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ドラクエ3
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秋田禎信「籠の中の15分」について。 「籠の中の15分」の三人称パートは、ト書きというよりもカメラの目線に近くて、あのパートは神=作者視点というより観客=読者視点だ これといった展開もオチもなくシチュエーションと会話のみで書かれたあの作品を、ぎりぎりのところで締まったものにしているのは、シニカルな余韻を残す最後の一文にあることは間違いない ところで、秋田禎信といえば、一般的には、例えば「魔術士オーフェン」では「スペルユーザーが殴り合いで強い(むしろ殴り合いの方が有効な場合が多い)」という設定で既存の「剣と魔法」概念へのカウンターを打ち出すなど、シニカルな作風の持ち主ということになっていることと思う と、一応書くけれど、個人的にこの認識(既存のカウンター云々)はまったくアクチュアルじゃなくて、というのも私にとって「剣と魔法」って結局ドラクエとオーフェンなんだよね(最初に触れたから、というより
仮面ライダーカブトの劇場版では「宇宙でのアクション」とやらがあるということで、既にネット上では、宇宙でのラストバトル後、天道と加賀美が大気圏に落下しつつ「天道(加賀美)、お前はどこに落ちたい?」などと会話をかわすのが劇場版のラストシーンだ、というようなネタが至る所で発表されていることと思う*1。悲劇的な(絶望的な)状況の主役二人、というシチュエーションは劇場版龍騎のラストシーンでもやってるので、まあ確かにありえそうではあるんだよな。劇場版 555 もその路線か。 でもさ、サイボーグ 009 でのあのオチは、地上で姉弟が「あっ、流れ星」(以下略)とやってグッとくるシーンなので、カブトでオマージュされるとしたらそこまでやらないと駄目だと思うんだよね。 でもって、カブト作中の両方生存してる兄弟(兄妹)って、天道兄妹しかいないんだよね。ということは、宇宙で燃え尽きようとしてる天道と加賀美、それを見
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