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セキュリティ
shigusa-t.hatenablog.com
#四発しか入っていない銃で五人以上殺すにはどうすればいいですか— ニンパイ(typical) (@shinobuk) 2016, 2月 14 表題のタグでの大喜利のようなものがTwitterで流行っていて、ふと興味を持ってハッシュタグからいろいろな人の解答を辿っていた。 シンプルなようでいて、解答者のセンスが如実に出る設問だと思う。 ちょっと思うところあって、この問題に対する様々なTwitterユーザの回答をざっくり分けて、個人的に面白いと感じた度合で並べて整理してみた。 先に書いてしまうけど、自分は面白くない方に分類してる平凡な答えしか思いつかなかった。 別に読者の人に問いたいわけではないけど、一応隙間を開けておくので、未見の人は一度解答を考えてもらってもいいかも。 後半で紹介したような答えとか、ここで触れてもいないような解答をひねり出せる人は凄いと思う。 前提事項 まず前提としてこの問
インターネットにおける自分を動物に例えるならトカゲや蛇だろうなと思う。 ネットの世界に片足を踏み入れてから、いくつもの匿名のアカウントを作っては熱中し、どこかで糸が切れたかのように執着を失って切り捨ててきた。トカゲがしっぽを切るように。蛇が皮を脱ぎ捨てるように。 そのアカウントでの活動に嫌気が差したり疲れを覚えたわけではなく、一時の多忙さや他の熱中対象にかまけてやむを得ずしばらく視界から外したケースがほとんどだけれど、時間ができたからといって戻ってこれるケースは少ない。期間が空くと、その場で行った活動のすべてが、なにか取るに足らないものであったり、見るに耐えないものであったような気がしてくるのだ。蓋を開けたくなくなる。過去の自分が出力した醜いものを、そこに封じ込めておきたくなる。 「気がしてくる」という表現しかできない。事実、自ら封印したはずの過去の作品を掘り起こすと、確かに未熟でこそあれ
田村ゆかりという女性声優が凄いらしいという話は常々聞いてたんだけど、最近改めて動画を見たりラジオを聴いたりしてみた。 こういう人は嫌いじゃないなあと思いつつ、ふと頭に浮かんだのがスケート選手の羽生結弦。田村ゆかりが抱えている構図は羽生結弦が抱えるそれによく似ているような気がする。 虚構による自己拡張 羽生結弦や田村ゆかりを見ていて思うのは、こう言うと語弊があるかもしれないが、ナルシストであること、つまり現実の自分より自分を美しいと信じることは、人々を惹きつける上で必要なことなんだなということ。 人には一般に強いところもあれば弱いところもあり、程度の差はあれ強味と弱味を考慮した相応の自己の大きさを周囲に表明していることが多いと思う。Aという分野は得意だからその得意さをすこし誇張してでも表明し、Bという分野は苦手だから一歩引いた位置に構える。レーダーチャートを考えると、面積としては強い軸と弱い
若手のブロガーさんの文章の中に、「あるくない?」という言葉が用いられているのを目撃して驚いた。 「~ってあるくない? みんなはどう思う?」のような使い方がされている。どうやら「あるんじゃない?」と等価な表現らしい。 初めは方言の類かと思っていたが、調べてみると「若者言葉」と評されている。 吉本さんの日記 : とびまわる言語学者~パート3~ 若者言葉で「あるくない?」や「知ってるくない?」等の言葉を... - Yahoo!知恵袋 ブログでこの表現を用いていた方も、標準語の書き言葉の中でこの言葉を使っているあたり、この用法で利用可能だと認識しているようだ。 この表現はいったいどこから来たのだろう。 「~って良くない?」という言い方から類推すると、「良い」のように形容詞として「ある」を用いて、活用して「あるく」になっているのか。 あるいは、「あるっぽくない?」の短縮形なのか。 「なくない?」を単
対ボルトで男子100m走選手はどれくらい勝算がある? - 実験スピリッツ id:yeomanさんのところで面白い分析をやっていた。 箱ひげ図による可視化はセンスが良いと思ったんだけど、後半のボルトvsガトリンの勝利確率の導出はいろいろと怪しい部分があったように思う。 「諸分野に明るい方ご意見を宜しくお願い致します」というコメントもあるし(こういう姿勢で色々なことに挑戦しているのでこの人のブログは好きだ)、考え始めたらドツボにはまっていって結構な分量になったのでせっかくだから書き出しておく。 一応なるべく分かりやすく書いたつもりだけど、統計統計した話なので興味が無い方は回れ右。 ※ブコメで効率のよい解き方のご指摘をいただいたので、結論から知りたい方は末尾の追記を読んでください 問題設定 元記事ではボルトとガトリンのタイムはそれぞれ正規分布に従うと仮定している。 箱ひげ図を見た感じでもほぼ平均
ここまで書いたいくつかの記事を読み直していて思ったこと。 どうも、自分にはある要素とある要素を対置してものを書きたがる癖があるらしい。 「日本語(で動く人々)」と「数学語(で動く人々)」とか、「花」と「蛾」とか。 あるいは、「弱い優しさ」「強い優しさ」「身勝手な優しさ」で3分割してみたりとか。 どうしてこういう書き方に向かいがちなのかを考えてみたけど、ある概念をよりはっきりとした形で読み取れるようにしたいという気持ちの現れなのかな、と思う。 そもそも、ある概念を明確なものとして把握するためには、何か別の概念との差異を発見していく必要があるのではないだろうか。 概念と制約、比較 6面のサイコロについて、単に「サイコロの目」といったとき、そこには6通りの選択肢がある。 「奇数の」という制限をつけると3通りになり、さらに「3以上の」と制限すれば2通りになる。 同様に、一般的な表現においても、たと
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