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ドラクエ3
orionhanako.hateblo.jp
みなさまこんばんは、青那です。今日はブログの今後について二点、お知らせしたいと思います。 ①エントリーの非公開について 今まで詩としてエントリーしてきた記事も多いのですが、それらについて勉強と手直しをするため非公開にしました。現在も新作を書いていますが「青那実沙紀」としては発表していません。その理由は、ひとつには名前によるジェンダーバイアス、ひとつには病気や障害を公表していることによるバイアスを排除するためです。それもニュートラルな環境で書きたいという思いによるものです。ですので当面このブログでは随筆やエッセイを中心に更新していこうと思っています。 ②更新について 更新頻度についてですが、ここしばらくのようにマイペースにいこうと思っています。ちょうど一年ほど前にいろいろ起きまして、以来生活とその基盤を立て直すことに最善をつくしています。そのために必要な社会資源を精査、構築してきました。また
みなさまご無沙汰しています、青那です。私事なのですが、このたびアルコールをやめて六年を迎えることができました。五年を迎えた時も少し書いたので、今年も書いてみようと思います。 わたしにとってアルコールとは、例えるなら松葉づえのようなものでした。わたしは自閉症スペクトラムです。その影響で子どもの頃から他者との交流を図ることが難しく、そもそも対人関係の構築にあまり関心が向きません。お乳も飲もうとしない偏食家であり、何かの弾みでパニックを起こす、とにかく育てにくい子だと言われていました。感情は表情よりも指の動きや行動に表れ、何を考えているか分からない子だと言われていました。 自分も周囲も、いったい何に翻弄されているのか分からない時代でした。良くも悪くも変わった人間として目立ってしまいます。大きくなったわたしが学校や社会との軋轢を埋めるため、アルコールを利用し始めたのは必然だったのかもしれません。路
みなさまご無沙汰しています、青那です。このほど、以前からお伝えしていた歩き旅を無事終えることができました。ルートは鎌倉~葉山~荒崎~油壷~三崎~城ケ島~江奈~雨崎~三浦海岸~久里浜~浦賀~観音崎~横須賀。つまり三浦半島を一周、およそ百二十キロの海岸線を歩き倒して参りました。 当たり前と言われるかもしれませんが地面は、海岸は繋がっていました。雲がどこからやって来て、どこに向かっていくのかを見ました。何時間もひとと会うことのない岩礁をつたい、海にとことん向かい合いました。通り雨に遭ったり熱を出したり、崖にへばりついて進んだこともありました。 だからそのぶん、存分に波音を聴くことができます。思わず鼻歌を歌うじぶんに驚きます。広がるキャベツ畑に湧き上がる記憶があります。つまり、生まれつきの質に振り回されているわたしが、通所よりよっぽどリラックスできる環境があることを知り、その環境がどのようなもので
音楽はわたしを守ってくれる。鋭敏な目と耳をつつみこむ。不可解で、予測不可能な事象を切り離す。ジャンルは問わない。ライヒもメシュガーも美しい。わたしにとっての調和がそこにあるか。それが全てである。 まだ暗い朝にはマット・コービーを、山の中ではリチャード・ボナを、眼鏡がくもるとニコラ・ヒッチコック、家路のけだるさにはアンナ・マリア・ヨペクを。そして感情を見失ったとき、シェリル・ベンティーンを聴く。 シェリルならアルバム『Sings Waltz For Debby』がいい。彼女が『Waltz For Debby』を歌い出すころ、わたしは正しい位置に帰って涙を流す。この期に及んでわたしは、人の声に惹かれている。 ピアノの音色も好きだ。ルービンシュタインが奏でる、ショパンのバラード第一番に震えた。しかし体育館で練習したのはシューマンだった。バンドマンに誘われて、歌い出したのもこのころだ。 バンドを放
みなさまこんばんは、青那です。年の瀬はどうにも駆け足になりますね。近頃のわたしは山登りをしたりとインドア派を返上しつつあります。 去年の今ごろはまだブログを始めていませんでした。足のリハビリを頑張っていました。雨戸を開けることができませんでした。ことばにならないことが多くてかんしゃくを起こしてばかりでした。 それが今では書くことを覚えました。歩けるようになりました。雨戸を五年ぶりに開けました。コメントを三時間で書けるようになりました。ツイッターを始めたことが訓練でした。思い出の品を手放したかわりにカメラを手にしました。さんぽの時間がとても大切になりました。音楽がわたしを守ってくれていたのだと知りました。 正直に申し上げると、自分と向き合えるようになったのは今年に入ってからです。今はせいかつのマネジメントをしています。人様と交われないのは自分の努力が足りない、弱い人間だからだと思っていました
2016 - 11 - 07 宣告 現在のこと ありのまま あるがままを受け入れて 怖れるものは何も無いと言 っ ておく みずからの質を知ればこそ 父 母 き ょ うだいに悪因 悪果はないのだと言 っ ておく 家中構成 ぶち壊れるのは避けがたい だからこそ知 っ た再会の味わい みずからの道を切り開く そんな生き様を尻目に 流れに身を委ねるせいかつに たゆまぬ強さを見い出すと言 っ ておく 山肌を転がる石ころ 或いは 川に放たれる稚魚のように 腹をくくり いのちを預ける それも 尊いのだと言 っ ておく orionhanako 2016-11-07 22:46 宣告 list Tweet 広告を非表示にする もっと読む (0) コメントを書く 斜陽 »
そんなメールがはてなブログから来ておりました。早いものです。いまだにカテゴリーの見直しはおろか、ブログの説明さえまともにできておらず、申し訳なく思っています。 それにもかかわらず読んでいただいている皆様にはほんとうに感謝しかありません。いつもありがとうございます。現在おおよそ二日に一回の更新となっているのですが、正直ここまでコンスタントに続けられるとは全く思っていませんでした。 そもそもブログを始めた理由は辛気臭いものでした。一年ほどの間、会話の機会は月一回の外来問診だけという状況で、足も悪くて遠出もできず、この狭いアパートで人知れず死んだ場合、発見までどれくらいかかるのだろうかと真剣に考えていました。 そこで第一発見者の方には申し訳ないなあと思い、せめてお礼の言葉を残しておこうとパソコンに向かいました。そんな時エンディングノートというものを知り、辞世の句はもう少し前向きな言葉へと変化して
Toots Thielemans - Bluesette ハーモニカ奏者のトゥーツ・シールマンス氏が二十二日、亡くなった。私は彼の作曲した『Bluesette (ブルーゼット)』という曲がとても好きだ。この曲はスタンダードとして彼自身による演奏だけでなく歌詞も添えられ、Sarah Vaughan (サラ・ヴォーン)をはじめ、様々なアーティストにカバーされてきた。中でも Connie Evingson (コニー・エヴィンソン)と共演したテイクが思い出深く、今もこころに残っている。 あの頃の私は身体的、精神的な瑕疵を抱え込んでおり、結婚は諦めていた。周囲にも相当な迷惑をかけていたし、もはや自分は幸せになってはいけないのだと思っていた。なので長いこと恋人も持たなかった。お見合いの話もお断りしていた。身内も事情が分かっているので何も言わない。それよりもひとり慎ましく、ひっそりと生きられたらと。そん
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