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執筆者提供「わたしは作中人物じゃないですよ」 「女流って呼んだらコロス」 こんなメッセージの缶バッジを「俳句生活安全缶バッジ」と名付けて販売している。俳句を読み、たまには自分でも作る市井の「俳人」のわたしがなぜこんなグッズを製作販売するに至ったのかお話ししたいと思う。 まずはそれぞれのメッセージについて解説しよう。 「わたしは作中人物じゃないですよ?」俳句に登場する人物や俳句の中の出来事と作者本人を混同しないでほしいというメッセージだ。 小説の場合、作者のわたしが作中人物ではないのは当たり前のことである。しかし俳句や短歌の場合は歴史的な経緯もあり、作者と作中人物が安直に結びつけられがちなのだ。 俳句を作るひとたちは「句会」という批評会を盛んに開催する。多くの場合、誰が書いたかわからない状態で俳句を相互に批評して最後に作者を明かすのだが、作者が明らかになった際に作者本人と作品のギャップに言及
Unsplashより五輪には反対だ、と友人に話したら、「そうなんだ。でもアスリートは悪くないからね」と返ってきて、ため息をついた。 アスリートたちが5年間死に物狂いでやってきたであろうことは、私もわかっている。かつての仲間の試合を見ると、つい熱くなってしまうところもある。でも、五輪と社会が切り離せない以上、「アスリートは悪くない」と手放しで言っていいのだろうか。 就職をきっかけに気づいた、アスリートの世界の特殊性私は10歳頃から10年以上、柔道をやってきたアスリートだ。高校生の頃には強豪校に入学するために上京し、毎日柔道漬けだった。高校でも、大学でも、つるむのは同じ柔道部の友人たち。あえて数字にするならば、今でも人間関係の95%以上が柔道関係者だと思う。 自分のいた世界の特殊性に気づいたのは、就職してからだ。 就職は、大学の部活の監督の紹介で、柔道部を持っている企業に決めた。その時点では、
UnSplashより最近、kemioの「私が人生で学ぶことは全てLady Gagaが教えてくれた」というツイートを見た。咄嗟に「私の場合は誰だろう?」と考え、たどり着いた答えはChristina Aguilera, Madonna, Mariah Careyだった。 3人ともDIVAと呼ばれるアーティストだ。また、私の所属する界隈はTwitterのフォロイーをTL DIVAsと呼ぶ。 今やDIVAという単語は、本来の意味を超えてその精神性をも指しているように思える。では、私にとってDIVAは何を意味しているか。これまで直感的に使っていたDIVAという言葉を、本稿で紐解いていきたい。 私にとってDIVAとはまず、辞書でDIVAを調べてみた。 (オペラの)女性歌手、主役、プリマドンナ[ラテン語 ‘goddess’ の意] もともとはオペラにおける単語であり、現在私たちが使っているDIVAはそこ
Unsplashよりkemioといえば、日本のインターネットを代表するクリエイターだ。自分の生活や考えをユーモアあふれる動画や写真を通してシェアし、各種SNSの合計フォロワー数は数百万超。雑誌やテレビなどの出演も多く、様々なメディアで「若者世代のカリスマ」として紹介されている。 だが、日本のネット発クリエイターのなかでも、kemioの立ち位置はひときわ異彩を放っている。 kemioのインスタグラムよりその理由としてはなによりもまず「ゲイであることをオープンにしている」ということがあるだろう。2019年のカミングアウト(注1、2)後、kemioは自身の恋愛事情やクィア(後述)カルチャーに対する関心を包み隠さず発信してきた。 異性愛者ではないことを明らかにしている人気インフルエンサーは世界的にみれば珍しくはないが、日本国内でこれだけの影響力をもちつつ、自分のセクシュアリティについてリアルな面も
UnsplashよりProduce 101JAPAN season2通称日プでの人種差別発言と、その後の運営の対応に批判が集まっている。 Produce 101は視聴者が投票で101人の練習生から選んだ上位11人からなるアイドルグループのメンバーの座をかけたサバイバルオーディション番組だ。韓国発祥でwanna one、I*ZONEなど大人気グループを生み出し、日本版は通常“日プ”と呼ばれている。前回のシーズン1ではJO1を輩出した。 今回、番組が作りたいアイドルグループに掲げるコンセプトは前回と同じく「グローバルボーイズグループ」だ。 season2公式ホームページの番組紹介にはこう記されている。 “音楽は国境、言語に関係なく、世界が一緒に楽しめるもの。 PRODUCE101 JAPANを通じて誕生するボーイズグループが、世界中で飛び立つことができるよう、グローバルな要素を導入します。”
Unsplashより少し前、あるtwitterユーザーの「合コンで使えるApex用語」という投稿がゲームApex Legends(以下、Apex)の日本のファンコミュニティを中心に大きな話題となった。 現在は該当のツイートは削除されているため詳しくは触れないが、Apexにおける用語を”隠語”として活用し、飲み屋での光景や行為を相手の女性にバレないように共有しようという内容である。それはいわゆる「飲み会あるある」的なものだったが、一部の項目に「女性を泥酔させて、性行為に持ち込もうとする」ような内容が存在していたことで、該当ツイートには多くの批判意見も寄せられていた。 こういった議論が生じた際によく出てくるのは「あくまでジョークであって、別に本気で言っているわけではない」という反応である。実際にこのツイートについても同様の擁護意見を多く確認することが出来た。 正直なところ、このような光景は(A
B’zのファンでなく『ultra soul』や『イチブトゼンブ』などのヒット曲数曲しか知らないという人には、B’zは“陽”なイケイケなバンド、あるいは男らしい硬派なバンドだったりするだろうか? しかし実はヴォーカルである稲葉浩志さんの書く歌詞はものすごく陰があって、「男性はかくあるべし」というジェンダー規範から自由だったり、抗っていたりするんだ…… そんなことをツイートしていたらこちらでの執筆の機会を頂いた。筆者は日本社会にある女性への抑圧や男女格差に耐えかねて、数年前から海外に渡って奮闘中のB’zファンだ。稲葉さんの歌詞がいかに“マッチョ”でないかを、「歌の主人公の弱気さネガティブさ」「ジャッジメンタルでなく多様性を尊ぶ姿勢」「生活に根ざし感情を大切にする視点」の三つの観点から話そうと思う。 最初にお断りしておきたいのだが私にとってB’zはアルバムを何枚も持っていて好きなバンドではあるけ
「昭和歌謡」というテーマで書き連ねる前に断っておく。私は昭和歌謡マニアでもオタクでもレコードコレクターでもない。8年ほど前からギタリスト羽賀和貴(BARAMON,井手健介と母船など)と“duMo(デュモ)”というギターとヴォーカルのユニットで、昭和歌謡曲にアレンジを加えてカヴァーしたり、それ風のオリジナル曲を制作し、ステージで唄ってきただけの人間だ。 私たちのユニットは、YouTubeを見て日本の昭和歌謡曲を好きになった謎のロシア人二人組、という設定でやっており、なので、それぞれ仮装をして、所謂カタコトの日本語でMCをする、というキャラクターを演じている。その意図については後述する。 さて、幼少期から洋モノかぶれの両親の影響で、主にアメリカン・ポップスやR&Bを好んで聴いてた私は、あまり90年代J-Pop旋風に馴染めていなかった。そんな最中、宇多田ヒカル『Automatic』(1998年)
※本記事は『あのこは貴族』映画および原作の内容に触れております。ご了承の上、記事をお読みください。 岨手由貴子監督作「あのこは貴族」を鑑賞後、ひたひたと胸に満ちる多幸感に打ち震えていた。ついにやってくれた。わたしたちが生きる時代に、わたしたちが生きる国で、女性作家の手によって軽やかなシスターフッドの物語が描かれ、そしてその物語が女性映画監督の手によって映像化されたのだ。それも、緻密に考え抜かれた脚本と演出によって。 観客の先入観を逆手に取った、連帯の物語「東京の箱入り娘が、自分の婚約者である御曹司とただならぬ関係にある地方出身の平民女子と相対する」というあらすじを読めば、まだまだ多くの受け取り手が思うことだろう、「ああ、御曹司を巡る三角関係、女同士のバトルね」と。そして、ある人は「キャットファイトが見られるぞ」とわくわくし、またある人は「またそのパターンか」とうんざりする。 女と女の敵対は
Unsplashより2020年、『アクタージュ』原作者逮捕に対する編集部の対応や、過去の対談での「少年をターゲット」と言い切る発言が物議を醸した「週刊少年ジャンプ(以下、ジャンプ)」。 前出の対談では、女性ファンがここ最近増えてきた、との発言があったが、「ジャンプ」が大勢の女性ファンに支えられてきたことは言うまでもない。長年「ジャンプ」に親しんできた女性ファンに、今の「ジャンプ」に対する気持ちを聞いた。(前後編の後編) 前編:「恋愛物語じゃないところに救われた」ジャンプ女性ファンに聞いた“どハマり”の始まり ・・・ ――前編で、「ジャンプ」作品で、最終回でカップルが次々誕生するパターンがあることへの指摘がありましたが、これはなぜこういう傾向が? kyoa(以下、ka)だいたい話の展開として戦うというのがあって、戦いが終わった平和な世界の象徴としての結婚があるんじゃないでしょうか。あるいは、
Unsplashより2020年、『アクタージュ』原作者逮捕に対する編集部の対応や、過去の対談での「少年をターゲット」と言い切る発言が物議を醸した「週刊少年ジャンプ(以下、ジャンプ)」。 前出の対談では、女性ファンがここ最近増えてきた、との発言があったが、「ジャンプ」が大勢の女性ファンに支えられてきたことは言うまでもない。長年「ジャンプ」に親しんできた女性ファンに、今の「ジャンプ」に対する気持ちを聞いた。(前後編の前編) ・・・ ――本日は「ジャンプ」愛読経験のある皆さんに集まっていただきました。よろしくお願いいたします。皆さんの「ジャンプ」との今の関係を教えてください。 kobin(以下、kb) 本誌は全く読んでいなくて、単行本で気になる作品を買って読んでます。『僕のヒーローアカデミア』と『呪術廻戦』を読んでいて、少し前までは『鬼滅の刃(以下、鬼滅)』『ハイキュー!!』も読んでいました。『
フェミニズムやブラック・ライヴズ・マター、そしてフェミニズム内部でのトランス排除問題に関連して耳にすることが増えてきた単語「インターセクショナリティ」。しかしその意味を詳しく知っている人は意外にも少ないのではないか。 「交差性」とも訳されるインターセクショナリティだが、なぜフェミニズムを学ぶ上で必須の概念なのか。 東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センターに所属し、クィアと障害(*)、フェミニズムについて研究している飯野由里子さんにお話を聞いた。 「障害」という用語については、そこに含まれる「害」という字が人びとに否定的な印象を与え、障害者に対する負のイメージに結びついてきたと考えて「障がい」や「障碍」といった表記を用いる人もいる。他方、障害学においては、多数派(たとえば非障害者)の利便性を前提に社会が作られていることで生じている障壁(バリア)が少数派の側にもたらす不利
これはアラフォー2児の子育て中の私の世界観がある日突然ガラリと変わったお話です。 ひと昔前、老若男女が行き交うデパートで行われる個展が成人女性に女子高生の恰好をさせ、美脚フェティシズムを想起させる内容だったことで非難が集まり、私のタイムラインにも話題が回ってきました。 当時の私の感覚としては「成人女性がモデルなら問題無いのに何が問題なの?」「好きな人だけ見に行くんだから別にいいんじゃない?」と、どちらかと言えば批判に対してネガティブな感想を持っていました。 そこに、今となっては名前もわからない方の怒りのツイートが目に飛び込んで来ました。 「女子高生って大人が守るべき未成年でしょ! 何故大っぴらにデパートでエロ扱いするの!」 私は後ろから不意打ちで頭をブン殴られたようなショックを受けました。 それは、かつて女子高生だった私がかけられたことのない言葉だったからです。 批判者は気難しいPTAのお
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