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Scuba 『Triangulation』(Hotflush HFCD003) ジャケ通り、暗がりの地下室がやたら似合うダブステップ。2562とともに音の空間配置にやられた。 灰汁『六台のターンテーブル 線の切れた一本のマイク 取り壊される木造住宅』 (Contrarede ctrd 035) 壁に掲げられたビースティーボーイズのピクチャー盤、マントロニクスの12インチ、そしてアート・リンゼイ&アンビシャス・ラヴァーズのLPが映った、録音風景のインナースリーブの写真が、この音楽を最も雄弁に語ってるのではないか。80年代前半、NYで表裏一体で発展していったヒップホップとアヴァンギャルド、それが2010年の東京で日本語ラップというタームとターンテーブリズムにその定義を変え、双方がぶつかり混じっで出来た傑作 VOLO『VEAZY』(In Ditch IDRCD-007) MPCが壊れちゃったから
『Live Greatest Hits』(Vis A Vis VAV91-013/1991) リズムマシンが鳴らす、チャカポカチャカポカ、という乾いた音。そこにマスターベーションの快楽に溺れた、ゲロ30歳の「♪ア~ン、ア~ン、ハアア、いいよ......」という、野太くもどこか女性的なあえぎ声。さらに彼はマイクを通して誰ともなしに囁く。「♪アシ~ッド、スペェ~ス」。そして「♪エクスタシィ~」。 山ノ内は時折、観客に罵声を浴びせながら煽り、その一方で、ゲロ30歳の快楽のバイオリズムと、フロアのレスポンスを見据えながら、リズムマシンのピッチを上げ下げする。必要とあらば、ストップボタンを押してノン・ビートにすることさえ厭わない。最後、ヒートしたゲロ30歳とフロアをチルアウトさせるかのように、鈴木ヒロミツの名曲「愛に野菊を」が流れて終わる。[*1] ──あるクラブ・パーティーでの模様を収録した、ゲロ
そもそも、彼らのインタビューなどによれば、最初のムードマンとL?K?Oのコンビネーションは、よくあるDJとMCという関係性から始まったという。しかし、スクラッチの心得があったL?K?OはMCだけにあきたらず、ターンテーブルにも手を伸ばし始め、やがて2人で4台のターンテーブルをプレイするDJスタイルにたどり着く。そして、水道管ディジェリドゥー、パーカッション、ハーレー、女性ボーカリスト、スネアドラム隊(?)、そして同業異種の大友良英[*1]をも巻き込んでいったのだった。 僕はゲームをやらないので、CMで観ただけの知識で言うんだけど、「塊魂」というゲームがあるじゃないですか。あれって転がり続けて、脈絡のないそこらへんにあるものを取り込んで、一つの塊にしていくという。テイストとしてはアレに近いような気がする。とにかく、ムードマンとL?K?OのDJプレイは、そのように、どんどんわけのわからない形へ
以前書いた、池袋ベッドでのこと。トイレに入って、小便器の前でチャックを下ろして、位置を決めて、まさに放とうとしたとき、スピーカーからの低音でトイレの戸が一斉に震えたのだ。振動を体験したとき、そのとき、ムードマンとL?K?Oがまだ組んでDJをしていた頃に受けた、ある低音波状攻撃を思い出したのだった。 時は1997年2月21日の新宿リキッドルームで行われたイベント〈UNKNOWNMIX〉にまで遡る。以前書いた〈フリー・フォーム・フリークアウト〉(FFF)がデス渋谷系としたら、その異音同義的な「音響系」[*1]の精鋭を集めた、このイベントでムードマン&L?K?Oはある実験を仕掛けようとしていた。フロアの左側に設置されたDJブースには、その場にそぐわない大型バイクが鎮座していたからだ。といっても、彼らがDJプレイの一要素にバイクを持ち込んだのは、これが始めてではない。 96年11月23日、明大生田
友人がメールでゲロゲリの文章読んでいたときに、中原昌也を感じてしょうがなかったというようなことを送ってくれたが、かくいう僕も文章を書いていたとき、どうしても浮かぶのは中原昌也というか暴力温泉芸者の存在だった。 実際、山ノ内と中原は一時期師弟関係に近かったようで、インタビューでは、(多少言いよどみながらも)師としてゲロ山内の名を挙げているし、中原はゲロゲリのライブにも一度メンバーとしてステージに立ったそう。また『パンクの鬼』の帯には、山ノ内のレーベル、ビサビの新作として、暴力温泉芸者の『わがままなおふくろ』という新作LPの発売が告知されている(結局、出なかったようだが)。何よりも前回に取り上げたセンズリ・レイヴ・アクションにも、宇川直宏とともに嬌声をあげていたという。音楽的にもゲロゲリと暴力温泉はパロディと諧謔という部分で共通していると思う。 話は飛ぶが、僕が初めて観たライブは暴力温泉芸者な
1917年、マルセル・デュシャンは、ニューヨーク・アンデパンダン展に「泉」という作品を出品しました。それは買ってきた男子用の小便器に「R.MUTT 1917」と、架空の人物の名と製作年をデュシャンがサインしただけのものでした。彼は持ち前の反抗心から、レディ・メイド(既製品)に少し手を加えるだけで、芸術に仕立て上げたのでした。 1985年、山ノ内純太郎は、自分自身、またはその仲間たちと作った音楽すべてに「ザ・ゲロゲリゲゲゲ」という名称を付けることとしました(*1)。ゲロとゲリは便器と密接に関係しているから……かどうかは知りません。本人そ知るのみです。 1913年、デュシャンは音符を書いたカードを無作為に選んで並べ「音楽的誤植」という音楽作品にしました。それはジョン・ケージの「4分33秒」に影響を与え、そこからミュージック・コンクレートという手法を経て電子音楽になり、ロックやジャズなど、様々な
①Fiesta En El Vacio『Fiesta En El Vacío』(Simple Music Experience) ②冬にわかれて『Flow』(こほろぎ舎) ③Actress『LXXXVIII』(Ninja Tune) ④Jonny Nash『Point Of Entry』(Melody As Truth/Plancha) ⑤Carlos Niño & Friends『 (I'm just) Chillin', on Fire』(International Anthem/Rings) ⑥James Holden『Imagine This Is A High Dimensional Space Of All Possibilities』 (Border Community) ⑦なのるなもない x YAMAAN『水月』(Studio Melhentrips) ⑧Modern Co
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