕自身、よく「謎」だと言われるが、「褒め言葉」として受け取るようにしている。生き方として決して「わかりやすい」ということは無い。あっちへ行ったりこっちへ来たりしながら、何とか生き延びてきた。ただ、自分が「面白い存在」かは不明だが… いわゆる「普通の生き方」としては、「若い頃」ならいろいろ「やらかして」いたとしても、年齢を重ねるに連れて「落ち着く」のが通常の「生き方」だろう。僕の父も若い頃はかなりの「やんちゃ」をし、地元
「教える」ことを仕事としてから、自分でも驚くほど長い歳月が経った。学校が大嫌いだった僕が、まさか人から「先生」と呼ばれることがあるとは夢にも思わなかったが、今でも自分を「先生」だと定義したことは無い。 それなりに経験を積んでみても、他人に何かを「教える」ことの難しさに直面するばかりで、そこに僕自身の「学び」はあっても、「生徒」である相手から見て「有意義」なことができているかどうかは、未だにわからない。むしろ、どんどんわからなくなってゆく感覚さえある。 僕は「学校」が嫌い(苦手)だったし、その感覚は「先生」という存在に対しても同じだ。だからこそ、自分がその立場になってみた時の「危険性」について、より多くのエネルギーを費やして考えざるを得ない。 僕のレッスンには、「マニュアル」は無い。大切にしているのは、「今」生徒さんが何を求めているかであり、それに応えるには「事前の準備」はほとんど役に立たな
僕は心が乱れると「ヒゲ」を剃らなくなる。正確には、剃ることにまで「気が回らない」という感じだ。自宅で作業できてしまう仕事だからこそ許されることだが。 ヒゲを剃らないということは、「鏡」も見ていない。自分を「客観視」しなくなるということなのだろう。とにかく、自分自身とまともには向き合いたくない。完全なる「逃避」だ。 こうなれば、「暮らし」そのものも「崩壊」し始める。食生活も酷い有様になるし、デスクの周りもゴミが目立つ。それでも、そこにまで「気が回らない」のだ。 外部と連絡と取ることも「憂鬱」に感じてしまい、「申し訳ない」と思いながらもどうしても連絡をすることができない。自分でも「これではダメだ」とわかっているのだが、それでも気持ちがついてこない。 そうこうしているうちに、本格的に体調が崩れてくる。「病は気から」まさにそんな状態だ。ここから抜け出すには、気持ちから立て直す必要があり、そのための
幼い頃、四畳半一間の木造アパートに家族3人で暮らしていた。トイレは共用、風呂は無い。母がよく、「給料日まで3日もあるのに残り10円しかない」と言っていたことを覚えている。若い父には「経済力」が皆無で、家計はいつも「火の車」だっただろう。 それでも、僕自身は「貧しい」とは思わなかった。同じアパートの住人は皆良い人ばかりで、夕飯のおかずを「シェア」したり、スーパーの安売りの情報交換をしたりして、お互いに支え合いながら暮らしていた。 お風呂が無いため銭湯を利用するのだが、「引率役」のお母さんたちは交代制で僕たち子供の面倒を見てくれた。みんなでワイワイお風呂に入る、週に3回ほどある「銭湯の日」がとても楽しみだった。 銭湯には、様々な人が来ている。今では「入場お断り」されてしまうような「カタギ」では無い人も普通にいて、よくお風呂上りに「コーヒー牛乳」をご馳走してくれた。走り回って遊んでいる時に注意し
普段全くテレビを観ない僕でも、その存在に救われた「記憶」がある。 上京して音楽の仕事に就いたものの、上手くいかない時期があり一時的に実家に戻った。ジャズドラマー崩れで音楽に理解のある父ではあるが、やはり心配なのだろう。事あるごとに僕との生き方に対する考え方の違いから、「摩擦」は増えていった。 僕の将来を心配する父は、「就職」の話を持ってきた。工業地帯にある薬品関連の化学工場に、住み込みで働く仕事だ。働きながら音楽をやればいいと言うが、趣味ならともかく仕事としてやってゆくなら、休日が日曜日しかなく、平日の夜に楽器の練習ができるかもわからない環境では、事実上「諦める」ことも覚悟しなければならない。 それでも、父といる「気まずさ」から解放されたい一心で、その話を受けた。 小さな車に積めるだけの荷物を積み込み、逃げ出すように実家を後にした。新しい環境への不安よりも、やっと解放されたという想いが強か
そんなに頻繁には映画館に行くわけではない僕が、4回も観に行ってしまった映画がある。 映画「レ・ミゼラブル」予告編(ユニバーサル・ピクチャーズ公式)2012年公開 https://www.youtube.com/watch?v=VoCGLi82O7I 一度観て凄まじいまでの「衝撃」に襲われ、「いったいどうやって創っているんだ?」という疑問を少しでも「解決」すべく、僕にしては珍しくDVDまで購入して自宅でも何度も観た。 「特別映像」として収録されていた撮影の「秘密」にあらためて「衝撃」を受け、それ以降僕の音楽に対するスタンスが確定することになる。 映画「レ・ミゼラブル」特別映像(ユニバーサル・ピクチャーズ公式) https://www.youtube.com/watch?v=3kh5FngE1ME 今観ても「魂」が震えるほどの感動を覚える。「歌う」とは何か、「エンターテインメント」とは何か、そ
前回のライブに来ていただいた方から、ある素晴らしい提案をしていただいた。 「私がやっているスリランカのゲストハウスで、ライブをしませんか?」 というもので、今年の音楽活動の「メイン」になりそうなほどの申し出だ。 彼女の仕事は、「喜びを作る」こと。聞けば聞くほど「面白い」ことをやっている方だが、中でも軽トラに自分で作った「小屋」を載せて走りまわっているというのが、「凄味」を感じさせるほど面白かった。本当にパワフルな方だ。 前回のライブでは、リハーサルから来ていただき、たいへんありがたいことに準備から手伝っていただいた。僕のライブは、音響や照明に専属のスタッフがいる「ライブハウス」ではなく、カフェやレストラン、自治会館や交流サロンなどでやることが多いため、ステージのセッティングは自分でやらなければならない。 自分でやると言っても限界があり、音響的な「バランス」は演奏しながらでは絶対にわからない
最近、神保町に行く機会が増えている。ある縁で昨年末に本屋さんの忘年会に誘っていただいてからなので日は浅いのだが、都内に住んでいた頃は楽器屋さんが集まる御茶ノ水とセットで良く行っていた。 とにかく圧倒的な本屋さんの「数」だ。古書店街としては「世界一」らしい。街中の本屋さんが軒並み閉店に追い込まれる中、神保町の活気はとても頼もしく思える。 忘年会の時に、壁一面の本の中で演奏させていただいたのだが、初めての体験で楽しかった。本という「メディア」は、僕にとって「知」の象徴だ。「知」と言っても、小難しい意味合いではない。「トンデモ本」や「エロ」も含めた人間の「好奇心」や「業」そのものが、本の世界には無限の奥行を持って拡がっている。 御茶ノ水のレコード屋にも一日中居られるが、神保町の古書店にも一日中居られる。僕の大好きな「純喫茶」も数多くあり、「退屈」とは無縁な場所だ。少し歩けば秋葉原も近く、中古のフ
僕はいちおう「ミュージシャン」だ。「演奏」や「作曲」などの技術を提供することで「収入」を得てきた。そして今「シンガーソングライター」としての自分の形も模索しているところだが、それは「アーティスト」という分類になるだろう。 「ミュージシャン」という仕事は、依頼主の要望に応えることで収入を得るわけだが、自分の思い通りの演奏や作品で「勝負」できるわけではない。あくまでも依頼主が「形にしたいこと」のお手伝いをすることで評価される「受け身」のスキルが求められる。普通「プロ」と呼ばれるのは、この形ということになる。「職人」というイメージだ。 「アーティスト」というのは、厳密には「仕事」ではない。自分のイメージを形にし、その「評価」を世に問う。それが仕事になるとすれば「売れた時」であり、たとえ売れなかったとしても、自分のイメージで勝負している以上、スタイルを世の中の「流行り廃り」に簡単に合わせるわけにも
シンガーを支える「伴奏」の仕事を、長年やってきた。バンド形式の場合は主にベーシストとして、デュオならギタリストやピアニストとして。 僕にとって収入の大半を占める「本業」と言えるものは、音楽を「作ること」になるのだが、ステージに上がる以上はそれぞれの楽器に対して「本業ではないから」という「言い訳」は許されない。ピアノの前に座った時点で、客席から見れば僕は「ピアニスト」なのだ。 自分自身に対しても「言い訳」を許さないためには、当然ながらそれぞれの楽器に対する「技術」を磨く必要があり、そこで手を抜いてしまえば客より先に自分が自分を「認めない」ことになってしまう。もしステージ上で「自責の念」に駆られてしまえば、それがダイレクトに「音」に表れてしまい、聴いている人の心には絶対に届かない。 「自信」というものを育むには、どういう経路を辿って求める音に辿り着くのか、その「プロセス」が全てであり、いくつか
何かに必死に取り組んでいる人が、ようやく手に入れた社会的な「業績」や「知名度」に対して、そこに「敬意」を払うわけでもなく、ただ自分の価値を「高く」見せるためだけに「利用」しようとする人が、残念ながら一定の割合でいる。 自分では成し遂げることができないことを、既に成し遂げている人に対する「憧れ」は、誰にでもあるだろう。その「憧れ」が「敬意」に繋がってゆくはずなのだが、もし何かが成し遂げられるまでの様々な「紆余曲折」のようなものに対して、自分自身も「試行錯誤」してみた経験が無ければ、その心情や葛藤を「理解」することはできず、ただ「乗っかってくる」だけの「軽い」関係性に陥ってしまう。 以前は、僕もそういう「軽い」人間だったと思う。自分の「覚悟」もろくにできていないまま、他人が持っているものを何とか「利用」することで、自分の価値を高めようとしていた。「知名度」の高い人間に会う機会があれば、とにかく
このブログで何度か登場している、僕を「放浪」させてくれた「おじさん達」は、とにかく「アート」や「カルチャー」というものに対して、絶対に「届かない」と思わされるほど圧倒的に詳しかった。10代で何も知らなかった僕にとって、「憧れ」の存在でもあった。 「オタク」という言葉が適切かどうかわからないが、僕の感覚では「クリエイティブなオタク」という表現になるかと思う。「オタク」にも、いろいろあるのだ。他人の作品や、やっていることを「評論」しているだけの「オタク」は、「消費」するだけの生産性の無い存在という意味で「価値」を感じない。 「おじさん達」が「クリエイティブ」と言えるのは、一人の世界に「終始」せず、仲間と議論して情報交換したり、自分の意見を雑誌などのメディアに投稿して世間に晒したり、僕のような「小僧」に持っているものを惜しみなく伝えたりしているからだ。ここまで来ればもう「カルチャー」の領域だと言
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