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ドラクエ3
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先のエントリーに対してfont-daさんがご自身のブログエントリー「魅惑の分離主義」でレスポンスをしてくれました(font-daさん、ありがとうございました *1)。こういうかたちでやりとりができたことはとても嬉しく、もし可能なら今後意見交換&対話を少しずつ積み重ねていければいいなと思います。 今日・明日はちょっと忙しいので来週になってからわたしから再度レスポンスを書こうと思っていたのですが、あまり時間をおいてしまうのも良くないかなということで、少しだけ「分離主義」について整理をさせていただければと思います(とは言え、これがどの程度の学問的意義を持ちうるのか判断できないまま書き始めてしまっているのでやや不安もありますが、ここはあまり深く考えず思い切ることにします)。 font-daさんは先に紹介したブログエントリーの中で「私の中には「分離主義=悪」という刷り込みが今もある。しかし、同時
ええと、読むつもりはなかったのですが誘惑に負けて(笑)_マイノリティと『冷静に・論理的に語ろうとすること』のジレンマ_を読んでしまいました。その中でrenrakufontdaさんから「飯野由里子さんの研究では、「まいにち大工」と「ひかりぐるま」がレズビアン・フェミニズムのグループとして挙げられてます。でも、日本のヘテロのフェミニストたちがガンガン選択的レズビアンになっていった形跡は見られませんよね…まず、日本語資料が少ないし」というご発言があったので、『レズビアンである〈わたしたち〉のストーリー』(生活書院、2008年;以下『ストーリー』)を執筆した人間として少しだけ補足(と言い訳?)を...(ちなみに、これはrenrakufontdaさん個人に対する批判では決してありません) *1。 まず(あまりにも当たり前すぎることではありますが)「選択的レズビアン」と呼ばれる/呼ばれてきた人たちに
学会誌上で発表されてから4年経つので、そろそろ出版権(?)的には問題ないでしょう...ということで、以下、『女性学 Vol. 15』(2008年、新水社)に掲載された研究ノート「「クィアする」とはどういうことなのか?」(初学者向け)を公開します。 註の1に示してある通り、この研究ノートは日本女性学会学会誌編集委員会からの依頼を受けて執筆したもので、ファースト・ドラフトの段階では冒頭部分が以下のようになっていました。 「バックラッシュをクィアする」をテーマに開催された2007年度のシンポジウムは、少なくない人たちの中にさまざまな不満を残してしまったようだ。この小論も、こうした状況を背景に、日本女性学会学会誌編集委員会からの依頼を受けて執筆したものである。だが、本小論は、シンポジウムでの発言内容そのものやそれに対する「賛否」について、主題的に取り上げようと意図したものではない。シンポジウム
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