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sobameshi5.hatenablog.com
今年も飽きもせず1年が終わりを迎えようとしている。大晦日の恒例になっている酒を飲みながら1年を振り返る酩酊記。ここ1~2年、酩酊記と言う割に、まとまった小綺麗な文ばかり書いていたので、今年は酩酊記らしく思いついたことをツラツラと連ねていこうと思う。 今年は3月に4年働いた職場から新しい職場に移る通知を受け取った。それは、大学を出た4年間を抜いて24年住んだ実家から出るということにつながった。 私は家族とも仲が良く、母親とは友達のように接しているので、家族と離れることが辛かったし、次の勤務先が職場の人曰く「期待されてる人間が行くところ」らしく、とにかく激務になることが予想されるため、ピリきゅうとしての創作活動もほとんど出来なくなるんだろうなと思った。 私は変化していくことを恐れている。その変化が一気に3月に突きつけられた気がして、初めて生理が2週間遅れた。あと1日来なかったら産婦人科にいこう
いつからかは分からないが、左のわき腹のあたりに変なイボがある。 BB弾をちょっと潰したくらいの大きさだ。自分の左乳首を見ようとすると、「先輩!よろしくお願いします!」みたいな感じで視界に入ってくる。 真っ暗闇かつ酩酊状態で左乳首どーこだ!?をやったらワンチャン間違われる可能性がある。ブブー!それは私の謎のイボでした!残念!お前はもう終わりです! もしかしたらもう1年くらい経ってるかもしれない。そんなに何とも思っていなかったが、ちょうどブラジャーが締め付けられる位置にいるので風呂上がり汗をかきながらこのイボの存在を気にしないといけないことにだんだん腹が立ってきているのは確かだった。 友達とのご飯の約束が急になくなり、1日暇になったので近所の皮膚科に行くことにした。 予約をとるタイプの皮膚科ではなかったので、直接行ったら平日の午前中にも関わらずすごい人だかりだった。 iPadを持ってきていたの
「どうする?この状況…」 崖っぷちに追い込まれる 6時間前。 私はトマトジュースを飲んでいた。 実家を出て暮らし始めて、やや2ヶ月が経過している。転勤先での仕事もようやく慣れてきた。実家にいる時は、働きながら自炊するなんて、自分にできるなんて思ってもみなかったけど、意外にもやってみればできた。 ほぼ毎日自炊をしている。 久しぶりに会った友人に、「トマトジュースを毎朝飲むと美容にいい」と勧められ、最近では毎朝トマトジュースを飲むようになった。 大学時代、一切自炊をせず、バイト先のまかないのラーメンだけを食べて過ごしていたあの頃が懐かしい。 「丁寧な暮らしなんてクソ喰らえ」という反骨精神が今でもないわけではない。でも結局は一番精神的に安定するのが、コレなんだろうなと思ったりする。 飲み切ったあとのコップを水に漬けてから家を出た。 追い込まれる3時間前。 仕事は楽しい。 が、忙しい。 ここでは、
「許された気になるなよ」 京都のご飯屋に並びながら、すずめちゃんが私に言った。 私の数少ない友人随一のしっかり者のすずめちゃんは、細かいことによく気が回る分、無計画で大ざっぱな私によく振り回されている。 今回の城崎旅行も、1週間前に思いつきで京都の大人気米屋に行きたいと言い出してしまい、どうにか行ける方法を見つけようとしてくれてメチャクチャ苦労をかけた。冷静な理性ちゃんが「どう考えても無理では?」と言ってくれたことで、無茶な予定を組むことはなくなり、理性ちゃんはすずめちゃんにとても感謝をされていた。 すずめちゃんはいつも一緒に遊んでいる分、こういう私の無計画さにいつも困らされているので、そろそろ縁を切られるんじゃないかと思っているけど、「お前には何も期待してない」と言いながら、いつも会ってくれるので、本当に感謝をしている。 「人間が小さすぎる」 理性ちゃんは私の話を聞いて大口を開けて笑って
今年もまた悪びれもせず一年が終わるらしい。 今年は仕事は忙しかったものの,そんなにストレスに追われていたわけではなかったように感じる。忙しいとはいえ自分が仕事に慣れたからこその気持ちの余裕ができたんだろうと思っていた。 とはいえ、忙しさの中で気持ちがすり減っていく人がいるのも分かっている。 私は職場の労働組合のようなものに所属していて、会合へ行く度、職場への要望を出し合っている様子を眺めている。「管理職にこれを何回言っても聞いてもらえない」とか「もっと改善してほしい」という言葉が真剣に飛び交っているのを私はいつも他人事みたいな目で見つめてしまう。 「ピリきゅうさんは何か不満はありますか?」と言われて、とっさに「早くこの会合が終わって仕事に戻りたいなと思っています。」と思った。思っただけで言いはしなかった。 職場に対して思うことはなくもない。でも自分の願い通りになんでも叶うわけでもないと思っ
友人の結婚式があった。 高校から仲良くしている女友達だ。この時勢のこともあり、開催にあたって色んな不安や悩みも聞いていた。 重い扉が開かれた時、ふりきった笑顔で純白のドレスを着ているのを見て、「こんなに綺麗なことはないな」と嬉しかった。 良い式だった。 友人のスピーチは、格式ばったものではなく、2人のことを詩的にたとえた素晴らしいものだった。 酒好きな新郎新婦らしく、美味しい日本酒がテーブルに置かれ、その全てが美味しかった。 退場はネバヤンの「明るい未来」が流れ、新郎側の友人たちがアドリブで合唱しながら2人を見送り、そのあまりの温かさに泣いてしまった。 今この2人は心から祝福されてるんだなと実感し、こぼれる涙も温かかった。 終始、感染症対策に気を配りつつ、二次会も進んでいった。ユニークな人たちに囲まれ、私もお酒が進み、マスクの下はいつも笑顔でいた。外に飲みに出ることがほとんどなくなった最近
じいちゃんは、 酒とタバコを愛している。 酒は金麦。タバコはメビウス。 お酒は午前中から飲み始めるから、車を出してもらう頼み事は朝イチにしにいかなくてはならない。自分の家から徒歩1分の距離にある家に、「駅まで車で送ってよ」と言いに行くと手遅れになることが多かった。 じいちゃんは会う度酔っ払っている。夏になると上半身裸に下はステテコ、風呂上がりみたいな格好で、下校中の知らない小学生に「おかえり〜」と声をかけている。不審者として通報される一歩手前だ。陽気なジジイと不審者の境界線は曖昧でそれは見方しだいなのである。 小学生だけじゃなく、じいちゃんは知らない人にすぐ声をかける。喫煙所で会った人とは絶対仲良くなるし、ビアガーデンなんかに行くと近くにいる人に踊りながら声をかけたりする。「もう!じいちゃん!ちゃんと皆の近くおってよ!」と迎えにいくと「ほっほっほ」と頬をほんのり赤く染めて笑うのだった。 タ
読みにくい文章が読みたくない人は、ビックリマークがたくさんある所までスクロールをしよう! 今年に入ってからライターらしきことをさせていただいている。 ライターらしきという遠回しな表現をわざわざしてるのは、妙なおこがましさを感じているからだ。私風情がライターを名乗りだしたら「調子乗ってんじゃねえぞ!!」誰かが怒り狂ってうちの家までライター持って火をつけに来るかもしれない。 ナンセンスダンスというサイトにて、エッセイ記事も含めて7本書かせてもらった。 nonsensedances.com ↑最近書いた記事 webで記事を書いてみたいというのは、私にとって夢だったので、こういう形で関わらせてもらってることについて頭が上がらない。代表がいる方向に向かって毎日土下座しながら床をなめている。これは嘘です。嘘はやめよう! そして、この記事は千鳥あゆむさん主催のweb記事アドベントカレンダーに登録している
お酒が好きだ。 ビールに日本酒、ワインにカクテル、基本的にはなんでも嗜む。食べ物にあったお酒を頼んでちょびちょびと食べるのも好きだ。お酒の場と雰囲気も好きだ。お酒の力を借りてほんの少し込み入った話もしやすくなって、普段は出来ない距離の詰め方をして関係を深くできる感じも好き。 ただ、そんなに強くない。 生ビールジョッキ3杯ハイボールに日本酒を挟み始めるとだいぶ気分が良くなってしまっている。弱いというわけではないのだが、そんなに強くない。それが私の酒との関係。 こうなるとどうなるか。 私の場合は、二日酔いが本当にエグいことになる。 飲み会の後はしこたま水を飲まないと、次の日は一日を潰す。夜は起きてトイレに向かい、眠れないまま朝を迎え、ベッドに水を置いて一日を過ごす。身体中が筋肉痛のようになり、頭は割れるように痛み、目を開けると目の前が回り、「もう二度と酒を飲むのはよそう」と回る世界に思う。その
ポカリスエットのCMがある。 高校生が校舎の中で音楽に乗せて踊りだし、「君の夢は僕の夢」と歌う。意気揚々と踊る彼らの全身がみずみずしい青色に包まれて、「青春」の有様を見せつけられている、という気分になる。 あれは果たして青春なのか? 高校生が目に見えて、「今、青春をしている!」と思える時は一体なんなんだろうか。 体育祭で徒競走一番をとった瞬間? 文化祭で自分のクラスが優勝した瞬間? 好きなあの子と結ばれた瞬間? どれもこれもが、青春として与えられたステージである。しかし、そのステージの上で自分の思うようなパフォーマンスが出来るかどうかはその子次第だ。 私は完全にパフォーマンスが出来ない側の人間だった。体育祭では、本当に運動が出来ないので徒競走で完全に迷惑をかけた挙句、他の色の応援団の方に仲良い子がいて、その子に頼まれて、他の色の応援団のTシャツの文字を書いてたりしてた。私の裏切り行為がバレ
誰しも記憶の中に子供の頃の少しえっちな体験があるのではないかと思う。その時はよくわからなかったけど、「今思い返すとあれって・・・」と考えるやつだ。 当時私は小学校低学年だった。その頃の私は内気さに磨きがかかっており、友達の前で自分の言いたいことを言うのがとても苦手な子供だった。お姉ちゃんの後を金魚のフンのようについて行っていたため、自分の友達よりもお姉ちゃんの友達との方が遊んでいたし、楽しかった。 近所で大きな犬を飼っている可愛い子に、私が「DSを持っているから一緒に遊ぼう」という理由で初めて遊びに誘われた時、家に帰ったらDSがぶっ壊れていて、子供ながらに「DS亡き今、彼女にとって私はなんの価値もない」と劣等感の最骨頂を見せて、泣きながらお腹が痛いふりをして断りの電話をいれたのを覚えている。 そんな時、何回か遊んだことのある子に家に誘われて私ともう一人の子で遊びに行ったことがあった。 冒頭
最近24歳になった。 相も変わらず大人と子どもの境目なんて分からないけれど、付き合う人間が限られるようになったのは歳を重ねていったら証拠なのかもしれない。 「ごめん遅れる」 約束をしてる2人から連絡が来てわたしは珍しく「待つ側の人間」になった。いつも私は支度が遅く待たせる側になってしまう。待つ側の人間は自発的に何かしない限り誰かを不快にさせることがおそらくないので非常に気が楽だ。「りょりょ〜ん」という伸ばし棒のニョロニョロに、私の呑気さのありったけを詰めた。 先に合流したのは理性ちゃんだった。 理性ちゃんというあだ名は今つけた。頭が良くて丁度いい言葉を探すのが得意な子だけど、根っこの部分は倫理観がないみたいなことを自分でいつも言っている。倫理観が0だった幼少期のエピソードを酔うと話してくれる。いつもは理性で人間のあるべき姿を保っているので理性ちゃん。理性ちゃんは「今日午前中にジムの体験予約
大学の友人8人で韓国のソウルに行ってきた。 今回話したいのは、そこで経験したアカスリの話である。 元々、NANTAという日本でいう吉本新喜劇のようなショーを見ることになっていたが、ガイドさんにアカスリを紹介され、NANTAよりそっちに興味が出てしまった私は、他の6人とは別行動でもう一人とアカスリに行くことにした。アカスリに行ったもうひとりをRとする。 「すごくよかった〜〜!韓国のアカスリ最高〜!」 みたいな美容ブログのレポがやりたい訳じゃないので、店の詳細は出さずに書いていきます。美容とかね、そういうんじゃない。そういうんじゃないんだ。 これは真実を伝えたいがための衝動的な記録である。 6人とは別れ、2人で送迎バスに揺られながら連れられて行った店に入ると、肌がツルッツルのテンションの高いオバチャンが出迎えてくれた。 まず狭い部屋でオバチャンに美容のカウンセリングを受けた。カウンセリングって
大学生になって初めてバイトをすることになったその日、私はこころなしか緊張していた。 そこのバイトを紹介してくれたのは高校の時の仲がいい先輩だったので、安心はしていたのだが、女子が少ない上に私が入る時間が深夜帯だったので、他に入る人が優しい人だったらいいなと期待をしていた。 そこにいたのはT先輩という人だった。 T先輩は私の三つ上で仕事が早い人で人見知りをしている私にも気さくに話しかけてくれて、第一印象は“素敵な先輩”だった。 緊張していたけれど、こんな先輩と一緒に仕事が出来るならこれから頑張っていけるかもしれないと思った。 店の営業時間が終わり、片付けが終わった。時刻は深夜2時半。初めてのアルバイトが終わり、しんどくなった体を引きずりながら、バイトの日誌を書きに控え室に戻る。すると、T先輩は私以外のもう一人の中年のバイトの男性にこう話しかけた。 「今ヘリコプターAVってやつにハマってるんす
人にはモードがある。社交的スイッチON状態とOFF状態があって、ON状態の調子がいい時は自分から初対面の相手に会話のテーマを出して、会話を盛り上げることもできる。 しかしほとんどの場合、私はOFF状態である。脳が必要以上の会話をすることを拒否している。 そんなOFF状態において、脳を通さない会話をするために、私は多様な相槌を習得することに成功した。 驚いてるタイプの「へぇえ!?」 噛み締めるタイプの「へぇ〜〜〜・・・」 笑いを含むタイプの「へへ(笑)へぇ〜」 切なそうな顔して斜めに頷きながら聞くタイプの「ふんふん・・・」 たまに言ってることを重ねて言うタイプの「へぇ〜〇〇・・・」 以上!梅くらげの相槌攻略辞典! 相手が喋りたがるタイプならばほとんどの場合これらのタイプの応用で会話は成立する!するのであーる! ちなみに脳を介さずに相槌を送っているため相手が何を話しているのかは全く理解していな
人の言葉には裏側がある。 自分を強く見せかけるために棘のついた言葉の鎧を背負い、体当りして人を傷つけ自分を守る人もいる。「言霊」なんてものはあるが、本当に心がこもって発せられた言葉なんて、実は全然ないのかもしれない。 また、裏側があることに発した自分ですら気づいてない場合もあるのではないだろうか。 今回は話が高校生に遡る。 いつか生徒会だった時のエピソードをブログに書いた。 sobameshi5.hatenablog.com 今日話すのはこの記事で書いたメガネの中の一人、生徒会長になったメガネの話だ。 会長は真面目で良い奴だが、少し頑固でいつも何かをやらかしていた。 高校生男子としては珍しくDREAMS COME TRUEをこよなく愛し、当時のメアドにもDREAMS COME TRUEをガッツリ入れていた。おっちょこちょいなのか、ドリカムが22周年だった時「ドリカムが22周年になったのでメ
簡単な英単語というのはいつまでも記憶に残っている。 高校は地方の進学校に通っており、小テストで合格しないと延々と呼び出される地獄のループがあったので、すれ違う人々が死んだ顔で英単語帳を開いているという光景がよく広がっていた。 私は苦手な英単語のとなりには星マークが付ける習慣をつけていた。赤シートで何度消しても脳裏に浮かんでこない苦手な単語のページには宇宙かと思うくらい燦然と無数の星が輝いていた。 高校を卒業して英語に触れる機会が減り、難しい英単語はだいぶ頭から飛んでしまったものの、簡単な英単語は間違えることは無かった。 この間、母親とそんな英単語の話になった。 ブラジャーを忘れた友人のために、教科書の間に自分のブラジャーを挟んで麻薬取引のようにこっそり貸すという高校時代を送った母親。 「お母さん結構英単語は覚えてたよ」と自信ありげに語る。 「やっぱりああいうのは普通に覚えててもしょうがない
私はかなりどんくさい。 足は遅い。 体力がこれでもかというほどない。 走り方も歩き方も変だ。 何もないところで転げまくる。 思春期、運動神経は母親側から遺伝すると知り、この呪われた血筋を自分の代で止めることが出来ないことを察した私は絶望感に苛まれた。 運動神経が良かったら私の人生の幸福度はどれくらい上がっただろうと学生の時何度も思った。 また、気が強そうな見た目をしているのか、絶対に「バスケ部?」と聞かれ体力測定の時には期待の眼差しで見られるのだが、こちとら「明日」を「希望」と読むような背筋が凍るポエムを延々と書き連ねていた文芸部である。50メートル走で、「手加減してね〜」と言ってきた隣の子の背中がどんどん遠くなっていく様を、遅い足をバタバタさせながら私は追いかけていた。そこに希望などなかった。 今日のブログはそんなどんくさい私のある日の下校の話である。 私が通っていた学校は山の上にあり、
突然のセクハラは笑ってしまう。 最近セクハラが話題になっている。 実際にセクハラに悩んでいる人もいるし、私がそれについて意見をどうこう言う訳では無いのだが、今日は個人的な経験からくる話である。 大学の時に働いていたバイト先のラーメン屋の店長は、ヤンキーあがりのガテン系みたいな見た目をしていた。 店にやって来る知り合いも大抵皆いかつかったし、矢沢永吉に憧れてるのか知らんけど控え室の壁に矢沢永吉の写真が押しピンで乱雑に止められていた。 店長は普段店で働くことはなく、大元の会社にいることが多いのだが、深夜3時営業時間が終わって片付けをしているあたりにダル絡みをしによくやって来た。 ここで皆さんに問う。深夜3時まで飲食店で働いたバイトたちにかける労いの言葉とは一体なんであろうか? 「お疲れ様!」とか「今日は忙しかった?」とか普通そんな感じじゃなかろうか。 飲み屋街に位置するラーメン屋で、酔っ払いの
母親が娘の貧乳を馬鹿にしている。 母親は胸が大きい。母親のカップ数をブログに公表しても私にも読者にもなんのメリットもない(ちなみに自分の胸がないことを延々とブログに書き続けることも私にも読者にもなんのメリットもない)のでわざわざ言わないが、子どもを産んでから大きくなっていったらしい。 そんな母親も子どもの時は胸がまったくなかったらしく高校生の時、次の授業が体育なのにブラジャーのホックがこわれて困っている同じく貧乳の友達のために、自分のブラを外して教科書の間にブラジャーを挟んで友だちに貸してしばらくノーブラで過ごしたという逸話がある。いや、これは貧乳であることを証明するエピソードではなく、ただ、母親が図太い神経を持ち合わせた人間であることを格付けた話か。 痛みを知った人間は、傷ついている人に優しくなれる。その理論で世界は今日も一定の優しさを保っている。 昔は胸が小さかった母親は、貧乳側の気持
もう何年も人間のフリをしながら生きている 「自分には人間の生活というものが見当つかないのです。」 太宰治の人間失格の冒頭にある一文だが、ある日、この一文が自分にしっくりくるようになった。 それは、色とりどりのペットボトルのキャップが一人暮らしのわたしの部屋を埋め尽くした時だった。 人1人、それは大量なゴミを生み出すには十分な存在らしかった。一人暮らしを始めて一応やかんとお茶ポットは買ったけれど湯を沸かして茶を作るなどという芸当は私には到底わたしには無理だった。そうなるとどうなるか。大量のペットボトル飲料を買った。 するとなんだ、溜まる溜まる。ペットボトルの山だ。溜まる前に、ペットボトルの回収の日に合わせてまとめてゴミに出せばよかったのだけれど、わたしは決まったゴミの日にゴミを出すということも出来なかった。もうお気づきであろうが、私は部屋の片付けをすることが出来ない。 結果わたしの部屋にはペ
一人暮らしをして自炊をするようになってから料理ができるようになるひとは多い。 私は逆に全く自炊をしない一人暮らしを経て、実家に帰ってから料理をするようになった。まったく料理を覚えない私に母親が、しびれを切らし夕飯を作る役を与えてくれた。 毎日ちゃんと料理をするようになり、そこそこだけど作れるようになった。 すると、母親が「あんたの生姜焼き美味しいね」と言ってくれた。 家にあったレシピ本から適当に作った料理だったけど、なかなかうまくいったらしい。 ほかのなにものでもない、わたしは生姜焼きがうまく作れたのが嬉しかった。 私は生姜焼きという料理にある思い出があった。 大学に入って、初めて彼氏ができた。なんだか難しいことをいつも言っているひとだった。お酒と哲学が大好きで、いつも言葉の合間と合間を探して難しいことを私に言ってきた。 私は一生懸命それを理解しようとして、彼の家にあった「プーさんを題材に
東京事変の修羅場を聞いていて急に思い出したことがあるので書く。 もうこのブログでも何回か書いたけど昔コンパニオンのバイトをしていた。 コンパニオンとは、おじさんたちの宴会を盛り上げるために呼ばれる女の子のことである。この説明でも「どういうこと?」とアホづらで聞いてくる人には「出張型のキャバクラみたいなもんだよ!」とか言っていた。まあ正直全然違うんだけど。 キャバクラと違う所は色々あるけど、その中の一つはお客さんに特別気に入られない限りもう一度会うということがないというところだ。一応チーフになったら名刺を渡して「これからもごひいきにどうぞ~」的なやり取りをするので、ごく少ない可能性でまたその人たちが来た時に指名してもらえることもある。 まあそんな感じで一期一会でどんなお客さんとも、ほぼ会うことがないというのがコンパニオンの利点だと個人的に思っていた。 ある時入った宴席で、控室でチーフの女の子
オーストラリアから手紙が届いた。 え?オーストラリアに友達なんていましたっけ?と一瞬思うが、宛名のRの文字でなるほどと思う。 今回話に出てくるRは、韓国で一緒に垢すりを受けたRである。 韓国のアカスリに行ったら地獄だった話 - リハビリ人生 彼女と最初会った時、どちゃくそいかついし怖いから関わらないようにしようと思った。 ファーストコンタクトは大学のサークルでの顔合わせだった。 私が入っていたサークルは一学年100人くらいいるでかい規模のサークルで、大きな枠組みの中に何個かの部局に分かれている。その中の一つに、平和部局という部局があった。 先輩が「カンボジアに行くよ!」とか大それたことをその部局のパンフレットに書いていて、私は「なるほど、カンボジアね、まあ大学生活の経験値としてもこういうの行ってみるのもアリよね」とクソ大学生として例に漏れない思考回路でで釣られて入ったのだが、実際は企画が通
私はスタバに行くのが好きである。 新作が出たらわりとすぐにチェックをしに行くし、スタバで勉強をしたり友達とお話をするのも嫌いではない。 だがしかし、心の底からスタバのなんとかフラペチーノが飲みたいと思って、私はスタバに行っている訳では無い。 私はカフェインが苦手である。 純度の高いコーヒーを飲むと眩暈がして動悸が止まらなくなり吐き気を催していてもたってもいられなくなるくらいカフェインが苦手である。スタバの可愛くデコレーションされたなんとかフラペチーノでさえも全部飲み干すと少しその後気分がすぐれなくなる時がある。 (最近知ったのですが、スタバってカフェインレス頼めるらしいですね!スタバ最高!バンザイ!) じゃあなぜそこまでしてスタバに行くのか。 バカなのか。そうだ、バカなのである。 私は見栄を買いにスタバに行っている。 「スタバでMacを開いている」というのは、オシャレを気取って仕事をしてい
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